【艶笑落語】晴耕雨読
「すずめの子 そこのけそこのけ お馬が通る」
みなさまご存知とは思いますが、江戸時代の有名な俳人、小林一茶の代表作でございますな。
この一茶師匠、俳人としては世に名を残すわけですが、家庭的には大変不幸な方でございました。
相続をめぐって、親戚たちとそれこそ骨肉の争いがあったそうでございます。
それがどうにか解決し、一茶が初めての妻を迎えたのが五十二歳、当時としてはとっくに隠居する年齢です。
お嫁さんは〝お菊さん〟と言いまして、この時二十八歳。
今風に言えば〝年の差婚〟でありました。
親戚との壮絶な相続争いの末、父親からの田畑を譲り受けた一茶でございますが、この当時のお百姓さんというものは、土地を所有しているわけではございません。
あえて所有者が誰かと言われれば、幕府、あるいは村そのものということになります。
お百姓さんは、その土地を耕す〝耕作権〟を持っているに過ぎないのでございます。
ですから後継ぎが絶えれば、先祖代々受け継いだ田畑であろうとも、村の管理に委ねなければなりません。
そこで大切なのが〝子作り〟でございます。
若いお嫁さんを迎えた一茶師匠は、俄然張り切ります。
せっせと子作りに励んだわけです。
当時の一茶の日記が残っておりますが、それを見ると驚きます。
「夫婦で月見をした晩に三回」
「墓参りをした晩に三回」
「隣の家で朝飯をご馳走になった後四回」
「妻が里帰りから戻ったので五回」
これ、別に腕立て伏せをした回数ではありませんよ。
その、〝夫婦の営み〟をした回数でございます。
これが毎日のように続くわけです。
奥さんは若いからいいですけど、一茶師匠は五十を越しております。
そこのお父さん、そんながっくり肩を落としちゃって、まぁ……。
こちらの奥様は「羨ましい~っ!」って顔をしてらっしゃいますな。
これ、お嫁さんが〝若い〟ってのが前提ですからね。そこんとこ間違えないようにお願いしますよ。
まぁ、頑張った甲斐あって、お菊さんは四人の子どもを産むわけですが、不幸にもどの子も幼くして亡くなってしまいます。
お菊さんも最後の男の子を産んだ後、三十七歳の若さでこの世を去ってしまいます。
産後の肥立ちが悪かったと言われていますが、あまりに一茶の求めが激しすぎて〝やり殺された〟などという物騒な噂も立ったそうでございます。
ことほどさように後継ぎというのは大切なものでございました。
* *
江戸は本所、回向院の近くに羽州屋という小間物屋がございました。
小間物屋と言いますのは、雑貨屋さんという意味ですが、主に女性を相手にした細々としたものを扱うお店でございます。
簪、櫛といった装飾品、紅、白粉などの化粧品、果ては惚れ薬に媚薬、そして張形――女性用のいわゆる大人のおもちゃですな――なんかも扱っておりました。
お得意様の家を回っての御用聞きはもちろん、お店の接客でも、女性客相手ですから、お世辞におべんちゃら、如才ない受け答えができなくては到底務まりません。
羽州屋の主人は屋号のとおり秋田の出身で、東北訛りが残り朴訥な人柄でしたが、とにかくお客様を誉めまくります。
「おらぁ、はぁ、こげな別嬪さんは見たことがねえです。
ちょいとこの紅をおつけなさい。
酒田から仕入れた極上の品でございますよ。
ああ、ああ……これはまんず、目が潰れるようでごぜえます。
弁天様とは、このようなお姿をしてらっしゃるのでしょうなぁ」
こんな感じで訛りを隠そうともせず、真面目な顔で誉めたてるもんですから、女性客も悪い気はいたしません。
「あらそぅお? まぁ……いやねぇー。もうっ正直なんだから!」
こんな感じでお買い上げいただけまして、それなりに商売は繁盛しておりました。
そうなりますと、後の憂いは後継ぎでございます。
江戸時代の商家というものは、養子相続が大変多かったそうです。
息子が親の才能を受け継ぐとは限りません。
店の番頭、手代の中から商才のある者を見極め、娘婿、あるいは養子として店を受け継がせることが珍しくなかったそうです。
そうは言っても可愛いわが子に店を継がせたいというのは人情でございます。
この羽州屋にも一人息子の竹蔵という男がおりました。
小間物屋の息子として、子どもの頃から店を手伝っておりましたが、この男、大変生真面目な性格でして、お世辞の一つも言えません。
