第二章 訓練を始めよう(1/4)
シファノス公国。大国ラドカルミア帝国に属する小さいが豊かな国である。
巨大な大陸の内陸、そのほぼ中心に位置するそこは様々な人種が分け隔てなく暮していることで知られている。もっとも、この世の中純粋な人間種だけの国家、それ以外の人種だけの国家など極々少数。別段珍しいことではない。外見や生まれ持った能力で人を分けるなど差別的だと非難されるのが昨今の風潮だ。
それでも過去の歴史の名残として、大陸の南部ほど純人間第一主義の傾向が強く、北部ほど人間以外の人種の割合が増える。その中間に位置するシファノス公国は人種による偏見や差別というものがもはや完全にない。国を治めている公爵ですら混血なのであるから当然といえば当然である。寧ろこの国では混血でないものの方が珍しいのだ。
シファノス公国のみならず、混血は時間の流れと共に大陸全土で進んでいる。いずれは全ての国家がシファノス公国のように、人種の違いなどなんら意味を持たないようになるだろうというのが歴史学者達の見解だ。人間と、それ以外の魔族と呼ばれた種族が争っていた時代などはるか遠い昔。世代を経るごとに魔族の外見的特徴もしだいに薄れていく傾向にあり、もはや種族という言い方は使われない。全てはヒトであり、人種である。
かくして人種間の争いなどすっかり歴史からなりを潜めた昨今だが、資源などを巡る国家間の領土争いは遥か昔から飽きることなく続けられている。
とりわけ、人々の生活に欠かせない魔法機械の動力源となる魔硝石を巡る利権争いは激化の一途を辿っていた。魔法機械が発展すればするほど、人々の生活が豊かになればなるほどその需要が増し、国家間の争いが増えるのだから皮肉なものだ。
そういった理由で軍事力という物はどの国家にとっても重要なものである。大規模な戦闘行為など早々起きないにしろ、他国に舐めた真似をされないためにもどの国家も力というものを示す必要があった。
また、森の奥深くや洞窟、そういった辺境の地には凶暴な魔物と呼ばれる生物が生息している場合がある。人々の生活の発展に伴い拡大される生活圏。それに圧迫され、そういった魔物が人を襲うという事案も近年増加傾向にある。折り合いをつけて両者共存の道を模索することが急務とされているが、目下襲われている人々を見放すわけにもいかない。襲い来る魔物を討伐することも軍人の仕事である。
そんな昨今の風潮に伴ってシファノス公国が立ち上げた教育機関、それがシファノス陸軍学校だ。
陸軍学校とはいうが、魔法科や魔戦科であれば卒業後、数年の兵役の後に研究職に就く者も多く、普通科であっても兵役後に一般社会に戻って軍人以外の職に就く者も多い。そういった軍学校という枠組みに囚われない将来の自由度、そして国立であるために安い学費、とシファノス公国に暮す子供たちにとってそこは無理なく選べる選択肢の一つだった。
軍の拡充と教育環境の整備を同時に行うことができるそこは、豊かなシファノス公国を象徴する機関と言えよう。
時刻は三時を過ぎたところ。授業が終わるには本来少し早いが、シファノス軍学校二年の生徒達は、予定よりも早く授業が終わってしまったために一足先に自由時間が与えられていた。
全寮制のシファノス陸軍学校では放課後の外出が可能等、規則はかなり緩い。もっとも、一方でその緩い規則をも守れぬ生徒には相応の対応が待っているのだが……。ともかく、放課後町に繰り出して貴重な青春を謳歌する生徒も多い中、二年の中で注目の的となっている第十一班の面々は学校の中庭に設置されたベンチに腰掛け、テーブルを挟んで沈痛な面持ちで向き合っていた。
頭を抱える天才と、申訳なさそうなリザイドの少女、そして申し訳なさそうを通り越して青ざめて縮こまるマギアスの少女。
(思ったより……凄まじいな……)
天才ことケントが頭を抱えているのは今しがたマギアスの少女、“魔法科一の落ちこぼれ”と呼ばれてしまっているリアの成績についてを本人の口から聞いたからである。
呪文の発音、詠唱速度、術式の理解度……全てが学年最下位。かろうじて潜在魔力量だけは人並み。もっとも、それも生まれつき高い魔力量を持つマギアスとしては最低クラスだが。
「入試に受かったのが、奇跡……」
「はうあッ!」
思わず漏れたケントの呟きにリアがダメージを受けてびくんとのけぞった。大きな音に驚いた小動物のようである。
「に、入試は、マギアスだったから……」
「ああ……」
