第四章 私に、できるかな(2/4)
昼休憩も挟みつつ、一通り授業も終わった後、ケントの脚は自然と中庭へと向かっていた。
ここ一週間は授業後はいつもここでリア、マルティナと待ち合わせをしていた。たった一週間だが、もはやそれが習慣と化しつつあった。行ってどうするのか、ではなく行ってから今日はどうしようか考えようという思考になっていたのだ。
中庭にただ立ちすくむ。いつもなら程なくして二人の内どちらか先に授業が終わった方が声をかけてくるか、あるいはすでにここで待っている。
(……いないか)
当然、約束などしておらずここに二人の姿はない。両名とも次の中間試験の内容はもう聞き及んでいるだろう。その対策と今後の訓練について話す必要はあるが、昨日試験を終えたところだ。彼女らにも休息が必要だろう。
なんとなしに近くのベンチに腰掛ける。中庭の中央には噴水があり、ゆっくりと傾きつつある陽の光を乱反射させて輝いていた。同じ調子で聴こえてくる水音を背景に、シファノス陸軍学校に通っている生徒達の賑やかな声が木霊する。
(筋トレ……いや、魔法訓練場で魔法訓練?それとも図書室で小隊での戦闘に関する教材がないか探すか……)
と、ケントがこれからの予定を考えていると、不意に辺りの生徒達の声の中に知っている声が混じっているのに気づいた。
「――してッ!」
あまり穏やかじゃない声色。気になってケントが立ち上がると、ケントと噴水を挟んで向かい側の位置にあの小さな身体と紫紺の髪が見えた。
「返して!なんで、こんなこと……」
水柱の向こうでリアが誰かと言い争いをしていた。ケントの存在には気づいていない。リアと向かい合っているのは、制服からして彼女と同じ魔法科の女生徒三人。仲良く談笑しているようには到底見えない雰囲気。その他の生徒達は彼女らの発する険悪なムードを遠巻きに眺めていた。ケント自身も気軽に声をかけられる様子ではなかったので、自然と彼女らのやりとりを立ち聞きする形となる。
「何の事?言いがかりはやめてくれる?」
リアと向かい合う三人の内、その中心にいる一人がリアの言葉を突っぱねる。肩口で切り揃えられた亜麻色の髪をした人間の少女。その口の端には紛れもない嘲笑が浮かんでいる。
「証拠でもあるの?アンタがうっかりどこかに落っことしただけなんじゃないの?それを人のせいにするなんて、サイテー」
「――ッ!」
リアが歯を食いしばって、一瞬視線を下げた。その視線を追い、ケントは気付く。彼女がいつも持っている鞄がない。
ここ最近、リアはどこであろうと書き取りの訓練を行えるように紙と筆記用具の入った肩がけ鞄を常に身に着けていた。その鞄、彼女が努力するために必要な道具がその小さな肩にかかっていない。
リーダー格と思しき女生徒と、その取り巻き二人は白々しい笑みを浮かべている。隠すつもりはあまりないらしい。
(……なるほど)
状況を把握したケントだが、しかしどうしたものかと立ち竦んだ。今まで交友関係が希薄だったことが災いした。
助けたいと思う。しかしこういう時、どういう風に声をかけるべきか分からなかった。下手に介入して余計彼女らの怒りを買えば、その矛先はケントではなく同じ学科のリアに向くのではないか。よりリアが苦しむ結果になるのではないか、と。
そもそも、なぜリアがこんな目に遭っているのだろうか。
常に成績トップで妬みを買う機会も多いケントならいざ知れず、リアはその逆だ。彼女が不用意に他人を不快にさせるような性格とも思えない。
ケントが思考を空転させている内に、リーダー格の女生徒が口を開いた。
「――何か困ってるなら、アンタには頼れる人がいるんじゃないの?」
ねぇ、と一人が他の二人に視線を送ると、取り巻きの二人もそーそーと口を揃える。
「あの“天才”なら、どんなに困ったことでもすぐに解決してくれるんじゃない?あのケント・バーレスなら!」
その名前が聴こえた瞬間、全てを察したケントは今までの生涯で感じたことのない嫌な感情が沸々と湧き上がってくるのを感じた。
(僕の、せいか――)
当の昔に解除していた待機詠唱のための精神領域に、黒々としたヘドロのように粘つく、不快で、冷たい負の感情が満ちていく。
「――どうして、ここでケント君の名前が出てくるの……!」
拳を握りしめたリアが絞り出すように訊き返した。
「だって、あの落ちこぼれのアンタが、まともに戦えるまでになったのよ?そんなこともできるんだから、無くした物を見つけるぐらいあの天才にはわけないでしょ」
リアのことをよく知る同じ魔法科の生徒だからこそ、昨日の演習の様子は目を見張るものがあったのだろう。
確かにリアは一週間で成長した。だがそれは、ほんの些細なものに過ぎない。その些細な成長と心構えや立ち回り、そういった要素をいくつも積み重ねた結果が昨日の演習試験の結果だ。
使う魔法をもっともこの演習で最適な〈槍突〉に限定した。狙う対象を、魔法の制御が苦手なリアでも確実に〈槍突〉が当たる三メイトル以内とした。失敗する要素をできる限り減らし、今、彼女の実力で出来る最善を発揮できるようにした。
それが、第三者には“魔法”に見えたのだろう。
おの落ちこぼれがここまでやれるわけがない。きっとあの“天才”が何かしたのだろう、と。
「……確かに、私はケント君のおかげでちゃんと戦うことができた。でも、私だってちゃんと頑張ったから――!」
「落ちこぼれのアンタがいくら頑張ったって、どうにかなるわけないじゃない。あれは全部あの天才のおかげ。そんなことも分からないの?ま、分からないから落ちこぼれなんでしょうね」
言い返したいという思いはある。だが、リアとしてもケントに教えてもらわなければ頑張ることすらできなかったのも事実。
だからリアは、口をつぐむしかなかった。
その様子が、ますます彼女らを増長させる。
「天才と同じ班になれたからって、あんまりいい気になってるんじゃないわよ」
要するに彼女らは、“魔戦科始まって以来の天才”と名高いケントと同じ班になったリアが妬ましく、そして、そのリアが結果を出していることが羨ましいのだ。
常日頃、落ちこぼれと下に見ていた者が、幸運によって学校一の天才と同じ班になり、それによって上へと登ろうとしている。それが気に食わない。それが妬ましい。
「――最近さあ、放課後はずっとケント・バーレスと一緒にいるんだって?それってさぁ、そういうことよね?試験の時も抱き着いたりしてたし。まぁそうでもしないとあの誰ともつるまない天才が、アンタみたいなのに付きっきりで魔法を教えたりしないわよねぇ」
「ちがっ!そんなんじゃ――!」
「ほら、天才が実は……ってよくある話じゃない?アンタみたいな貧相な身体が好みだっていうことでしょ?きも」
そして、三人で笑う。
リアは、羞恥と怒りで顔面を真っ赤にさせて震えていた。
プツン
ケントの中で何かが切れた音がした。
自分自身を馬鹿にされることなど、どうでもよかった。
ただ、ケントは知らなかった。今まで友達らしい友達もいなかったから。
自分自身への誹謗中傷など、謂れなき非難の言葉など、常に孤高で、一人であったケントにはただの騒音でしかない。何の意味もない、ただの音だ。
だから、ここまで心が動かされたことが、ケント自身にも驚きだった。
友人を辱められることが、こんなにも腹立たしいことだったとは――!!