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駅員さんの恋  作者: 高藤みずき
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【15】「誓います」 2



 礼服の唯史ちゃんは、やっぱり欲目を引いてもカッコよかった。とても。お互い言葉を失ったまま見つめあい、どちらともなくふっと笑いあう。


「唯史ちゃん。今日は来てくれてありがとう」


「当たり前だろ。勿論来るよ。……綺麗だね」


「ほんと? ありがとう」


 そのまま、入り口に立ったきり動かない唯史ちゃんに首を傾げる。


「どうしたの? もっと中に入ればいいのに」


「ここでいいよ」


「え?」


「じゃないと、連れ去りたくなっちゃうから」


 などと、物騒なことをいって、にこやかに微笑む。


「……え」


 誰を? と思ったわたしの表情を読んで、唯史ちゃんはわたしをゆっくり指差した。


「咲紀を」


 言われた言葉が脳に到達して、固まる。ごくん、と息をのんだ。指差すなんて失礼、なんて言葉も思い浮かばなかった。


「じょ、冗談、だよ、ね?」


 冗談にするにはぎりぎりの間。強張ったわたしの表情を見て、唯史ちゃんが頬を緩めて肩をすくめる。


「うん。そうだね。冗談」


 冗談でも、唯史ちゃんの冗談はあまりシャレになってない。普段あんまり冗談言う人じゃないから。どう相槌をうっていいのか、一瞬悩んだ。


「あんなに小さかったのになあ。あの咲紀が結婚か」


 目を細めた唯史ちゃんの目に映っているのは、本当に小さかったときのままのわたしなのかもしれない。唯史ちゃんしか見えてなかった、あの頃の。しばらくの間があって、にやっと笑った。


「これでやっと、吹っ切れそうな気がするな」


「え?」


「咲紀がいつまでも一人でいると、諦めきれないからね」


「ええっ」


 これ、冗談だよね? どこまで冗談? 勝手に胸がどきどきする。でもこれは揺れてるんじゃなくて、多分心のどこかにいる、唯史ちゃんを好きだった頃のわたしが反応しているのかもしれなかった。それだけ、唯史ちゃんはわたしにとって特別だったから。唯史ちゃんを好きだった時間があまりにも長かったから。だからこれはその時の名残。罪な人だな。唯史ちゃん、本当はもうそんな気ないくせに。


 唯史ちゃんは自覚がないかもしれないけど、別の人を追っているのは実は知ってる。それがちょっぴり困難な恋だということも。


「どきどきした?」


「まあ……ちょっとね」


「このぐらいの嫌がらせは大目に見てもらわないとね」


「嫌がらせ、って、」


「正直もう、凹んでるときに僕のところに来るのは禁止」


 ぐ、と言葉に詰まる。そんなに頼っていないつもりだったけど、やっぱり頼っていたのか。だって唯史ちゃんときたら、いつもタイミングよく連絡をくれるのだ。まるでわたしが落ち込んでるのわかってるみたいに。駅員さんにずっと会えないときとか、仕事でうまくいってないときとか。何も聞かずに甘えさせてくれていた。電話で励ましてくれた。唯史ちゃんの場所は、頼らないわたしが、駅員さん以外で唯一頼れる場所——だった。


 うん。もういい加減卒業しなきゃね。未来の唯史ちゃんの大切な人のためにも。


「ごめん」


「次、もし来るようなことがあったら遠慮しないからね」


「えっ?」


「二度と、栗生さんのところには帰してあげないよ」


 それはきっと唯史ちゃんなりの優しい背中の押し方。だから逃げ場なんか必要ないくらいに駅員さんと幸せになれって言ってくれてるんだよね。わたしはそのまま唯史ちゃんの腕の中に飛び込んだ。戸惑いながらも柔らかく、受け止めてくれる。


