第三章 僕の方こそ(3/4)
雲が気持ちよさそうに蒼穹を泳ぐ麗らかな日和。第二回他学科合同小隊演習が開始された。
一回目と内容はまったく同じだが、演習を受ける班の順番は逆となる。とは言っても、もともと番号がほぼ真ん中である十一班の演習開始のタイミングは最初と同じほどだ。
訓練場の隅に集まり他の班の演習風景を見学して自分達の番に備える生徒達、その中にケント達の姿もあった。
「うぅ……緊張して吐きそう……」
そう言って口元を押さえているのはリア。実際顔色もよくない。紫紺の髪と同化してしまうのではというほどに顔が青ざめていた。
「だ、大丈夫だ!あれだけ特訓したんだ……大丈夫……」
リアに語りかけるというよりは自分自身に言い聞かせるように大丈夫、大丈夫と呟くのはマルティナ。緊張は初回の比ではない。
十一班の中で唯一、というより常に無表情のケントはそんな二人の様子を見てふむと頷き、口を開いた。
「二人とも、緊張してる?」
さっきからそう言っているだろうと言わんばかりにリアが怪訝な表情を向ける。マルティナも同じような表情だ。
「一回目の演習の時と今、比べるとどっちがより緊張してる?」
質問の意図が分からず、マルティナが首を傾げる。
「それは……今、だろう」
「どうして?」
「どうしてって……そりゃ、ケントに手伝ってもらって特訓したんだ。それで上手くできなければこの一週間が無駄になってしまうし、何より君に申し訳ない」
「リアもそう思ってる?」
話を振られて、リアは俯きがちに小さく頷いた。
「……ケント君に特訓してもらって私、頑張ったよ。でも、やっぱりちゃんとできるか、不安で……」
それを聞いて、ケントの無表情が少し崩れる。口の端に微笑を浮かべて、ケントは、
「――そうか。よかった。二人に自信がついて」
その言葉の意味が分からずに落ちこぼれ二人はきょとんとした顔でケントの次の言葉を待った。
「二人とも、ちゃんとできるかどうかを気にして緊張してるんだろ?つまり、失敗しなければちゃんとできるんだと、自分にはその実力があることは疑ってないんだ」
ハッとして二人はお互いに顔を見合わせた。
今まではどうだったかと考えると、確かにケントの言葉は的を射ていた。今までも当然緊張はしてきたが、これほどまでに緊張したことはなかった。それはなぜか。
そもそも、諦めていたからだ。
自分の実力では到底無理だと、自分自身を見限っていた。諦めていたからあまり緊張はしなかったし、例え結果が悪かったとしてもそこまで落ち込むことはなかった。
だけど今は違う。学校一の天才が、自分達のために時間を割いて特訓してくれた。言われるがまま、全力で努力した。これで成長していないわけがない。これで結果が出ないわけがない。だからこそ、そうならないのが怖い。何か自分がミスをしてその努力が水泡に帰してしまうのが恐ろしくて仕方ない。だから不安になる。だからこんなにも緊張する。
このたった一週間の努力は、彼女達の精神的な姿勢を一段階上げることに成功していたのだ。
そして、精神的な成長は必ず実績にも表れる。
これこそが努力の本質――
「君達が緊張しているのを見て安心した。二人ともちゃんと緊張できるほど、僕の言った通りに努力してくれたんだね。だったら、大丈夫。君達ならできるさ」
そうこうしている内に、十一班の順番が近くなってきていた。
三人は場所を移動し、準備運動を始める。身体を解している間、すでに演習を終えた班や他の見学の生徒達が無遠慮な好奇の視線を向けてきているのが落ちこぼれ二人には分かった。
一週間で落ちこぼれ二人がどうにかなるとは思えない。そうなると同じ班の天才の成績が落ちる。あの天才が苦労して狼狽している様が見られる。こんなにも面白いことはない。
彼らとて本心からケントが憎くてそう思っているわけではない。ただ、天才への妬みや嫉妬が少なからずあるのは事実であるし、普段いけ好かない人物が苦労している様子は痛快だ。他人の不幸は蜜の味、ヒトというのはそういうものだ。
