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駅員さんの恋  作者: 高藤みずき
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【14】「はい」 2

     


「プロポーズを断わったのは賢明な判断だと思うけどね」


 決戦日の翌週、月曜日の夕方。


 いつものように諌山先生の部屋を訪れたわたしは、あの日のことを洗いざらい吐かされて、諌山先生刑事にでもなればよかったのに、と本気で涙目になっていた。なにもプロポーズのことまで話さなくったってよかったんじゃないのわたしっ!! って思ったけど、そうしないと伝言のことは話さないっていうから渋々だ。ごめんなさい駅員さん!


「ですかねえ?」


 わたしの中では相変わらず拮抗中なんですけど。っていうか、むしろ絶賛後悔中なくらいで。でもやっぱり現実的に考えたら今は無理だよね、って。


「早すぎだし。まあ、個人的にも困るかな」


「は?」


 個人的に? 意図を汲みかねて諌山先生を見つめるが、いつものように涼しげなその整った綺麗な顔立ちからは何も読み取れない。


「結婚してもわたし仕事辞めないと思いますよ?」


「……そ」


 鉄壁のポーカーフェイスを前にしてはその意図を読み取るなんて不可能だと早々に諦めて、言いたくてたまらなかったことを切り出す。


「で、あの、先日の伝言っていうのは?」


「君はもう聞いてる。わざわざ僕がいう必要性は感じないな」


 そうきますか。思わず突っ伏しながら地団駄踏んで叫ぶ。


「ずっるーいッ!! ズルいですよ諌山先生!」


「全部話したら教えるなって言ってないし、それに前にも言ったよね? あれは本人以外の人間から聞いても意味がない」


「じゃあなんで聞いたんですか根掘り葉掘りーっ!」


「君は嘘がつけなさそうだから。ちゃんと聞かないとわからないだろう。事の顛末が」


「それは……そうですけど」


 じいいーっと恨めしげに先生を見つめたけれど、そ知らぬ顔で。きっとこれ以上食い下がっても無駄だろうと悟る。でも、そうだ。ちゃんと説明したんだから諌山先生にもちゃんと伝わったはず。


「賭けはわたしの勝ちですよね。先生っ」


 うきうきと言ったわたしに諌山先生は無表情のまま応える。


「まあね」


「おめでとう咲紀ちゃん」


 にこやかに笑いながら未来さんが机に置いてくれたのは、玉露だった。ひと口飲むと人肌で、とろりと甘い。


「おいしいっ。美味しいです。未来さん!」


「ありがとう。わたしからのお祝い」


 にっこりと微笑んで、未来さんは無表情に玉露を口に運ぶ諌山先生に「先生」と声をかける。


「手続き、全部終わりましたよ」


「そう」


 意味ありげに覗き込む未来さんをいつもどおりにスルー。未来さんは不服そうに身体を起こした。


「ええーっ、それだけなの? お礼を言って欲しいとまでは言わないけど、労ってくれても罰は当たらないんじゃなあい? 諌山センセイ?」


 少しだけ恨めしげにクビをかしげてみせる未来さんに、諌山先生は少しだけ眉根を寄せた。


「それが君の仕事だろう」


「まあっ、ほんっと可愛くない義弟ね」


「それはよせ」


 叶さんに言いつけちゃうからーっと舌を出す仕草も可愛く去ってゆく。


 ええと? 聞いてもいいのかな?


「手続きってなんですか?」


 わたしのそれには答えず、先生はマイペースに言葉を紡いだ。


「あのね。一応確認させてほしいんだけれど」


「はい?」


「君は……僕にもう一度書かせたいという気持ちは今も変わらないの?」


「あったりまえですよ!!」


 飲みかけてた湯飲みを置いて、思わずがたんと立ち上がる。


「わたしの熱意足りませんでしたか? 何だったらこれからお時間許す限りどこまでも熱く語りますけど」


 オールナイトでオールオッケー。カルトクイズもどんとこいだ。


「いや、それはいい」


 片手で顔を覆うようにして眼鏡のフレームを上げて、諌山先生にしては珍しく言いよどむ。


「先生?」


 立ったままのわたしに、〝まあ座れば〟とか言われて、促されるまま再び腰を下ろす。


「以前君は僕の作品には〝祈り〟を感じると言ったよね?」


「は? はい」


 諌山先生は、わたしに質問したことなんか忘れたみたいに、しばらく外を眺めて、やがて少しだけ逡巡して、それから決意したみたいに口を開いた。


「正直、驚いた」


「え?」


「創想文藝でもそれを言い当てたのは一人だけだったから」


「担当さん、ですか?」


「まさか」


 何か嫌なことでも思い出したのか渋い顔で肩をすくめて、部署も畑違いな全然違う人だよ、とぽつりと呟いた。


「あの作品は僕にとってある特別な人間のために書いた。二冊目までね」


「二冊目まで……。じゃあ、あの三冊目は?」


「蛇足だよ。二冊目を書いて祈りはもう必要なくなったんだ。書く意味を失った」


 それは、なんの祈りだったんだろう。諌山先生はここではないどこかを見ていた。どこか、遠く。それは深く踏み込むことを許さない眼差し。聞いたらそのまま消えてしまいそうだった。


「あの作品のファンだと言ってくれた君には悪いけど、幻影は本当に個人的な私情から生まれたものだったんだ」


「……それ、悪いことですか? 〝アリス〟だってそうじゃないですか」


 あまりにも有名な「不思議の国のアリス」。あれこそは私的の極みだろう。ルイス・キャロルが一人の少女、アリス・リデルのために想いをこめて書き上げられた作品だ。我々はただその恩恵に与っているにすぎない。


