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駅員さんの恋  作者: 高藤みずき
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【1】「一目惚れって信じる?」 5 



 翌日の業務は何ごともなく過ぎて今日は初めての後半組の日。残念ながら昨日も今日も駅員さんと顔を合わせていなかった。会ったからどう、ということもないんだけれど。会ったら今度は覚えているだろうか、なんて挨拶したら適当だろう、とか考えていたから少し拍子抜けだ。


「川野辺さんっ」


 歯科医院の最寄り駅の改札を出てすぐに後ろから声をかけられて振り返ると、息を弾ませて女の子が駆けてくる。


 この子は、えーと。


「津田、さん」


 短大のバイトの子だ。


「今日は一緒ですねっ。よろしくお願いしますっ」


 寒さで赤くなった頬も可愛い。小動物みたいだ。ハムスターとかひよことか手のひらに乗せてぐりぐりしたい感じ。小さいもんなあ。わたしもそんなに大きいわけじゃないけど、この子は一五〇、多分ない。ただし胸はわたしより全然大きい。E? F? 羨ましい。肩が凝るとか言われても羨ましい。ふかふかな感じだ。許されるならぎゅっと抱きしめたい。


「こちらこそ。まだ本当に何もできないので、よろしくお願いします」


 いずみさんたちの手を煩わせることが少し減ったくらいでまだいっぱいいっぱいだ。今日も迷惑をかけないといいんだけど。津田さんは「大丈夫ですよう」とにっこり笑ってくれた。天使だ。


「川野辺さん、ってどこに住んでるんですか?」


 駅名を告げると、一駅違いですーっと喜ぶ。


「一人暮らしですか?」


「うん」


「いいなあっ。憧れちゃう。わたしも家出たいんですよー。でも親が許してくれなくて」


 短大生でこんなに屈託なくてあどけない娘さんだと、親御さんはさぞかし心配だろうと思う。わたしが親でも一人暮らしに反対してしまうかもしれない。よからぬ男にあっさりと騙されてしまいそうだ。


「出なくてすむなら家の方がいいと思うけど」


 楽だし、お金も貯まるし。実家がこの近くにあればわたしも以前勤めていた時もっと楽だったろう。黙っていても出て来る栄養のある美味しいご飯。洗ってある洗濯物。綺麗な部屋。その代わり早く辞めなさい、ってしつこく言われただろうけど。そうね。自立大切。


「もー、だっていちいち煩いんですもん。いいなあ。今度二人で飲みに行きましょーよっ。実は居酒屋大好きなんですーっ。色々話も聞きたーい」


「うん。是非」


 素直に甘えるその様子は可愛くて、いかにも純真だ。多分こういう子に保護欲というか庇護欲をそそられるんだろうなあ。世の男性は。


 ふと思う。彼女なら、あいつになんて言っただろう。


「川野辺さん」


「……名前でいいよ?」


「咲紀さん? じゃあわたしのことは津田ちゃんって呼んで下さい」


 みんなからそうよばれてるんでー、と付け加える。


「優美ちゃん、じゃないんだ?」


「友達に“ゆみこ”がわたし含めて三人いるんですよー。ゆみ、って呼ぶと三人とも振り返るんで、なのでみんな名字呼びです」


「なるほど?」


「咲紀さん、彼氏います?」


 う、いきなりか。心の動揺を押し隠して、曖昧に笑う。そうだよね。みんな恋バナ好きだよね。わたしも好きだ。聞く分には。ああ……こんなに歯科医院が遠いと思う日はなかった。


「残念ながら」


「嘘ーっ。咲紀さんなら絶対いると思ったのにー。こんなに可愛いのにー」


「ありがとう。津田ちゃんは?」


「わたし今まで誰とも付き合ったことないんです! だから、絶対今度のクリスマスまでには彼氏、作ろうと思って」


 今度のクリスマスってあとひと月もないけど。もの凄い真剣な決意っぷりを前にしては、そんな突っ込みもできない。この情熱があれば意外と何とかしちゃうかもしれない。いや、でもそんな誰でもいいってスタンスでいいの?


