12話 仮初の婚約
「ねえ、もう帰ってもいい?」
謁見の間に来て早々に、ユーリは眠そうな目を擦りながらそう訪ねてくる。しかし、隣にいた銀色の髪の少女がすぐに「言葉使い」と咎めた。
宝石のような赤い目。それに耳元から伸びる黒い角。竜の特徴が色濃く出ている彼女は、竜の巫女、シュリ=アスタリア=ノバラだ。
アナザーヘブンではごく稀に魔物と人間が混じったような容姿をした者が生まれてくる。【まじり】と呼ばれる彼らは例外なく強い魔法の力を持っており、たいていは魔女の近親者の中に現れる。
だが、彼女はその例外だ。赤の魔女、レイナ=アスタリア=ローザは一切の血族を持たない。ゆえに、シュリは魔女とは無縁の両親から突然変異として生まれてきたことになる。アナザーヘブン全体でも百年に一人現れるかどうかの珍しさだ。特に魔女の血縁者以外で唯一魔女の力を受け継ぐことができる存在であることから、傾国の兆しとも言われることがある。
そんな理由から魔女に仇なす不吉な存在とされ、不幸な運命を辿ることが多いのだが、彼女はレイナにいち早く保護され、後継者として育てられているという。
「ユーリ様、あらためて今度の件感謝致します」
サズは深々と頭を下げる。
「いいえ、当たり前のことをしただけです。ユイカ様や住人の方々がご無事で何よりでした。彼もこの街の役に立つことができて光栄でしょう」
何か喋ろうとしたユーリを制して、シュリが答えた。
「姫も感謝の言葉を」
サズは客人の前でいつまで正座しているのだという目で見てくる。よく考えたら次期女王が説教されている姿など他国の要人に見せていいものではない。
ユイカは何事もなかったように立ち上がりると、コホンと一回咳払いをしてからシュリに向かって優雅に微笑んだ。
「わたくしからもお礼を申し上げます。被害が大きくならなかったことはユーリ様が尽力して下さったおかげです」
「勿体ないお言葉です。ユイカ様とご一緒させて頂いたみたいですが、何か失礼なことを彼がしませんでしたか?」
「いいえ。とても新鮮で楽しい時間を過ごさせて頂きました」
新鮮という言葉でおおよその察しがついたのだろう。シュリはそれを聞いて申し訳なさそうに苦笑する。
そんな彼女に「どうかお気になさらず」にと言葉を添えて、ユイカは隣にいる少年に視線を向けた。それに気づいた彼は煩わしそうに「堅苦しい言葉はいらないよ」と予防線を張ってくる。
ユイカは思わずクスッと笑ってしまった。公式な謁見ではないとはいえ宰相や騎士のいる前でも、自分に対する態度が少しも変わらないことが素直に嬉しかった。彼女は彼の注文通り普段の口調に戻して訊ねる。
「ねえ、褒美は何がいい? 何か願い事はある?」
「別にいいよ。そんなつもりで助けたわけじゃないし」
「そういうわけにはいかないの。白の魔女の威厳にかかわるんだから」
「そんなこと言われてもなぁ。うーん……」
ユーリはそのまま唸りながら考え込んでしまった。
どういう関係かわからないが、彼は赤の魔女であるレイナ=アスタリア=ローザを何も敬称をつけずに名前で呼んでいる。さすがに恋仲ということはないだろうが、非常に近しい仲であることは間違いないだろう。もしかしたら、自分が与えられる褒美など彼にとっては簡単に手に入る物ばかりなのかもしれない。
「本当に何でもいいの?」
「わたしが叶えてあげられる範囲ならね。とりあえず言ってみなさい」
「えっと、じゃあ、神器が欲しいかも」
予想外の願いにユイカだけでなくサズも目を丸くする。シュリも目を見開いて彼を見つめたまま唖然としていた。リュートだけは俯いたまま必死に笑いを堪えているようだった。
魔女の権威は、限定的な範囲とはいえ万物を支配できる神域魔法からくるものだ。その神域魔法を扱うに等しい神器は、この街では王権の象徴となっている。他の魔女の従者がそれを欲するということは、場合によっては宣戦布告とみなされてもおかしくないだろう。
「すいません! すいません! このバカ、本当に常識知らずでして」
