14話 忍び寄る影
セレスティアル宮殿に程近い場所にある高級住宅街。王宮に勤める者が多く住み豪邸が建ち並ぶ場所だが、その中でも一際大きな邸宅に男はいた。
男は薄暗い部屋の中で窓辺に佇んでいた。
端正な顔立ちしており、薄い青の瞳と白に近い金色の髪が特徴的である。その容姿は二十歳前後に見えるが、実年齢は三十を過ぎている。だが、魔女の血族の中ではまだまだ若造として扱われる年齢だ。
彼はガラク=ロータス。先代の青の魔女の孫であり、現在の青の魔女の甥にあたる人物である。
ガラクは窓に映る自身の姿に目をやる。薄らと笑みを浮かべていた。特に愉快なことがあったわけでもない。むしろ長年準備をしていた計画が台無しになり、気分は最悪な状態である。
たが、彼はいつも通りの笑みを浮かべていた。王族として、いかなる場合でも平常心を保つようにと矯正されてきたことによる悪癖みたいなものである。
「まさか、用意した舞台が他人に使われるとは思いませんでした」
ガラクはため息混じりに自嘲する。そんな彼に対し、後ろに控えていた男が「申し訳ありません」と頭を下げた。
「貴方を責めているわけではありません。ただ世の中のタイミングの悪さというものを痛感しているだけです」
ガラクは戴冠式に出席するめにこの街にやって来ているが、この機会を利用して白の魔女にアプローチするつもりだった。そのためにわざわざエルグラウンドの【アーティファクト】を使って天罰を発生させたのである。
当初の予定では、ある程度暴れさせたところで人的被害が出る前に彼自身が叩くはずだったのだが、蓋を開けてみれば偶然その場にいた王女と少年が時間を稼ぎ、駆けつけた風の騎士が天罰を片付けてしまった。
結果、王女はその少年をたいそう気に入り、婚約者候補にしたらしい。それによりこの期間に用意されていた見合いの場はすべてキャンセルとなり、王女目当てに来た戴冠式の出席者は自身も含めて無駄足を踏むこととなってしまった。自業自得とはいえ、なかなかうまくいかないものである。
「結局、あの少年は何者ですか?」
「昨晩の夜会には出席していなかったようなので名前まではわかりませんが、どうやら赤の魔女の関係者のようです」
「そうですか。では迂闊に手を出すこともできませんね。千年姫との友好は最優先事項ですし」
赤の魔女はアナザーヘブンの中でも飛び抜けた影響力を持つ人物だ。他の魔女とは格が違うと言っていい。
彼女が千年を超える治世で築き上げた街は、学問や科学技術だけでなく社会の仕組みさえも他の街の半世紀以上先を行っている。多くの技術は新しい世代に切り変わる度にその二世代前の技術がアナザーヘブン全体に公開されているがそれでも他の追随を許していない。
遅れをとる我々が本気で追いかけるつもりならば、先に社会の仕組みに目を向けるべきなのだが、少なくとも彼の街はそれを受け入れるほど人々の精神面は進歩していない。
ゆえに、ガラクにとってここまで魔女に心酔するアーズル・ガーデンは魅力的だった。若い彼女を傀儡として民衆を導けば、アクア・スフィア並みの発展を遂げさせることが自分にはできるはずだと彼は考えていた。
(私が王位につければこんな面倒なことをしなかったのですが……)
ガラクの王位継承権は第五位。魔女の力は女性のほうが身体に馴染みやすく、男性が受け継ぐと短命になることが多いので、王政の街はとある一つの街を除いて王位継承権は女性が優先されている。したがって、彼が青の魔女(男性の場合は青の魔王と呼ぶが)になることはほぼないといえる。それゆえに、彼は白の魔女の隣に立つことを望んでいたのだ。
「残念ですが私は手を引きます。彼に退場して貰いたいのはやまやまですが、ここから先行き当たりばったりの行動で叔母上に迷惑をかけるわけにはいきませんので」
「心得ています。少年の方は我々にお任せください」
後方に控える男は胸に手を当てそう言う。
見た目は四十代くらいの精悍な顔つきをした男だ。彼は【魔法士】、つまり魔女の血族でも契約者でもないので、ガラクと違って見た目と年齢に隔たりはない。