「夢なんですー。彼氏とクリスマス」


 重要なのは彼氏? それともクリスマス? まあでも何でもきっかけは必要か。バレンタインとか。去年のクリスマスって、わたし何してたかな。彼氏とらぶらぶなクリスマス、ではなかったことだけは確かだ。


「もしいい人がいたら紹介してくださいねっ」


「う、うん」


 勢いに押されて、つられて頷いた。知り合いのフリーの奴で誰か紹介できるようないい人なんていただろうか。ダメだ。みんなフリーにはフリーの理由がある……! 難ありだ。


「津田ちゃん、可愛いからその気になればすぐに見つかると思う」


「いやん。咲紀さん優しーっ」


 抱きついてきた津田ちゃんを、ヨシヨシ、と撫でる。小さくて素直で可愛い。どれもわたしにはないものだ。意地っ張りで、可愛くない。いいな。こんな風になりたい。


「咲紀さん? どうかしました?」


「え? 何が?」


「なんか辛そうな顔したから。具合悪いんですか? 大丈夫?」


 うーん。未熟者だな。——なりたいなら諦めずになったらいいじゃない。職場も住むところも変わったんだから、新しい自分になったらいい。終った恋だって報われるはずだ。


「平気平気。……クリスマスまでに見つかるといいね。素敵な彼氏」


 はいっと津田ちゃんはにっこり笑った。


 なんとかその日怒濤の後半業務を終えたあと〝咲紀の歓迎会今度の金曜日に決まったから〟という唯史ちゃんの温かな言葉に見送られて、職場を後にする。時間は既に十一時を過ぎていた。つ、疲れた。後半組の方が入り時間が遅いのは楽なんだけど始まってみれば思いのほかハードで、特に会社帰りの人とか学校帰りの人が立て込む時間帯が地獄のような忙しさだった。新患の人が長引いたせいもある。わたしが掃除をしている間に里美さんが受付の〆て終了になった。


「さむ」


 津田ちゃんは門限があるといって先に帰った。里美さんは家がこの駅にあるので逆方向。必然的に一人だ。


 津田ちゃんはおっとりのんびりした見かけに反してすごく有能だった。やっぱり人は見かけによらない。テスト期間に入る津田ちゃんのピンチヒッターで申し訳ないけど明日も後半組で、と言われたときにはちょっと頬が引きつってしまった気がする。彼女の代打は絶対無理だ。早く出てきてくれるといいなとこっそり願った。しかも明日は一時間早く来て、と言われている。


 今日はコンビニ弁当決定だな。駅を降りて改札に近づいたとき、窓口の駅員さんが顔を上げた。


 駅員さんだ!


 向こうもわたしをみてふわりと笑う。


「お帰りなさい」


「た、ただいま、です」


 うわー、恥ずかしいけど嬉しい。疲れが飛ぶわー、と笑みが零れる。


「気をつけて帰って下さい」


「ありがとうございます」


 うーん。これは。……この間の晩お店で会ったのわたしだって気づいてる? 気づいてない? わかんないな。……そういやあいつがまだ付き合う前に不必要に女の子と話すと面倒なことになるからなるべく接点は持たないようにしている、とか言ってたけどそれかな。あいつにそれを聞いたときはなんて自意識過剰で高飛車な! と思ったけどこの駅員さんならそれも仕方ないかもしれない。この王子様っぽいひとに優しくされたらわたしだけ特別? なんて勘違いする人が続出するだろう。全員がストーカーになったら大変だ。


 モテる人にはモテる人の苦労があるんだろう。ちょっと寂しいけど。小さく会釈をして、カードをかざして改札口を抜けようとしたとき、どうしてだか高らかに音が鳴って改札が閉じた。


 えええーっ!? おろおろと視線を彷徨わせたわたしのところに、駅員さんが素早く出てきて慣れた操作でわたしを一度下げさせる。


「定期、いいですか?」


「あ、はい」


 わたしの差し出した定期を受け取って駅員さんがかざすと、今度はちゃんと開いた。見上げた位置に駅員さんの顔があって、どきりとする。ホント、カッコいいな。


「どうぞ」


 返された定期を慌てて受け取る。返される時指が触れ合う、なんてベタな展開は当然ない。どこまでもビジネスライクだ。


「す、すみません」


 うわー、恥ずかしい。


「こちらこそすみません。これ時々誤作動起こすんですよ」


 促されるまま今度こそちゃんと改札を抜ける。いかにも優しい駅員さんという風情で見送られ、わたしもそれに応えてなんでもない風を装って去ってゆく。ああドキドキした。こんなどきどきいつぶりだろう? あいつの時だってこんなにどきどきしなかったんじゃないかと思う。なんとなく一緒に居て、なんとなく付き合い始めて。だんだん些細なケンカが増えて、最終的にはケンカにさえならなくなった。つまらない意地の張り合い。若かった、といわれればそれまでだけど。


 津田ちゃんの顔が不意に思い浮かぶ。クリスマスまでに彼氏、なんて無理は言わないから、一緒に過ごしたいと思える人がそのうち見つかるといいな、と唐突に思った。これはわたしにしては随分な心境の変化だ。恋をするにはもの凄いエネルギーがいる。