シュリは慌てた様子で右手でユーリの頭を押さえながら謝罪する。その口調と慌てぶりから、同年代としての彼女の姿が少し覗き見えた気がして、ユイカは自然と笑みが零れた。
「シュリ様、彼に願いを言うように促したのはわたくし自身ですので、どうか頭を上げてください」
ユイカはそう言ってシュリに頭を上げさせると、次にユーリにその真意を訊ねてみた。
「どうして神器が欲しいの?」
「神器の仕組みが何かの魔法具に応用できないかなと思って」
「応用? もしかして君はその若さで魔法工学技師なの?」
「うーん。それが専門ってわけではないけど、一応資格は持ってるよ」
ユーリはきょとんとした顔をして答えた。
魔法工学技師とは魔法具の製作資格を持つ者のことだ。魔法の知識は勿論、自然科学や材料工学など様々な分野の知識も必要となるので、アナザーヘブンでは最難関の職種と言われている。
(戴冠式の出席名簿で見た彼の年齢は確か十四歳だったはず。そんな年齢で? ……そういえば)
ここでユイカは出席名簿にあった彼のフルネームを思い出した。
「ユーリ=ノワル=エルグラウンド。まさかエルグラウンドって……」
「はい。認めたくはないのですが、彼が当代のエルグラウンドです」
シュリはユイカの呟きに申し訳なさそうにそう答えた。
アクア・スフィアはアナザーヘブンで最も発展している街だ。それは魔法具の技術、マナマテリアルの応用技術、そして科学技術が他の街よりも数十年先に進んでいるからだ。
エルグラウンドはそのきっかけをもたらした過去の偉人の名であり、アクア・スフィアでは赤の魔女が抱える魔法工学技師の長に代々その名が受け継がれているという。つまり、その名を持つ彼は事実上アナザーヘブンで最も優秀な魔法工学技師ということになる。
「そっか。君、ぼーっとしているように見えて優秀なんだね。でも、他の街の人に神器を与えるのは難しいなぁ。うーん……」
ユイカは胸元から首飾りを取り出し、そこにある二つの指輪を見つめながら考え込む。
神器を持つ者は、この街において神域魔法を扱う最高戦力となる。当然、そんなものを他の魔女の従者に与えるわけにはいかない。
神器の仕組みにおいては別に知られても問題ないだろう。力の源は生きた戒律という神域魔法で生み出された五体の精霊であり、その存在なくして成り立つものではない。それに神器と精霊を結びつけたのは女神なので例え他の魔女であっても引き離すことは不可能だからだ。
(彼に解析してもらって、もし何か成果があったら、そのときはその技術をいち早くこちらも利用できるかもしれないけど……)
ユイカはそう思いながらサズに目を向ける。彼女の思考を読んだのか、彼は小さく首を横に振った。
どうやら反対らしい。それに少し困った表情をしている。滅多に見られるものではない。
そんな宰相の困り顔を見て、ユイカはある作戦を思いつく。
(これ、一石二鳥かも。それにたまには仕返ししないとね)
そう思いながら、ユイカは口元を緩めると、首飾りから金色の指輪をはずして自身の左手の薬指にはめた。そして、今度はユーリに向かって首を傾げて微笑むと、もう一つの銀色の指輪を彼の左手薬指に通した。
ユイカの動作が迷いのないあまりに自然な流れだったため、その間誰も身動きもせずにただそれを見守っていた。
「じゃあ、君がこの街に滞在する間、仮初の婚約者ってことで、その指輪を貸し与えます」
「なっ、姫!?」
ユイカの言葉で我に返ったサズが慌てた様子でそう叫ぶ。そんな彼にユイカは悪戯な笑みを浮かべて言う。
「残念。これでは当分お見合いはできないわね」
ここで俯いたまま肩を揺らしていたリュートは、ついに堪えられなくなったのか腹を抱えて笑い出す。対象的にシュリは困惑するその顔を右手で覆い、「どうしてこうなるの……」と肩を落としていた。
ユイカは目を輝かせて銀色の指輪を眺める少年を見ると、小さく呟いた。
「これで戴冠式まで退屈しなそうね」




