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駅員さんの恋  作者: 高藤みずき
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【2】「キスしてもいい?」 3



 どこか遠くで電話が、電話が鳴ってる。あれはわたしの携帯だ。わかってるけど目が開かない。


 もう朝なの?


 必死で布団から這い出して、手探りでバッグを探す。床は惨状、と言ってもいいだろう。昨日の服が脱ぎっぱなし、靴も玄関で転がっている。バッグは、バッグはどこだ? ようやく部屋の隅っこにあったのを見つけて、もどかしい思いで携帯を取り出す。


 依然として携帯は鳴り続けていた。多分三回はかけ直しているだろう。随分と気が長い。いや、短いのか? そのまま出ようとして、ハッと気づく。……唯史ちゃんだったらどうしよう。そこで一気に頭が覚醒した。恐る恐る画面を見ると、そこにあったのは全く想定外な名前で、ホッと息をついて出る。


「はい」


「おい、どんだけ待たせんだよ」


「勝手にかけてきたくせに文句言わないでくれる? 携帯遠かったの」


「今どこにいるんだ?」


 無視か。でもこの程度はいつものことなので気にしない。やけに性急なその声は大学の時の友達で、江ノ上克彦えのがみかつひこという。


「んー? ……じぶんちだけど」


「寝てたのかよ」


 責めるようなその声にムッとする。休みの日に存分に寝ていたからといって咎められる筋合いはない。


「悪い?」


「悪くはないけど、もう午後だぞ?」


 言われて時計を見ると、確かにもう二時だった。昨夜が遅かったとはいえさすがに寝すぎか。でも慣れない新しい職場で疲れてたとかお酒が入ってたとか色々言い訳したい。身体が睡眠を欲していたのだ。


「昨日遅かったのか?」


「ん。飲み会だったからね」


「そういやお前引っ越したんだって?」


「うん」


「仕事も変わったって」


「まあね」


「先輩とも……」


 相変わらず嫌になるほどの情報通だな。先輩っていうのは、わたしの元彼だ。そもそもあいつに会ったのは江ノ上が飲み会を企画して無理矢理参加させられたからだったっけ? とにかくその話題はちょっと今はパスしたい。


「それで何の用?」


 わたしの不機嫌を察して江ノ上が一瞬口を噤む。こいつが世間話なんかするために電話してきたはずがない。口癖は「忙しい」で、いつだって一所に落ち着いてたことなんてないんだから。見た目ものぐさな感じなのに行動力はマグロ並みだ。 


「あのさあ、お前来週の金曜の夜ヒマ?」


 これまでの経験上、この切り出しは要注意だ。


「……今のところ予定は入ってないけど、なに」


 自然警戒口調になるのは、何度もこいつには色んなことにかりだされているからだった。いいように使われてる、というか。いいこともないわけじゃなかったけど、たいていは面倒ごとだった。


「飲み会があるんだけど」


「どんな」


「まー、ぶっちゃけ合コンっていうか……」


「興味ない。他あたって」


 これ以上の出会いも厄介ごとも今はゴメンだ。話の打ち切りを察した江ノ上が、お前じゃなくてさ、と前のめりに突っ込んだ。


「誰かいねえ? お前の周りに彼氏募集してる子」


 瞬間脳裏に津田ちゃんの顔が浮かぶ。


「うーん……いない、こともない、かな」


「マジで? 連れてきてくんない? ぜひとも一人彼女作ってやりたい奴がいるんだよ」


「どんな知り合い? 変な奴だと困るんだけど」


「変じゃない。見た目は普通で中身は真面目すぎるくらい真面目でオレとは正反対」


「あっそ。じゃあ安心……?」


 真面目すぎるくらい真面目、というのはいささかひっかからなくもない。真面目さは長所にも短所にもなる。それでも江ノ上が紹介するからにはそんなに悪い人ではないのだろうと思うのだけれども。類友、とかじゃないといいんだけどね。


