ルークのコーヒー
変拍子のピアノにノリの悪いベースラインが加わって、なんとも曖昧な空気感を醸し出す音楽。コーヒーの香りがまた一段と引きたつこのJAZZ達もまた、商品ということなのかもしれない。
「ねぇ〜!もっと今時の曲にしなよ〜!何このBGM!こんなんじゃ今日もお客さん来ないよ!」
ウェイトレスの格好をした小さな女の子が両手を挙げて私の腹部を何度も殴りつける。この子が成長して力をつけたらきっと私の身体はひとたまりもないだろう。
「いいんですよ。別にお客さんが来なくても。私はここでコーヒーを飲むのが好きなんです。」
小さなコーヒーカップの持ち手に人差し指をかけ、そっとコーヒーを口に運ぶ。この苦味を感じる事が出来る幸せを、まだこの子は知ることは無いのだと思うと少し可哀想にまで思えてくる。カップを少し揺らして黒い水面を眺めた。
「貴方がコーヒー飲んでどうするの!?貴方このお店のマスターなんでしょ!?コーヒー売らないとお店潰れちゃうんじゃないの!?」
私の事をマスターと呼ぶこの少女の名は、ソフィー。年齢はどうやら12歳らしい。レディーに年齢を聞くのは失礼じゃない?と言われたけれど優しく聞いたら答えてくれた。
「はっはっは。そうですね。でも、大丈夫ですよ。このお店はちょっとやそっとじゃ潰れません」
「その自信はどこから来るのよ!!……私を助けるって言ったくせに……このお店が潰れたら、私は、私はどうすればいいのよ!!」
少女は私の服の裾を掴んで泣き出してしまった。意地悪な事を言ってしまっただろうか。私は子供のあやしかたを知らない。この少女の涙を止めるには、どうしたら……。
少し歪んだような、錆びた鈴の音が店内に鳴り響いた。
「いらっしゃいませ。ほら、ソフィー」
「……い、いらっしゃい……ませ」
「よく出来ましたね。偉いです」
有り難い事にこのタイミングでお客様のご来店だ。ソフィーも泣き止んでくれた。これが仕事だという認識を持ってくれているのは凄いことだ。12歳で、もうそんな切り替え方が出来るのか。私は持っていたカップを置いた。
「お兄さん。なかなかなイケメンね。1番オススメのコーヒーをお願い」
「イケメンだなんてそんな。オススメですね。かしこまりました」
来店した女性客は短いスカートの赤いワンピースを着ていて、カウンターに座ると甘い香水の匂いがフワッと漂ってきた。赤い口紅も相まってとてもセレブな印象だ。ただ、セレブにしては若い気もする。20代後半というところだろうか。このお店のお客様としてはなかなかに珍しい層ではある。ただ、この香水の匂いはコーヒーの味には合わないと、私は思った。
そして私は別にイケメンなどではない。きっとこのJAZZの曲に私の格好が合っているという事だろう。都会の中心街から外れた場所にある錆びれたカフェだ。特別雰囲気が良いという訳ではないと思うが。
「ほら、ソフィー。初仕事だよ。行っておいで」
ソフィーが昨日お店に来てこれが初めてのお客様だ。コーヒーくらい運ばせてあげよう。
ソフィーはうんと頷いて、コーヒーが乗ったお盆を受け取った。
「お待たせしましたで良いんだよね?」
「そうですよ。落とさないようにお願いしますね」
私の耳元に手を当て囁き声で確認した後、ソフィーはお客様の方へ歩き出した。
「あら、随分と可愛い店員さんがいるのね」
セレブな格好をした女性は足を組み、スマートフォン片手にコーヒーを持ってきた少女を見下ろす。
「はい、新人なので温かな目で見てあげてください」
「別に文句なんて言わないわよ」
ソフィーはフラフラとしながらカウンターから客席の方へ向かい、お盆を両手で持ち上げた。
「お待たしました!コーヒーです!」
フフッと客の女性は笑った。
私は優しく訂正する。
「ソフィー、お待た"せ"しましたですよ」
「あ、そうだった!!!」
ソフィーは顔を赤らめるとカフェに3種の笑い声が響いた。暖かな空間。丁度そのタイミングでJAZZの曲が終わりを迎えた。
曲の切り替えのタイミングは無音だ。
次に流れる曲もJAZZではあるのだけれど、この切り替えの瞬間だけ少し寂しい気持ちになる。たった数秒の話なのだが。
でも今回は違った。
大きな銃声とともに、複雑なコード進行は掻き消された。
入口のガラスが割れ、カウンターに座っていた女性の頭から血が流れた。
「キャーーーーーー!!!!!」
ソフィーの叫び声を無視するように2人の男が店内に入って来た。1人は背が低く、拳銃を握っている。もう1人は背が高く鞄を背負っている。2人とも3,40代くらいだろうか。ただ、良い顔つきではない。
「チッ外したか、誰だこの女は、テメェの女か?ルーク」