シファノス陸軍学校の入試試験はそれほど厳しいものではない。寧ろ簡単だと言っていい。だが、魔法を扱う魔法科と魔戦科は別だ。魔力という全ての生き物が保有している不可視のエネルギーを扱うこの二科は、まずそのエネルギーを認知する能力がなければ話にならない。それが魔法は才能の技能と呼ばれる所以。気づけない者はどれほど努力してもその身に宿るエネルギーの存在を知覚することができないのだ。生まれ持っているが故に、近すぎて視えない。
その点、マギアスは先天的に額の宝石状の器官で魔力を感知することができる。いわば生まれながらにして魔法師としての第一歩を踏み出しているのだ。総じてその他の魔法適性も高く、魔法を扱う機関ならばどこも諸手を挙げて歓迎するのがマギアスという人種なのだ。それこそ学校の入試試験など顔パスに近いだろう。
「そ、それぐらいにしてやったらどうだ?」
見かねてリザイドの少女、マルティナが話に入る。
「実は、その、なんというか……。私も、成績は下から数えた方が早い……」
と、自分から言っておきながらマルティナは項垂れた。
先の試験を経たケントの見立てではあるが、彼女の場合身体能力そのものは人並みであるように見受けられた。だがその他がよろしくない。真っ先に陣形を乱したこともそう、木剣の振り方もただ腕力で振り回すだけ。性格に問題がなさそうに見受けられる分、そういった粗が目に付く。
「二年の成績次第では、進級も危ういと言われている。正直、崖っぷちだ……」
包み隠さずにマルティナが告白する。いくら豊かなシファノス公国といえど、子供の留年を許容する家庭は多くはない。おそらくそうなれば学校を退学し、軍人以外の道で働き口を探すことになるだろう。
そしてマルティナがその状況ならば、彼女より成績が低いだろうリアも当然そうだということだ。もはや顔を挙げられないと、リアはずっとの自分の膝の上に視線を落としている。
「……………」
黙したまま、ケントは天を仰いだ。思っていた以上に大変なことになった。二年の成績評価が班単位で出されるのならば、必然的に彼女らの成績がケントの成績に直結してしまう。
「そ、そう心配することはない!大丈夫だ!」
ケントの沈黙をどう捉えたのか、マルティナが勢い込んでベンチから立ち上がる。
「所謂背水の陣だ!私達はもう後がない!だからこそ、この一年は死ぬ気で頑張る!君の足を引っ張ったりはしないさ!そうだろ?」
と、マルティナは隣のリアに同意を求めるが、
「……無理だよぅ」
帰ってきたのは否定的な返答だった。
「だって、ケント君は“魔戦科始まって以来の天才”。上級生よりも強いって噂の有名人だよ……?そんな人に、私みたいな落ちこぼれがついていけるわけない……」
「そ、そんなにすごいのか君は。確かに、試験の時は魔法も体術もすごいレベルだと思ったが……」
本当にマルティナはケントのことを知らなかったらしい。
その天才とは対極に位置する少女が力なくベンチから立ち上がった。
「……私、先生に言って班決めをやり直してもらえるように頼んでくる。このままじゃケント君の成績まで下げちゃう。ケント君ほど成績の良い人なら先生達も期待してるはず。だから、きっと許してくれるよ……」
肩を落として、とぼとぼとリアが歩き出す。何か言いたそうにマルティナが口を開きかけたが、その口から言葉が発せられることはなかった。
(――いいのか?それで)
去りゆく背中を見ながら、ケントは思う。それでいいのかと。
こういうことになるかもしれないことは教師陣も分かっていたはずだ。にも関わらず彼らはケントとリアを同じ班にした。その意図はなんだ?ただ班ごとのパワーバランスをとるため?否、そんなことのために生徒に負担をかけるようなことを教師がするわけがない。
「――待ってほしい」
思わず、ケントはその小さな背中を呼び止めていた。
振り向いた拍子に紫紺の髪がさらりと靡く。
「この小隊演習は、仲間が見ず知らずの相手でも連携がとれるか、という部分も評価の対象の、はず。班変えを要求した時点で、その評価が、下がる」
思わず口から出たあまりにも冷たい言葉に内心歯噛みする。もっと気の利いたことは言えなかったものか。
「で、でもぉ……」
足を止めたはいいものの、状況は変わらない。実際にそれで評価が下がったとしても、長期的な目線でみればそれは必要犠牲と言えるであろうからだ。
――期待してるゾ!優等生っ!
そう言って担任のフランツィスカはケントの肩を叩いた。フランツィスカはこの班分けを決定した張本人であるはずだ。その彼女が期待していると言った。
フランツィスカは、いったい何をケントに期待したのか。
(――まさか、この二人の更正……?)