それでも「初心なところが可愛い」と、年増のお姉さま方からは贔屓にされておりました。
竹蔵も二十歳を過ぎた頃に嫁を迎えます。
お富という同じ小間物屋の娘で、歳は十八番茶も出花。大変可愛らしいお嬢さんでございました。
大層仲睦まじいご夫婦でありましたが、残念なことになかなか子宝に恵まれません。
「嫁して三年子無きは去る」という言葉のあった時代でありますから、お姑さんの見る目も険しくなります。
もちろん、若いお嫁さんが一番に悩み、苦しんでおりました。
あれこれと神仏に祈り、お百度を踏み、お堂に籠りましたが効果はございません。
そのうち心労が祟ったのか、二十六歳という若さで亡くなってしまいました。
竹蔵の嘆き悲しむこと、尋常ではございません。
すっかり元気をなくし、商売にも身が入らず、塞ぎ込んでしまいました。
心配した両親は、すぐさま後添えを勧めますが、傷心の息子が素直にうんと言うわけがありません。
どうしたものかと主人夫婦が悩んでおりますと、家作の管理をお願いしているご隠居が、その月の家賃を納めに訪ねてまいりました。
お茶を飲みながら四方山話をしていても、話は自然に息子の後添えの話になってしまいます。
主人夫婦がどうしたものか、どこかによい娘さんはいないものかと悩んでいることを、愚痴混じりに話しておりますと、ご隠居がぽんと膝を叩きます。
「実は長屋に長いこと住んでいたご浪人が先日亡くなりましての。
このお宅はお宮という娘さんが一人で生計を支えながら、病気の父親の面倒を見ておりました。
別嬪さんですし、近所の子どもに読み書きを教えたり、お裁縫をしたりで大層な働き者なのですが、お父上の看病をするうちに婚期を逃してしまわれました」
ずずとお茶をすすると、ご隠居は話を続けます。
「もうじき三十歳の大年増ではございますが、痩せても枯れても武士の娘、教養はありますし、働き者であることは折り紙付きです。
聞けばお宅の坊ちゃんも、ご本が大層お好きだとか。
お会いになれば、きっと気に入るに違いありません」
主人夫婦はもう、藁にもすがる思いでおりましたから、この話に飛びつきました。
竹蔵本人が知らぬ間に、とんとんと話を運び、すっかり婚礼の支度を整えます。
当時は、恋愛結婚なんてものは〝恥〟とされたものでございます
子どもは親の言いつけにしたがって結婚する。
相手の顔を初めて見るのが三々九度、なんてのが当たり前の世の中です。
婚礼の用意が済むと、両親は竹蔵を呼んで有無を言わさず式を挙げるようにと申し渡します。
竹蔵の方も、生真面目な男でありますから、いつまでもこのままではいけないと思い悩んでおりました。
気は進まないが、これも何かの縁だろう、と渋々承諾いたします。
準備万端整いまして、いざ目出度くも婚儀が執り行われます。
紋付袴の正装で控えます竹蔵、その隣りに白無垢に角隠しの眩いばかりの花嫁が寄り添っておりました。
仲人が三々九度のお神酒を注ぎ、型通り盃に口をつけますが、この時初めて竹蔵は花嫁の顔をちらりと見ます。
すると驚くべきことに、花嫁のお宮はやや年増とはいえ驚くような美しさでございます。
しかし、竹蔵がびっくりしたのはそれだけではございません。
お宮の横顔が、死んだ恋女房のお富にそっくりだったのです。
この時、竹蔵は思わず「死んだはずだよお富さん」と言ったとか言わなかったとか……。
婚儀が滞りなく済みますと、若い二人の寝間には布団が二つ、ぴたりと並べて敷かれてあります。
婚礼衣装を脱いで、赤い襦袢に着替えた花嫁が、布団の前で三つ指をついて深々とお辞儀いたします。
「ふつつかものですが、よろしくお願い申し上げます」
ここで生真面目で馬鹿正直な竹蔵は、自らも正座して手をつくと、お宮に語りかけます。
「私が先妻に先立たれたことは聞いておられるでしょう。
亡き妻は、子どもが授からないことを大層悩んでおりました。
父母も口には出さないものの、孫の誕生を心待ちにしていたと思います。
ですから私は早く子宝が授かるよう、できるだけのことをするつもりです。
どうか、お宮さんもそのつもりでいてください」
花嫁はただ頬を染めてうなずくだけでございました。
これだけ聞けば、いい話だなぁ……ということになるのですが、竹蔵の生真面目さが仇となります。
毎夜毎晩、三度、四度は励みます。
一日たりとも休みません。
