13話 魔女は難しいお年頃
白いレースのカーテンが夜風に煽られてゆらゆらと揺れていた。よく見ると中庭に面したバルコニーに繋がる窓が少し開いていた。
ユイカはその窓を閉めると、一度背伸びをしてから部屋の奥にある大きなベッドに向かってダイブした。
ここはセレスティアル宮殿の最奥にある一室。この区画は王族の住居スペースとなっており、本来外部の人間が立ち入れる場所ではない。しかし、今宵は王族でも使用人でもない人物が一人そこにいた。
(何だかなぁ……)
ユイカはうつ伏せになったまま少し離れたソファーで寝そべる少年を見る。
少年は先ほどから左手を天にかざしては、そこある銀色の指輪を眺めながらずっとにやついていた。まるでプロポーズに成功した男の子、いや、というよりは待ちに待ったプロポーズを受けた女の子のようである。
星彩のレガリアは、白の魔女にとってエンゲージリングでありマリッジリングでもある。
白の魔女は、婚約時に恋人に月の指輪を送り、自身は太陽の指輪を身に付ける。そして、婚礼の儀式のとき今度は互いの指輪を交換する慣わしがあるのだ。
ユイカはその慣わしを利用して一時的に仮の婚約者を作ることでサズの嫌がらせを回避したのだが、それに対する代償もあった。
星彩のレガリアは二つの指輪が昼夜の対となって互いを補っているため、夜の間はできるだけ月の指輪を持つ者の近くにいなければならないのだ。彼がこの場にいるのはそのためである。
正直、星彩のレガリアに守られているとはいえ、今日知り合ったばかりの男の子と一夜を過ごすことに多少の不安はあった。そのため先ほどまで侍女を滞在させて身構えていたほどだ。
だが、少年は指輪に夢中で一向に自分に興味を示さなかった。
勿論、何事もないことが一番なのだが、それはそれで女性としてのプライドが傷つく。ユイカはそんな複雑な乙女心でしばらく悶々としていたが、次第にバカバカしく思えてきたので侍女を下がらせ、いつも通りの寝間着に着替えて少年を観察していた。
「ねえ、君、本当は男の子が好きなの?」
ユイカは確認のため訊いてみる。
その言葉で現実に引き戻されたのか、ユーリは訝しげにこちらを見た。
「急にどうしたの?」
「だって無防備なわたしにまったく興味ないみたいだし。おかげでわたしの乙女心はズタズタです」
「うーん。興味ないことはないけど、シュリに絶対手を出すなと脅されてるんだよね」
「シュリ様に? もしかして二人はお付き合いしてたりするの? もしそうなら悪いことしちゃったかな」
「してない、してない。あんな悪魔と冗談でもやめてよ」
「悪魔って、どれだけシュリ様のこと怖いのよ」
また大げさに怯えるユーリを見て、ユイカは苦笑いする。どうも実際に対面したシュリ=アスタリア=ノバラと彼から聞くシュリ=アスタリア=ノバラとの人物像にずいぶんと隔たりがある。きっと公の場では竜の巫女として何重にも猫を被っているのだろう。いつか彼女の本当の姿を見てみたいものだとユイカは思う。
ここで二人のやりとりを想像したことで普段の彼の生活が気になったので、ユイカは訊いてみることにした。
「ねえ、君は普段何をしているの? 魔法工学技師のお仕事? それとも学校とか行っているの?」
「学校? 通ってないよ。仕事もやる気があるときに神与文字の研究してるくらいかな」
「それでよく怒られないね。エルグラウンドってレイナ様直属の魔法工学技師なんでしょ? 街の大きな事業とか任されたりしそうなのに」
「うーん。今のところ特に何も任されてないなぁ。言われているのは週に一度は顔を見せることと、変なものは作らないってことくらいかな」
「何それ。母親みたい」
「まあ、実際保護者だしね。あっ、でも強いて言えば子守を任されてるかも」
「子守?」
「そう。アクア・スフィアの未来を担う秘蔵っ子だよ。きっといつかアナザーヘブンを救う救世主になるはず」
「へぇー。でもそんな子を君が育てて大丈夫なのかな」
ユイカはそう言うと子供に振り回される彼を想像してクスッと笑った。同時に今から訓練しているのなら案外良い父親になるのかもと彼女は期待したが、すぐにそんな発想をした自分が恥ずかしくなってしまった。そんな内面を悟られないように彼女は欠伸で誤魔化しながら言う。
「あーあ、何だか変に身構えてたせいで疲れちゃった。明日は早いんだし、もう寝ましょう」
ユーリは「そうだね」と頷くと、律儀に部屋の明かりを一つ一つ消してくれた。ふとこういう気の使い方は彼が恐る女の子から教育されたのだろうなと思うと少し可笑しかった。
「どうせ悪戯なんてできないんだし、隣で寝ていいよ」
再びソファーに向かおうとしたユーリを呼び止めて、ユイカはベッドの右側をポンポンと叩いた。
ユーリは一瞬渋い表情をしたが、すぐに不敵な笑みを浮かべてユイカの目の前までやって来た。そして、「握手」と言ってこちらに右手を差し出してくる。
アクア・スフィアでは寝る前に握手をする習慣でもあるのだろうか?