彼の名はアラン=エル=フェルメル。この街の魔法工学研究所の長であり、マナマテリアルの発掘から加工、魔法具の制作まで手がける商会の会頭でもある。アーズル・ガーデンでは有数の資産家として知られている人物だ。
彼とは二十年以上の付き合いになるが、お互い持ちつ持たれつの関係が続いている。今回もガラクが白の魔女の隣に立つことで、自然と彼もこの街での影響力が増すことになるので協力的なのだろう。
立場上こちらを立ててくれているが、内心では都合の良い駒としか考えていないのかもしれない。これまで多くの権力者と会ったが、彼はそういうタイプの人間だ。それはそれで割り切って付き合えると思い、ガラクも接している。
「それは構いませんが、相手はユイカ様の庇護下にあるのでしょう? 彼を狙うことは至難の業では?」
「ご心配なく。すでに策は用意してあります」
「策? ……いや、私は知らない方がよいのでしょうね」
「ええ。ガラク様は万が一に備えてその方がよろしいかと」
「わかりました。陰ながら成功を祈ることにしましょう」
「ご期待に添えるよう最善を尽くします」
アランはそう言うと、微笑みを保ったまま細い目の隙間から瞳を光らせた。
ガラクにはそれが不吉を招くような悪魔の笑みに見えた。少し嫌な予感がしたので、彼は気になっていたことを訊ねて様子をみることにした。
「ところでもう一つのマナマテリアルは問題ありませんか?」
「ええ。ご心配なく。優秀な魔工技師を集めましたので、取り扱いについては心配ないかと思います」
「そうですか。何に使用するつもりかわかりませんが、私が遊びで使用したものとは違い、あれには強力な天罰が封じられていると聞きます。スイレンの名で譲渡したものですし、どうかお間違いがないように」
「はい。肝に銘じておきます」
そう言って深くお辞儀をするアランを見て、ある程度の牽制にはなっただろうとガラクは一先ず胸を撫で下ろす。
スイレン、すなわち青の魔女の名を出しておけば、それなりには慎重になるはずだ。
彼が破滅に向かうのは構わないが、それに巻き込まれるのはごめんだ。
(まあ、今回遊びで使ったものとは違い、譲渡したマナマテリアルは正式な手続きをして持ち運んでいる。彼らが何をするつもりかは知らないが、すでに我々スイレンには預かり知らぬことだ。あとは彼らがうまく少年を排除できたならばそれはそれで暁光だが)
ガラクは野心を胸に秘めたまま窓に映る自身を見る。そこには変わらず作り笑いをする自分がいた。
◇◇◇◇◇◇
アランはガラクが使用人に見送られ、屋敷をあとにする姿を応接間の窓から見守っていた。
「あれの王位継承権が低いのはスイレンにとっては救いだな。王の器量ではない。そうは思わないか?」
彼はまるで誰かに問いかけるように呟く。
すると、突如壁際に飾られていたフクロウの剥製の目がぐるりと回って、彼の問いに答えはじめた。
「同感です。だからと言って、この街の王配になられても困りますが」
「まあ、誰が王配になろうと女王は彼女だからな」
「ええ。ですから是非ともあのお方を蘇らせましょう」
フクロウは恍惚を含んだ口調で言う。そこから相手が相当その人物に対して傾倒していることが窺えた。
「ずいぶんと覇王にご執心のようだな」
「今、この街には強き王が必要なのです。有事に対して騎士頼みの現状はあまりにも不用心というか、危険だと思いませんか?」
「そうかもしれんな」
「ましてや、私情で騎士を選ぶような幼い女王など必要ありません」
フクロウは冷めた声で主人であるはずの少女を罵った。
(嫉妬は人を狂わせる。実によい傾向だ)
アランはそう思って口元を緩める。
「さて、聞いての通り、こちらは例の少年を排除しつつ計画を実行に移すつもりだ。通信もこれが最後となるだろう。器の用意は任せたぞ」
「ええ。必ず貴方の下に届けます」
「楽しみに待っている」
「では、ご武運を」
「そちらもな」
通信が切れるとフクロウの目から生気が消えた。
アランはそれを確認してから近くの椅子に深く腰をかけた。そして、天井を見つめながら小さく呟く。
「運命はどちらに転ぶか……」




