17話 契約者の使命
甲板に出ると、小麦畑が緑の絨毯となって一面に広がっていた。
アクアクロラーはその絨毯を二つに分断するように流れる河川をゆっくりと進んでいる。
収穫の時期には黄金の絨毯へと変わっていると聞くが、ユイカはその時期にここへ来たことはない。今度視察という名目で見に来るのもありかもしれないと彼女は密かに思う。
彼女がそんな側近の胃が痛くなるようなことを考えていると、ユーリが周囲を見渡しながら訊ねてきた。
「ここら辺は農業が盛んなの?」
「うん。南エリアは農業や畜産が盛んで食料生産の基点となってるの。この街で一番長閑な地域よ」
「ふーん。じゃあ、お昼は美味しそうなお店探そうかな」
「残念。お昼は南エリアの長とお食事だよ」
「それ僕も出ないとダメなの?」
「当然。わたしたち、星彩のレガリアの影響で離れられないもの」
「うーん。面倒事多そうだなぁ。神与文字は記録したし指輪返そうか?」
「ダメ。今返されるとわたしの都合が悪いの。帰るまで我慢しなさい。それとも、わたしと一緒にいることがそんなにも嫌なの? 泣いちゃうよ?」
「都合が悪いって、絶対僕のこと利用したでしょ。あと君はそんなことじゃ絶対泣かない」
「泣かないって、わたしも年頃の女の子なんだけどなぁ」
ユイカは口を尖らせ、わざとらしく拗ねた振りをすると最後に戯けるように笑った。それを見たユーリは何か諦観したようにため息を吐いていた。
「ところで儀式って何やるの?」
「祈りを捧げるだけだよ。精霊と心が通じれば祭壇にある炬火台に炎が灯るの」
「心が通じればか。君は精霊と会話ができたりするの?」
「礼拝堂ならね。繋がりが強くなれば姿も見えるようになるし、どこでも呼び出すこともできるんだけどなぁ」
そう言って、ユイカが少し悔しそうな顔をしたとき、ちょうどリュートが周囲を警戒しながらこちらにやってきた。二人の会話が聞こえたらしく、彼は自慢げに自身が加護を受ける精霊について言ってくる。
「シルラはお伽噺の妖精みたいで美人さんだぜ」
「それもう何度も聞いた。何で節操なしのリュートにシルラは懐いているんだろうね。本当に不思議」
風のレガリアを持つリュートは、ユイカ以外で唯一シルラと繋がりを持つことができる。何故かシルラに愛されている彼は、神器を通じてどこでも会話できるらしい。シルラが祀られている礼拝堂では姿も見えるらしく、何度も彼に自慢されている。
「もてる男はつらいぜ」
「そうね。じゃあ、彼女のことも受け止めてあげなさい」
ユイカはリュートの背後を指差して言う。そこには船室に繋がる通路があり、入口にスタイル抜群の侍女が薄らと笑いながら立っていた。
それを見たリュートは「げっ!」と口から空気を漏らし、顔を引き攣らせる。そして、すぐに勢いよく甲板の後方に逃げて行った。
リュートが少し可哀想に思えてきたユイカは、焼石に水かもしれないがフォローを入れておくことにした。
「リズ、お手柔らかにねー。性格さえ矯正してくれればいいから」
「任せてください! しっかりと去勢してみせます!」
リズはナイフを握りしめたまま両手を胸元で掲げてそうアピールすると、そのまま彼を追いかけて行ってしまった。
「去勢じゃなくて矯正なんだけどな……」
「あの娘も残念美人か……」
「えっ?」
「何でもない」
ぼそっと呟いた言葉を拾われたくなかったのか、ユーリはすぐに会話を切った。ユイカはもという部分がすごく気になったが、何となく追求しない方が幸せな気がしたのでこれ以上触れないことにした。
そんな無駄な直感を働かせていると、ユーリは自然と話題をすり替えるように、左手の指輪を見せながら訊いてくる。
「ねえ、僕もこれがあれば精霊と交信できるの?」
「どうだろ? 星彩のレガリアは白の魔女専用のものだからなぁ」
「これまでに事例なし?」
「うん。それにフリュルルは白の魔女でさえ手懐けられた人は少ないって言うし」
「そっか。でも可能性はゼロではないんだね」
そう言って、ユーリは嬉々とした感じで指輪を見つめる。その様子を見たユイカはその前向きさに感心する。もしかしたら技術者というのはそういう性格でなければやっていけないのかもしれない。
彼女はここでちょっと気になっていたことを訊ねてみる。
「ねえ、君は何で魔法工学技師になったの? その若さでなるには並大抵の努力では無理よね。何か目的があるから頑張ったのでしょう?」
「うーん。資格を持っていると色々と便利だからかな。別に魔法工学技師になりたかったわけではないし。僕はただ世界の仕組みを知りたいだけ」
「世界の仕組み? 」
「そう。きっとそれを知ることが僕に与えられた使命に必要なことだと思ったから」
ユイカは「そっか」と相槌を打って黙る。
契約者である彼が言う使命とは魔女の願いのことだ。一般的にそれに触れることは、魔女への干渉とされマナー違反とされている。だから、ユイカはこれ以上追求することを控えた。
たが、それでも心の内では、同じ魔女であるレイナ=アスタリア=ローザが彼にどんな願いを託したのかは気になってしまう。
おそらく彼が契約したのはもっと幼い頃。
そんな子供に彼女は何を願ったのだろうか?
街の繁栄? いや、彼女はもう街には干渉していないと彼は言っていた。となると、私的な願いだろうか?
しかし、彼女が長い月日で築き上げた立場を考慮すると、現実的な願いならばほぼ叶うはずだ。
では、神に願うようなものを? それを子供に?
魔女の願いは達成困難なほど契約者に芽生える力は大きくなるが、同時に契約者を願いで縛り付けることにもなる。
もしそんな願いを託したのならば、幼い子供を一生奴隷にするような契約となったはずだ。
それこそ呪いともいえる契約に。
(彼の話し振りからすると、そんなことはなさそうだけど……)
ユイカはここまで考えて、暴走気味の思考を戒めた。
そして、今の幸せそうな彼がすべてではないかと結論を出す。
ここで彼女はふと思う。魔女の願いに比べたら先ほど飲み込んだ言葉など些細なことではないかと。だから、彼女は彼に問いかけた。
「ねえ、わたしって残念美人?」




