最終話:黎明
俺は一瞬耳を疑った。その次に目を疑った。
俺の前に背中を向けて立っているのは、赤い光を神々しく纏った逞しい男だった。
側頭部からは2本の立派な鹿の角が生えている。
それだけで、彼が誰なのか理解は出来た。
「!?」
龍も驚いたのか、動きを止めた。
すると
「…………焔」
背後から朔夜の声がした。
「!?」
慌てて振り返ると、いつの間にか彼女は目覚めて立ち上がっていた。
「……朔夜……」
彼女の眼は煌々と紅く光っている。まるで目の前にいる彼女の守護精霊がまとう光を映したように。
「焔、埴輪を助けてあげて」
彼女はそう呟いた。
すると、焔は静かに頷いて、自らの角の一部分を躊躇いなくいとも簡単に折った。そして彼がそれに息を吹きかけると、その角は燃えて、彼の手のひらには灰が残った。
「……灰が土に還るように、火は土を生む。貴女が土の精霊で良かった」
彼がそう言って、その灰を土の神の剣にかけると。
「!?」
思わず目を閉じてしまうほどの眩しい光が剣から放たれた。
莫大な生命力が吹き上がるのを感じる。
……そして、俺が次に目を開けた瞬間には。
「……!!」
消えたはずの埴安姫が、そこにいた。
焔に抱えられる格好で。
「……やっと本来の力を取り戻したようじゃの。そっちのほうが男前じゃぞ」
埴輪がそう言うと焔はやんわりと微笑んだ。
「……ッ、今更本来の姿に戻ったとてお前に我を超せるはずないだろう? 8年前も、お前は我に敗れて主人を失ったではないか!」
黒龍が焔に向かってそう言うと、
「……確かに私はあの時主を守れなかった。だが、もう私は失わない。守護精霊の誇りにかけて」
彼ははっきりとそう言い切った。
「……は、誇りだと? 笑わせる! ならばその身で証明してみるがいい!!」
黒龍はそう豪語した。
しかし俺には見えていた。
『つなぎ』であった朔夜の魂を全て失った上に大きな動力源であっただろう彼女の命も奪われて、奴の身体は相当ガタが来ている。
「英輔」
朔夜が俺に土の神の剣を手渡してきた。剣は青銅色から神々しい黄金色に変わっていた。俺はその柄をしっかりと握る。
倒すなら今しかない。
「埴安姫、助力を頼む」
焔が埴輪にそう言うと、埴輪は頷いた。
「行くぞ」
2人の精霊が漆黒の龍に向けて飛び立った。
赤と金の光が漆黒の空を裂くように真っ直ぐに伸びる。
その様はまるで神話でも見ているかのような神々しさだった。
2人が近づくと、黒龍は水の弾を吐いた。それが焔に当たる前に、埴輪が防御壁を張ってガードする。
「墜ちろ!」
焔が叫ぶと、黒龍の身体が凄まじい炎に包まれた。龍が咆哮をあげながら身をよじらせる。が、どんなに奴が足掻いても、その炎は決して龍から離れない。
「……なぜだッ、我は水の属の鱗を纏っているのに……!」
龍がそんな声を漏らすと
「お前は迦具土の炎を侮りすぎたな」
焔はそう言って、奴の背中にもう一撃、雷のような拳を放った。
龍の身体が炎を撒きながら落下してくる。
「英輔、行くよ!!」
駆け出した朔夜に俺も続く。
オカマ男が言っていた。
太秦は『人間を超えるような生き物』を作ろうとして、まず人間の身体構造の再現から作業を始めたのだと。
ゆえに、正確に言えば彼はやはり、完全な『新しいもの』を作るには至らなかったのだ。
ケモノに核という弱点があるのと同様に、自らを完全だと言うあのケモノにも弱点はあったんだ。
確かに奴に核はもう必要ないものだったのかもしれない。
だが。
悶えるケモノが自らの胴体部分の一部を必死に爪で押さえている。
