第五章 天才の証明(7/8)
「デイ/オル/エテ/エテ/エファ/ウエル――」
紡がれる詠唱にリアは反射的に横に飛びのいた。
「〈雷撃〉ッ!」
青白い閃光が先ほどまでリアのいた空間を貫く。衣服が汚れるのも構わずゴロゴロと地面を転がって攻撃を回避したリアは、上半身だけ身を起こしつつ、反撃のために短杖をエリスへと向ける。
「ファル/エファ/ウラ――」
だがそれよりも速く、
「〈曲刀〉!!」
待機詠唱によって詠唱を省いて放たれた光弾。半円を描いて側面から迫るその一撃に、咄嗟にリアは短杖を手放しポシェットに手を突っ込む。
「〈衝槌〉ッ」
振りぬいた手から放たれた不可視の衝撃波が光弾を撃ち落とす。指の間に挟まっていた紙が青白く燃え尽きる。衝突の余波で巻きあがった砂埃が目に入り、視界をぼやけさせた。
「うぅ……!!」
手の甲でゴシゴシと目を擦りつつ、這う這うの体でリアは立ち上がった。
「紙巻がなければ今ので終わってたのに……ほんとに、うざい……」
憎々し気にエリスがそう吐き捨てた。そしてそれは正しい。一撃目で体勢を崩し、二撃目を当てる。魔法師のもっとも基本的な戦術だ。
魔法師同士の戦いでは交互に魔法を撃ち合い、最後に魔法を撃った方がその攻防を制する。そしてその攻防は待機詠唱ができて初めて成り立つもの。それができないリアは魔法師らしからぬ回避運動と失敗のリスクを伴う紙巻で強引に制したのだ。
「まぁいいわ。どうせ結果は変わらない。アンタは私には勝てない。だってアンタは落ちこぼれなんだから」
エリスの嘲笑を聞き流しつつ、リアは必死にどうするか考えた。
視界は徐々に回復してきていたが、どうにも先ほど手放した短杖が見当たらない。勢い余って遠くに飛ばしてしまったようだ。短杖なしでは魔法の精度に不安が残る。今の距離の撃ちあいではちゃんとエリスに当てられる自信はない。
次にポシェットをまさぐる。残っている紙巻は三つ。この模擬戦までに準備できたのはたった五つだったのだ。ただし、自分の作った紙巻の中でもっとも完成度が高かったものを持ってきた。その全てが〈衝槌〉の術式である。
〈衝槌〉の射程は短く、魔法師同士の魔法合戦には向かない。だが近距離用の術式故に細かな制御は必要なく、攻撃以外に先のように防御にも流用できる。その汎用性での選択だった。
別の術式の紙巻を用意しておくことも考えた。だが、やめた。咄嗟にポシェットに手を突っ込んだ時に意図したものと違う紙巻をとってしまうことを避けるためだ。
自分は不器用だ。リアにはそれがよく分かっていた。分かっていたからこそ可能な限りリスクを避けた。
それが裏目に出た。まさか一対一の状況になるなど想定していなかった。
それでも、
(負けたく……ないッ!!)
