第二章 訓練を始めよう(3/4)
学校中に染み込むように鐘の音が響き渡った。その音を耳にしたシファノス陸軍学校の生徒達が一様に脱力する。
「そいじゃ今日の授業は終わりだね。お疲れちゃーん」
テキパキと筆記用具等を片付ける魔戦科二年の担任フランツィスカ。奔放な彼女だが、授業内容はきっちりしており一切の過不足なくスケジュール通り行われる。教え方も口調はさりとて丁寧で、かつ要点を押さえている。逆に言えばこういったしっかりした部分があるからこそ学年主任を任せられているわけであり、普段の言動を許容されているといったこともあるだろう。
「あ、解散の前にちょっと大事なお話があるよん」
と、すっかり気の抜けかかっていた生徒達にフランツィスカが声をかける。帰り支度を始めていた生徒達が何事かと浮きかけていた腰を教室の椅子に降ろした。
「昨日小隊演習したじゃん?あれの成績さ、点数にして中庭の渡り廊下に張り出してあるからねん。順位別に並べといたから、自分の班が現状どの位置にいるのか確認したらいいんじゃないかな」
生徒達から不平不満の声が上がる。良い結果を出せたと自負する生徒がそれだけ少ないということである。低い成績を衆目に晒されることを喜ぶ者はおるまい。
「まぁ別に誰より上とか下とか関係ないけどねぇ。でも分かった方が張り合いが出るでしょ?目指せナンバーワン!頑張れよ若者たち!……いやツッコミ待ちだよ?先生も十分若者ですよって言え!」
「……………」
そういえばとケントは思い出す。このあとリアとマルティナの二人と待ち合わせしている場所も中庭だ。ついでに自分達の成績を見ておくべきだろう。あまり良い結果とは思えないが。
望みのツッコミが返ってこないことに不満顔なフランツィスカ・シュタイン、二十八歳、独身はゴホンと一度咳払いすると、
「あ、ちなみに一カ月後に昨日と同じ内容の小隊演習しまーす。流石に一カ月あれば時間まで耐えるのは当然だよねー。対策を練ったり連携の練習する時間は十分にあるんだしぃ。そこが単位が出るか出ないかの一つのボーダーかな」
と、さらっと重要なことを口にするとひらひらと手を振って教室を出ていってしまった。
色めき立つ生徒達。初回の演習で制限時間まで耐えられた班は半分にも満たない。多くの魔戦科の生徒達が次の対策を立てるために別の学科の教室へと足を向けた。班のメンバーと今後の対策について話し合う必要がある。おそらく同じ話を聞いているだろう他学科の生徒も同じように考えているだろう。すでに集まる約束をしていたケントはいつもの仏頂面で中庭へと向かうべく席を立った。
「……………」
そのケントの、見ようによっては落ち着いていて余裕綽々というふうに見えなくもない態度に眉を顰める一人の魔戦科の生徒がいた。
ケントに続いて彼も席を立ち、中庭へと足を向ける。椅子から立ち上がった拍子に光を艶やかに反射する銀の髪がさらりと流れた。
中庭の渡り廊下にはすでに若干の人だかりができていた。自身の班の順位を知りたい者、興味本位で他の班の順位を知りたい者。ある者は自分の班の順位を確認して頭を抱え、ある者は確認した後にすぐさま仲間の元へと急ぐ。いずれにせよ手放しに喜べる成績の者はほとんどいない。
そんな人だかりの中に分け入ろうとするケントに気づいた生徒が、あっ、と声を上げて道を空ける。心なしか、その表情には若干の嘲笑が浮かんでいる。ケントに視線をやりつつもひそひそと何やら隣人と言葉を交わしている者もいるが、そんな周囲の態度にも相変わらずケントはどこ吹く風といったふう。
頭の中で魔法二つを発動寸前で止めているケントにはそんな周囲の様子に気を配る余裕はないのだ。
自然に割れた人垣を越えて壁面に貼られた成績表に辿り着く。紙に書かれた点数と順位を目で追っていく。視線は徐々に下へ。ほとんどの場合、常に紙面の最上部に名前が書かれるケントにとってある意味それは新鮮な経験であった。