俺はその部分の鱗を裂くように剣を振るう。すると透明の生温かい液体が飛び散った。
これが奴の血だとしたら、奴にも『心臓』があるということだ。
すかさず朔夜が火光を振りかざす。
「……これで、終わりだ!!」
裂けた穴の奥に見える、脈動するそれを、赤い刃が貫いた。
刹那、ケモノの断末魔が鼓膜を襲う。
俺はとっさに彼女の手を引っ張ってケモノの身体から離れた。
『我は、一体、なんの、ために、生まれた、のか……』
既に生身の声ではない奴の声が聞こえる。奴の身体はそんな言葉と共に徐々に霧散していく。
元が霊体だったせいだろうが、それが少しだけ救いだった。
こんな奴でも死体が跡に残ったら、正直、罪悪感を覚えてしまう。
完全に奴の身体が闇に消えたとき、握っていた朔夜の手からふっと力が抜けたかと思うと、彼女の身体がぐらりと崩れた。
「朔夜!?」
慌てて支えて初めて、俺は彼女の身体がまだ熱を帯びていることに気がついた。
「……ごめん、ちょっと、休ませて……」
彼女はそう呟いて、完全にぐったりとなってしまった。
すると焔と埴輪が降りてきて
「まだ器の回復が途中だったようだ。とりあえず屋根の下へ行こう、ここは雨がひどい」
焔がそう言った。それでふと
(…………雨……。鼠女の奴、大丈夫かな……)
俺の頭にそんな心配がよぎった。
自分の身体が焼け焦げて、初めて俺は気付いた。
(…………ああ)
不自然にめくれた脚の皮膚の下からは、骨なんかじゃなくもっと無骨な鉄の棒みたいなものが覗いていた。
(……あのマッドサイエンティスト、ここまで俺を改造してたのかよ)
思わず笑いが漏れる。
俺はこんな身体になってまで、一体何をしたかったんだろう。
あの時はただ、強くなりたい一心だった。
……じゃあどうして俺は、強くなりたかったんだっけ?
そんなことを考えていると、ふと天から雨でもなく、火の粉でもないものがひらひらと舞い降りてきた。
「…………蝶?」
俺は思わず呟いた。
赤を基調にした羽根の先には金色の模様がある、それは綺麗な蝶だった。
(…………冥土からの迎えか?)
俺がそう思ったのも束の間、その蝶はぱっと男の姿になってしまった。
金色の長い髪の男だ。確か、緋紅の仲間だったか。
「私は蛾だ。さっさと起きろ、仮にも元火鼠が焼死体で発見されたらお笑い種だぞ」
そんな皮肉を言われてももう無理だ。
「脚がこの通りで動けやしねえんだよ。つーか俺を助けたってお前には何の得もねえだろうが。とっとと飛んでけよ」
俺がそう言っても、彼は立ち去ろうとはしない。彼がたとえ火の属性を持つ妖でも、元が蛾なんだったら炎にまかれて死ぬことだってありうるだろうに。
「おい」
俺がそう催促すると
「……得はある。君が死んでも彼女は泣くから」
奴はそう言った。
そう言われて、彼女が泣いている姿が脳裏をよぎった。
「君は前に『男は女を泣かせてなんぼだ』と言ったな。それは『自分を想って泣いてもらえるほど恋しく思われたい』ということなんじゃないのか?」
なんだ、それ。
俺はそんなつもりじゃ、なかった。
……あいつを泣かせるつもりなんかなかった。
少なくとも、昔は。
それで俺は思い出した。
「…………ああ」
俺が強くなりたかった理由。
なんて単純な理由。
いつもあいつに助けられてばかりで、悔しかったあの頃。
あいつより強くなってやらないとって、ずっと思ってた。
俺はあいつを、守れる男になりたかったんだ。
なんで、忘れていったんだろう。
きっと余計な感情が邪魔をした。
馬鹿な話だ。