口元をキッと結び、涙の滲む瞳でエリスを正面から睨みつける。
ポシェットの中身を全て掴み取り、右手の指の間に挟んだ。落とさないようにその手をキツく握りしめる。空になったポシェットを肩から外し、遠くに放り投げた。
「勝てないって言ってんのに……なんでそんな顔してんのよッ!!」
叫び、詠唱を開始するエリスに向けてリアは走った。
〈衝槌〉にしろ他の魔法にしろ、ある程度近づかないとリアは当てることができない。逆に言えば、近づくことができれば五分の勝負にすることができる。
「〈風舞〉――」
エリスの放とうとしている魔法の内容が分かった瞬間、リアは横にステップを踏むように跳び、ぐぐっとその小さな身体を下げた。
直後吹き荒れる突風。まともに受ければリアの身体など軽々と吹き飛ぶ風力。砂を巻き上げることもあって目くらましにもなる。大きなダメージはなくとも接近戦を嫌う魔法師が敵を遠ざけるために用いる魔法だ。
だがその突風の中、リアの身体は微動だにしなかった。紫紺の髪が旗のように靡くが、それだけ。
閉じられた両の瞳の上で、マギアス独自の身体器官である額の紅玉が爛々と紅い光を放っていた。
「なっ!?」
エリスが驚愕する中、再びリアは前進を開始する。
リアは吹き荒れる突風の中になる魔力の流れを、その第三の眼で視たのだ。そして魔力の流れのもっとも薄い部分、すなわちもっとも風の弱い部分に身を滑り込ませた。
魔法科一の落ちこぼれ。誰もがその肩書きのせいで忘れていたが、彼女は生まれつき魔力の流れを視ることができる器官を持ったマギアス。本来ならばもっとも魔力の扱いに長けた人種なのだ。たとえ落ちこぼれであったとしても、生まれ持って使える能力は失いようがない。
意識などせずとも、瞳を開けば景色が視える。マギアスにとって魔力の流れを視るということはそういうことなのだ。
「シュル/ツェル/ハス――」
走りながら、呪文の詠唱を開始する。肺の中の空気が一気に持っていかれて心臓が悲鳴を上げるが、気にしてなどいられない。
「待機詠唱もなしにッ!!」
後手に回ろうとも、エリスが待機詠唱で魔法を放つほうが早い。
「〈槍突〉ッ!!」
エリスから突き出された光の槍を、リアは、
「〈円盾〉!」
まるで盾を構え、敵陣に突撃する兵士のように。身体を横にして突き出された左腕を中心に展開された円状の力場が槍を受け止める。
そう、リアが唱えていた詠唱は攻撃用の魔法ではなかった。
初めから後の先を取られることを前提に防御用の魔法を唱えていたのである。
まだ消え切らない盾と槍の名残を脇目に前へ。
「!!」
エリスが口を動かそうとするが、もう遅い。
距離は十分近づいた。そこはもう、リアの〈衝槌〉の射程範囲――!
「〈衝槌〉ッ――!!」
リアは殴りつけるように右手を振りぬいた。魔力に反応した紙巻が青白い炎を放ち燃焼する。
そして――
「ッ!?」
その手は、虚しく空を打った。
〈衝槌〉は発動しなかった。
(不発――!?)
エリスが口の端を吊り上げる。
「ハス/アド/エムル/エムル/エファ/ウエル――」
その詠唱は、リアが紙巻を作る際に何度も何度も口にした魔法文字の羅列。だから詠唱の段階で何の魔法が来るかを知ることができた。
前に慣性が乗った身体を強引に捻って背後に跳ぶ。
「ッ!?」
力を込めた右足首に鈍い痛みを感じた。だが、それを気にしている場合ではない。とにかく、距離を――
「〈衝槌〉ッ!!」
エリスの振りぬいた拳から不可視の衝撃波が放たれたが、間一髪、その衝撃波はリアの前髪を余波で撫でるにとどまった。もともとリアが〈衝槌〉の射程ギリギリの距離にいたことで回避が間に合った。
後ろに跳んだ勢いのまま、一歩二歩と下がったリアは膝に手をついて喘いだ。落した視線の先にある脚が細かく震え、右の足首はズキズキと痛む。ジャンプの瞬間に捻ってしまったようだ。これではもうまともに走るのは難しい。
「フ、フフフ……天才の作った紙巻にも、失敗はあるみたいね……びっくりさせるんじゃないわよ」
リアとは別の理由で滲んだ額の汗を袖で拭ったエリスが安堵して笑う。もしあの紙巻が不発でなかったのなら、勝負がついていた。
「はぁ……はぁ……ちが、う……!」
息も絶え絶えの状態で、落ちこぼれの少女は叫んだ。
「この紙巻は、ケント君じゃなくて、私が作ったものッ!だからッ!今不発だったのは、ケント君じゃなくて、私の失敗なんだっ……!!」
自分が努力によって勝ち取った結果も天才のおかげと言われ、失敗さえも天才のせいと言われる。
それは、リアそのものの否定に他ならなかった。
「馬鹿言わないでよ……紙巻を作るにはとても繊細な技術と、才能が必要。アンタみたいな落ちこぼれが、そう簡単に作れるわけ――」
「簡単じゃ、なかった……ッ!!」
それは怒りだった。
何も知らないくせに。
私がどれほど努力したのかも知らないくせに……!!