「大胆だな。花嫁のくせに」


「ありがとう唯史ちゃん。大好きだよ」


「うん。……オレも。多分ずっと好きだよ。咲紀のこと」


 わたしに対してオレ、って言ったのは初めてだ。背中に回された唯史ちゃんの腕に力が籠もる。そして、息が止まるほど強く抱きしめられた。


 一瞬だけ。すぐにそれは緩められる。


 唯史ちゃんの腕の中で何かが吹っ切れたその顔を見上げて、わたしはにっこりと微笑んだ。とびっきりの、とっておきで。


「わたし、絶対幸せになるね」


「うん」


「だから、唯史ちゃんも幸せにならないとダメだから」


「ダメなんだ」


 くすっと笑った唯史ちゃんに、真顔で頷く。


「ダメに決まってるよ。わたしに、逃げ場所があると思わせちゃダメだよ」


「咲紀」


「今まで甘えさせてくれてありがとう。今日、わたしもちゃんと唯史ちゃんから卒業する」


「卒業、ね」


 お互いにお互いが特別だった。これまでずっと。でもわたしは、駅員さんを選んだから。


「わかった。じゃあオレも前に進もうかな」


「応援してる」


 ふわっと目元に唯史ちゃんの唇が触れて、あっという間に離れてゆく。ドアに向かいながら、ちらりとわたしを振り返り、片目を瞑って何を言うかと思えば。


「転ばないようにね」


 そこにいたのは、よく知っている、優しい従兄だった。


「ちょ、やだっ。呪いかけないでよーッ!!」


 本気で慌てるわたしに唯史ちゃんが声を上げて笑う。


「咲紀さーんっ。連れてきましたーッ!!」


 ばたーん、とドアが開いて再び津田ちゃんが飛び込んでくる。誰かの腕を抱えたまま。


 入り口を塞いでいた唯史ちゃんに気づいてぶつかりそうになった瞬間、危うく踏みとどまって顔を上げる。


「あ、新堂センセ。お久しぶりですー」


 津田ちゃんのその言葉に、わたしも唯史ちゃんも苦笑する。


「うん。さっきもすれ違ったんだけど、気づいてなかったんだ。やっぱり」


〝えっ、ホントに!?〟とびっくりする津田ちゃんに、唯史ちゃんがあらためて〝久しぶり〟って挨拶する。


「ノックぐらいしないとダメだよ。津田さん」


「はあい」


 ぺろっと舌を出して、ぐいぐい廊下にいる誰かを引っ張り込もうとする。


 唯史ちゃんは、じゃ、と言って部屋を出て行った。


 一つの何かの終わり。浮気じゃない。絶対浮気じゃないけど泣きそうだ。多分ずっとずっと特別な人なのだ。わたしにとって、新堂唯史という人は。それだけは、きっと変わらない。駅員さんとは、違う意味で。


 泣くな。失礼だ。唯史ちゃんもわたしも新しい気持ちで前に進む。ただそれだけだ。笑って、歩き出せ。前を向け。


「咲紀さん? 大丈夫ですか?」


「うん。大丈夫。ところで?」


 津田ちゃんは彼氏を連れに行ったのでは?


 わたしの問いかけに慌てて後ろを振り返り、ドアの外にひっそり立ってたその人を中に引きずり込むことにようやく成功する。


 あれ? 津田ちゃんの彼氏、高校生、って言ってたよね? なぜか濃い色の大きめサングラスをかけてるその男の子は、髪は茶髪でやや長めのさらさらストレート。一瞬、ヤンキー……ッ? って思ったけど違う。纏う空気が違う。でも明らかに一般人ぽくはなかった。背、高っ。スタイルめちゃめちゃいい。ジーンズにジャケット、っていうラフな格好なのに、なぜか目を引く。えっと、ホントに高校生?


「愁くんっ」


 失礼でしょって津田ちゃんに叱られて、彼氏が慌ててサングラスを外す。嘘。目が、碧だ。明るいエメラルド。目の覚めるような超・美少年。といっても樹くんほど甘い感じじゃなくて、うん。カッコいい方が際立つ。


 あれ? でも……。この顔、どっかで。しばらくうーん、と悩んで津田ちゃんを見やる。


「ね、津田ちゃん。気のせいじゃなきゃわたし、見たことある気がするんだけど。津田ちゃんの彼」


 失礼ながら不躾にまじまじと彼を見つめ、しばらくしてはっ、と気づく。


「嘘っ」


 思わず立ち上がり、ありえない早さでドアを開けて廊下に人がいないのを確認して、鍵をかける。気持ちを落ち着かせてから恐る恐る振り返り、ごくりと息を飲み込んだ。


 まさか。


「あのー、ひょっとして、愁夜……、さん、ですか?」


 わたしの問いかけに、彼は一瞬目を見張り、やがてにっこりと営業スマイルを浮かべた。


「よくご存知で」


 うっそーっ!!