結局俺は、1番大事なものを自分で傷つけた。
熱い涙が溢れている。こんな身体になっても涙は出るんだと俺は少し安心した。
「……私に君の気持ちは分からない。私は泣き顔が嫌いだから」
彼はそう言って、俺の脚に何かを振りかけた。
赤く光る粉のようなそれは、肌に吸い付いた瞬間俺の脚から痛みを奪った。
俺が驚いているうちに彼は俺の腕を自らの肩に回して立ち上がらせる。
「さっさと出るぞ。早くしないとこの辺りが火鼠の涙で洪水になってしまうからな」
彼のそんな言葉に苦笑しつつ、俺は脚に力を込めた。
目を開けると、視界は真っ暗だった。
「!?」
いつの間にか身体に被せられていたブルーシートをどけると、目の前は炎の海だった。
「流星!?」
気を失う直前の記憶を辿る。
隣に置いてあった車のガソリンに火が引火して爆発したのだ。その直前、彼が私を突き飛ばしたことも覚えている。
「流星!!」
いくら呼んでも誰も、何も答えない。
「……っ!」
私が立ち上がって、火の中に入ろうとした瞬間、
「どこ行く気?」
火砕の声が聞こえた。
「!?」
振り返ると、そこには煤だらけの火砕が疲れ果てた様子で座っていて、その傍らには同じく煤だらけでぼろぼろの流星が横たわっていた。
私は言葉をなくしてただ駆け寄った。
流星は目を閉じているが、息はある。気を失っているだけのようだった。
「半分機械になってて幸いだったわね。私の鱗粉でどうにかこの通りよ」
火砕がそう言った。
「…………っ」
途端に涙が溢れてきた。
おかしな話だ。
自分を大嫌いだと言った男が助かってくれて、こんなに嬉しいなんて。
そう、きっともう、恋人だったとか、そんな感情は抜きに、幼い頃から自分を知ってくれているたった1人の人物を、私は失いたくなかったのだろう。
「…………火砕」
上ずって、うまく発音できていない気がしたが、
「なに?」
彼は耳を傾けてくれた。
「…………ありがとう」
私がそう言うと、彼は妙なくらい驚いた顔をした。
「…………?」
こっちが不思議に思って眉をひそめると、彼は慌てて
「……いや、その、どういたしまして」
そう言った。
そんなかしこまった様子に私はつい笑ってしまう。すると
「な、何がおかしいのよ! アンタは大人しくブルーシートでも被ってなさいってのよ! 変色してるわよ!!」
彼は顔を赤くしながらそう言って、シートを投げつけてきた。シートが顔に激突する。
「いたっ! ちょっと何すんのよ!」
私は反射的にそう言い返しかけたが、ふとびしょ濡れの彼らを見て
「アンタたちも入ったら?」
私はブルーシートを大きく広げて上から被せた。
「…………はあ、色気もへったくれもない雨宿りね」
火砕がそう呟いた。
「雨宿りに色気なんて求めるもんじゃないわよ、ばーか」
私がそう言うと
「馬鹿って言ったほうが馬鹿なのよ、ばーか」
彼はいつものようにそう返してきた。
「ふん、馬鹿火砕」
「馬鹿鼠」
「ドS。……あー! アンタあの時余計なことしたでしょ!? 憐ちゃんが来て文句言いそびれてたわ、この変態!」
「し、してないわよッ! 何かあったとしても事故よ! 自意識過剰なんじゃないの、このドM!」
「誰がドMよ! このモス男!」
「妖怪ババア!」
「んなっ!? 私がババアだったらアンタもジジイよ!」
私達はそんな罵り合いを続けながら、雨が止むのを待っていた。
東の空がしらんでいく。
あれだけ濃かった黒い雲も、雨と共にどこかへ流れていってしまったのか、今朝は久しぶりの良い天気だった。
