第7話:2人のメール
受信ボックスの中を見ると、フォルダが幾つにも分かれていた。
『英輔』と名前の付けられたフォルダには、まだ未開封のメールがいくつもあった。
『無題 03/18 英輔
頼むから返事をしろ』
『無題 03/17 英輔
何かあったのか?』
『無題 03/16 英輔
あと1週間で春休みだ』
…………開いていないメールは3月11日までずっと続いていた。
それ以前のメールには、全て返信済みのマークがついている。
私は送信ボックスを開いてみた。やはり送信ボックスにも『英輔』という名のフォルダがある。
何だか妙な気分だったが、私は『彼』と『彼女』のメールのやり取りを、交互に確認していった。
『あけおめ 01/01 英輔
あけましておめでとう。まだ元旦かー、春休み早く来ないかなあ。』
『Re:あけおめ 01/01 英輔
あけましておめでとう。お前気が早すぎるだろ。大人しく餅でも食っとけ。』
『今日の話 01/04 英輔
今日初詣に行ったらトカゲの形したケモノに遭遇したよ。』
『どうしたんだ?』
『勿論倒したよ。なに、英輔心配した?』
『してない。』
『……ケチ。』
他愛のないメールのやり取りは、かなり頻繁に行われていた。
それに、ひとつ気付いたことがある。
彼は、こちらがメールを送れば必ずすぐにメールを返していた。
勿論、彼女も同様だった。
……携帯電話をすぐ脇に置いて、着信を待っている2人の様子が目に浮かぶ。
『バレンタイン 02/14 英輔
今日バレンタインだったね。英輔は誰かにチョコ貰った?』
『貰った。』
『お母さんからでしょ?』
『……ああ。でもクラスの女子からもチロルチョコ貰ったんだぞ。』
『チロルじゃ義理だね。私もクラスの皆に配ったよ。でも英輔にならハートチョコぐらいあげるよ。』
『値段的に50円くらいしか違わない気がするんだけど。』
『だったら100枚送ってあげようか?』
『鼻血出るからやめろ』
不思議だった。
1つ1つが短文で、そんなに長いやりとりではないのに、なんだかとても2人は楽しそうで。
『テスト 03/06 英輔
今日期末テストが終わったよ。やっともうすぐ春休みだね。英輔の学校はいつからだっけ?』
『うちも来週でテスト終わるぞ。終業式は23日だ。』
『こっちは19日だよ。ちぇー』
『早くてうらやましいよ。頼むから前みたいに勝手にうちに押しかけてくるなよ?』
『なんかあえてそう言われると行きたくなってきた。』
『馬鹿、来るな。鍵開けてやらねーぞ。』
『だったら壊して入るもんねー。』
冗談のつもりなのだろうか。
いや、彼女なら本気で行ってしまいそうだ。
そんな気がする。
『晩御飯 03/10 英輔
今外で晩御飯食べてるとこ。今マッグのおまけ、カエル将軍キャンペーン第2弾なんだよ。英輔は今日の晩御飯何だった?』
『今日の晩飯はシチューだ。ビーフの。』
『私ビーフよりホワイトのほうが好きかな。』
『俺も。鶏のほうが安いしな』
メールのやりとりは3月10日でぷつりと切れていた。
その翌日からは彼からのメールだけが溜まっている。
いつもどおり、分量は少ないけれど、文面からひしひしと彼女を心配していることが伝わってくる。
「…………」
なんだか無性に彼の顔が見たくなって、私は部屋を後にした。
そっと、扉を開ける。
部屋の中は真っ暗で、とても静かだった。
見渡すと、ベッドには彼が寝ていて、周りには誰もいないようだった。
「…………」
私は足音を立てないように、そっとベッドに近寄る。
彼は瞼を閉じたまま。
少し荒い呼吸に伴って、包帯に覆われた胸が上下している。
額には濡れたタオルが置かれていた。
「…………」
恐る恐るその頬に触れると、
(…………熱い)
発熱がひどいようだった。
「…………」
彼は目を開けない。
……もし、今、開けてくれたなら。
『ごめんなさい』と謝れるかもしれない。
何に対して謝ればいい?
今日のこと?
メールの返信が出来ていなかったこと?
