第五章 天才の証明(3/8)
「しかしなぁ、緊張するなという方が難しいだろう」
もう一人の十一班、マルティナが言葉通り強張った表情で木剣の柄を握ったり放したりを繰り返した。その両手を開けば痛々しく潰れた肉刺の痕が目につくだろう。
彼女もまた、一カ月必死で努力した。とりわけ二度目の演習試験が終わってからの熱の入りようは尋常ではなく、ケントが制限しなければ自身の肉体の限界を考慮しないほどだった。
本当に嬉しかったのだ。自身の努力が実を結んだことが。一度の成功が彼女を大きく変えた。
努力によって良い結果が出せる。そう確信することができてからは、努力することがなんら苦痛ではなくなったのだ。
あまり考えることは得意ではない。どう進めばいいのかさえ分からなかった彼女にケントが道を指示した。道が見えているなら何を躊躇う必要があるだろう。示されたその道をただ一直線に進むのみ。余計な事を考えないが故にその足取りは誰よりも力強かった。
しかしそれとこの緊張は別だ。努力はした。成長できたという自負もある。だが、もともと落ちこぼれだった自分が他の生徒と同じかそれ以上へと至れたのかは分からない。
「そうかな。僕はあまり緊張してないよ」
その言葉に、リアとマルティナは不思議そうにケントを見やった。
言葉に偽りはなく、ケントはほとんど緊張していなかった。それこそ一回目の演習試験の時の方がよほど緊張していたと言える。
「君達なら、僕は背中を任せられる。リア、マルティナ、二人がどれだけ努力してきたか、僕は知ってるから。君達なら大丈夫だと思える」
少しこそばゆそうに、二人ははにかんだ。
私なんかが、とは言わない。それこそが成長の証。
代わりに、リアは先ほどまで自身の頭の上に置かれていた手をとった。すっかり硬くなった手の平。努力が凝固した手。
「私……ケント君は努力なんてしない人だと思ってた。天才ってそういうものなんだと思ってた。この人は、なんにも苦労しなくても皆より良い成績がとれるんだって」
それはリアに限らず、多くの者がそう思っているだろう。だからこそ嫉妬の対象になる。
ケント・バーレスは天才、自分達とは違う存在なのだと。
「でも、そうじゃないんだよね。毎日毎日、誰よりもたくさん努力したから、誰よりも強くなれた。それだけなんだよね……あ、そのっごめん……!つい……!」
ふと無意識の内にケントの手を触っていたことに気付き、リアは頬を赤らめた。
「ま、それもすごいことだがな。よかったら教えてくれないか。どうしてケントは、そうも努力できる?」
努力すれば成長できる、かもしれない。思い通りの結果とならないことの方が多いだろう。その不確かな可能性をどれほどの者が信じられるだろうか。
努力して、努力して、たくさん苦しい思いをして、それでも結果が出なかったら。その時目の前に突き付けられるのは失われた時間と耐えがたい自身への失望だ。その恐怖に屈することなく、なりたい自分に向けて努力を続けることはとても勇気が必要なことだ。
ケントがその勇気を持つに至った経緯を、マルティナは知りたかった。
「……………」
ケントはすぐに答えようとはしなかった。その沈黙を言いたくないのだと解釈したマルティナが再び口を開こうとした時、
「僕には、兄がいるんだ。名前はテオフィル・バーレス」
「テオフィル・バーレス……なんだろう、どこかで聞いたことがあるような……」
リアがむむむと首を捻る。
「こういう言い方も失礼かもしれないが、有名な人なのか?」
あけすなマルティナの問いにケントは苦笑しつつ、
「一応、シファノス公国最年少の陸軍将校って言われてた」
ようやく思い出したのか、リアがああ、と手を叩く。
だが、すぐにその表情が沈む。
「思い出した。でも、その人って……」
リアが口籠る理由がマルティナには分からない。だから、疑問を込めた視線をケントへと向ける。
「今はもう退役して実家の雑貨屋を手伝ってる」
ケントの兄、ということはよほど歳が離れた兄弟であったとしても退役にはずいぶん早いように思える。
「理由を、聞いてもいいか……?」
さしものマルティナも、恐る恐るといった風に問う。ケントからしてみれば、今さらそれを話すことに抵抗はない。リアもすでに知っているように、そのことは広く国中に知れ渡っていることだからだ。
