第4話:仇
男は親しげに、鼠女にそう話しかけた。
「…………流、星……」
鼠女は目を見開いたまま、そう呟いた。
(……なんだ? 知り合いか?)
そうも思ったが、それにしては鼠女の様子が変だ。
「ははっ、どうした? その顔じゃまだ信じられないみたいだな」
男はからかうようにそう言ったかと思うと、一瞬で姿を消した。
(え?)
俺が驚いて瞬きをすると、次の瞬間には、その男は鼠女のすぐ目の前にいた。
(な!?)
「っ!?」
彼女が反応しきる前に、その男は彼女の腰を引き寄せた。
「300年ぶりか? また一段と女を上げたか、緋紅」
男は懐かしむように目を細めて、捕らえた女の顔をまじまじと眺める。
「……っアンタは相変わらずね、流星」
そう言って鼠女が男の腕を振りほどこうとした、その一瞬の隙だった。
「……!!」
男は強引に、女の唇を奪っていた。
「「な」」
俺と埴輪は意図せず間抜けにハモっていた。
2人のそれは無駄に長かった。
男が鼠女をなかなか離そうとしないからだ。
正直見ていて目が痛い。
だって、彼女が嫌がっているのは目に見えて明らかだったのだから。
「っ!!」
ようやくか、鼠女が男を必死に振りほどいた。
男は突き飛ばされても全くバランスを崩さなかった。
むしろ崩れたのは突き飛ばした鼠女のほうだった。
「…………っ」
俯いて、唇を手で押さえる彼女の姿が、また、昼間の朔夜の姿と重なる。
鼠女は涙を溜めた目で、男を睨んだ。
「なんだ? 泣くほど嬉しかったか?」
男は鼠女が取り乱している様子を愉しんでいるかのように嗤って、再び彼女に近づこうとした。
彼女は肩を震わせる。
今の彼女は完全にあの男に気圧されている。あれでは抵抗しきれないだろう。
……流石にこれ以上は見ていられないので俺が声を出そうとした、その時。
「待て」
静かな、それでいて威圧的な、そんな男の声がした。
俺がオカマ男のほうを見るのと、銀髪の男が彼を見るのはほぼ同時だった。
「……何か用か、優男」
男はこの状況を愉しむかのように、挑発的にそう言った。
俺は内心はらはらしていた。オカマ男があの男を相手に出来るのかどうか、少しどころかかなり不安だったからだ。
が、今のオカマ男はいつもの、あのふざけた空気は一片も感じさせない。冬休みに知った、彼の本性そのまま、いや、それよりも空気が張り詰めている。
(あいつ……怒ってる……)
俺はそう確信した。
「ハハ、なんだ? お前もしかしてこいつに惚れてる? いや、もうそんな関係?」
銀髪の男はそう言って笑った。今のオカマ男の様子なら、そうとられても仕方ないかもしれない。
が、彼は一瞬頬を緩めて首を振った。
「まさか。ソレとは犬猿の仲でね、どっちかっていうと嫌いな部類だよ」
すると銀髪の男はさも不思議そうな顔をしてから
「ふーん? じゃあ黙って見てろよ、そこのガキみたく」
俺のほうを嘲るように、その凶暴そうな眼で見て言った。
(……!)
ここで俺は完全に、奴は敵だと認識した。
けれど何となく、こうも理解した。
この男は相当強力な妖で、下手に手を出してもやられるだけだと。
勿論、オカマ男だってそれぐらい分かっているだろう。
けれど、銀髪の男が再び鼠女のほうに向き直ったとき、彼は男の肩を掴んで引き止めた。
「…………何の真似だ?」
銀髪の男はそろそろ本気で機嫌を損ねたらしい。今までの軽い空気が一変した。
が。
「……私は、女の泣き顔を見るのが一番嫌いなんだ」
そう言ったオカマ男のほうが、数倍迫力があった。
「…………」
俺はただ呆然とオカマ男を見ていた。
あんな顔、今まで見たことがない。
それは鼠女も同じなのか、彼女もまた、驚いたように彼を見ていた。
しばらくの沈黙が流れる。
「……くく」
その沈黙は、銀髪の男の笑いで破られた。
「ははっ! なんだそりゃ、お前相当つまらない男だな!?」
銀髪の男はオカマ男の首に巻かれていたストールを強引に引っ張りながらこう言った。
「男は女を泣かせてなんぼだろうが? そんな甘っちょろいこと言ってると女になめられるのがオチなんだよ」
男はそう言い切ると、オカマ男を突き放した。
「興を殺がれた。またな、緋紅」
男はそう言い残して、また姿を消した。
いや、風を感じたので、高速で移動したと言ったほうが正しいのかもしれない。
正直、有り得ないスピードだ。
再びの沈黙。
俺はどうしたらいいのか分からずに、ただ突っ立っていることしか出来ない。
すると、しばらくして、オカマ男がいつもの口調で喋りだした。
「……まったく、あきれたわ。アレ、アナタの元彼? 趣味悪すぎでしょ」
