第16話:ケモノ
翌朝、目が覚めるともう午前9時を回っていた。
「あら、おはよう英輔クン」
いつの間にか帰ってきていたらしいオカマ男が何かの紙をひらつかせて挨拶してきた。
「……ああ、おはよう。なんだ、それ?」
寝すぎて少しぼうっとしている頭を抱えながら俺が尋ねると
「高志が送ってきた書類だよ」
突然、反対側から朔夜がにょきっと現れて
「!? お、お前いたのかよ!」
思わずまた、ベッドから落っこちそうになった。
「朝ごはん誘いに来たのにまだ英輔寝てるっていうからその間に高志に連絡取っといたんだよ」
すると朔夜の肩に乗った鼠女が
「あのお父さん、憐ちゃんが電話したら号泣しだしてなかなか大事なこと話してくれなかったから大変だったわ……」
げっそりとそう言った。なんとなく想像できる。
けど
「大事なことってなんだよ。それにあの書類って、なんの書類なんだ?」
俺が尋ねると
「あのケモノに関する調査書類よ。憐のお父さん、色々調べてくれてたみたいで」
オカマ男が書類の束を俺に手渡してきた。
「……?」
俺は見た途端、首をかしげる。
ぶっちゃけ、難しい記号やら外国語だらけで、その書類に何が書かれているのか俺にはさっぱりわからない。
「それ、ケモノを生み出したと思われる研究者の研究所跡から見つかったんですって」
「え?」
俺が戸惑っている間に朔夜がぱらぱらとその書類をめくり始めた。
「ほら、これ。ケモノの核の成分が書いてあるでしょ?」
朔夜が示したページには、丸い円が描かれていて、周りにはまた難しい文字が並んでいる。
が、ちょっとしたところに日本語が窺えた。
「……なあ、もしかしてケモノを創ったのって、日本人なのか?」
俺が尋ねると
「高志の報告によるとそうらしいよ。……太秦大貴、30年ほど前に肺炎で死亡したバイオテクノロジーの研究者。日本じゃあまり有名じゃなかったみたいだけど、世界的にはそれなりに有名だったみたい。まあ、裏の世界で、だけど」
朔夜がまたぱらぱらと書類をめくる。
「細胞融合術に長けてたみたいで、裏で違法な生体実験をやってたみたい。けど表では普通の研究者をうまく演じてた。……そんな彼が晩年、人里離れた研究所に篭って創造したのが……」
「ケモノ、なのか?」
朔夜は頷いた。
「高志も少し前から太秦のことを調べてたみたいなんだけど、なかなかその研究所っていうのが見つからなかったみたいで。つい一昨日、やっと見つけたらしいよ」
するとオカマ男がつまらなさそうに言った。
「その資料によると太秦は『新しい生き物』……つまり新種の生き物を創りたいと思ってたみたいね。彼がそれまで創ってた珍獣って、結局は今いる生物の融合体みたいなものだったらしいから」
朔夜が続ける。
「……で、太秦に霊能力があったのが運の尽きっていうか。普通の人間には見えないケモノを創っちゃったってわけ。太秦が創ったケモノは五行を司る5体だけ。そいつらも人のあらゆる能力を奪いそれを糧とする生き物だったみたい。太秦は最終的にはその複数のケモノを1つに融合させて、人間を超えるような存在を目指してたようだけど……」
すると鼠女がこう付け加えた。
「ま、融合させる前に太秦自身が肺炎に倒れて死んじゃって、5体のケモノが外に飛び出したのがことの始まりね」
「……てことは、その、ケモノは勝手に増えていったのか?」
俺が尋ねると
「英輔も知ってるでしょ? ケモノの中には切られて分裂する奴もいたし、そこそこ力を蓄えれば自力で分裂する奴だっている。イーグルのほかにも日本には霊を相手にするような怪しい組織は沢山あるから、ケモノの有効な消し方を知らない間にケモノを増やしてきたってことも十分有り得る」
朔夜は苦々しくそう言った。
「……じゃあ、その、あいつは……太秦って奴が目指してた形に近づいたケモノなのか……」
自らは人間のもっとも大事な『命』という力を喰らい、また他のケモノを吸収して強くなっていった化け物。
「そういうことになるね。……ほんと、面倒なことしてくれたよね、太秦って奴。生きてたら何が何でも刑務所にぶち込んでやるのに」
朔夜は自嘲気味に笑った。
「…………」
そんな彼女に掛ける言葉が見つからなくて、俺はただ彼女を見つめるだけしかできなかった。
すると彼女はこちらの視線に気がついたようで
「なに? 英輔」
「え、あ、いや……」
俺が何か言い繕おうとしたら
きゅるる……
見事なタイミングで腹の虫が鳴った。
朔夜はくすりと笑って
「お腹減ったって? 仕方ないなあ、下に食べに行こうか。まだモーニング間に合うよ」
そう言って立ち上がった。
憐と英輔が朝食を食べに行った後、私は部屋に残って椅子に座りながら例の書類を眺めていた。
専門分野ではないので分からないことも多いが、
「……30年前の時点でここまで生き物の身体を再現するなんて、ある意味太秦は天才だったのかしら」
私が思わずそう呟くと、
「おお、そういえばお主、医学に嗜みがあったんじゃったな。日本語以外の言葉も分かるのかの?」
埴安姫が出てきた。
「母国語は英語だし、ドイツ語も一応読めるわよ」
そうしていると
「じゃあそのわけわかんない文字、全部読めるわけ?」
