第一章 他学科合同小隊演習(1/3)
まだ夜の抜けきらない早朝の冷たい風が、雲を足掛かりに蒼天を昇る太陽の呼気に温められ、清涼感を感じるような涼しさに変わる頃。多くの生き物が塒から起き出し、光陰の如く流れ去る朝という貴重な時間を忙しなく過ごしている時間帯。昼間の喧騒が嘘のように静まりかえるその場所で、カーテンの隙間から差し込む柔らかな陽光をスポットライトにして埃が壇上で踊っていた。
観客は一人。階段状に並んだ机の列、その真ん中辺り、窓側。まだ他に誰もいない学び舎の片隅。そこが騒がしくなる時間にはまだ早いというのに彼はぽつねんと一人椅子に腰かけていた。
早朝だからだろうか。少し眠たげに細められた眼。学校指定の制服を着崩すこともなく第一ボタンまで留めてぴっちりと着こなしている。比較的均整のとれた顔だちも相まって非常に真面目そうな出で立ち。もっとも、それは個性としては少々弱く、彼の素性を知らない者からすればすぐに雑踏に紛れてしまうような平凡な印象を他者に与える。
ケント・バーレス。このシファノス陸軍学校においてこの平凡な容姿の少年を知らない者はほとんどいないだろう。
魔戦科始まって以来の天才。学校最強の二年生。彼についた呼び名はいくつかあるが、代表的なのはやはりこの二つ。
一年前期では多少優秀程度だった彼だが、授業で教えられる知識をことごとく吸収。メキメキと実力をつけ、筆記、実技ともに後期には学年トップに。そして年度末に行われる多学年合同訓練で上級生を下し、一躍有名人に。
文武両道を行く彼だが、あえて欠点を挙げるとするならば人付き合いが苦手なこと、だろうか。当の本人はそれを気にしている素振りはないが、気にしていないのが一番の問題かもしれない。
その彼、ケントはまだ自分の他には誰も来ていない教室からぼんやりと窓の外を眺めていた。教室に真っ先にやってくるのはもはや彼の習慣となっている。そしてふと何かを見つけて注視する。
なんてことない、この一帯に広く生息している種類の小鳥が木々の枝にとまって毛繕いをしていた。
小鳥の様子をしばらく眺めていたケントはやがて思いついたように机に向き直ると、右手を胸の前で開いた。
「〈投影〉」
ケントがそうぽつりと呟くと、彼の手の平の上に中空から出現した幾筋もの光の線が集まっていき、寄り合い、合わさり、やがて一つの像となる。
それは今しがた見た小鳥だった。ぴくりとも動かないことを除けば本物とまったく見分けがつかないような精巧さ。遠目から見ればその違和感にも気づけまい。
「……………」
ケントが意識を自分が作り上げた小鳥へと集中させる。刹那、ぴくりと小鳥が動き出す。記憶を反芻するかのように毛繕い。この小鳥の幻影は彼の記憶を元に現出されたものなのだ。こうなるともはや触ってみなければ本物と区別することは不可能に近い。
だが小鳥の動きは毛繕いだけにとどまらない。不自然に両方の羽を広げてみたり、手の平の上で寝そべってみたり、しまいには小さな羽と脚をバタつかせて踊り始める始末。それを見て、一人ケントは小さく笑いを漏らした。
小鳥を操っているのは彼自身なのであるが。
そうこうしているうちに時間が経ち、始業の時間が近くなると教室に続々とケント以外の生徒達が入室してくる。ケントと同じような容姿の者から、そうじゃない者まで。年齢が同じほどという点と同じ制服を着ているという二点以外は性別も人種も違う少年少女がこの教室で授業を受けるのだ。先ほどまでの静けさが嘘のよう、あっという間にそこは雑談と笑い声が飛び交う騒々しい場所になる。
だが、ケントがその喧騒に混ざることはない。まるで周りの喧騒などまるで耳に入っていないと言わんばかりに一人、手の平の上の小鳥を操ることに集中している。
「おい、あいつまたやってるよ」
