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第18話:緋紅

 雨のつぶてが肌を刺す。

 目に入った自分の髪の先はもう随分と紅く変色していた。

 水を含んだコートのせいか、それとも水を被りすぎた身体のせいか、動きが鈍くなってきたのが自分でも分かる。

 しかし流星は相変わらず猛攻してくる。

 私はもうかわすのも精一杯だった。

「逃げてるばかりじゃ勝てねえぞ!?」

 彼はそう言うと、特大の炎の弾をこちらに投げてよこした。

「……!!」

 この間とまったく同じ状況に置かれて、私はただ炎に呑まれていた。



 ……湿気た土の臭い。相変わらず肌を刺す冷たい雨。

「……ざまぁねえな? 緋紅。あれだけ言っておいてそれか? 笑いものだな」

 流星の声が聞こえる。

「……最後だから言ってやるよ。俺はお前のことが大嫌いだった」

 彼の表情は遠くて見えない。

「お前は『緋』の名を貰って周りからチヤホヤされて、いつも自信満々だった。自分じゃ気が付いてなかったかもしれないけどな、お前はいつも俺を見下してた。俺はそんなお前がずっと、ずっと嫌いだった」



 思い出が雨の音と共に流れていく。

 まるで走馬灯のよう。


 雨の日は外に出掛けられなくて、2人でじっと雨が止むのを待っていた。

 結局夜になっても止まなくて、私がふてくされていると、君は優しくキスしてくれた。『明日デートしなおそう』って言ってくれた。

 自分でも忘れかけていた誕生日、君は覚えていてくれた。幾つになっても祝ってくれた。


 今でも、酒屋で探すのは君が好きだった銘柄。

 そんなの飲んだって、辛くなるだけだって分かってるのに。


『俺はお前のことが大嫌いだった』


 あれもこれも全部嘘?

 なら私の痛みは一体何?

 この痛みが、嘘だなんて、それは絶対に、ない。


 心臓が熱くなっていく。

 苦しいほどに。

 まるで内側から燃えるよう。

 地獄の炎に焼かれる瞬間は、きっとこんな感じなのだと私が思った瞬間。

 殻が、壊れるような音がした。






「…………!」

 俺は目の前の光景に目を奪われていた。

 暗黒に昇る、真紅の炎の渦。

 それはまるで、煉獄で鬼が生まれる瞬間なんじゃないかと思ったくらいだ。

 けど、その炎の中から出てきたのは鬼なんて醜悪なものじゃなかった。


 緋色の髪が炎に踊る。

 それでいて紫暗の眼は静かに俺を見据えていた。

 離れていてもびりびりと感じる強い力。

 全てを燃やしつくせそうな、火の力。

 ――それは、炎の申し子が覚醒した瞬間だった。


 雨はまだ止んでいない。

 けれど、雨の粒が彼女の肌に触れる前に、それらは水蒸気と化している。

「……緋紅……、お前……」


 彼女は普通の火鼠とは違う。

 火鼠なら本来炎に入ればその身を紅くする。

 それなのに彼女はどんな炎に入っても、その身を紅く染めたことがなかった。

 ゆえに山の長が言った。

 彼女の身を焦がせるのは、煉獄の炎のみだ、と。


「……来なさいよ。私を殺して皮を剥ぐんでしょ?」

 彼女はそう呟いた。

 だがその声色に恐れはない。そう、明らかに挑発だった。

「…………なめやがって!」

 俺はあいつに飛び掛った。


 そう、例え彼女が真の力に覚醒しようとも、火鼠は火鼠だ。やつらの言う『ケモノ』の力を最大限に身体に埋め込んだ俺に勝てるはずがない。

 だが。

 いくら攻めても彼女はそれをかわし尽くす。

 俊敏さはさきほどの比じゃない。

「……ッこの」

 こちらも余裕をかましていられなくなってきた。

 すると

「……それ。私もアンタの怖い顔、嫌いだった」

 緋紅はそう呟いた。

「あ!?」

 こんな状況で何を言うのかと思えば。

「所構わず煙草投げ捨てる癖も嫌いだった」

 けれど緋紅は続ける。

「すぐ他の女の誘いを受けるとこも嫌いだった」

 俺は苛立ってきて、

「何が言いたいんだよ!?」

 無意識だったのか、彼女の首を掴みにかかっていた。

 だが、彼女は俺のその腕を掴んで静止させ、

(しまっ……)

 そう思った瞬間には、俺の身体は宙に浮いていた。

 結果、

「がはっ!」

 俺は数メートル先の資材置き場に投げ飛ばされていた。

 俺の身体から漏れ出た炎が資材に燃え移っている。

「……っ!」

 立ち上がろうとしたが、なぜか脚が動かなかった。その間に緋紅が傍までやってきて、俺の胸ぐらを掴んだ。

 頭を打ったせいか目が霞む。おまけに煙で彼女の顔はよく見えない。

「よく私を放ってどこかに遊びに行くとこも嫌いだった」

 どうやら、彼女のそれはまだ続いているらしい。


 ……ああ、結局こいつに負けるのか。

 どれだけ頑張っても、俺にこいつは超せないんだ。

 それは、俺が平凡で、あいつが『特別』だから。

 ……そうかい、ざまぁねえのは俺のほうかよ。

 もういい。いつまでもそんな恨み言ばっか言ってないで、さっさと殺してくれればいいものを。


 そう思ったとき、頬に何か異質なものが当たった。

 水滴だ。でも雨じゃない。

 火傷しそうなくらい熱いしずく

 それは――……


「……でもッ、私はアンタのことっ、好き、だった……!!」


 その時、なぜか視界がはっきりした。

 目に映ったのは、よく見慣れた彼女の泣き顔。

 さっきまで燃えるように紅かった髪も、冷めたように白に戻っている。


 やっぱりこいつは甘い。

 ここまできてどうして俺を殺さないんだ。

 俺はお前が嫌いだって、はっきり言ったのに。

 傷ついたから泣いてるんだろうが。


 ふと視線を動かすと、資材に燃え広がった火が、傍に置き去りにされている軽トラックに到達しているのが見えた。

「……!」

 湿気た空気に混じって、微かにガソリンの臭いがする。

(……引火する!)

 そう思った瞬間、俺は腕に渾身の力を込めて緋紅を車とは反対側に突き飛ばしていた。


 ――次の瞬間、耳が壊れそうな爆発音と衝撃が、俺の身体を呑み込んだ。


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