班番号と名前の羅列のうち、三分の一ほどが一塊で上部、少し空白を空けて残りが記載されている。どうやらその上部一塊は制限時間まで耐えた班のようだ。当然その一塊に十一班はなく、つまりそれらよりケントらの点数は下。さらに視線を下へ。下へ、下へと読み進め、もうこれ以上下がれないといった場所にようやく十一班との記載を発見する。
(……最下位、か……)
酷い点数だろうとはケントも予測していたが、よもや一番下だとは想定していなかった。同時に悟る。この二年から始まった他学科合同小隊演習では個人の技量がいくら高かろうが駄目なのだ。重要なのは仲間と適切な連携がとれるかどうか。それが一定の水準に達した場合のみ、個々人の能力が成績に反映される。
常に成績トップを維持してきたあの天才が、急転直下に成績最下位へ。そのあまりにも激しい落差に周囲の生徒達はざわついていたのだ。ある者はいけ好かない天才の転落に嘲笑を浮かべ、ある者は落ちこぼれと組まされた天才の不幸に同情する。自身が成績最下位であることを確認しても一切表情を変えないケントの様子は、彼らには呆然と立ち尽くしているように見えた。
「――落ちぶれたものだな」
その天才に背後から声をかける者がいた。
「……………」
しかしケントは微動だにしない。声をかけた方は一度チッと舌打ちをすると声の音量を先程より引き上げた。
「“魔戦科始まって以来の天才”が最下位とはな!ケント・バーレス!」
名前を呼ばれて、ようやっとケントは自分が話しかけられていることに気付き声のした方へと振り向いた。
ケントの珍しくもない濃い茶色の瞳と、紅玉のような真紅の瞳が交錯する。その色の瞳を持つのはこのシファノス陸軍学校の全生徒の中でもただ一人だけ。
美しい少年だった。ケントと同じ制服とネクタイの色から魔戦科の二年ということが分かるが、その容姿は一種の妖艶ささえ備えており十七歳とは思えない色香を放っている。リザイドとはまた違った色合いの地黒の肌の中に嵌め込まれた真紅の瞳が煌々と光を放っている。髪は一切の曇りを知らぬ銀。女性ならば誰もが羨みそうなほどに艶やかで滑らか。紅、黒、銀の三色のコントラストが何も語らずともただそこにいるだけで衆目を引く。
加えて、その銀の髪を掻き分けて両側頭部から生えいづる硬質な突起物、角は彼がデモリスと呼ばれる人種であることを高らかに誇示していた。
「……オルフェス」
ようやっと反応を返したケントにオルフェスと呼ばれたデモリスの少年は憎々しげに眉根を寄せた。
ケントとオルフェスが向き合っていることに周囲の生徒達が色めき立つ。“魔戦科始まって以来の天才”と名高いケントに次いでオルフェスもまたこのシファノス陸軍学校では有名な存在であったからだ。
オルフェス・ディア・ローダン。ケントと同じく魔戦科二年である彼は間違いなく“天才”であった。
運動神経、魔法の技術、その他学力等。どれをとっても平均を大きく上回る。もちろんその秀麗な容姿もその一つだろう。そもそもデモリスという人種からして他とは一線を画す。彼らは他人種と比べて極端に数が少ないが、肉体的、頭脳的素質が最高水準であり戦場において表彰される人物の多くにその名がある。戦場以外にも魔法的、学問的な功績を残した偉人達を語るならデモリスという人種は必ず語らねばならない。
生まれながらにしての天才。それこそがデモリス。遥か昔には支配種族として大陸に君臨していたという。今現在でも全てのデモリスは王族ないし貴族、あるいはその血を継いだ者達だ。
能力、容姿、血統、どれをとっても最上位である彼らを前に他の者達は口を揃える。デモリスに負けたのなら仕方ない、と。それほどまでに彼らは常にトップに君臨し続けてきた。
だが、このシファノス陸軍学校においてはその限りではない。
「ごめん。聞いてなかった。さっき何て言ったんだ?」
と、“生まれながらの天才”を前にして相変わらずのぼーっとした表情でそうのたまう“魔戦科始まって以来の天才”にオルフェスのこめかみに青筋が浮かんだ。
