第三章 僕の方こそ(4/4)
今回ケントがリアとマルティナに伝えた作戦は、彼女らが二人がかりで一方から来る敵を迎撃するというものだ。逆に言えば、彼女らが見ていない範囲の敵は全てケント一人で請け負うというものでもある。
そのことそのものは別段困難なことではない。ここで問題となるのは、ケントが彼女らを心配し過ぎるあまりそちらに意識を向けすぎてしまうことだ。そうなれば結局全方位をケントがカバーすることになる。そうなれば前回と何も変わらない。
二人を信じること。ある程度は二人に任せることが必要だ。そうしなければ制限時間まで耐えることはできない。
彼女らは真剣だった。真剣にケントの言う通りに努力してくれた。その成果はきっとある。
「一体そっちに行った!頼む!」
だから何体かはあえて声をかけるにとどめ、自分は他の土人形の迎撃に集中する。自分が全て何とかするのではなく、二人に任せる。一人ではなく三人、小隊として演習試験に臨む。
この演習は一人ではなく三人で受けているのだから。
「任してくれ!」
「分かりました!」
ケントに応える二つの返答。その力強い声を背後に聞き、ケントは不思議な充足感に満たされた。
思えば、ケントは誰かに頼るということを長い間してこなかった。頼れるのは己のみ。信じられるのは自身が努力した時間ただ一つ。ある意味、そのストイックさがケントをここまで成長させたとも言える。そしてそれそのものは何も間違ったことではない。
ただ、一人だけでは得ることのできない強さもある、ということだ。
今、この瞬間、ケントはそれに気付いた。
苦しい時は誰かに頼ってもいい。そう思えるだけで、こんなにも身体が軽い――!
「リア!こいつをッ!」
マルティナが一体を斬りつけて怯ませた瞬間、即座に別の方向へ走る。三メイトル以内に別の土人形が迫っていた。
「――〈槍突〉ッ!!」
リアが必死の形相で、可能な限りのスピードで呪文を詠唱、光の槍でマルティナが止めた一体を突き飛ばす。
「ッ!?」
そのすぐ側まで土人形の腕が迫っていた。マルティナは別の方向から来る一体を抑えている。
(間に合わない――!)
時間の経過により稼働する土人形の数が増えたことで、攻撃が苛烈さを増し、マルティナとリアの処理能力を超えた。もはやマルティナは間に合わず、〈槍突〉を詠唱する暇もない。
――呪文の詠唱を用いない待機詠唱なら、あるいは。
咄嗟の判断だった。リアは頭の中に〈衝槌〉の起動式を思い描いた。それは一度目の演習で、ケントに指示されたが発動しなかった魔法だ。
一週間の訓練で確かに魔法の精度は上がった。だが、待機詠唱ができるようになったわけではない。
リアが魔法を上手くコントロールできないのは、呪文をしっかりと精神で意識できていないからだ。だから発声による補助なしでは顕現すらしない。だからこそ精神に呪文を刷り込むために書き取りという地道な訓練をこの一週間黙々とこなした。そしてその成果は間違いなく出ている。
やるしかない。
自分の努力した時間を信じるのだ。それが無駄ではなかったと証明するのだ。
リアは握りしめた拳を振りかぶった。その拳についている黒鉛の汚れが自分に力を与えてくれる。
「〈衝槌〉ァアアッ!!」
声を振り絞り、リアは土人形を殴りつけるように拳を振るった。
魔力から変換された衝撃波がその小さな拳から放たれた。
クンッ
それは、あまりにも弱々しい一撃だった。土人形の胸を打ったのは、競技用のボールが当たった程度の衝撃。突き飛ばすどころか、姿勢を崩すことすらできない。せいぜい一歩踏みとどまらせた程度。
その踏みとどまった一歩が、明暗を分けた。
「〈衝槌〉ッ!!」
不可視の一撃が土人形の脳天に振り下ろされた。