誰かが落ちぶれていくのを見て嗤う人々。落ちこぼれ二人にとっては聴き慣れたクスクスとした嗤い声。もうなんとも思わなくなっていた雑音。
それがなぜかリアとマルティナの二人には堪らなく不快だった。それが自分ではなくケントに向けられていることが苛立たしかった。その原因が自分達にあることが屈辱だった。当の本人はいつもの何食わぬ無表情で気にしている様子はない、というより聴こえている素振りすらないのに。どうして彼への嘲笑が自分達の耳に際立って響くのか。
見返してやりたい、そう思った。
自分が笑われることには慣れている。だが、ケントが笑われていることにはどうしてか精神がささくれ立つ。
落ちこぼれの自分達を笑わず、見捨てたりせず、手を差し伸べてくれた。あまつさえ、君達ならできると声をかけてくれた。その信頼に応えたい。
「十一班、開始位置へ」
魔法科担任の指示を受けて、十一班の三人が歩を進める。三人には知る由もないが、この演習試験の結果如何では班替えもありうるのだ。
先頭を行くケントが、一瞬脚を止めて振り向いた。
「一生懸命努力した時間だけ、君達には実力が伴っている。その費やした時間を信じて。大丈夫――」
その先をケントは言わなかった。だがリアとマルティナはその後にどんな言葉が続くのかもう知っている。
今までの自己流の手探りな努力ではない。すでに実績があるこの同い年の少年から指導を受け、この一週間努力した。それが無駄とは、到底思えない。
だからこそ、その費やした時間がそのまま自信になる。
落ちこぼれ二人は、久しく感じたことのなかった自分への信頼を胸に抱き呟いた。
「「大丈夫、私ならできる――」」
自分のため、そして、こんな自分に期待してくれたケントのために。
「よろしいですね。それでは開始します」
開いた懐中時計に視線を落したアルバートが、一回目と変わらぬ淡々とした口調で演習の開始を宣言した。
むくりと三体の土人形が身体を起こす。一回目の演習と寸分変わらぬ動作。同じと言ったからには完璧に同じにする。几帳面なアルバートらしい正確な動きの再現。
「シュル/ペディム/エファ/エファ/ウエル――〈槍突〉!」
一方のケントも同じ動き、完璧な発声で紡がれる呪文。何千何万とこなした反復練習の末に身についた口の動き。もはや崩すことの方が難しい。
伸ばされた右手の平から突き出される光の槍。直線上に魔力の衝撃波を放つシンプルな魔法。シンプル故に消耗する魔力の量と得られる破壊力の費用対効果は高い。単純な衝撃を発生させる魔法は魔力をエネルギーに変換するプロセスも単純だ。だからこそ専業の魔法師ではなく、常に動き回って敵兵を撹乱する遊撃兵に好まれる。ケントらにとっては第二の剣であり槍なのだ。
光の槍を腹に受けた土人形が大きく後退する。ここまでは前回と同じ。
問題はここからだ。
起動している土人形は残り二体。前回はマルティナが前に出すぎた結果、リアの守りが疎かになりそこから陣形に綻びが生じた。
「――っ!」
今回マルティナは、動かない。木剣を構えて無闇に突撃はしない。
ここに至るまでの一週間、マルティナと接したケントには分かったことがある。
彼女の身体能力は決して落ちこぼれと呼ばれるようなものではない。ではなぜマルティナはそう呼ばれるのか。
答えは簡単だ。馬鹿なのである。
普通科の授業は決して身体能力だけを伸ばすものではない。というよりも普通科に限らずシファノス陸軍学校では兵役後の選択肢が広がるように最低限の教養を学ぶことができる。だからこそ多くの生徒が一度軍人になるとしてもこの学校に入学することを望む。マルティナの場合、そういった一般的な学業の成績が壊滅的なのだ。その上下手に身体能力があるものだから、身体を動かすことに関しては技術を無視して筋力でゴリ押そうとしてしまう。結果としてどんどん技術は疎かになり、身体にも負担がかかって持久力も下がる。成績が伸び悩む。
この演習のような場では、目先のことしか視えないので倒すべき対象が目に入るとそこに突撃してしまう。味方と連携する、そういった小難しいことを考えることができない。
