【終章】兄と妹
妹が僕を兄だと思い出してからひと月が経った。
幸いにも祥希は記憶を徐々に取り戻しつつあり、力も使えなくなった、らしい。
といのも、僕の傷を治すために祥希の力を対価にして悪魔と仮契約を結んだというのだ。僕が意識を手放している間に起こったことで、僕の意識が戻った後は悪魔は人知れず退去していた。
僕は大学を辞め、今は祥希と京子さんと一緒にこの家で毎日を過ごしている。
「お兄ちゃん〜!」
台所からパタパタと音を立てて幸せが近づいてくる。
「どうした?」
「卵焼き、ちょっと焦げちゃった……」
和食器に乗せられた卵焼きはところどころ茶色が目立つ。歪な形をしたそれの一番端のものをつかみ、口へと運んだ。
「……美味いぞ?」
「勝手に味見しないでー!」
「ごめんごめん」
ぽかぽかと、空いている手で祥希は僕のことを叩く。
「……落ち着いたら、どこに行きたい?」
落ち着いたら。祥希の記憶と精神状態が安定し、無事に外に出られるようになったら。そういう意味だ。
その言葉が指す意味は伝わったのだろう。
「海に行きたい!」
「分かった。とびきり綺麗な海に連れてってやる」
「やった!お兄ちゃん大好き!」
祥希の状態が完全に落ち着くまであとどれくらいだろうか。毎日、忘れていることを思い出そうと、出来ることを増やそうと精力的に活動している祥希の記憶の回復は目ざましい。このペースでいったら、あと二年程だろうか。
「お二人共、お昼ご飯ができましたよ」
「はーい!」
京子に走り寄る祥希の表情は明るい。
僕は、この笑顔を守ると決めた。
何があっても。どんな事があっても。
「それじゃあご飯にしようか」
僕のたった一つの希望 。
水芭蕉の花が咲く頃にでも、一緒に海に行こう。