それをケントに期待した、というのか。
「あ、あのぅ……」
黙してしまったケントにリアが不安げな視線を向ける。
なんと言葉をかけるべきか。ただ、ケントはこのままリアを行かせてはならないと思った。
この班であること、リアとマルティナとケントが同じ班であることにはパワーバランス云々以上の狙いがある。それは間違いない。あの飄々とした女教師が期待する何かが。
まだ短い付き合いとはいえ、ケントのことを一度も天才と呼んだことのないあの教師に、自分はすでに大きな信頼を寄せていることにケントはこの瞬間気付いた。その期待に応えたい。
(――やるだけ、やってみよう)
そう決めたケントはまずマルティナに向き直った。
「……死ぬ気で頑張る、とさっき言ったな?」
「あ、ああ」
不意に話を振られてマルティナが慌てて頷く。卒業したいなら、もうなりふり構わず努力するしかない。そこまで状況は切迫している。
次いで再びリアの方に顔を向ける。
「リアさんは、どうなんだ?」
「え?」
「教えて、欲しい。卒業するために本気で頑張るつもりがあるのか。それとも、もう諦めるのか」
「……………」
胸の前で不安げに握った両の手を合わせ、リアの視線が前を向いたり、下がったりを繰り返す。
「わ、私は……」
「このまま、落ちこぼれのままで、いいのか」
おそらく、その言葉はすでに誰かに言われたことがあったのだろう。彼女の表情がくしゃっと歪んで、悲しみとも怒りともつかない感情が口から溢れ出した。
「私だって!好きで落ちこぼれてるわけじゃないもんっ!自分に才能がないって知ってるから、頑張って、努力して、なんとかしようって思ったもん!でも、どうしても、できないから……。天才のケント君には分からないよっ!」
こうやって発破をかけられたことも一度や二度ではないのだろう。なんとか現状を打開しようと彼女が努力したのも事実なのだろう。
だが、結果が伴わなかった。
(天才、か……)
もはや言われ慣れた言葉。この学校の誰もが、厳密にはフランツィスカを除く誰もがケントのことをそう呼ぶ。
“魔戦科始まって以来の天才”は“魔法科一の落ちこぼれ”と真剣に向き合うために、今一度、瞳を閉じた。
瞳を開くと同時、常に彼の意識を圧迫しつづけていた待機詠唱を解除。ありのまま、澄み渡った意識でケントは立ち上がってリアに向き直った。いつ、いかなる時もぼーっとしたような印象を拭えなかった天才の表情が急に鮮明なものとなったことに、その場にいる二人の少女は戸惑った。
「もし、まだリアさんに努力する意思があるなら。僕が力になろう」
「――え?」
思いがけない提案にリアが面食らう。
「ただ、本当にやる気があるのなら、だ。僕は君に頑張り方を教えることはできるけど、それを頑張るのは君だ。辛いし苦しいし、もういやだって思うかもしれない。それでもいいと、それでも努力すると誓えるなら、僕はそれを手伝おう」
突然の提案。あまりにも唐突過ぎて思考がついていけていないリアを後目に、ケントはもう一人の劣等生にも声をかける。
「マルティナさんにも」
「ええ!?私も、か!?」
「もちろん。話してて分かったけどマルティナさんは不真面目な人じゃない。でも成績はよくない。それは頑張り方が間違ってるんだ。僕が正しい頑張り方を教える」
つらつらと饒舌に。表情はおろか突然流暢に話し出したケントに亜然としつつも、マルティナはその話に飛びついた。
「本当か!?私も、努力はしてるつもりだったんだ。でも結果が伴わなかった。だから、どうすればいいか分からなかったんだ……。天才と呼ばれる君が教えてくれるというのなら、こんなに心強いことはない!」
その言葉に、ケントは一つ頷く。
そして、視線をリアへ。
「リアさんはどうする?もちろん無理強いはしない。本当に辛い特訓をすることになる。それが嫌なら先生に班替えを頼みにいこう。でももしリアさんにやる気があるのなら、僕が力になる」
濃いブラウンの瞳を正面から受け止めて、彼女は胸の前の手を強く握りしめた。
「私は……このままじゃ嫌だ。“魔法科一の落ちこぼれ”なんて呼ばれのはもう嫌だ!私は……変わりたいッ!私のことを落ちこぼれって馬鹿にした人達を見返してやりたい!」
心の底からの本音。
マギアスのくせにと何度嘲笑されたことだろう。もう馬鹿にされ過ぎて感覚が摩耗しかけていた。自分自身が落ちこぼれだということを認めてしまっていた。そのせいで諦め癖がついてしまっていた。だから最初に自分から班を変えることを願った。
でも、そんな自分にもまだ手を差し伸べてくれる人がいるのなら。
「私に、力を貸して下さいッ!」
自分は、変われるだろうか。
「分かった。これから一年、よろしく」
そう言って、人付き合いが悪いことでも有名な“魔戦科始まって以来の天才”は、その噂とは裏腹な人好きのする微笑を浮かべて手を差し伸べたのだった。