だから陣形を乱す。だから他人と協力することが難しい。だから、クラスから浮いてしまう。彼女の不器用さを指摘し、直すべきところを教えてくれる人がいなくなる。
幸か不幸か、周りが視えないが故に自身が浮いていることにも気づかない。
(三メイトル……)
マルティナは脳内で事前にケントに言われていた言葉をもう一度反芻した。
――リアから三メイトル、マルティナはその距離に土人形が入った時にのみ、攻撃する。複数対象がいる場合はよりリアに近い方を狙う。それ以外は動いちゃ駄目だ。
余計な事は考えない。やることはただ単純、それを機械的に実行する。
今回の十一班の作戦はとにかく基本を重視したものだ。リアを中心にマルティナ、ケントと布陣する。どんな状況にも対応できるケントは動き回りつつ、なるべく広範囲をカバー。マルティナは極力リアの側を離れないようにしつつ、ケントが見ていない方に常に視線を向ける。ケントとマルティナを結んだ線上にリアがいることが理想だ。だがケントの位置相関をマルティナが気にする必要はない。それはケントが判断して動く。
マルティナがすべきことは、ケントが迎撃し損ねた土人形がリアから半径三メイトルの円に入ったとき、それを迎撃することのみ。
二体目の対応にケントが動く、そしてもう一体はマルティナの防衛圏に侵入、彼女が対処にかかる。
「せえぇいッ!」
気合いの声が迸り、大上段の木剣の一振りが土人形の肩口に振り下ろされる。
ガツンッ
重い低音、部位を破壊することはままならないが、受け止められなかった衝撃が土人形の膝を折った。
(手首が痛くない――)
その威力に振るったマルティナ本人が驚く。正しい姿勢、正しい重心移動で振るわれた木剣は彼女の膂力を無駄なく威力へと変換していた。
「ッ!リア!あとは頼んだ!」
ハッとして我に還ったマルティナはすぐさま横に跳んだ。これも事前に決められていたケントの指示。土人形に攻撃を加え、怯んだことを確認した場合、すぐさま土人形とリアの間から離脱すること。
「シュル/ペディム/エファ/エファ/ウエル――」
ケントと比べれば幾分か遅い呪文の発声。だが以前と違って発音は正確だ。
「〈槍突〉!」
真っすぐに突き出された光の槍が、マルティナの一撃によって怯んだ土人形を追い打ちして後方に弾き飛ばした。生身の人間なら関節が外れるどころでは済まないだろう体勢で土人形がもんどりうって転がる。破壊したわけはないのでまた動き出すだろうが、距離は離せた。
「や、やった……!」
リアが今しがた魔法を撃ちだした自分の手の平を見て喜色を浮かべた。魔法を当てることさえできず、挙句誤射しかけた前回と比べるとこれだけでも雲泥の差だ。
「次が来る!気を抜かないで!」
背後からケントの叱責が響き、リアは表情を引き締めてマルティナの背中へと視線を移す。
リアもまたケントから二つほど指示を受けていた。
一つ目は無闇に魔法を撃たないこと。待機詠唱ができず、即座に魔法を撃てない以上確実に当たるタイミングにのみ使用する。具体的にはマルティナが土人形を怯ませた直後だ。そのため、基本的には常にマルティナを視界に入れるようにする。
二つ目ば、使う魔法を〈槍突〉のみにすること。魔法科の生徒が好んで用いる雷撃や火炎を用いる魔法は土人形には効果が薄い。純粋な衝撃を与えて吹き飛ばす魔法の方が今回の演習試験には最適だ。純粋に、より簡単な魔法であるからという意味合いもある。
何より、使う魔法を一つに絞ることで選択する思考時間を無くせる。土人形がマルティナの攻撃によって怯んでいるということはリアと土人形の距離は三メイトルまで近づいているということでもあるのだ。発動までのタイムラグはなるべく無くさねばならない。リアでも外さないほどまで近づいてくれている、ということでもあるのだが。
第二波の土人形達がむくりと身体を起こす。大変なのはここからだ。時間経過と共に稼働している土人形は数を増していく。迅速に処理していかなければ数で押し込まれてしまう。
(大丈夫、信じろ)
ケントは自身にそう言い聞かせた。