(え。あ、そうか、あれ、鼠女の元彼なのか……)
俺は1人で納得しかけて
「え!? 元彼!?」
つい、声に出していた。
(だ、だって男嫌いだって……いや、男嫌いになる前に付き合ってた奴なのか? なんかよく分からない呼び方してたし……)
「ったく、泣くぐらいなら最初から突き放しなさいよね」
オカマ男がそう言うと
「……うるさい」
鼠女が小さく呟いた。
「だってそうじゃない。普段のアナタの馬鹿力ならあんな……」
オカマ男が言い切る前に
「うるさい!!」
鼠女は大声で叫んで、大鼠の姿になって逃げていった。
また1人、人数が減って、冷たい夜風がさらに冷たく感じた。
「……おい」
「……なあに?」
「さっきの、言いすぎじゃないか? あいつだって振りほどきたくても振りほどけなかったんじゃ……」
俺がオカマ男に言うと
「そんなことないわ。緋衣なら振りほどこうと思えば振りほどけたわよ。ねえ、埴安姫?」
オカマ男は意外なところに振った。すると
「……まあ、そうじゃな。だがの、金髪。お主はもうちょっと複雑な乙女心というやつを理解してやれ」
埴輪はひどく真面目に答えた。
「……無理無理。あんな女の乙女心なんて、一生理解できないわよ〜〜。むしろワタシは男心のほうが知りたいわ」
オカマ男はそう言って俺にウインクした。
「…………」
茶化してはいるが、なんだかぎこちないのは気のせいじゃないだろう。
「……部屋に戻ろう。お前に聞きたいことがあるんだ」
俺は話を変えることにした。
部屋に戻ると、俺はオカマ男に即座に尋ねた。
「鼠女に聞いても答えてくれないからお前に聞く。朔夜の魂を取ったのはどんなケモノなんだ。……あと、なんか色々隠してること教えてくれ」
俺が大真面目にそう言うと、オカマ男はふっと笑った。
「ふふ、英輔クンたらかーわいー。仲間はずれにされて寂しかったのねん!」
「な! こっちは真面目に聞いてるんだからちゃんと答えろよ!!」
俺は顔を赤くしながらも叫ぶ。
「だからー、そういうとこが可愛いって言ってるのよー」
「じゃな。英輔は青いところが良いのじゃ」
埴輪まで一緒になって俺をからかってくる。
「あら、気が合うじゃない」
「だーーー! いい加減にしろよお前ら!!」
オカマ男はひとしきりクスクス笑ったあと、ようやく少し顔を引き締めた。
「……で、その件なんだけど。その様子だと憐のお父さんもアナタに詳しいことは喋ってないみたいね」
俺はふてくされて
「……詳しくは実際に現場を見てた三炎に訊けって言われたんだよ。……でも鼠女はそのケモノには関わるなって……」
そう言うと
「……まあ分からないでもないけどね。……でもそうね、あのお父さんがそう言ったなら、ワタシが話してもいいわ」
オカマ男はそう言った。
「ほ、ほんとか? ありがとう」
俺はぱっと光を見た気がした。
が、次の瞬間、オカマ男は妙に神妙な顔をした。
「……けど、今回ばかりは危険な話だ。生半可な覚悟じゃ聞いちゃいけない。最悪命を落とすことになる」
口調まで、真面目になっている。
俺は空気の重さについ一瞬押し黙ったが、
「……覚悟はもう決めてる。教えてくれ」
そう申し込んだ。
するとオカマ男は頷いて、口を開いた。
「……憐の魂を奪ったケモノは、もう既に普通のケモノじゃなくなってる。今、奴は人の形をしてるんだ」
俺は思わず問い返す。
「え……でも、人の形をとるケモノだったら、前にもいたじゃないか」
9月、うちの学校で退治したケモノは、それはもう様々な形をとった。その中でも印象的だったのは、クラスメイトの形を模した奴だった。
「それはあくまで擬態だ。しかしアレはもう、本当に『人間』になってしまっているんだよ。人間のあらゆる能力を奪ってきたケモノ達を取り込んでね」
俺はごくりと固唾を飲む。
「……じゃあ、朔夜の魂を取り戻すには、その、人間を倒さなきゃいけないのか?」
俺がそう尋ねると
「……まあ、そういうことかな。ただ、人間になっているといっても、元が人間だったわけでもないし、正確に言うなら『非常に人間というものに近くなった別の生命体』だから、その辺りは問題ない」
彼は俺の心配を払拭するように説明してくれた。
俺がほっとしたのもつかの間
「それからもう1つ、言っておかなくちゃいけないことがある」
オカマ男は言った。
「憐の魂を奪ったケモノ。あれは以前、憐の命を奪ったケモノと同じ者だ」
ちょっとこのあたりで連日更新はストップします。ストックがなくなりそうで怖いので(笑)。
でもまた近いうちに更新しますので、そのときも何卒よろしくお願いします……(汗)!