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第9話:癒えない傷

 地面が一面真っ白な雪に覆われたその日、私は彼女に出逢った。


(…………早く止まないかなあ)

 火鼠は雨が一番嫌いだけれど、雪もその次ぐらいに嫌いだった。

 珍しくこの国で全国的に雪が積もった冬の日、私は目立たないように小さな鼠の姿で、とある小学校の玄関先で雨宿りならぬ雪宿りをしていた。

 少し前方ではまだ幼げな子供達が歓声を上げながら雪遊びをしている。

 その様子をただじっと見ていると。

「鼠さんも誰かを待ってるの?」

 突然声を掛けられて、私は思わず身じろぎした。

 見上げると、いつの間にか隣には赤いランドセルを背負った、ショートカットの女の子が立っていた。

 出で立ちから、もう高学年ぐらいだとは思ったが、目が大きくて、小柄で可愛らしい印象を受ける。が、

(…………この子)

 私に話しかけた時点で、只者ではないことは分かった。

 それ以前に何か、言い知れぬ不自然さを感じた。

 けれど彼女はしゃがみ込んで、

「私は迎えの車を待ってるの」

 人懐っこそうな、明るい笑みを浮かべてそう言った。

 害はなさそうだったので

「私は雪が止むのを待ってるのよ」

 私は普通にそう答えた。すると

「? 鼠さん、雪嫌いなの?」

 彼女は不思議そうに尋ねてきた。

「ええ。私水が駄目なのよ。雪も溶けると水になるでしょう?」

「あ、私も水は嫌い。でもちょっと意外かな。鼠さん、真っ白だから……えーっと」

 彼女は言葉に迷っていた。

 何と言おうとしてくれたのだろう。

 私が待っていると、彼女は思いついたように

「雪ウサギみたいで」

 と言った。

 私は思わず笑う。

「私これでも火鼠よ」

「え? 火鼠って中国の?」

 彼女は話に食いついてきた。

「よく知ってるわね」

「うん、お父さんに聞いたことがあって。じゃあ鼠さんは中国から来たの?」

 彼女は興味津々に尋ねてくる。

「そうよ」

「日本語うまいねー」

 彼女の突っ込みどころに私は少し笑ってしまう。

「当たり前よ、もうこっちに来て150年は経ってるもの」

 私がそう言うと、彼女は目をぱちくりさせた。

「鼠さん今何歳? もしかしてすごくおばあさん?」

 確かに人間からしたら『おばあさん』と言われても仕方がない年齢な気もするが、それは若干プライドが許さなかったので

「500歳だけどまだ若いわよっ、ほら!」

 私は調子に乗って人間の姿に化けていた。

 私が急に大きくなったので、彼女はぺたんと尻餅をついた。

「あ、ごめん、大丈夫?」

 私が手を差し出しても、彼女はまだ驚いている様子で、ただただ沈黙している。

(……妖慣れしてるみたいだからってちょっとやりすぎたか)