そんなことを考えながら、ユイカはその手を握った。すると、次に彼は手を繋いだまま左手でこちらの首筋にそっと触れてきた。
「やっぱりそうだ。君から触れた場合は守護の対象に含まれるから拒絶の力は及ばないみたい」
「あっ……」
失念していた。彼の言う通り自分から触れた場合は、確かに拒絶の対象外となる。普段はそのことに注意しているのだが、どうも彼といると素になってしまうので油断してしまう。
(どうしよ。大丈夫だよね? 彼、昼間は紳士だったし。でも、男の子はみんな野獣ってリュートは言ってたしな……)
「えっと、青い果実は美味しくないと思うの。ここは熟れるのを待つべきなんじゃないかな?」
ユイカは目を泳がせながら言う。自分でも何を言っているのかよくわからなかった。
ユーリは動揺する彼女の頬に手を添えてくる。彼は面白そうに笑っていた。
「でも、熟れたときに食べれるとは限らないし」
「大丈夫、大丈夫。当分収穫される予定はないから。それにほら、シュリ様に怒られるよ」
「よく考えたらそのくらいは代償としては安いものかも。それにサズさんからは姫自身が婚約者認定したのだから、隙があったら手を出しなさいって言われたし」
(あのドS宰相!!!)
ユイカは思わず心の中で怒号を発する。汚い言葉を声に出さなかっただけでも自分を褒めるべきだろう。
そんな顔が真っ赤になった彼女を見て、ユーリはぶっと吹き出して笑い出した。
「もしかしてからかった?」
「君の乙女心と同じだよ。あまりに危機感持たれないと男としてどうかと思ったからさ」
ユーリはユイカの右手を解放して彼女の隣に寝転ぶ。そんな彼をじっと見つめて、ユイカは不機嫌そうに言う。
「君がとてもいじわるだということはよくわかりました。君に虐められたって、あることないことシュリ様に告げ口しようかな」
「せめてあることだけにして……」
「どーしようかな。君が約束を守ってくれるなら許してあげてもいいけど」
「約束なんてしたっけ?」
「アクア・スフィアを案内してくれるんでしょ?」
「本気なの? 難しいと思うけどなぁ」
そう答えたユーリは顔をしかめていた。
魔女が他の街に赴くことは難しい。支配地から離れると神域魔法が意味をなさなくなるため、命を狙われる危険があるからだ。
相手方の魔女にも迷惑をかける恐れがあるので、基本的には魔女は自身の街から出ることはない。そのため今回の戴冠式も招待した魔女はすべて代理出席となっている。
「どうしてそんなにアクア・スフィアに来たいのさ?」
ユーリの問いかけに、一瞬ユイカの心に影が射した。一昨年に亡くなった母親のことを思い出したからだ。彼女は心の陰りを彼に悟られないように答える。
「お母様の夢だったの。この街の空も素晴らしいけど、いつか水で覆われた神秘的な空をこの目で直に見てみたいってよく言ってた。だから、わたしの目を通していつかその夢を叶えてあげたいの」
ユーリは「そっか」と小さく呟くと、ユイカから顔を逸らすように寝返りしてしまった。
亡くなった母の話になったので気を使ってくれたのだろうか。もしかしたら陰りが顔にも出ていたのかもしれない。
ユイカは彼の背中に「おやすみなさい」と声をかけて横になる。彼女が目を瞑ろうとすると、「いつか叶うといいね」という囁くような声が聞こえてきた。
ユイカは身体を横にしてもう一度彼の背中を見る。そして、はにかむと小さく「うん」と返事をして目を閉じた。




