第四章 私に、できるかな(3/4)
彼女らの中に割って入ろうと、思わず足を出そうとしたケントの肩を背後から誰かが強い力で掴んだ。
「ノンノン。女の子同士の喧嘩に男の子が入っていったって、余計話がこじれるだけだよん」
振り返ると、そこにはいつもの飄々とした表情の魔戦科担任教師がいた。
彼女は振り返ったケントの表情を見て、笑った。今まで見たこともないような、優しい笑顔だった。
「――こんなに早く成果が出るとは思わなかった。本当にすごいね、君は。きっかけさえあればどこまでも成長していける」
ケントが何か言うより早く、フランツィスカはケントを押しのけて自分が彼女らの方へと歩み寄っていった。
「ちょっと君達ぃ。こんな公衆の面前でなぁにやってんのさぁ」
突然現れた教師に三人組は不快感を隠そうともせずに舌打ち。
「――別に。ちょっと話してただけですけど」
「それにしちゃあ、変なことがいろいろ聴こえたけどにゃあ、マセガキ共め」
どうやらフランツィスカは話の内容を把握しているらしい。リーダー格の女生徒の表情が曇る。
不意に訪れた沈黙にフランツィスカが再び口を開く。
「ガキとは言ったけどさぁ、あんたらもう十七でしょ?いつまでこんなガキっぽいことやってんの。いい加減大人になろうよ」
教師の説教が始まった、と、三人はつーんと視線を逸らして無言。その様子に、はあぁとフランツィスカは溜息。
そしてフランツィスカが閉じた瞳を再び開いた時、空気が、変わる。
「おいコラ。ここはさぁ、陸軍学校なんだよ。将来的には軍人になろうってやつを育てる場所だ。誰かのために命張ろうってやつを育てる場所なんだよ。てめぇらそんな根性で軍人になれると思ってんのか」
ドスの効いた声色。睨まれた三人は、指一本、動かせない。
フラン先生と呼ばれ、生徒から慕われるおちゃらけた先生。だが、彼女が本当の本当に怒った時、どれほど怖いかを知る生徒はあまり多くない。
「てめぇらが軍役についてもすぐに辞めるつもりだとしてもだ。他人の努力を認められず、貶すだけのような屑にシファノス軍人を名乗る資格は一瞬たりともない。舐めてんじゃねぇぞ」
シファノス陸軍学校は、軍学校とは名ばかりのごくごく普通の高等学校に近い教育過程をとっている。普通の高等学校と違うのは、卒業後は必ず軍役に就くことが必須となる点だ。だが軍役に就いた後については特に言及されない。そのまま軍人として生きていくもよし。数年務めた後に退役金で別な人生を送るもよし。
国が求める軍人を確保しつつ、国民の人生を強制はしない。シファノス陸軍学校は自由を重んじるシファノス公国らしい教育機関といえよう。
だからこそ、その与えられた自由を勘違いする輩が少なからず現れる。軍人をただの通過点と考え、おざなりにその期間を過ごせばいいと考えている連中だ。
シファノス陸軍学校は、通う生徒に学びと将来の選択肢を提供する。その対価として、シファノス公国が求める基準の精神性と実力を兼ね備えた軍人になることを求める。それは強制であり義務だ。それができないのであるようならば、その者はここから去るのみである。
そして彼女らの精神性は、現状シファノス公国が軍人に求めるそれにふさわしくない。
「魔法科のアルバート先生は厳しいからな。こういったことにはあまり口を出さない。ただ何も言わずに評価点を下げる。でも私は優しいから言ってやる。次はないぞ。私達がこういったことを見てないと思ったら大間違いだ。分かったな?」
返事をする余裕も三人にはない。あのいつもふざけた調子の女教師が一切ふざけず、厳しい口調で、厳しい表情で語り掛けることの迫力に呑まれていた。
何もおかしなことではない。シファノス陸軍学校の教師は全て元軍人。さらに言うならば優秀な元軍人だ。評価され、戦果を上げているということは、とどのつまりヒトの命が木端のように軽い戦場を生き抜いてきた猛者ということでもある。
そしてようやく、三人を拘束していた気迫が消え失せた。
そこにはもういつもようにとろんとした目尻の、つかみどころのない言動のフラン先生がいる。
「んじゃ、もう行っていいよ」
回れ右をしてその場から駆けだす三人にフランツィスカは、
「ああそれと、噴水に物を投げるのも駄目だかんね。ぷんぷん」
最後の言葉は三人には届かなかった。だがそれは、もとより三人に届けることを目的にした言葉というわけではなかった。
三人の姿が視界から消えると、フランツィスカはようやく諍いの当事者である一人に向き直った。
俯いたまま、無言のリアにやおらフランツィスカは親指を立てて見せる。
「これから成長するって!たぶん!」
「……………」
場に満ち満ちた静寂の中に、何かが水を掻きまわす水音が混じる。
フランツィスカはリアの肩をとんとんと叩くと、その水音の方を目線で示して見せた。
「――あ」
リアが顔を上げると、そこには噴水から上がってくるところのケントの姿があった。ケントはリアと目が合うと、その手に掴んだ水を吸って重くなった鞄を掲げて見せる。勢いのまま飛び込んだのか、靴もズボンの裾もびしょびしょだ。
リアの方へ向けて水の軌跡を描くケントとすれ違うようにフランツィスカも歩み始めた。
すれ違いざま、ケントの肩をポンと叩き、ケントにだけ聴こえるような小さな声で呟く。
「落ち込んでる女の子を慰めるのは、男の子の役目だよん」
ケントは立ち止まり、その歩み去る背中に深々と頭を下げた。フランツィスカが止めてくれなければ事態はより悪化していたであろうことは明白だった。
ケントの心からの礼を背中で受けつつ、魔戦科担任教師は歩みを止めずにひらひらと手を振った。当然のことをしたまでだと言うかのように。
フランツィスカ・シュタイン。ケント・バーレスは今後の人生で尊敬する人物は、という問いを投げかけられた際、真っ先にその名を挙げる。
いつの間にか、周囲の喧騒がなくなっていた。フランツィスカの放った威圧によって野次馬が全員散っていったからだ。
中庭で、噴水を背に、二人きり。水音だけが絶え間なく流れ出て、沈黙に時間を計る術を与える。
「……とりあえず、座ろうか」
その提案に、こくん、とリアは頷いた。