純粋な衝撃に変換された魔力の塊が凄まじい圧力となって土人形を押し潰す。視えない力場と大地にサンドイッチされた土人形が人型を維持できずに土片をばら撒きぐしゃりと潰れた。
もはやただの土塊と化した土人形越しに、拳を振り下ろした姿勢のケントの姿をリアは見た。
そして――
パタン
懐中時計の蓋が閉じられる音。
「そこまで。演習終了です」
その一言が響いた瞬間、稼働していた土人形が全てぴたりと動きを止めた。
そしてなぜか、ケントら十一班の面々も動きを止めた。演習は終わった。自分達は制限時間まで耐え抜いた。だが、どうにもそのことに現実感がなく、荒い呼吸のまま教師陣の次の言葉を待った。
「ふむ。リア・ティスカ。まだまだ魔法の精度は悪いですが、呪文の発音はずいぶんとよくなりましたね。ようやく、マギアスとしての最低ラインに立ったといったところでしょうか。ですが及第点というだけでよくはありません。今後も精進を続けるように」
アルバートは眼鏡を指で押し上げつつ、淡々と言った。だがその表情には少なくない驚きが見受けられた。無理もない。今までのリアの実績から鑑みれば、今回の演習での彼女の活躍は破格だった。先の言葉も生徒に厳しいこの魔法科担任教師にしては最大級の賛辞と言えよう。
続いて聴こえてきたのは野太い称賛の声。
「一週間でここまで成長するとは思いませんでしたぞ!いやはや、天才というものは周囲にも影響を与えるのですな!マルティナ・トレンメル!剣の振り方が変わりましたな!大変よろしい!基礎中の基礎、だからこそ重要なポイントですぞ!その調子で基礎を怠らず、技術と体力を磨けば今後優秀な成績を修めることができるでしょうな!学力は……これからに期待ですが」
二人の教師から称賛を受けて、ようやく落ちこぼれ二人に実感が湧いてくる。
そして、最後にもう一人の教師からも言葉がかけられた。
「よくやったね。三人共。他学科合同小隊演習、二度目の試験。十一班は無事制限時間まで耐えきったので、もちろん合格だよん」
フランツィスカのその言葉が浸透していくと、二人の落ちこぼれの少女は、
「「やったあああああッ!!」」
飛び上がって喜びを表した。極度の緊張と、今しがたの大立ち回りで体力も精神も擦り減っているだろうに、そんなことを微塵も感じさせないほどに喜びを身体全体で表現する。
このシファノス陸軍学校に入学して以来、これほどまでに嬉しいことなど他になかった。否、嬉しいと思えることすらほとんどなかったのだ。
何をやってもうまくいかない。授業が進むにつれ、どんどん周りから置いて行かれる自分。下がり続けていく成績。ここに入学するべきではなかったと思ったことなどもはや数えきれないほどだ。それでも一度入学したからにはやるしかないと、ギリギリのところでなんとか持ちこたえてここまできた。
もうどうすればいいか分からなかった。ずっと落第に怯えていなければならないと思っていた。
それが二年になってようやく、彼女らは。
誰かに認められることの嬉しさを知った。
「やった!やったよぅ……!」
目尻に涙すら浮かべながら喜ぶリア。結果を噛みしめるようにガッツポーズするマルティナ。
その二人を見て、ケントはふと自身の頬を手を当てた。
「―――――!」
少しばかり上がった口角。
それは紛れもなく微笑。そして心全体に広がる温かな感情、喜び。
試験に合格して、嬉しい。そんななんてことのない思いを自分が感じていることにケントは戸惑った。
長らく、合格して当たり前という状況にいた。そして自身も必ず合格できるという自信があった。だから試験に合格することは当然のことであり、それを為した時に得られる感情は喜びよりも安堵だった。
しかし今は明確に、嬉しい。自分が訓練した二人がちゃんと成長してくれたことが嬉しい。彼女らがこんなに喜んでくれているのが嬉しい。