「どういう意味だよ」


 自分で言ったくせに、不機嫌そうになる。しかも自覚ないのか。


「そういう意味でしょ」


 江ノ上は女に手が早くて捨てるのも早い。見た目はそんなに良いわけでもないのに、愛嬌があるというんだろうか。いつの間にか距離を詰めてるタイプだ。面倒見がよくて、社交的で、気が利いて。友達にするならいいんだけどね。恋愛面はどうにもタチが悪い。


「江ノ上は絶対その子に手は出さないでね」


「なに、そんなに可愛いの?」


 これだよ。そろそろ懲りてもいいと思うんだけどな。刺されて死んでも不思議じゃない。


「愛嬌があって純真な感じ」


「あ、なら対象外だから大丈夫。でも金田には丁度いいな。弄ばれると困る」


 お相手は金田くんというらしい。しかしこの不遜な物言い。いっそにこにこデンタルクリニックの女性陣を連れて行って一度こいつをコテンパンにして欲しいと願う。我ながら名案だ。津田ちゃんじゃなくて里美さんを連れて行くというのはどうだろう。


 あれ?


「え、なに、江ノ上いま彼女いないの?」


「いない」


「珍しい」


 どんなに忙しいときでも切れたことなかったくせに。


「仕事忙しいんだよ」


「そんなに? 何やってたっけ」


「雑誌の下請け」


 ああ、そういえばそんなこと言ってた。休みもなければ寝る暇もないとか。どこも同じだねー、とか言ってたときがもはや懐かしい。でもいいな。雑誌か。江ノ上が勤めてるところはわたしが望む媒体じゃないけど、出版社に入るのが夢だったわたしとしてはやっぱり少し羨ましい。ブラックだってわかってても。


「ご愁傷様。あっ、そうだ。ちょっと待って。相手の歳は?」


「歳? なんで?」


「連れてこうと思ってる子、許容範囲が二つ上までなんだって」


「なんだそりゃ。今大学三年だけど」


 二十一か? なら大丈夫。


「よし。あ、相手の都合もあるから聞いてからじゃないと行けるかどうかわかんないからね」


「そりゃそうだ。じゃあ聞いてみて。連絡待ってるから」


「月曜でいい?」


「いいよ」


「駄目だったらごめん」


「別にかまわない。最初っからダメもとだから」


 今日連絡しようにも、まだ津田ちゃんのはおろか誰の連絡先も聞いていなかったことに気づいた。まあ、あんなに忙しいとそんなヒマはなかった。


 じゃあね、と電話を切ってふと着信履歴を見ると唯史ちゃんの着信回数の多さにびっくりする。メールもだ。


〝帰ったら何時でもいいから連絡して。〟


 最後の着信は四時。多分すごく心配かけちゃったんだろうなあ。


 どうしよう。かけ直して、なんて言ったらいい? しばらく考えてみたものの、何も思い浮かばない。


 それに——嬉しいより今は困惑が強い。


「駄目だ」


 えーと、とりあえず。


「シャワー浴びよう」


 ついでに洗濯もしちゃおうと散らかっている服を取り上げて洗濯機に突っ込む。シーツも洗いたかったしけどこの時間では無理だ。仕方ない。布団を干すだけで我慢しよう。今は昨日から引きずっている何かを熱いシャワーで洗い流してしまいたかった。


 わたしが唯史ちゃんのことを好きだったのって、いつからだったろう。気づいたら好きだった。随分ませた子どもだったんだなって、今なら思う。母姉妹は仲がよくて、しょっちゅう子どもを連れてお互いの家を行き来していた。唯史ちゃんはいつもわたしに優しくて、大好きになるの当たり前だと思う。わたしが唯史ちゃんにすごく懐いてるのをいいことに、母たちはわたしを唯史ちゃんに預けて出かけることもしばしばだった。