俺がしみじみとそんな新鮮な空気を吸いながら歩いていると、負ぶっている彼女が動いたのが分かった。
「……起きたか?」
声をかけると、
「……? 英輔?」
寝ぼけた声が聞こえてきた。
「降ろすぞ」
そう断ってから彼女を地面に降ろす。
すると彼女はきょろきょろと辺りを見回した。
まだ朝も早いせいか、辺りの住宅は静まり返っている。
「今ホテルに帰ろうとしてたとこだ。雨が止むの待ってたんだよ」
俺がそう言うと
「緋衣と火砕は?」
彼女は即座にそう尋ねてきた。
「先にホテルに戻ったよ。あの流星って男も、結局助けたみたいでオカマ男が担いでいった」
すると彼女はほっとしたような笑顔を見せた。
「……全部終わったな」
俺がそう言うと
「うん」
彼女は静かにそう頷いた。
それからなぜか彼女は早足で、てこてこと俺の前を歩いていった。
「おい?」
俺が声をかけると、彼女はぴたりと足を止めた。
「英輔、ありがとう。英輔のお陰で全部うまくいったよ」
彼女は背中を向けたままそう言った。
「……俺は手伝っただけだ。今まで諦めないで頑張ったのはお前だろ?」
俺がそう言うと、彼女はしばし黙り込んでから
「……やっぱり英輔、優しいね」
そう呟いた。
俺は思わずどぎまぎしながら
「べ、別に誰にでも優しいわけじゃないぞ……!」
なぜかそう口走っていた。すると彼女は
「ううん。昔から英輔は優しかったよ」
そんなことを言った。
「……昔?」
「うん。覚えてない? 昔もね、高鬼したとき私が転びそうになったの、英輔が支えてくれたんだよ」
脳裏に黄色いワンピースの女の子が蘇る。
泣いていた俺を強引に引っ張って、少し遠くまで遊びに繰り出した元気な女の子。
負けず嫌いで、笑顔が似合う、小さな女の子。
「…………そうか」
俺は少し呼吸を入れて
「でもそれもお前だろ? 可憐」
そう、問いかけた。
すると彼女はぱっと振り返った。
見開いた目には光るものが見える。
「…………名前……」
彼女は震える声でそう呟いた。
「覚えてて、くれたんだ……」
俺は頷いた。
すると彼女は袖で涙を拭いながら
「……あのね……っ、私、ほんとはね、ずっと英輔に、名前で呼んで欲しかったんだ」
そう言った。
「私の、ほんとの名前でっ……」
涙が止まらないのか彼女はずっと嗚咽を漏らしている。
そんな姿が妙に愛しくて、俺は思わず彼女を抱きしめに走っていた。
俺が彼女を引き寄せると、彼女は嗚咽を止めた。
「…………返事、聞いていいか?」
俺が彼女の耳元でそう囁くと、彼女は微かに頷いて、小さな声で答えてくれた。
「……大好きだよ、英輔」
彼女の長い夜は明けた。
俺の遠泳も、ひと段落といったところだろうか。
木々に、水溜りに、太陽の光がきらきらと反射する。
闇が朝の光に溶けていく。
暗闇を抜け出した彼女を祝福するように、その光が一際輝いた。
ここまでお付き合いいただきありがとうございます。まだエピローグがあるのでもうちょっとだけお付き合いください。
それから昨日でキャラ投票のほう、締め切らせていただきました。たくさんの投票、ありがとうございました!
それでは結果を発表します。
1位・朔夜憐 10票(PC6票、携帯4票)
2位・東条英輔 8票(PC3票、携帯5票)
3位・埴安姫 2票(携帯2票)
4位・火砕(携帯1票)、焔(PC1票)
+αで私は緋衣に入れておいたことにしておいてください(笑)。
まさか20票超えるとは思ってなかったので本当にちょっとびっくりです。ありがとうございました!この結果に関しての企画についてはエピローグのあとがきで!