当然、その様子は他の者にとってあまりに浮いて見える。
「ケント君さぁ、本読んでる時以外はいつも魔法使ってるよね、なんで?」
その問いはケント本人に向けられたものではない。
「見せつけてんだろ、自分はこれだけ魔法使えますよーって」
「この間廊下ですれ違った時さ、挨拶したら無視されたんだけど。天才様には俺らのこと見えてないらしいわ」
明らかにその天才様に聴こえるような声量なのだが、ケントはまるで意に介した様子がない。まるで何も聴こえていないように小鳥の維持に努めている。それがまた、彼らには腹立たしい。いつものことなのではあるが。かといって学校最強の二年生に正面から喧嘩を売るのも憚られる。気に食わないが、その実力は否定しようがない。
そして始業の鐘の音が鳴る。少し遅れて教師が入ってくると同時にケントも小鳥の維持を停止した。小鳥を構成していた光が糸となってほどけるように周囲に霧散していった。
「はぁい、皆いるぅ?欠席、遅刻はないかナ?」
なんとも気の抜けるようなふわふわとした口調で語り掛けるのがケント達のクラスの担任にして二年生の学年主任、フランツィスカ・シュタイン。一見するだけなら妙齢の美人なのだが、そのなんとも砕けた口調と飄々とした性格、目尻の下がった愛嬌のある顔立ちで生徒達からフラン先生と慕われている。
もっとも、その態度とは裏腹に授業内容等に教師としての不足は一切ない。そのうえ普段おちゃらけている分、怒らせるとその迫力はかなりのものでそれを知っている生徒から舐められることもない。生徒達の共通認識は、怒らせるとヤバイ先生。
その怒らせるとヤバイ先生はいつもの捉えどころのない口調で続ける。
「今日はねぇ、昨日言った通り他学科の二年生も含めて、学年全体にちょっとしたお話があるよぉ。だからさっそく多目的訓練場に集合~」
そういえばそんなことを言っていたなとケントは昨日のことを思い出す。だが二年生だけ、しかも他学科の生徒も集めての話など内容の見当もつかない。それは他の生徒達も同じようで、一様に首を傾げている。
「うふふ、大丈夫大丈夫。面白い話だからさぁ。きっと皆も喜んでくれると思うよん」
嘘つけ、とクラスの全員が思った。珍しくケントすらも他の者と意見が一致する。
教師が生徒にこういう言い方をする場合、本当に生徒が喜ぶことはほとんどないのである。フランツィスカの不適な笑みがその推測を如実に証明しているようだった。
場所を移し、多目的訓練場。言ってしまえば学校の敷地内にあるただの広場だ。名称の通り、様々な訓練がこの広場で行われる。昨日、ケントがクラスメイトのリザイドの少年と模擬戦を行ったのもここだ。その場所にシファノス陸軍学校に通う生徒のおよそ三分の一が集められた。
軽快な身のこなしで訓練場に設置された演説台に飛び乗ったフランツィスカが集まった生徒を睥睨する。
「普通科二十六名、魔法科二十二名、そして魔戦科二十名……おほ、すごいすごい。遅刻欠席なし!優秀じゃあん」
その生徒達の注目を一身に浴びながらぺちぺちとフランツィスカは拍手。次いで演説台の両脇に控える他の教師陣に目配せすると、皆がそれぞれ頷く。どうやら話の準備が整ったようである。
「それじゃあ……さて!今回皆さんに集まってもらったのは、今期の二年生から始まる特殊なカリキュラムについてお話するためでぇす!いぇーい」
生真面目なことで知られる魔法科の担任がゴホンと咳払い。フランツィスカが肩を竦めて居住まいを正す。
「はい、まずは皆がそれぞれ受けているこのシファノス陸軍学校の学科について、その特色と理念のお話をしたいと思います」
そう言って身体の向きをそれぞれの学科生へと向ける。
「まずは普通科。普通科では白兵戦闘の技術を中心に軍人として必要な様々な技術と知識を学んでもらっています。ゆくゆくは前線を支える立派な兵隊さんを目指してもらってるよん」