「魔法式の図面を見ながら、何度も何度も書いた!何度も何度も何度も何度も何度も何度もっ!朝起きてから授業が始まるまでの時間、休み時間、放課後……毎日毎日、同じ形を同じ大きさで!何本鉛筆を使い切ったか覚えてない!部屋には紙束が山になってる!手はいつも真っ黒!手首が痛くて夜はなかなか眠れない!それでも……」
続けた。
やめなかった。
なぜなら――
君ならできると、そう言ってくれた人がいるから。
「それでも……それだけしても、まだ完璧とはとうてい言えない。さっきみたいに失敗する。この残りの二個も、成功してるかどうか分からない。でも――」
深く息を吸い、背筋を伸ばす。
そして、真っすぐに相手を見つめる。
「成功も失敗も、全部私の実力。自分が努力できないからって、私の努力を否定しないでっ!!」
エリスが、たじろいだ。
だが――
「う、うるさいッ!!私だって、私だってケント・バーレスと同じ班になれていたら……!!」
嫉妬。
つまりエリスは、ケントと同じ班になったことで落ちこぼれから脱しようとしているリアが羨ましかったのだ。
あの魔戦科一の天才と同じ班になれれば、私だって。ケントに迫る実力でありながら、ほとんど交流をしようとしないオルフェスと同じ班になったからこそ強くそう思うのだろう。ヘマをすればあのデモリスの少年に叱責される。そんな綱渡りの緊張感の中小隊演習に臨むエリスだからこそ、短期間で目に見えて成長し、あまつさえあの不愛想だったはずの天才と親し気に交流するリアが妬ましかったのだろう。
「確かにそうかもしれない。私はケント君と同じ班になれて幸運だった。でも、そのことは今関係ない!」
左手を前へ。握りしめた右手を軽く曲げて構える。
「ねぇ、あなたはさっき、落ちこぼれの私に負けたら自分が落ちこぼれって言われるって言ったよね?だったら……」
もう走れない。ならば、できるのは――
「私がここで、落ちこぼれじゃないって証明すれば、負けてもいいってことだよね!!」
「このッ――!!」
二人同時に呪文の詠唱を開始する。
「〈槍突〉ッ!!」
攻撃魔法を放ったのはエリス。
「〈円盾〉ッ!!」
それをリアの防御魔法が防ぐ。双方とも、詠唱による発声発動。後の先をとるのは当然――
「〈曲刀〉ッ!!」
横殴りの光弾がリアへ迫る。それを、
「〈衝槌〉ッ!!」
不可視の衝撃波が撃ち落とす。だが、リアの右手の紙巻は二つとも燃え尽きてしまっていた。どちらか一方が不発の可能性を考慮し、両方ともに魔力を通したのだ。一つならばともかく、二つ同時に用いれば失敗する確率は大きく下がる。
しかし、それによってリアは虎の子の紙巻を失ってしまった。紙巻があったからこその互角、それがなくなれば、もはやリアに勝ち目はない。
魔法師同士の攻防は、最後に魔法を撃った者が勝つのだ。
だから、リアは――
「スゥゥ――」
まだ〈衝槌〉と〈曲刀〉の衝撃の余波が消え切らぬ内に息を吸い込む。その最後のワードを口にするために。
ケントに出会ってからやってきた訓練は、紙巻を作るためだけではない。寧ろ基礎的な技術の向上にこそケントは努めてくれた。
そして、待機詠唱は魔法師にとって基礎的な技術の一つだ――
「〈雷撃〉ァアアッ!!」
魔法を発動させる最後のワードが口にされ、手の平から魔力が放出される。それが脳内の術式によって形を変え、白い稲妻となって枝を伸ばす。
「!?」
予期せぬ攻撃。いや、予期していたとしても回避することは困難であったろう。広範囲に拡散しつつ迸った稲妻は確かにエリスの身体を捕らえた。
まだまだ完璧とはほど遠いレベルだった。威力が拡散し過ぎている。あともう少し距離が離れていれば、有効打とは呼べないほどの威力になっていただろう。
だが、その稲妻を受けたエリスは、ゆっくりと前に倒れ込んだ。
「そこまで!勝者、十一班!」