 もっとも、しようと思ってできるほど単純なものではないこともよくわかってはいるのだけれど。



      *+*


 金曜日、わたしは早番の前半組。業務を今日は八時までにして、飲み会にするのだそうだ。だから受付は七時まで。決まった日から予告の張り紙はしてあったみたいだけど、いいんですか、そんなに自由で……。


 今夜来るつもりだったかもしれない患者さんたちに、心の中でこっそりと謝る。とりあえず一度自宅に戻って、シャワーを浴びて着替えた。最近纏め髪ばかりなので、たまには下ろしてみよう。こんな時くらいしか、そんな機会なさそうだし。この間買った重ね着用のワンピを取り出す。ラフすぎないし、かといってフォーマルすぎない。メイクは薄めにして、早めに出た。片付けを手伝うくらいは出来る。ワンピが隠れるコートを羽織り、ロングブーツを選びかけ、座敷の可能性を考えてパンプスにした。テスト中のはずの津田ちゃんも来てくれるというのが申し訳ないけど嬉しい。


 寒風吹きすさぶ中早足で駅に着くと、駅員さんがいないか自然と探してしまう習慣がついてしまった自分に気がつく。中学生じゃあるまいし。カワイイ自分を自嘲的に笑って、ホームに下りる。


 三分待ちか。



「あれえ? おねーさんどこいくのー?」



 振り返ると、全然知らない顔の酔っ払いサラリーマン二人組。ほろ酔いはとうに通り過ぎて、泥酔状態だ。ああやだやだ。酒は飲んでも飲まれるなっての! 酒の上の無礼講なんて絶対認めてやらないんだからね。


「おっ、カワイイねえ。これから一緒に飲みに行かない? いい店知ってるんだよお」


 いきなり乱暴に肩に手が回される。


「ちょ、やめてくださいっ」


「うわー、声もかーわいー。よし、決めた。行こ行こっ。ねっ」


 ねっ、じゃない! 少しは人の話も聞け!


「離してっ!」


 間が悪いことに、そこへ電車が滑り込んでくる。冗談じゃない。こんなのと一緒に乗ったらアウトだ。必死に足を踏ん張るけど、もう一人に腰を抱かれて体が浮いた。


「やっ、」


 気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪いっ!


〝誰か!〟と叫ぼうとしたとき、電車に連れ込まれようとした身体がそのまま後ろに引かれた。


 一瞬のできごと。


 目の前で、ぽかんとした顔のサラリーマン二人を乗せた電車のドアが閉まる。


 え、と、わたし抱きしめられてる?


 誰に?


 おそるおそる後ろを振り仰ぐと……。


「え、駅員さん!」


「大丈夫ですか」


 この人、さっきまで改札にもホームにもいなかったよね? 汗をかいていて息が荒い。どこから走って来てくれたんだろう。混乱しているわたしを余所にそっと地面に降ろされる。まるで大事なものみたいに。


「あ、りがとう、ございます」


 駅員さんはわたしを見下ろして、念のため、と言って問いかけてくる。


「ご迷惑じゃ、なかったですよね?」


 迷惑って、助けてもらったことが?

 

 バカな!


「勿論っ。迷惑なんかじゃなかったです。助かりました。……ありがとうございます」


 あの状態じゃ逃げられたかどうかわからない。乗ってしまった後のことを想像してぞっとした。


「でも、どうして」


「駅員室には、ホームを監視するモニターがあるんですよ」と、ホームの上を指差してそれを追うと確かにそれらしきものがある。


「あ、なるほど」


「間に合ってよかった」


 心臓が! どきどきする。これは反則でしょうっ。こんな、正義の味方みたいな。


 赤くなるなわたし! びっくりとどきどきで気持ちが、暴走する。


「駅員さんって、こういう業務もあるんですね。本当にありがとうございます」


 ブレーキ、ブレーキかけないと。勘違いする。してしまう。


「……」


 不意に、駅員さんの長身がわたしの耳元に屈んだ。同時に次の電車がホームに入ってくる。その音に、かき消されてしまいそうなほどの小さな声。駅員さんにそっと肩を押され、わたしはそのまま電車に乗り込んだ。ドアが閉まる。振り返ると駅員さんは笑顔でわたしを見ていた。


 ええと、これは夢ですか? 


 ぼんやりと、窓に映る自分の顔を凝視する。自分の駅はもう見えない。……駅員さんも。


 夢でなければ駅員さんは確かにこう言った。



『一目惚れって、信じる?』



 反芻したわたしの体温はもの凄い勢いで急上昇した。 




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