いや、違う。
「…………っ」
まだ、思い出せないこと。
私が『彼女』なのか、まだ分からないこと。
『彼女』はどこへ行ってしまったのだろう。
彼の『彼女』は、どこにいるのか。
胸が苦しくて、呼吸をすると、涙がぽたぽたとこぼれていった。
――探しに行かなくちゃいけない気がした。
早く『彼女』を見つけて、彼に会わせてあげないと。
きっと、『彼女』も会いたいに違いない。
私は袖で涙をごしごしとぬぐって、扉に向かって歩き出した。
『彼女』を見つける術は、はっきりとは分からない。
けれど、1つだけ覚えていることがある。
(……蒼い目)
昨日から、特に頭を離れなくなったそのイメージだけが、手がかりだ。
私が覚悟を決めて、ドアノブに手をかけた、その時。
「!」
大きくて熱い手が、私の手を包んで止めた。
振り返る暇もなく、私は誰かの腕に抱えられていた。
つい、驚きから息を呑む。
だって、この熱さは……
「…………どこ行くんだ?」
耳元に、熱い吐息がかかる。
振り返らなくても分かる。
彼だ。
「…………」
私はどう答えていいのかよく分からずに、ただ黙り込んだ。
なぜだか、とても気まずい。
彼の『どこ行くんだ』には、『どこにも行くな』が多分に含まれている気がしたからだ。
それに。
服越しにも分かる彼の熱すぎる体温が、私の温度をも上げていく気がした。
自然と鼓動が高まる。
妙な気分だ。
昼間、知らない男の人に肩に手を回されただけでひどく嫌悪感を抱いたのに、今、後ろから絡め取られているようなこの状況でも、彼だったらこれっぽっちも嫌な気がしない。
いや、むしろ。
さっきまで苦しかった胸のつかえが、熱で溶けていくかのような錯覚を覚えた。
が、いつまでもこうしているわけにはいかない。
彼には横になっていてもらわなければ困る。
「あの……」
私がそう言って振り返ると。
「…………」
彼は既に瞼を閉じていて。
(…………寝てる?)
彼は立ったまま寝ることができるのかと、私はその時感心した。
が、そんな場合じゃない。
とりあえず彼の腕を解こうとあがいてみたが、一向に振りほどけず、仕方ないのでそのままずるずると引きずるようにベッドまで移動する。
彼をそっとベッドに降ろそうとして……
「!」
最後まで彼の手が私の腕を放さなかったために、私までベッドに倒れこむことになった。
私は慌てて退こうとするが、彼の手が、やはり離れない。
(…………)
彼の身体はまだ熱かったが、表情は幾分か穏やかになっていた。
それを見ていると、なんだかこちらも安心できた。
少し、近づきすぎている気もするが、今夜だけなら、このまま眠ってもいいかもしれない。
いつも眠るとき、脳裏を掠める黒い影が、今日は訪れないような、そんな気さえする。
そして願わくは。
(彼が夢の中で、『彼女』に会えますように)
私はそう願って、目を閉じた。
ここは賑やかな繁華街とは少し離れたところにある、建築途中のビルの中。
構造からして中小企業のオフィスか何かのようだが、建築会社との何かしらのトラブルがあったのか、数年前からずっと中途半端な形のままらしい。
当然、電気なんてものはまだ通っておらず、中は真っ暗だ。
(相変わらず辛気臭えなあ)
俺は指先に息を吹きかける。
爪に赤い炎が灯った。
「……ったくお前はよくこんな真っ暗な中でじっとしてられるな? 悪いガキは夜遊びする時間だぜ?」
俺はゆらゆら揺れる紅い火で、建材の上に座る少年を照らした。
漆黒の髪にてらてらと火の光が反射する。
それとは真逆、冷たい氷を連想させる蒼い双眸がこちらを見た。
「……なんだ流星、お前はまた女と遊んでいたのか?」
それを聞いて俺は肩をすくめる。
「言ってくれるね。残念ながら今日は俺の本命に会えなくてガックリきてたとこだよ」
するとあいつは笑みを浮かべた。
外見は10代そこらの男の形をとっているくせに、こいつが笑うと不気味すぎてまるで悪魔でも見ている気分になる。
「本命、か。じき我の傷も癒える。そのときは……」
「あの子を奪うってか? 力の補充はそのくらいでも十分なんだろ? なんでそんなに拘るんだ?」
俺がささやかに本音をこぼすと
「あの器、空に近いまま置いておくのも勿体ない。そのうち使い道も出てくるだろう」
あいつはそう言った。
俺はやれやれと溜め息をつく。
「もっと色気のある返答を期待したかったぜ。お前には遊び心ってのが足りねえよ」
「ふん、人間でもあるまいし我にそんなものは不要だよ、流星」
あいつはそう言って立ち上がった。
後ろには曇天の夜空。
都会の赤い空はこいつに良く似合う。
「我は『全てを凌駕する新しいイキモノ』になるんだ」
俺はそれを聞いて思わず笑む。
考えただけでゾクゾクする。
どこまで広がってるのか見当もつかない宇宙の片隅にこの地球があって。
どういうわけか俺たちは生きていて。
言葉とか金とか道徳とか社会とか、勝手なルール作って生きてる。
変な話だろ?
今のご時勢、このルールに苦しむ奴がほとんどだろうに、なんでこんなせせこましい真似して生きてやがるんだ、人間はよ。
じゃあ、もしそれがなくなったら、どんな世界になるんだ?
……既にルールに括られた中で生まれた自分には想像もつかない。
けど、こいつが。
イカレた人間が生み出したこの『化け物』が、全てぶち壊したら。
俺は『新しい世界』を見る者になれるんだ。
このメール話は前から書きたかったシチュエーションだったので書けてよかったです。水面下での執筆もクライマックス直前なわりにここのところスランプ続きだったのですが、昨日ようやくミッドナイトを3まで書いた意義を感じられる話が書けたので(自分的に、ですが・汗)、もう迷わずに最後まで書けそうです。
これもひとえにここまで読んでくださっている方々がいるんだなーとアクセス解析を見て分かるからであって、本当に読者の皆様には感謝しております。ありがとうございます!