 私が心の中で反省していると、彼女は突然私の手を取って立ち上がり、

「ほんとだ! 若い! 綺麗! ないすばでぃ!!」

 興奮気味にそう言った。

「あ……ありがとう」

 面と向かってそう言われると照れる。相手が例え同性の子供でも。

「ねえ、鼠さんは名前なんていうの?」

 彼女は本当に気さくに話しかけてくる。

 が、私はそれが嫌ではなかった。むしろここ数年はほとんど人間とは関わってこなかったので、話し相手が出来て嬉しかったのかもしれない。

「緋衣、よ。緋色の衣」

 すると彼女はほんのしばらく目線を泳がせて、

「それって日本語だよね?」

 と尋ねてきた。

「そうね。ほんとの名前は『緋紅フェイホン』っていうの。でも日本に来て初めて出来た友達が呼びにくいっていうから変えたのよ」

 私は当時のことを懐かしく思いながらそう言った。

「へぇ……私は朔夜憐っていうの」

 私たちはそうして、歓談を始めた。


「でもいいなー。500歳でもそんなに若くて綺麗で……」

 彼女はそう呟いた。

 そういえば、こっちに来たばかりの頃も、例の友達にそう言われた気がする。

 私は苦笑した。

「いいことだけじゃないわよ。むしろ辛いことのほうが多いから……」

 私がそう呟くと、彼女は心配そうに尋ねてきた。

「……何か嫌なことでもあったの?」


 ……なんと言えばいいのか。

 その真っ直ぐな目に見つめられると、急に胸が苦しくなって、何もかもをぶちまけたくなったのだ。


「……昔ね、すっごく好きな人がいたの」

 私は遠くを見て、独り言のように喋りだした。

 彼女は静かに聞いている。

「生まれてからずっと一緒で、片時も離れたことがなくて、周りの皆がいなくなっても、その人だけはずっと私の傍にいたわ」

 そう、本当に、ずっと一緒だった。

 ねぐらを替えに旅に出て、土が合わなくて帰ってきて、それからまた旅に出て。

 危険な旅も沢山した。それでもいつも助け合って生き延びた。

 ある時は2人して人間になりすまして街で暮らしたりもした。まるで夫婦みたいに過ごしたものだ。

 いや、実際それ以上の関係だったと私は思っている。


「私は信じてたわ。

 彼となら、どれだけ先が長くても、ずっと一緒にやっていけるって。……けど、アイツは…………」

 そこまで言って、喉がつかえた。

 ……全く、何百年経っても、この傷は癒えないらしい。



『緋紅、そろそろ別の生き方をしないか? どうせお互い、まだまだ先が長いんだしよ』



 ……そう、結局は捨てられたのよ、私。

 アイツの言う『別の生き方』ってなんなのよ。

 他の女と遊ぶこと?

 じゃあ、所詮は私もその中の1人だったってこと?


 そう考えれば考えるほど、自分が惨めで悔しかった。

 だって、私にはアイツしかいなかったのに。


 それから、どれだけ他の男に言い寄られても私はそいつらに興味が湧かなくなった。

 むしろ男が嫌いになった。


 気まぐれで、いい加減で、こっちの気持ちなんて、全然分かってくれないんだから。


 だから…………



 知らない間に、私は彼女に抱きしめられていた。

 自分でも分からないうちに、私は泣いていたようだ。

 しんしんと冷たい雪の午後、彼女の小さな身体は不思議なほど温かかった。

 その小さな、温かな手が私の手を握る。

「私は、緋衣が死ぬまでは流石に生きられないけど、私が死ぬまでは、ずっと友達でいられるよ」

 彼女はそう言った。

(……『友達』……)

 私は泣きながら頷いた。

 何度も何度も頷いた。



 私はもう、『永遠の愛』なんて言葉は信じない。

 けど、『友達』なら。

 『友達』なら、心はずっと、一緒にいられるもの。






 …………懐かしい夢を見ていた気がする。

 私はぼんやりと、その余韻に浸っていた。

 しばらくして、現状を把握しようとして、身体が自由に動かないことに気がついた。

 記憶を再生して

(…………ああ)

 あの最低男に派手にボロ負けしたことを思い出して、私は溜め息をついた。

 すると。

「目覚めて早速溜め息?」

 そんな男の声が降ってきた。

 火砕だ。

「…………うるさいわね」

 喉はどうやら治ったらしい。まだ口の中に血の匂いが残っているのは仕方ないが。

「あら、意外と元気ね。憐のおかげかしら」

 彼がそう言って、私は初めて気がついた。

 私が寝ているベッドの傍らにもたれかかったまま、彼女が寝ていたのである。

「…………」

 今朝見ていた夢を思い出す。


 彼女を初めて見たとき感じた不自然さが、彼女本来の命の器とその中身とのバランスの悪さに原因があると知ったのは、あれからすぐのことだった。

 人間の寿命なんて、私たちに比べたら本当に短いのに、彼女の場合はもっと酷だった。

 それでも彼女は諦めないでケモノを探し出そうとしていたから、私はそれに協力するために三炎の座についた。


「…………ごめんね、憐ちゃん……」

 私はまだ眠っている彼女に向かって謝罪した。


 アイツとのケリをつけて、

 あのケモノをぶっ飛ばして、

 私も、彼女と一緒に前に進もうと思ってたのに。


「…………はは」

 乾いた笑いが自然と漏れる。

 笑いと共に涙がこぼれる。


 なんて無様。

 これじゃあ何も変わらないじゃないのよ。


 嫌いよ、嫌い。

 友達のために役に立てない役立たずな自分が嫌い。

 あんな奴のせいで他の男まで信用できなくなった弱い自分が嫌い。

 何百年もアイツのことズルズル引きずってる情けない自分が大嫌い。



「……ほんと、よく泣くわね、アナタ」

 火砕の声が聞こえた。

(いちいちうるさいわね)