さすがに月のものの間は控えるのですが、それが終わると遅れを取り戻そうと、朝晩五回はいたします。
お宮さんの方はたまったものではありません。
腰はだるいし痛いしで、膝に力が入らず、歩くだけでぶるぶる震えてしまいます。
たまりかねてお宮はお姑さんにこっそり相談いたしました。
「お情けを頂戴するのはもったいのうございますが、こう毎夜、二度三度と責められましては身体が持ちそうにございません。
お義母さまから、どうかお話しいただけないでしょうか」
これには母親も驚きました。いくら子宝が欲しいとは言っても、その前に嫁が参ってしまっては元も子もありません。
さっそくご主人と相談をして、竹蔵を呼びつけました。
「お父っつぁん、何用でございましょうか」
「竹蔵、そこに座りなさい」
ここで小間物屋の主人は、諄々と言い聞かせます。
「子作りに励むのは結構だ。
だが、お宮さんの身体のことも考えないといけないよ。
お前はまたお富さんのように嫁を死なせたいというのかい」
父の言葉に竹蔵は青ざめます。
「めっそうもございません。
お宮は大事な女房、二度とこの手を離すつもりはございません。
ですが、子宝を授かることも大切でございます。
……私はどうしたらよいのでしょうか?」
ここで母親が助け舟を出します。
「では、こうしたらどうでしょう。
その日一日雨が降らず、晴れか曇りだったら子作りに励む。
一滴でも雨や雪が降ったら、その日の夜は控える。
お宮さんは武家の娘です。雨の夜は書物など教わってはどうでしょう」
主人もぽんと膝を叩きます。
「なるほど、晴れた日は畠を耕し種を蒔き、雨の日は本を読む、これが本当の〝晴耕雨読〟というわけか!」
竹蔵はさっそく妻にこのことを伝えますと、お宮も大層喜びます。
これ以来、晴れた日は今までどおり子作りに励み、雨の日は四書五経から源氏のような物語、古今集といった和歌に至るまで、さまざまな本を読むことになりました。
お宮は子どもたちに読み書きを教えるくらいですから、たいへん頭もよく、本もたくさん読んでおりました。
竹蔵もまた、子どもの頃からの本好きでしたから、わからぬところは素直に妻に教えを乞い、二人は晴れの日も雨の日も、大層仲良く楽しい日々を過ごすようになりました。
* *
穏やかな日々が三月、半年と過ぎ、やがて二人が夫婦になってから一年が経とうとしていました。
季節は梅雨となり、毎日しとしとじめじめと鬱陶しい日々が続きます。
こうなると、約束でございますから夫婦の営みはございません。
毎夜本を読んでは眠りにつくことになりますが、お宮も女盛りの年頃でございます。
晴れた日の夜に二度三度と求められ、何度も何度も気をやるのが嫌なはずはございません。
しかし、真面目一方の竹蔵は、一滴でも雨が降れば、妻の身体に触れようともいたしません。
一日二日ならいざしらず、お情けがいただけない日が五日、七日と続きますと、さすがに不満が溜まり、いらいらが隠せなくなってまいります。
主人夫婦もそんな嫁の姿を見ると、気の毒には思うのですが、自分たちから言い出したことを息子が守っているのに、どうこう言うことはできません。
ですがあまりに辛そうな嫁の姿を見て、不憫に思った奥方は、お宮さんを気晴らしに芝居見物に誘いました。
当時、歌舞伎は民衆に大変な人気でございました。
初めて見る華麗な舞台、役者の男振り、女形の妖艶さ――お宮さんはすっかり歌舞伎のとりこになってしまいました。
それからというもの、雨が続いて気が滅入る時は、小女を連れて芝居見物に出かけることが多くなりました。
奥方は少し度が過ぎるのではないかと眉を顰めましたが、これも最初は自分が誘ったことですから、強くも言えません。
奥方が過度な芝居見物に難色を示したのにはわけがございます。
この頃の役者というものは、金で身体が買えたのです。
女形を演じる十代の美少年が、金持ちのパトロン男性客に春を売る〝陰間〟は大流行でした。近頃流行の〝腐女子〟の皆さまにとってはパラダイスのような世界ですな。
そして、陰間は二十歳を過ぎると、今度は女性客に金で抱かれるようになります。
そもそもが欲求不満の解消が目的の芝居見物でしたから、嫁が役者とそうしたふしだらな関係を楽しんでいるのではないかと疑ったのです。
しかし、どんな問題も時が解決するというのが世の理でございます。