男達は頭を撃ち抜かれて倒れている女性の髪を掴んで顔を確認した後、カウンターに戻した。ルークとは私の名前だ。ただ、このお店ではルークとは名乗っていない。つまり、彼らは違う方の私を知っているという事になる。
「なぁ、そこの嬢ちゃん、蹲ってるけど気分でも悪いのかい?おトイレ行くかい?」
2人組の背が低くて拳銃を握っている方がソフィーに拳銃を向ける。ここで私が下手に動けばソフィーが撃たれる。まずは彼らの話を聞くとしよう。
「ご注文はどうされますか?コーヒーがオススメですが」
私は手を上げながら笑顔で接客した。
その態度が気に入らなかったのか男達は私の胸倉をカウンター越しに身を乗り出すように掴んだ。
「あぁ?テメェなめてんのかコラ?ルークさんよぉ、あんた自分がどんな立場か分かってないみてえだな、そこの可愛い店員さんもどうなるか分かんねえぜ?」
とりあえずヘイトは私に向いたようだ。であれば一安心。ソフィーに害は及ばないだろう。ただ、セレブのお姉さんには痛い思いをさせてしまった。あとで謝らなければならないな。もうこのお店には来てもらえないだろうな。せっかく来てくれたお客様だったのに。
「貴方達の要求はなんですか?」
私は彼らに問う。叶えられる要求であれば叶えてしまった方が早い。
「死者蘇生だ。お前、死人を蘇らせる事が出来るらしいな」
「マスター、そんなことが出来るの……?」
男達の話を聞いてソフィーが顔を上げる。色々と聞かれるとまずい事が多くなりそうだ。
「ソフィー、控え室に行きなさい、この人達とお話があるので。……分かりますね?」
ソフィーに強い視線を送った。
彼女の理解力は普通の12歳とは訳が違う。きっと私の話を聞いてくれるはずだ。
「おっと、お嬢ちゃんはこっちへ来な。お嬢ちゃんがいれば、ルークも話を聞いてくれそうだ」
すると背の高い方がソフィーの肩を掴んだ。カウンター越しに拳銃を向けられているので私は身動きを取れない。
「うちの可愛い社員に触らないでもらえますか?」
私は背の高い男性へ呼びかけた。
だが、男性達はヘラヘラと笑うだけで一向にソフィーから手を話そうとしない。
「あ?こいつの事か?」
「痛い!痛い!やめて!!!」
背の高い男性はソフィーの髪を掴んで顔を上げさせる。
私はため息を一つついた。
「はぁ、普通の交渉にくれば話す余地はありましたが、うちの大切なお客様まで巻き込んで、さらにはソフィーまで……。もう交渉は不成立ですね。死んで出直してきてください」
私は強く拳銃を向けている背の低い男性を睨みつけた。
「舐めた口聞いてると殺すぞ?1発くらい撃っちまえよジェームズ!!おい!!ジェームズ!!」
背の高い男性がジェームズと呼ばれる拳銃を向けている男性へ呼びかけるがジェームズは反応がない。背の高い男性はソフィーを離すと、ジェームズへ駆け寄った。
「し、死んでる!?ルークてめぇ!!何しやがった!!!」
「いえ?私は知りません。彼が勝手に死んだんです」
背の高い男性は後ずさりをしながら私を見つめていた。私はカウンターから出て客席の方へ歩いていく。途中でジェームズの肩をツンと人差し指でつつくと彼はバランスを失ったかのように直立のまま倒れた。死後硬直だろうか。関節は曲がる気配を見せない。
「ば、化け物かよ……」
そう言い残して背の高い男性は走って逃げていった。
「すみません、ソフィー、お騒がせしてしまって」
ソフィーは蹲っている。流石にショックな出来事だっただろう。目の前で人が2人も死んだのだから。
「マスター、貴方、強いのね。これからも私を助けて…………ね」
ソフィーはやはり強い子だ。どんな人生を歩んで来て、どんな気持ちでここに来たのかは分からない。でも普通に生まれ育った12歳ではないと断言出来る。気を失ってしまったとはいえ、2人の死者を見た後の言葉ではない。いずれ、話してもらうことになるのだろうか、彼女の人生について。ただ今は、ソフィーが精神的にやられなかったという事だけで十分である。
「さて、片付けですねこれは、まずはこのお客様を看病するところからですかね。今は完全に死んでいますが……」
死者蘇生。この力はあまり使いたくはない。ただ、私の責任で死んでしまった人に対しては私が責任を取るしかないのは事実。今回は致し方無し、か。
「死んでないわよ、私」
私は驚いた。頭を拳銃で撃ち抜かれて生きている人間を今まで見た事がなかったからだ。
「何者なのですか、貴女」
「面白いものを見せてもらったわ。貴方、死者蘇生が出来るんだってね。素敵じゃない。やっぱり、イケメンは違うわね」
彼女は人間ではない。普通なら死者蘇生だってすぐに信じる訳がない。彼女はきっと不死身の存在。
………そう。
「私、ヴァンパイアなの♡」
To be continued