言ってしまえば、いわゆる普通の軍人を目指す学科。三年生になれば選択科目によって工兵や衛生兵なども視野に入ってくる学科であり、この学科だけで軍学校として必要な要素は全て満たされる。
「魔法科。戦局を変えうる強力な技術、魔法を集中的に学ぶ学科。戦況を覆す切り札、あるいは国の発展に寄与するような魔法師を目指してもらっています」
全ての生命が持ち得る不可視のエネルギー、魔力。その存在を認識し、自在に操作することで様々な事象を発生させる技術、それが魔法。基本的には道具を用いず、個人のみで大きな力を扱えるため、それを扱う魔法師は戦場において一人で兵士十数人分の戦力に値すると言われる。
また魔法は戦場でのみ使用されるものではなく土木作業、医療などにも用いられる。そのため新しい魔法の開発研究は国をあげて行われている事業であり、魔法科の生徒はそういった研究者への将来も期待されているのだ。
「そして魔戦科。ここでは普通科の内容に加えて魔法技術も習得してもらいます。目指すのは、ただひたすらに強い兵士。どんな苦境にあっても生きて帰ってくる、そんなスーパーソルジャーになってほしいと思ってるよ」
魔戦科はようは普通科と魔法科両方の内容を合わせた学科だ。単純に合わせただけでは内容過多になりすぎるので、それぞれの学科の内容を多少縮小したものを学ぶことになる。それでも片方ずつよりも学ぶべきことは多く、エリートコースとも呼ばれている。
それぞれの学科の特色を簡単に話終えたフランツィスカはここからが本題とばかりに大仰に咳払い。
「皆さんはそれぞれの学科に属し、それぞれの専門的な知識、技術……魔戦科は両方だけど、を身につけてもらっています。いずれは軍人として、その知識と技術を国境の防衛や地方の治安維持、魔物の駆除などに役立ててもらいたいと思います。ということで、実際の現場の状況を想定してみてほしい」
現場、つまり戦場。
「白兵戦に優れた兵士が前線を固め、その後方から魔法師が魔法で援護、両方に秀でたものは遊撃として敵兵を撹乱して前線を押し上げる補助をする、とまぁ、そんな感じでまず単独で行動することはありません。というかあっちゃ駄目」
軍とはすなわち群である。単独で行動することは基本的には存在せず、常に多人数で行動することが求められる。誰かが生き延びるために己に課せられた役目を果たす。そうすることで助かる誰かが自分を生かす。戦況を俯瞰的に把握して指示を飛ばす指揮官がいなければ兵士は十分な戦果はあげれまい。逆に兵士なき指揮官など雑兵にも劣る。共に協力し、信じあってこそ皆が実力を発揮しうる。そうした相互補助の究極が軍隊と言えるだろう。
「つまりです。皆さんが学んでいる技術というのは味方と協力することを前提とした技術なわけです。なのに学科が三つに分かれてる……これっておかしくなーい?おかしいよね?おかしいって思え」
おかしいほどではないにしろ、実戦で連携するというのならバラバラに学ぶことはあまり好ましくはあるまい。
「まぁだからこそ一年の時からちょくちょく合同演習とかしてるんだけどねー」
このような旨の内容を生徒達が聞かされるのは初めてではない。そもそも入学式の校長挨拶の時点で軍隊の在り方というものについては聞かされているのだ。
そしてケントの所属する魔戦科は他学科と学ぶ内容が被る分、他の学科よりも合同演習の機会が多い。こういった内容はすでに散々《さんざい》聞かされていた。フランツィスカの言葉にも魔戦科生徒一同何を今さらといった表情。
「と、い、う、わ、け、で!今期からその味方との連携をより強固で綿密なものにするための特殊カリキュラムを開始します!題してぇ~他学科合同小隊演習!」
