イジメにあいました。
こんにちは。今回は今までと違って実話です。
自分が経験した話を丸々小説にしました。
連載小説ですが、辛くて続けられるか不安です。
けど途中まででも読んでいけたら幸いです。
私と同じような経験がある方は、あまりオススメしません。学校がトラウマになるかもしれないので、ご注意ください。
3年生が終わる、終業式。担任の先生が涙する。
通知表を受け取る。今年はコロナがあって、通知表のコメントはゼロだ。
私の友達Aは、悲しそうな目で、私を見る。実は私、四年生からはこの学校にいない。
県は同じだけど、市は変わり、一時間以上かけて着くところに引っ越す。
引っ越し作業は大変だったけど、楽しくもあった。
荷物の移動はパパじぃじ達が手伝ってくれた。
ランドセルロッカーや、机の移動は、メチャクチャ大変、だったらしい。その時私は友達の家にいたので、詳しくは知らない。じぃじの車で大きな荷物を運ぶ。例えば、ベッドとか、ランドセルロッカーね。
でもパパの車・・・自分たちも乗る車の中も、荷物でぎゅぎゅうだった。お布団やらテントやら〜とにかく、いっぱいあった。
車に乗る直前、友達Rのお母さんが、いらしてくれた。Rちゃんは家で寝てるらしい。まぁ、休日の朝だし、寝てても当然だ。Rちゃんのお母さんは『申し訳ない』と言う。とんでもない!
しかし流石に最後の最後は、別れの言葉が言いたい。そんなわがままも受け入れてくれたお母さんは、Rちゃんと電話を繋いでくれた。
Rちゃんは「ごめんねごめんね」と言うばかりだった。
今から車の前まで来ようか、と言ってくれたけど、昨日お別れもしたし、車もでるところだ。残念だけど、断った。
さっき『昨日』と言ったけど、訂正。終業式が終わって、春休みの途中。引っ越すことを明かして1ヶ月経ったころだ。集まったのはAとRちゃん。三人でしばらく遊び、解散時刻となった。
もしも、最後の日に会えなかったら。ということで、お別れはしといたのだ。
電話越しに「バイバイ」と言って、Rちゃんとのお別れ2を終える。
車に乗り込み、育ってきたマンションに手を振る。荷物で全部は見えなかったけど、マンションは笑ってるように見えた。
じぃじの車と自分たちの乗っている車が一斉に走り出す。マンションが小さく見えるほど、遠くに走る。
なぜか、気持ちが憂鬱だった。たまに遊びには来れるけど、遠い所だからちょこまか移動できない。
もう二度と戻れないような、そんな悲しい気持ちだけを残して私はマンションを離れた。
新居には何度か言って、寝泊まりもした。でもその時は洗濯機もベッドも机もなかった。
新居に色々設置されていって、ワクワクが増した。
新しいテレビ、机、椅子、ベッド。友達も、新居にやって来る。
妹の友達も、姉の友達も。
楽しい時間もいっぱいあったが、不安なこともたくさんあった。例えると、自粛期間中の宿題を学校に取りにいったりとか。クラス発表だとか。ちなみにクラスは4年2組。 もちろん、知ってる人は一人もいない。どうやって友達をつくって、学校生活楽しく送れるのか。不安で不安で、仕方なかった。
自粛生活は、思ったより退屈だった。どこかに行くことも許されていない。ずっと永遠にこのままだったら、腐る。
だけど緊急事態宣言と自粛要請は6月に解除された。
新しい学校に行ける喜びもあったけど、不安も同じくらいあった。
この前、宿題をとりに学校まで言ったけど、2組の担任の先生は優しそうな女の人だった。
S先生は、転校してきた私に優しく接してくれて、小学校のことについても、詳しく教えてくれた。
ママも、いい先生だね、と言うほど優しかった。
転入してきたらまず先生が心配、というのはよくある話だ。でも運がよく、S先生に当たってくれて、嬉しかった。
学校に行くのは、クラスの半分。そう決まっていた。この決まりもいつかは解除されると思うけど。A班とB班に別れて、学校に行くのはみんなからして悲しいことだと思うけど、私はしばらくこの決まりが解除されないことを祈った。
A班B班に別れた登校は今日で終わる。A班だった自分は、毎日朝八時から11時くらいまで学校にいる。給食も、謎のコンビニおにぎりが出たり、牛乳だけの日も。そんな生活は、今日で終わるのだ。
教室に全員生徒が集まり、騒がしくなる。そして不安が大きくなる。
ただ、半分登校の間、四人友達をつくった。一人は中学生のお姉ちゃんの友達の妹。それが理由で友達になった。二人目・・・というかあとの子。三人はいつも固まって行動している仲良し軍団だ。近づけずにいて、友達になれた自分にエールを送りたいほど。きっかけはSwitch=スイッチだ。Switchに入っているゲームを、自粛期間中に入れた。