「任務中に、イゼルマ王国と小競り合いが起きた。その時、最前線にいたテオ兄はイゼルマ王国の将校と一騎打ちして、負けた。その時に負った大怪我で右半身に障害が残ってしまった。今もリハビリは続けてるけど、もう戦うのは絶望的だと医者は言ってる」
それは、シファノスの軍に関わる者ならば皆が知っている歴史であった。結果的にはシファノス側の敗北という形で小競り合いは収束したが、その将校同士の一騎打ちがあったからこそ戦闘行為が本格化しなかったと言われている。
その事実に加え半身不随という大怪我、さらに相手が相手だったということもあって、誰も敗北した若い将校を責めなかった。
「じゃあ、ケントが努力しているのは、いずれイゼルマの将校と戦って兄の無念を晴らすため、か?」
「ちょっと違うかな」
ケントはつと視線を二人から動かした。訓練場では生徒と生徒の模擬戦が続いている。リザイドとトロルが木剣を交差させ、マギアスと人間が魔法を撃ちあう。
そのうち、トロルの重い一撃を受け止めきれずにリザイドの木剣が宙に舞う。しかし、魔法合戦に制したマギアスの魔法がトロルの大柄な体躯を吹き飛ばす。同い年、同じ指導を受けてきた彼らだからこそ、生まれ持った適正が大きく勝敗を左右した。
「……テオ兄が負けた相手の将校はデモリスだった。だから、周りの皆は誰もテオ兄を責めなかった。相手がデモリスじゃ仕方ないって。それが、テオ兄にとっては一番辛かった」
兄の奮戦を誰もが労った。両親も、もちろんケントも。だが彼は労いなど求めていなかった。
だから彼は、誰よりも彼に憧れていた弟にだけその内心を吐露した。
「テオ兄は、お前がもっと努力していたら勝てたのにって言って欲しかったんだ。相手がデモリスなら仕方ないなんて、人間はデモリスに勝てないなんて言って欲しくなかったんだ」
それは労いでも何でもない。
ただの、諦めだ。
「テオ兄は努力して将校になった。だから努力すればヒトはどこまでも成長できると信じてた。テオ兄自身が努力して強くなることで、そのことを多くの人に知ってほしかったんだ。生まれ持った人種や才能で、なりたい自分を諦めるなんてことがないように」
ただの雑貨屋の長男。そんな平民が将校にまでなるのにどれほどの努力が必要なのだろう。
だが彼はそれを為した。そしてそれによって多くの者に希望を与えたかった。ただの平民が将校になり、そして最強と呼ばれることで誰もが夢を抱けるようになってほしかった。
それが、テオフィル・バーレスの夢だった。
「……僕はテオ兄の意思を、夢を継いだ。僕が努力によって最強になることで、人種や才能が全てを決定するなんて考えを無くしたい。だから……」
そしてケントは再び二人の落ちこぼれに顔を向けた。
「二人が僕みたいになりたいって言ってくれた時、すごく嬉しかった」
その言葉は、ケントが努力によって今の強さを得たのだと知ったうえでの言葉。
テオフィルが、そしてケントが伝えたい思いが伝わった証。
落ちこぼれと呼ばれるこの二人に伝わったのなら、もっと多くの人にも伝えられるはず。
「……だったらこの勝負、絶対に負けられないな」
木剣を打ち合う度に手首を痛めていた落ちこぼれのリザイドが言う。
「確かに私は落ちこぼれだけど、それでも!ずっと落ちこぼれのままじゃない!ケント君とケント君のお兄さんの夢、私も一緒に叶えたい……!」
ロクに魔法も使えなかった落ちこぼれのマギアスが言う。
そして、魔戦科始まって以来の天才と呼ばれる人間は――
「……努力するってことは、正直とても辛いことだ。自分のために頑張り続けることは難しい。でも、誰かのためになら、意外と楽にできたりするものだって僕の兄は言っていた」
その兄は人種と才能によって夢を諦めようとしている多くの者のために努力した。
では、その弟は。
「僕は、自分を信じてくれた人のために努力を続けている。その人がこう言ってくれたんだ。もう何度も二人にはかけてきた言葉だけど、もう一度言うよ」
それは信頼という名の、相手を強くしてくれる魔法の言葉。
その魔法がケントをここまで強くした。
その魔法をケントが二人にかける。
「大丈夫。君達ならできるさ」