壇上でフランツィスカが激しく動き回るものだから演説台がギシギシと音を立て、近くに佇む他の教師陣が台が壊れないかとそわそわしている。
(他学科合同小隊演習……)
学年主任が今しがた言った言葉を脳内で反芻したケントは嫌な予感がしてならなかった。ケント以外の二年生は期待する者半分と不安がる者半分といったところか。
ここで各学科の担当教師達は自分達の請け負っている生徒に木片を渡して回る。壇上から降りたフランツィスカに手の平ほどのサイズの木片を手渡されたケントがそれをまじまじと見ると、そこには十一と数字が記入されていた。
「期待してるゾ!優等生っ!」
木片を渡し際に、そういって肩を叩かれたケントは彼にしては珍しく片頬を痙攣させて内心を顔に出した。その木片に書かれた数字が何を意味するのか、おおよそ察しがついたからである。
再び壇上に戻ったフランツィスカがぐるりと辺りを見回して生徒全員に木片が行き渡ったことを確認する。
「はぁい。まぁ、薄々分かってると思うけど、それ、班分けでぇす」
生徒達がざわざわとどよめき立つ。ケントは険しい顔をさらに顰めた。
「皆さんには普通科、魔法科、魔戦科、それぞれの学科から一人の計三人の小隊を組んでもらいます!まぁ人数の都合で四人班になるところもあるけどネ!演習内容はそれで有利不利にはならないからご安心を」
普通科に比べて魔法を扱う科は若干人数が少ない。魔法を操るという行為には一種の才能が必要だからだ。身体能力も高い者を、となるとさらに数は減る。今期は学科ごとの人数差は随分少ない方である。
「二年の間はその小隊単位で試験を受けたり、ときには競い合って切磋琢磨してもらいたいと思います!あ、班分けはなるべく能力が平均になるように、一年の時の成績を見ながらこっちで決めちゃいました!」
生徒一同からブーイングが上がる。
「だってぇ、君らに任せると全然公平にならないじゃん。あまり仲良くない人ともきっちり連携がとれてこその軍人だよ?」
然り。戦場で見知った者とだけ行動を共にするということはあまり多くないだろう。仮にこの学年の生徒が全員無事軍人になったとして、卒業後の転属先はてんでバラバラだ。
しかしながら、連携をとる上で親密さが有効に作用するであろうことは確か。この強制的な班分けは暗に普段関わりのない他学科の生徒ともそういったものを獲得できるかという訓練も兼ねているのだろう。
(……………やばい)
ケントは人付き合いが得意ではない。否、はっきり言うならば苦手である。体術、魔法、筆記試験等すべからく学年トップを維持してきたケントであるが、交友関係の少なさだけはいかんともしがたい。
今まではそれで問題なかった。だが、これから一年間、同じ者達と共同で試験を受けるとなればそうはいくまい。綿密な意思疎通、活発なコミュニケーションは必要不可欠。寧ろそれを磨くための一年間。
「はぁい!それじゃあ班ごとに分かれて一年を共にするチームメイトを確認しましょー!いいか!第一印象は大事だぞぉ、笑顔で挨拶!これ基本」
壇上でにこーと笑顔を作っている学年主任を無視して他の教師達が生徒の誘導を始めた。
(笑顔で挨拶……)
誘導されつつ、ケントがフランツィスカの言葉を反芻する。おちゃらけた態度だが彼女の言う事は間違ってはいまい。
大変なことになってしまった。同じ学科の生徒達にすらにロクに言葉を交わせていないというのに、他学科の生徒などと。
しかし、やらねばなるまい。
(笑顔……笑顔……)
そう反芻しながら自身の頬を揉みしだく魔戦科始まって以来の天才の行く班を、他の生徒達が固唾を飲んで見守っていた。
その天才の苦悩とは裏腹に、周囲の生徒達の注目はただ一つ。あの天才と同じ班になる、勝ち馬に乗る幸運な者はいったい誰なのか。
教師に案内された通りの場所に辿りつくと、そこにはすでに二人の人影があった。