「落ちぶれたものだなと言ったのだ!」
もはや怒鳴りつけるように叫ぶオルフェスにケントはああ、と鈍い反応を返す。
「そうだな。これは、頑張らないといけない」
オルフェスの挑発に動じた様子もなくケントは淡々と頑張らないといけないなどと口にする。
「さしもの“魔戦科始まって以来の天才”も、落ちこぼれ二人の面倒は見きれんというわけだ。このままではそいつらにつられてお前の成績まで落ち込んでしまうのではないか?」
そういうわりにオルフェスの表情にケントを案じる様子は微塵もない。
常に一番であり続けてきたオルフェスにとって、このシファノス陸軍学校で二番であることは耐えがたい屈辱だった。故に彼はことあるごとにケントに食ってかかり、そして競い合ってきた。しかし結果は全敗。今日、この時を除いては。
「そうならないように頑張るよ」
「具体的にどうするというんだ?」
「僕が二人に剣術と魔法を教える」
その言葉を聞いてオルフェスは鼻で笑った。
「お前が剣術と魔法を教えるだって?やめておけ。落ちこぼれはどうしようが落ちこぼれのままだ。生まれ持った才能は努力したところでどうしようもない。今からでも班替えを申請してきたらどうだ?」
入学当初の成績はケントよりオルフェスの方が上だった。しかし一度追い抜かされて以降、今まで一度たりともそれが覆ることはなかった。だからこそ今までの鬱憤を晴らすようにオルフェスはケントを煽る。
だが、ここまで言ってもケントの無表情は揺らがない。
「落ちこぼれのままかどうかは、彼女らの頑張りしだいだ。やってみないと分からない」
「余裕ぶるのもいい加減にしたらどうだ?班替えで成績を下げたくないのは分かるが、それで卒業すら危うくなっては元も子もあるまい」
「心配してくれて、ありがとう。でも、頑張ってみないことには、まだ分からない」
その物言い、そして一向に変わらない無表情に今一度オルフェスは舌打ちをした。
「……忠告はしたぞ。そこまで言うならせいぜい無意味に足掻くといい」
銀髪が翻る。そしてオルフェスは去り際に吐き捨てるように呟いた。
「――足掻いたところで、生まれ持った才能はどうにもならん。人種が変えられぬように。貴様の兄の二の舞になるだけだ」
その一言で、初めてケントの無表情が崩れた。
周囲の空気が静まり帰り、ざわめきが止んだ。
歩み去るオルフェスをケントが呼び止めようとした刹那、人垣の合間からひょっこりと見知った顔が二つ覗いた。
「あ、ケント君やっぱりここにいたんだ」
小さな体躯で人並みを掻き分けリアがケントへと駆け寄る。そのすぐ後ろにはマルティナの姿もある。
ケントのすぐ側まで近づいたリアは、その顔を見上げてひっと声を漏らした。
「――け、ケント……君……?」
続いてやってきたマルティナもケントの顔を見るなり狼狽した。
「ど、どうした。そんな怖い顔をして……私達の成績、そんなに悪かったのか……?」
「――あ」
そう言われてようやっとケントは我に返った。手で額を抑えて大きく深呼吸。待機詠唱も解除されてしまっていた。
「……成績は、最下位だったよ」
ケントがそう返すと、マルティナはがっくしと項垂れた。
「まさか最下位とは……参ったな……」
項垂れるマルティナを後目に、ケントがちらりと視線を下に向けると心配そうにこちらを見上げる紫紺の瞳と目が合った。
「ケント君、大丈夫……?」
ケントが我を失っていた理由が成績や順位に起因するものではないと、リアには見抜かれていたようだった。先のやりとりを聞かれてはいないだろうが。
「……ああ、大丈夫だ」
そう言ってポンと自分より頭一つ分ほど低い同級生の頭に手を乗せる。昨日出会ったばかりの異性に対して、そんなことをするなど我ながららしくないという自覚はあった。それだけ動揺しているということだろう。
視線を上げて人垣の奥を見やるが、もうあの銀髪の後ろ姿は見当たらなかった。