【第二話】はじめてのおともだち
今日はお家に一人でおるすばん。
一人で上手におるすばん出来るとおばさんはほめてくれるんだ。
おばさんは買い物に行くと夕方まで帰ってこない。おにいちゃんはたまーにしか来ないからきっと今日も来ない。
別にさみしくなんかないもん。
お人形さんもいるし、絵本もたくさんある。
でも、どうしてさきにはおともだちがいないんだろう。お人形さんはもちろん大好きだけど、いっしょにお話ができないの。
いっしょにお話ができるおともだちがほしい。
お家からは出ちゃダメだっておばさん言ってたけど、絵本の中のいたずら好きな男の子がしてた大ぼうけんがしてみたいな。
「よしっ!」
お家から出なければいいなら、お家の中をたんけんするのはいいよね!
それに、だれも使ってない古いたてものにはお家を出ないで行けたはず!
うん!それじゃあ――
「大ぼうけんスタート!」
***
普段誰も使っていない客間に祥希は足を踏み入れた。来客を見たことがない祥希は、当然ながら客間に入ったのは初めてだった。しかし京子が掃除する時にこの和室と、そこから続く納屋のことを零していたのは覚えていた。
客間は八畳ほどの和室で、一見綺麗にされてはいるが古い畳から漂うカビの臭いが部屋中に充満していて、鼻を突いた。
「うう、へんな匂いがする……」
カビと所々に浮いているシミにげんなりしながらも、祥希は客間と納屋とをつなぐ廊下に出た。
廊下は短く真っ直ぐだ。すぐ正面に見えるのがきっと納屋の扉だと、祥希は心を躍らせながら近づいた。客間を通らないといけない、外からは入れない変わった造りの納屋は人の出入りが少ないためか、入口の扉は酷く錆び付いていた。
「あかない……!」
納屋の扉はびくともしない。建付けのせいなのか、もう古くなりすぎたせいなのかは分からないが祥希の力では到底開けられそうにない。
「うう〜〜!! 昔は入れたのに〜!」
祥希には客間を通った記憶はない。しかし、記憶の奥底にここに誰かと来た記憶がある。その矛盾に気づかぬまま、その記憶ではすんなり入れたのにと祥希は憤る。
「なんであかないのなんでなんでなんで!」
錆び付いた扉にかける力が徐々に強くなっていく。なんでなんで、と繰り返す祥希は傍から見れば正気ではなかった。それでもうわ言のように繰り返し続けると、突然祥希の手に静電気に似た刺激が走った。
「痛っ!」
パチリという音に驚いた祥希は扉から手を離し周囲を見渡す。
「あれ……私、今何を……?」
突如走った衝撃に、祥希は動揺していた。しかし驚いたものの、酷く落ち着いた声色で自分が何をしていたのか記憶を辿らせた。
「……? そっか、ぼうけん、してたんだ……!」
自分が何をしていたのかを思い出した祥希は、爛々と目を輝かせ、いつものソプラノの声色で歌うように独り言ちた。
「あっ開いてる!! 」
先程まで全く開く気配を見せなかった納屋の扉が開いていた。あれだけ開かなかったのが嘘だったかのようだ。祥希は誘い込まれるように納屋へと入っていく。
納屋の中は案外綺麗にされていた。独特のカビ臭ささえ除けば、住めてしまう程に。置いてあるもののどれにも埃は被っておらず、つい先日誰かが来たのだと思わせた。
「ぬりえ絵本?」
物珍しげに物色していた祥希だが、一番興味を惹かれたのは納屋の一番奥の棚にあった書物だった。木箱の中に一冊だけ入っていたそれは、たった一頁のみ絵のようなものが書かれた、それ以外はまっさらなものだった。
「これと同じようにかけばいいのね!」
納屋に適当に積み置かれていた軽石を手に取り、納屋の床に描いていく。円を描き、六芒星を描く。三角と丸を組み合わせ、それに近いものを描き終えると、風が入るはずのない納屋に一筋の風が吹いた。
「オレを喚んだのはお前か」
風によって舞い上がった砂埃が立ちこめる中、祥希の描いた落描きから低い低い、氷のような声がした。
砂埃が落ち着き、視界が良好になると人間が現れた。否、人間ではなく人間に似た何かだった。
顔や体つきは成人男性のようだったが、その背には黒い翼がある。それは鳥が持つ柔らかなものではなく、蝙蝠のような薄く硬いものだ。その上、頭部に生えた鋭く尖った角を見れば人間でないことなど明らかだった。
「喚んだな」
「よんでないよ?」
「……は?」
祥希は平然と応える。喚んでなどいない、と。
それもそうだ祥希は絵の少ない絵本を見つけてそれを真似て落描きをしただけなのだから。
「オレは■■■。万能の悪魔だ」
「??」
「……契約が結べていないみたいだな」
悪魔だと明かし、名を名乗るものの目の前の少女の、まるで理解していない様子に悪魔は思案した。契約を結ぶ際、悪魔は真名を名乗る。真名を知られることは悪魔にとって命取りとなるが、召喚者に呼び出されたその時にその者を契約者と見なし真名を名乗るのだ。
ところが今回はどうだ。先の会話で自身の姿は見え、声は届いていることが分かったが、名には一切の反応を見せなかった。
結論から言えば、祥希には悪魔の名が聞こえていなかった。
「うぅ……ううっ」
悪魔が思案していると、いつの間にか祥希はボロボロと大粒の涙を流していた。
「なんだ嬢ちゃん、オレが怖いか?」
悪魔はギヒヒと不気味な笑い声をあげ祥希の恐怖心を煽る。突然現れた異形のモノに対する恐怖心からの涙なのだと、悪魔は上機嫌だった。
「かわいくない〜〜!」
「は!?」
悪魔は想定外の事態にたじろいだ。
今まで見目については人間に「悪魔」(それは事実だが)「化け物」と言われ畏怖の念を抱かれることはあった。中にはそのまま気を失う者もいた。
しかしなんだ、目の前の少女はどうやらそうでは無いらしい。
可愛くない?当たり前だろう、こちとら悪魔だ。可愛いなんてのは天にいるとかいう空想の生き物、天使とやらの専売特許だ。
「かわいくないってもな……」
「やだやだやだ!! かわいくないとやだ!!」
「……見た目の割に随分とガキだな」
大人に向かう途中の、可憐さと儚さを宿した顏の少女が、髪を振り乱して鼻水が垂れることを気にすることなく泣き喚いている様は、非常にアンバランスだった。
「わぁった、見た目変えてやるから泣きやめ。話もできないだろ」
「……ほんと?」
「ケロッとしやがって、嘘泣きか?」
「うそ泣きじゃないもん!」
少しからかうとすぐまた泣き出しそうな顔をされ、心の中で舌打ちをする。
ガキのお守りをする為に召喚に応じたわけじゃない。
「すぐ変化してやっからちょっと待ってろ」
「?? 今なにかした? 頭の中がぐるぐるする……」
「へえ、分かるのか。勘が良いんだな」
ちょっと待ってなと言い、悪魔は粘土を捏ねるかのようにぐにゃり、ぐにゃりと姿形を変えていく。
「これでいいか」
成人男性ほどあった身長はリンゴ一つ分程になり、黒く冷たい翼はまるで蝶のような透き通った羽に。人を射抜くような冷たい氷の目は、ビー玉のような、まんまるのスカイブルーの瞳へと変貌を遂げた。
祥希は瞠目し、そして目を輝かせた。
その姿は、祥希の大好きな絵本の中の妖精そのものだった。
「かわいい、かわいい、かわいい!」
「さきのはじめてのおともだちになってちょうだい!」