結構気に入って、早起きしてやっていたくらいだ。
そのゲームの話を三人がしていて、心臓がドキッとしちゃった。前々から「あの子達に話しかけたい!」と内心で自分に言い続けていた。妙に自分が知っていることを知っていて・・・。
パンと牛乳しかない給食を食べ終わった後、水道の近くで三人組のリーダー的存在のTちゃんに声をかけた。こんな感じにね。
「あの、〇〇ゲーム知ってる?」
距離を保ち、心臓のバクバク音をなんとか抑える。
Tちゃんは、三人の中で一番話しやすそうな子だ。だから____
「あぁ。知ってるよ、あのキャラクターかわいいよね」
そんな答えに驚きを隠せなかった。じゃあ友達に・・・、と、声が小さくなりつつも、言った。
後から「迷惑じゃなければ」と付け加えたけど。
そんなバカみたいな私を見て、Tちゃんは笑って「いいよ」と言ってくれた。
こんな感じで、計4人と友達になった。
それはいいんだけど、教室に入る。2組は、とても騒がしい。
耐えろ、耐えろ。自分に言い聞かせた。
それから半年くらい経つ。友達はクラスの女子全員。
新しい生活や、学校にも完全に慣れた。友達も自分に仲良くしてくれる。
ずっと2組がいいと、そう考えてた。
でも時間は一瞬で過ぎてしまった。4年生が終わる。
終業式は、3年生の時みたいに悲しかった。
5年生が、始まった。始業式が始まった途端、実感した。
去年よりは緊張しなかったけど、仲良かった子と離れて、知らない人が増えるなんて。去年と違う緊張だった。
クラスは5年1組。担任の先生は5年間同じ女の先生。K先生だ。去年4年生の担任で、ちょっとのことは知っていた。
第一問題・・・第一関門を突破し、安堵の息を漏らす。でも、油断しちゃならない。
クラスの男子で知ってるのは3人。女子で知ってるのは4、5人くらい。あとはぜーーーーーいん知らない。
去年と同じく、不安だらけだった。
だけど知らない人はいないというわけではないから___クラスの女子と打ち解けるのははやかった。
無論、全員に話したものの、気が合わなかったり、話が合わなかったり。人それぞれだから、無理矢理自分に合わせようとしなかった。
しかし、事態は悪化した。せっかく仲良くなった子が、自分から離れていくのだ。
よく言えば、他の子に興味がある。そんな言い方もよくないんだけど。友達は自分を嫌うように、離れていく。
その感覚が嫌で、家族に相談した。
するとママは、
「勘違いじゃないの?ひまりの気にし過ぎだよ」
良いフォローなのか、気にせず、みたいな感じなのか。
私がいやーな顔をするとお姉ちゃん=おかりーとが、
「元々仲良かった友達いるんでしょ?そういう友達と一緒にいればいいんじゃない」
「でもさぁ、ひまり見るとプイッみたいな顔するの。なんなの〜!って叫びたいぐらい」
クラスの友達の顔を真似し、自分の顔をしかめる。
それでもおかりーとや、ママは気にも留めない顔だ。
「気のせいいだって。他の友達と遊べばいいでしょ」
ママは携帯をいじりながら言う。
「だって・・・」
「初めの方なんだから、まだそんなこと言わないの!」
仕方ないから、そこら辺は無視することにした。
でも今度は、無視できないほど強烈になってきた。
話しかけても無視、まるでいない存在の様。明らかにみんなとの距離がある。
気づいたら、自分の学校の机の中に『ばか』『アホ』と書かれた紙が入っていた。
次の日、ママの起きて、と言う声にベッドから起き上がり、一階に降りる。でも、食欲はないし、学校に行く気力もない。ソファに座り込み、うずくまる。
「何?!ご飯食べないの?」
ママがイラついた口調で言う。きっと、妹=おみがママを怒らせたのだろう。
ママが不機嫌な時は、そんな感じだ。
「食べないよ」
「じゃあ早く着替えて!」
おかりーとが「えぇ〜」と言った。
洋服を取るけど、着替えたくない。
時刻は7時25分。45分に家を出るから、急がないと、結構やばい。
「行かないよ」
「はぁ?!学校でなんかあったの?!」
それから、おかりーと、おみ、パパが家を出て、やっとママと二人きりで話ができる。
お疲れ様です。ごはラメです。作品はどうでしたか。
この話は実話で、話に出てきた人は、実際にいます。頭文字にしたり、あえてあだ名にしたりしています。
いじめにあう方は少なくないと思います。そのような経験をした方にとって、申し訳なく、ひどい話になっています。ですが、皆さんにこんな経験をしてる人はたくさんいることを学んで、知って欲しく、書きました。
最後まで見て頂いてありがとうございます。