梅雨の終わりの数日、長雨が続いておりましたが、その日はとりわけ激しい雨が降りしきりました。
そしてあくる朝、雨戸を開けると嘘のような一面の青空――長かった梅雨がついに開けたのでございます。
竹蔵もお宮も、もう朝からうきうきわくわくしております。
早く陽が落ちないかと何度も空を見上げるものですから、首が痛くなる始末です。
夕食の味もわからぬまま、そそくさと食器を片付け、早々に寝所に籠りますと、これまでの鬱憤を晴らすかのように激しく抱き合います。
二人は一晩に七度という新記録を打ち立て、勢い余って翌朝にも二度いたしましたから、お互いに余程溜まっていたものと思います。
翌日はもう、二人とも腰がふらふらでございます。
若奥様は歩くと自然に膝が開いて〝蟹股〟になってしまい、下女にくすくす笑われる始末でした。
* *
それから三月が過ぎ、暑い夏も終わりに近づき、風に涼しいものを感じる季節になりました。
ある夜、主人夫婦の居室に竹蔵が訪れました。
二人の前に正座してかしこまる息子に、主人が訊ねます。
「竹蔵よ、改まってどうした」
竹蔵は畳に手を突いたまま、両親の顔を見上げました。
「お宮に〝ややこ〟ができましてございます」
小間物屋の主人は驚きながらも、たちまち相好を崩します。
「なんと、それは真か? でかしたぞ!」
当然、奥方の方も喜ぶかと思いきや、なぜだかひどく渋い顔をしています。
竹蔵も不審に思います。
「母上、いかがいたしました?」
奥方は答えます。
「竹蔵、喜ぶ前に一つ確かめたいことがございます。
お宮をここにお呼びなさい」
竹蔵は要領を得ぬまま、母の言いつけに従ってお宮を連れてまいります。
二人は並んで座り、畳に手を突きます。
「母上、お宮を連れてまいりました。
確かめたいこととは、いかなることでしょうか」
奥方は小さな咳ばらいをしてから、お宮を睨みつけます。
「お宮、ややこができたのは間違いないのですね」
お宮は頭を上げぬまま答えます。
「はい、もう月のものが三月も止まっております。
それにこの頃は、ご飯を炊く時の匂いでもどしたりするようになりました。
間違いはないものと存じます」
「それは重畳。
……ですが、そのややこ、本当に竹蔵の子なのですか?」
お宮は驚き、思わず顔を上げます。
「お義母さま、何をおっしゃいます!
旦那さま以外に誰の子だと言われるのですか?」
「まぁ、落ち着きなさい。
竹蔵の先妻、お富さんと竹蔵は仲睦まじい夫婦でした。
それが八年経っても子どもができません。
私はてっきりお富さんの〝畠〟が悪いのだと思っていました。
そのせいで、お富さんにはずいぶん辛い思いをさせたと思います」
「ですが、あなたという妻を得て一年、やはり子宝を授からないことで、私はふと思ったのです。
竹蔵はあなたとお富さんという二人の女の畠をせっせと耕し、九年にわたって自分の種を蒔きました。
それでも子が授からないのは〝畠〟が悪いのではなく、〝種〟の方が悪いのではないかと――」
「――そんな!
ですから、今、こうしてややこが授かったではありませんか!」
お宮の目に涙が浮かびます。
「だからです。
今から三月前と言えば、あなたが三日にあけずに出かけては、芝居見物にうつつを抜かしていた頃ではないですか。
どこぞの役者に〝種〟をもらったのではありませんか?
まともな種をもらったからこそ、今までできなかった子ができた――そう考えるのが自然というものでしょう」
「そのようなこと、私断じていたしません!」
お宮の目からはぼろぼろと大粒の涙が零れ落ち、必死の形相には鬼気迫るものがあります。
一方、隣りに座っていた竹蔵は、始めこそ呆然として母と嫁との会話を聞いていました。
しかし、やがてその顔に微笑みが浮かびます。
「母上、ご心配をおかけしたようで申し訳ありません。
ですがご安心ください。
お腹の子は、確かに私の種でございます」
母親の眉がぴくりと上がります。
「ほう、そこまでおっしゃるならば、何か証拠でもございますのか?」
竹蔵は顔を上げ、まっすぐに母の目を見ながら繰り返しました。
「お腹の子は、間違いなく私の子です。
梅雨の最後の大雨の翌晩に、お宮と幾度となく交わりました時に授かった子に違いありません」
「して、その心は?」
「はい、〝雨後の竹の子〟と申します」