 私がそう訴えるようにあいつを睨むと

「別に泣くなとは言ってないでしょ。ていうかね、むしろ今日はアナタを褒めたいぐらいよ」

 あいつは妙に気味の悪いことを言った。

「……は?」

 私は思わず声に出して聞き返していた。

 すると彼は、金の長い髪を揺らしてくるりと背中を向けた。

「その怪我でよく生きてたわね、緋衣」

 そう言い残して、彼は部屋から出て行った。

「…………」

 私はしばらくドアを見つめて呆然としていた。

 言葉の響きは皮肉っぽくもとれるのだが、声の響きはその、全く逆だった。

 思わず、胸が疼いたくらいに。

(…………変な奴)

 私は視線を戻して、穏やかに眠る彼女を見た。

(……ああ)

 そこで思い出す。


『君が死んだら憐が泣くぞ』


 以前、アイツに言われた言葉。

(『女の泣き顔を見るのが一番嫌い』って言ってたの、ほんとみたいね)

 そんなことを考えていると、さっきまで鬱々としていた気持ちが少しだけ治まった気がした。






 私が隣室に戻ると、英輔はもう眠りについていた。

 私は椅子に腰掛けて、ひとつ溜め息をついた。

 安堵の溜め息だ。

 緋衣が頑丈で助かった。

 もっと状態がひどかったら手当てのしようもなかっただろう。

(……結局、及ばないときには及ばないからな)


 ここ200年で学んできた医学。

 それは常に進化してきたが、どれだけ長く生きようと、1人で背負える量はたかが知れている。


『私が傷つけるしか脳のない毒蛾なんかじゃなく、君を癒せる蝶だったらよかったのに』


 何百年経っても色あせない、あの時の後悔が胸をよぎる。

 涙もろいあのひとは、私が泣くともらい泣きして、病床でずっと泣いていた。

 強がりで、おてんばで、気分屋で、でも優しかったあの人は、最期にずっと泣いていた。


 だから女性の涙を見るのが嫌いになった。

 何も出来なかった自分が嫌いだった。

 だから医学を学んだ。

 あの頃は学ぶこと以外はどうでもよくなっていた。

 私の外見に惑わされて寄ってくる女性を払うために口調を変えたのもその時期だ。

 だって私の心には、ずっと彼女がいたから。


 緋衣は彼女によく似ている。

 そして自分にもよく似ている。


 けど、そうであってほしくないと、私は心の中で思っている。

 彼女なら、きっと強く生きられるだろうと私は願っている。

 だって彼女は、私なんかよりずっと芯が強いから。



「……なんじゃ、金髪。そんな昇天しそうな顔して」

 突然埴安姫の声が聞こえた。

「昇天って……ワタシそんな死にそうな顔してた?」

 思わず私はそう突っ込んだ。

「ああ。主のその物憂げーな顔は綺麗じゃから嫌いではないがの、何をそこまで思いつめとるんじゃ? 主のお陰であの鼠娘、大事に至らず休んどるのじゃろ?」

 私は首を振る。

「私がしたことなんて、大したことないのよ」

 すると埴安姫が若干声を荒げて

「お主、前もそんなことを言っておったな。謙遜も別に構わんが、それでは包帯ひとつ巻くこともできぬ妾に対して失礼じゃぞ!」

 そう言った。

「…………」

 私は思わず口をつぐむ。まさかそこまで彼女が怒るとは思っていなかったから。

「……む、いやすまん、若干今日は機嫌が悪いんじゃ、あの馬鹿鼠男のせいでの。妾はお主に感謝しとるぞ。今の状況で鼠娘をここまで運べたのはお主だけじゃったからな」

 彼女はそう言って、沈黙した。もう眠るつもりらしい。

 私はなんだか気恥ずかしくなって、さっと蛾の姿になって、寝床である窓ガラスに移動した。


さらっと緋衣の過去編がはさまっております。ほんとはそのちょっと後のエピソードも頭にあったんですがそこまで書くとくどすぎるのでそれはまた機会があればどこかで・・・。

そろそろお話も中盤に入ってまいりました。さらに気合入れて頑張ります!

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