 ウエディングドレスを着てなかったらへたり込むところだ。言葉を失ったわたしを見て、大人っぽい顔でにやりと笑う。


「嘘、高校生って……二〇歳、じゃなかったの?」


「それは噂でしょ。普段髪黒くして、茶色のカラコン入れてたら案外気づかれないよ。今日はそのままだけど。一目でわかったのおねーさんが初めて。さすが聞いてた通り只者じゃないね」


 口が開きっぱなしになってるのに気づいて閉じる。まだ現状認識できないまま、再び津田ちゃんを見つめた。


「この人が津田ちゃんの彼氏?」


「はいっ」


「……高校生の?」


 今度ははにかみがちにはい、と小さく答える。


「モデルの、愁夜が!?」


 思わず声をあげたわたしに、津田ちゃんがびっくりしたように目を見開く。


「うわあ。よく知ってますねー。さすが咲紀さん。わたし全然知らなかったのに」


 最近知ったんです、と突っ込みどころ満載の返事に苦笑する。津田ちゃんらしい。


「いちおー、これでも出版社勤めだからね」


 あちこちにアンテナを張るようにしている。何が仕事に関わってくるかわからないから。


 確かに彼は普段普通の露出はないから津田ちゃんみたいに知らなくてもおかしくはないのだ。彼がモデルで掲載されているのは某有名ブランドの企業用、いわばごく一部のお得意様かプレスにしか出回らないようなごくごくレアな代物で、一般に出回ることはない。それでも噂になるくらいのモデルなのだ。彼は。色気と少年っぽさが混在する100人に一人の逸材。


 こんなとこ編集長に見つかったら早速繋ぎをとれとか言うに決まってる。


「ど、こで知り合ったの?」


 是非にも知りたかった。どうしたら一般人が幻のモデルと付き合うことになるのか。ミーハーだな、って自分でも思ったけど興味が抑えきれない。わたしの食いつきに津田ちゃんは全然気にすることなく、えっとー、と唇に指をあててしばし考えこんだ。


「あの日は合コンでー」


「えっ」


 愁夜が合コン!?


「遅くなったときに変な人に絡まれてるのを助けてもらったんです」


 そうだよね、と息を吐き出す。愁夜が合コンに参加するはずがない。しかも当時中学生。何かを思い出してるらしい津田ちゃんは満面の笑顔だ。可愛い。可愛いよ津田ちゃん。わたしでも助ける。


「……子どもだと思ったんだ。中学生とか……高校生?」


 あからさまに高校生は津田ちゃんに気を使った末の付け足しだった。それを察した津田ちゃんがすかさず噛み付く。


「ひどいよ! そんなことないでしょ。合コンだからわたし気合いいれた格好だったもん!」


 ああー。津田ちゃん小さいからね。……胸は大きいけど。こうして二人並んでるとまるっきり津田ちゃんのが年下だ。違和感なく。


「いや、だからその……かわい、かったけど……」


「えっ、えええ、そう……? ありがと」


 津田ちゃんは真っ赤だ。……この二人いつから付き合ってるんだっけ? こっちが照れちゃうくらい初々しい。


「ホント仲いいね」


「え、やだ咲紀さん!」


「でもあるんだねー、そんなドラマみたいな出会いが」


 そんなことも——あるか。元有名ヴァイオリニストの駅員さんだっているくらいなんだし。大人にしかみえない通りすがりの中学生モデルくらいいるだろう。——多分。


 からかうように津田ちゃんの膨らんだ頬を小突く彼の眼差しは、はたからみているわたしにもわかるくらい溢れるほどの愛おしさに満ちていてホッとする。本当に津田ちゃんのこと好きなんだ。この子。