下のほうから声が聞こえた。
「あらアナタいたの? てっきり憐に付いていったんだと思ってたわ」
机の陰で分からなかったが、覗き込むと、足元に鼠姿のまま緋衣が寝そべっていた。
「うるさいわねー。私だって空気ぐらい読めるわよ、ばーか」
最後の『ばーか』は完全に八つ当たりだろうと思いつつ
「それで、アナタはどうするの? あのケモノ、あの後例のビルに戻っていったし、アナタの元彼もまだいたみたいだったけど」
私はそう切り出した。
すると彼女は跳ね上がるように人間の姿になったかと思うと
「勿論行くわよ。やられっぱなしで終わるわけないでしょ」
そう言った。
彼女のその返答は予想通りのものだった。なら、ひとつ言っておかなければいけないことがある。
「緋衣、あの流星って男、もう火鼠の身体じゃないわよ」
私がそう言うと、彼女はあまり驚いた風もなく、ただ眉をひそめただけだった。
「知ってたの?」
私が尋ねると
「なんとなく。だってアイツ、火の粉の匂いはするけど鼠の匂いがしないんだもの」
彼女はそう言って肩をすくめた。
「そういえばあやつ、水を被ってもぴんぴんしとったの」
埴安姫がそう言った。
「太秦の研究の中にケモノの創生とは別に、元ある生物の能力を大幅に強化するというものがあるの。この記録には『火鼠』を実験に使ったとしか書いてないけど、恐らく……」
私がそう言うと
「ほんと、馬鹿な奴。昔からほんと、何考えてんのかさっぱり分からないのよ」
彼女はどこか遠くを見るようにそう呟いた。そんな彼女を見ていると、どこか不安になってくる。
「おい鼠娘、大丈夫なのか?」
埴安姫がちょうど、思ったとおりのことを言ってくれた。しかし当の本人は
「ん? 何が?」
こちらの心配を全く分かっていない様子だ。
私は少々苛立って
「そんな腑抜けた顔のまま敵陣に乗り込んだら死ぬだけだって言ってんのよ」
そう言うと
「ふ、腑抜けって……常に腑抜けた顔してるアンタに言われたかないわよこの世捨て虫!!」
彼女は顔を真っ赤にしつつそう返してきた。
彼女はくるりと背中を向けて
「……私は絶対死なないわよ」
はっきりとそう言い残して、彼女は部屋を出て行こうとした。
私はその背中に
「今夜は雨に気をつけなさい」
ただそれだけ、言っておいた。
すっかり静まり返る室内。
「……のう、『世捨て虫』とはなんじゃ」
埴安姫が沈黙に耐えかねたのかそう尋ねてきた。
「ワタシのことでしょ」
自分で言っていて、なんだか可笑しくなってしまった。
ああ、確かに自分は1度諦めた。
果ての見えない医学の進歩。
それに追いつこうとずっと必死だったけれど、私はある日気が付いた。
私の中に『彼女』がいる限り、私に守りたい人、救いたい人は出来ないんじゃないかと。
使わない技術ほど無意味なものはなく。
目的もないのに果ての見えない時間が嫌で。
私はある日羽ばたくのをやめた。
道端で羽根を止めて、もうそのまま、人間に踏まれて死んでしまおうかと思っていた。
けれど、小さな虫けらの私を見つけたのは、憐だった。
「……蝶?」
彼女の第一声はそれだった。
思わず否定したのを覚えている。
「――おい金髪?」
埴安姫が戻ってこいとばかりに声をかけてきた。
「ワタシ、昔憐に言われたことがあるのよ。『死ぬために生きるなんてそんな勿体無いことしたら私がお前を殺す』って」
自分で言っておいて話に脈絡がないのは分かっていたが
「ほう、それはまたすごい脅し文句じゃな」
埴安姫は聞いてくれた。
「でしょう? で、簡単には死ねなくなっちゃって。でもワタシにはまだ見つからないのよ、目的が」
すると彼女はやけに意味ありげな笑みを浮かべた。
「お主は忘れてしまっただけではないかの? 妾も長く生きると忘れかけてしまうことがある」
それは、どういう意味だろう。
「アナタは何を忘れてしまうの?」
気になって尋ねると
「精霊の存在意義じゃよ。精霊とは世界を護るもの。この世界を壊す人間を時として罰せねばならぬ。じゃが……」
埴安姫は笑った。
「妾はどうも昔から、人間というものが好きでの。短い生の中にあやつらはどれほどの思いを抱いて生きるのじゃろうな? その一生懸命さが妾には愛おしい」
大地の精霊の、母なる一面を垣間見た気がした。
「お主にしてもあの鼠娘にしても、妾にとってはまだまだ赤子のようなもの。人間と同じじゃ。お主も諦めずに悩めばよい。きっとそのうち思い出せよう」
彼女はそう言って、私の肩を軽く叩いた。
私は思わず苦笑した。まさかこの歳で『赤子』と言われることがあろうとは。
「ありがとう、埴安姫」
それでも、私は感謝の言葉を彼女に贈った。
この話は設定説明くさい話でしたがなんだかんだで次話からほんとにクライマックス大決戦? です。あと5話ほどありますが月曜日に完結させたいと思います。
それに伴いキャラ投票のほう、日曜日(4月5日)で締め切らせていただこうと思います。予想以上の投票、ありがとうございました! 結果とそれに関する企画はまた最終回のあとがきで・・・。
ここまでお付き合いくださってありがとうございます。あともう少しだけ、お付き合いいただけたら幸いです。