 当たり前だけど同級生の男の子なんかまるっきり子どもで、唯史ちゃんしか見えてなかった。綺麗で、優しくて、頭がよくて。そんな人がそばにいたら他に目が行くはずがない。でもそんな唯史ちゃんは当然だけどいつもすごくモテた。初めて彼女ができたのは確か唯史ちゃんが高校一年生のときで、わたしは八歳。……デートに行こうとする唯史ちゃんにしがみついて、いっちゃイヤだって泣いたんだ、確か。痛い。痛すぎる。そのせいかどうかわからないけど、その子とはすぐに別れたって聞いた。


 そして、わたしが高1の時だった。夏休みを利用して帰って来た唯史ちゃんの隣りには綺麗な女の人がいた。誰が見てもお似合いで、本気の恋人だってすぐにわかった。その時自分では精一杯背伸びしたおしゃれをしていたつもりだったけど、その人に比べたら全然子どもで。比較にもならなくて。そして唯史ちゃんはわたしを彼女に、妹だと紹介した……。


 告白することもなく終わったわたしの恋。なのに、こんなの反則。


 五年前なら即座に頷いていた。それは間違いない。 


 でも、今は……?


 わたしは唯史ちゃんのこと、どう思ってる?


     *+*


 シャワーも浴びて着替えたし、布団も洗濯物も干したし、ソファに座って目の前のローテーブルには淹れたての紅茶。それから、携帯。


 よし。落ち着く為に深呼吸をするとなんだか余計にドキドキする。呼び出しの音が聞こえてきただけで逃げ出してしまいそうだ。覚悟を決めて唯史ちゃんの番号を呼び出す。


「咲紀?」


 わたしの心の逃げを察したかのように、ワンコールですぐ唯史ちゃんの声が聞こえる。焦りを含んだ心配そうな声に、すっかり寝入っていた身としては途端に申し訳なくなった。


「うん。ごめん。電話気づかなくて寝ちゃって」


「ちゃんと帰れた?」


「ん」


 ホッとした気配がする。


「ならいいよ。……昨日はごめん。あんな風にいきなり言うつもりはなかったんだけど」


 駅員さんのことがなかったら言わなかった、ということだろう。おかげでわたしの頭の中はパンク状態だ。


「……あのね、正直、すごくびっくりした」


「だろうね」


「だって唯史ちゃんずっとわたしのこと妹だって言ってたから」


 小さく息を飲んで、躊躇うような間のあと、唯史ちゃんがぽつりと呟く。


「そう言うことで自分を抑えてた」


「ね、それ……いつから?」


「もう覚えてない」


 時間が戻せるならあの時泣いたわたしに言ってやりたい。頑張って諦めないで手を伸ばせって。両想いなんだよって。


「公私混同はしないから。辞めないで欲しい」


「ん」


 ありがとう、と言う声にそっと目を閉じる。こんな時まで優しい。


「じゃあ、寝る」


「ええっ!? もしかしてずっと起きてたの?」


「眠れるわけないだろ。いっそ咲紀の家まで行こうかと思った」


 ストレートな物言いに、鼓動が跳ねる。


「でもそれは咲紀が嫌がるかと思って」


「……意外。唯史ちゃんってそういうことしない人だと思ってた」


 来る者は拒まず去る者は追わずだと聞いたことがある。去るのは去るだけの理由があるから追わないって。


「自分でも驚いてるよ」


「じゃあもう眠って。また月曜日にね」


「うん。待ってる」


 どきん、とした。


 待ってる、って二重の意味に聞こえた。


 職場で会うのと、昨日の答えと。


「おやすみ」


 まだ昼だけど、これから眠るならこの言葉が正しいだろう。唯史ちゃんからも苦笑交じりに答えが返る。


「……おやすみ」


 電話を切った後も、余韻が冷めずにぼんやりした。


 人生には三度モテ期があるというけど、これがそう? 慣れてないんだからこういうの一度に来るの勘弁してください。


 どうしよう、と傍らにあったクッションに顔を埋めながら呻くように呟く。本当にどうしよう。今は答えが見つかる気がしなかった。




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