――天才と呼ばれる自分と、落ちこぼれと呼ばれる二人の、この三人で試験を合格できたことが嬉しい。
「ケント君――!」
感極まったリアが、潤んだ瞳のままケントの胸に飛び込んだ。
「私……ケント君と同じ班になれなかったら、絶対合格なんてできなかった……。どう頑張ればいいかも分からなかったから……」
頭一つ分以上低い位置からくぐもった声がする。胸に顔を押し付けられては、泣いているのか笑っているのかも分からない。
「僕は大したことはしてないよ。ただ、頑張り方を教えただけだ。頑張ったのはリアと、マルティナだよ」
視線を向けると少しばかり呆れた様子のマルティナが首を横に振った。
「ケント。君がいたから私達は頑張れたんだ」
顔をうずめていたリアが顔を上げた。若干赤くなった大きな瞳が、ケントを見上げていた。
「落ちこぼれの私を、見捨てないでくれた。どうすればいいか真剣に考えてくれた。それだけでも本当に嬉しいのに、私の訓練に付き合ってもくれた。ケント君が一緒にやってくれなかったら、私、途中で投げ出してたかもしれない。だから、本当に、ありがとう……!」
その言葉に、マルティナも強く頷いた。
ただ書き取りと素振りに付き合っただけだ。それだけだ。けれど、それが、その寄り添う姿勢がどれほど彼女らを励ましたことだろう。
「――僕の方こそ。ありがとう」
リアとマルティナには、その感謝の言葉に含まれた本当の意味は分からなかった。
彼女らが頑張ったから十一班は合格できた。それももちろんある。だが、それ以上に。
一つの目標に向かって、誰かと共に努力することの楽しさ。そして目標を達成できたときの達成感と喜び。リアとマルティナの二人がそれをケントに教えてくれた。
「あー……よろしいですかなお三方。次の演習の準備を始めねば」
ゴドウィンに続いてアルバートもゴホンと咳払い。
「言っておきますが、この試験は合格して当たり前です。そのことを努々忘れぬよう。それと……」
アルバートの言葉を、唾でも吐きそうな形相の魔戦科教師が引き継ぐ。
「おうおうおう、こんな場所で堂々と抱き合うとはいい度胸だなオイ。そのままチューでもしようものなら大事な教え子を再起不能にしちまうかもしれなかったよ」
悪鬼の如き双眸に睨まれて、リアはあっと声を上げるとそそくさとケントから離れた。
目線を合わそうとしないので、ケントの方からその表情は伺いしれなかったが、今になって耳が熟れた林檎のように色づいている。
「ケッ!ほら、次の班の演習があるんだから解散!」
そういえば、教師のみならず他の二年生達も周囲で見学していたことを思い出し、ケント自身も気恥ずかしくなってリアと二人、逃げるようにその場を後にする。その後を追うマルティナは苦笑を隠せない。
しかしケントの感じたその気恥ずかしさは、ほとんどの生徒達にとってはさして意識にとまったことではなかった。
たった一週間で落ちこぼれ二人のこの変わりよう。皆が注目していたのはやはりそこだった。多くの生徒が十一班が無事制限時間まで耐えれるとは思っていなかったのだ。
きっとあの天才が何かしたに違いない。そう思う者がいるのも無理からぬことだろう。
「…………チッ!」
そして、この演習で天才が失墜することを望んでいた者もその中にはいた。
自分より下だと思っていた者の思いもよらぬ活躍に嫉妬する者もいた。
誰かの成功を心から喜べる者が、実際どれほどいるだろう。ましてや相手が多少面識がある程度の他人なら、なおのこと。喜び以上に妬みの方が勝るのはヒトとして自然なことなのかもしれない。
足早に去っていく十一班の面々、その背中に向けられた悪意の視線にまだ彼女らは気付いていない。