 わたしは気を取り直して愁夜くんに手を差し出した。


「川野辺咲紀です。手袋したままでごめんなさい。これとるとはめるの大変なの」


 ぴったりとしたその長手袋は一人では着脱できない。愁夜くんは気にした様子もなく笑って握手をする。


氷室愁夜ひむろしゅうやです。お噂はかねがね」


「噂?」


「こいつ、いっつも咲紀さん咲紀さんうるさくて」


「いいでしょっ。咲紀さんはわたしの憧れなんだからっ」


 ああもう。ホントに可愛いなあ。津田ちゃん。思わずぎゅっと抱きしめると津田ちゃんも「わーい」と抱き返してくれた。そのままで愁夜くんに向き直る。


「津田ちゃんのこと、よろしくね。泣かしたりしたら怖いお姉さんたちと報復しに行くので覚悟してて下さい」


 勿論それはにこにこの面々だ。若干頬を引き攣らせた彼を前に津田ちゃんがわたしの肘あたりをたしたし軽く叩く。


「大丈夫ですよ咲紀さんっ。わたし泣かされっぱなしになんかされませんから!!」


 津田ちゃんらしいその言葉に、彼の方もうんざりと同意する。


「どっちかっていうと、泣かされそうなのオレだしね」


 やけに真実味を帯びたその口調に、瞬間全員が笑い出した。津田ちゃんは愁夜くんをただの普通の男の子としてみている。多分そこが良かったんだろうなあ。津田ちゃんはいつも自分に公平で揺るぎがない。彼女の真っ直ぐな強さと優しさにわたしもこれまで何度救われただろう。


 わたしは再びそおっと津田ちゃんを抱きしめた。


「ありがと津田ちゃん。ブーケ、津田ちゃんに向かって投げるからね」


「ホントですかっ!!」


 仕方ない。わたしの癒しの津田ちゃんは彼に譲ってあげよう。良かったな、って微笑む愁夜くんに幸せそうに微笑みを返す津田ちゃんをみたらもう何も言えない。


「幸せになってね」


「それはわたしが言うことですよ咲紀さんっ。幸せになってくださいね! それから、時々はわたしとも遊んで下さいねっ」


「もちろん」


「ダメ」


 突然わたしの腕の中から津田ちゃんを羽交い絞めにして愁夜くんが彼女を引き戻す。


「ただでさえあんまり会えないのに、これ以上会えなくする気?」


 うわー。らぶらぶだ。どうしよう。にやにやしちゃう。


「えーっ。だって愁くんは愁くん。咲紀さんは咲紀さんだもんっ。会いたいときに会うよ? それにいつも忙しいのは愁くんの方じゃない」


 そうだけど、と口を尖らせる彼は歳相応だ。


「心配じゃないのか?」


「心配って、なにが?」


 ご愁傷様、と心の中で呟く。恋愛度0のこの津田ちゃんにその手の恋の駆け引きなんか無理だよ。少年。


「ふぅぅーん? 津田ちゃんに心配させるようなことしようってわけ?」


 にやり、と花嫁にあるまじき笑みを浮かべたわたしに、愁夜くんはバツの悪そうな顔をする。


「そんなこと!! ……するはずないだろ」


 そんなこと、のあとは恥ずかしいのか声が小さい。津田ちゃんはわからずきょとんとしたままだ。


「そうだよねえ。しないよねえ。っていうか、できないよねえ。そーんなベタ惚れじゃあねえ」


「なッ!!」


 なんだかホントににやにやにやにやしちゃう。カッコいいはずなんだけど可愛い。苛めたくなっちゃうな。この子。以前見たモデルモードの彼はどこか近寄りがたい硬質なものを感じたけれど、こうしてみればただの男の子だ。津田ちゃんの存在がそうしてるんだろう。きっと。


 ちょっと安心した。


「津田ちゃんやるう」


 一流モデルを骨抜きにするとは。


「え? 何がです?」


「あー。津田ちゃんはわかんないままでいいや」


 その時ドアがノックされた。




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