 だからむしろわたしはその諌山先生の私情に感謝したいくらいだった。その、祈りを捧げた相手に。でなければ、わたしは先生の作品に出会えることはなかったんだから。


「三冊目を書いたのは、無理矢理でも完結させないと、次を書けってうるさかったからなんだけど」


「はあ? 無理矢理―ッ!?」


 あの伝説の作品を、無理矢理。だからか。あの衝撃的なラスト。


「ええと、あの、こんな聞き方どうかとは思うんですが、すみません。先生は、納得してあのラスト書いたんですか? 主人公と館長さんがうまくいくラストはまったく考えてなかったんですか?」


 わたしの問いかけに、諌山先生はしばし押し黙った。まずいことを聞いただろうか。批判するわけではない。わたしなりの答えだってあるけど、でもどうしても作者自身にその答えを聞いてみたかった。


「すみません。不躾な質問だとはわかっているんですけど……」


「いいよ。編集にも読者にも散々聞かれたことだからね」


 そうだ。そして諌山先生はそれについて一言も語らなかった。


「彼にとって大切だったのは、変化することではなくむしろ——変わらないことだったんだ」


 子どもだったんだよ、と自嘲的に笑う。


「変わらないこと」


「そう。彼のいる世界はあの図書館だけで完璧なものだった。完結していた。あそこは蒐集のためにある場所で、変化は必要なかった。そこに、彼女という異物は必要なかったんだよ」


「異物……」


「光、といってもいいけどね。同じことだ」


 わたしに気を使ったのか諌山先生が別な言葉を選んでくれる。光——確かに本に直射日光は禁物だ。まあ、異物よりは光の方が綺麗だけど、作者にとって〝彼女〟は異物なんだ。でも、確かにそれも——納得できた。


「それに、みんなが望むラストを書くのって悔しくない?」


「悔しい?」


「むなしい、でもいいけど」


「でも読者をその方向へ導いたのも先生ですよね?」


「でも、最初から僕はあのラストを考えていたよ」


「どうして、ですか?」


 少女も館長さんも互いに思いあっているように見えた。最初はぎこちなかったあの関係が、回を重ねるたびに寄り添っていった。……それでも確かにどこか見えない壁みたいなものを感じたことは確かなのだけれど。


「彼が彼女に望んだのは閉じた世界じゃなくて、開かれた世界だから」


「館長さんは、そこにはいけないから……?」


 返事はなかったけど、それが返事なんだろう。二人の生きていたのは別な世界。役割が違う。館長さんは自分の気持ちを殺してでも彼女を送り出す必要があったんだ。


 未来へ。


「幻影図書館は〝本〟そのものなんだ」


「本、そのもの」


「そう。いつか必ず終わる夢」


「でも、本は一冊じゃないですよね? 図書館ならたくさんあるんですよね? なら! 夢を見続けることに終わりはありません。どうか先生の紡ぐ次の夢の権利を、わたしに預けてくれませんか」


 諌山先生はわたしの言葉に目を瞠って、花が綻ぶように破顔した。


「本当に、君が作家になれば?」


 もはや口癖になりそうなそのセリフに、わたしはむう、と唇を尖らせた。


「わたしから歴史に名を残す大作家の編集者になるって夢を奪わないで下さい」


「この間君は、作家は絆を結んだものには永遠に責任を持つべきだと言ったよね?」


「いいました」


「なら編集者も、絆を結んだ作家に責任を持つべきだと思わない?」


 どういう意味だろう? でも素直に同意できるので、はい、と答える。むしろわたしは先生と絆を結びたくて、新たな作品を書いて欲しくてこうして日参しているんだから。むしろ前向きに責任をとりたいくらいなのだ。

 

「僕がこの大学にいたのは、ここの蔵書が一番僕の好みで、しかも充実してたからなんだ。それに経費で本も買えるし」


 いいの? それで。そんな理由で。……わたしが知らないだけで研究者ってそういうのが普通なんだろうか。諌山先生の言葉にわたしはまるっきり意味をとりあぐねて、はあ、と相槌をうつ。


「でももう蔵書は殆ど読んでしまったし、フランス文学に興味のない人間に講義するのもいい加減厭きたんだ。時間の無駄だし」


 え? それわたしのこと、じゃないよね? 諌山先生と知り合うだけにフランス文学を口実にした手前胸がちくりと痛む。でも諌山先生の授業が思いのほか楽しかったのは本当のことだ。


「だから大学を、辞めることにしたんだ」


「ええっ!?」


 わたしは思わず立ち上がって、諌山先生を見つめた。そういえばこの部屋の荷物、よく見るとあちこち片付けられてる。本で溢れているので、全部片付くにはまだまだ時間がかかりそうだけど。


「辞めて、どうするんですか?」


 降って湧いたような突然の諌山先生の辞職に、ショックを隠せず茫然とする。フランスとか、行っちゃうわけじゃないよね? あの編集長がたかだか交渉のためだけにフランス行きの経費を認めてくれるとはとても思えない。そしてわたしに能無しの烙印を下すに違いない……! 思わず青ざめたわたしに、諌山先生は呆れたようにため息をついた。


「きみ、鈍いって言われない?」


 二人目か!! 駅員さんに引き続き。えええ、わたしひょっとして鈍いの? 自分で気づいていないだけで? そこまで考えて、はた、と気づく。思いついたそれはとても図々しいわたしにとってとてもとても幸せな——。


「あの、じゃあ、ひょっとして」


「僕はこれまで幻影関係のお金には一切手をつけていないし、今までもそんなに浪費はしてこなかったからあんまり生活には困らないだろうけど、やっぱり働かないとね」


 働く、って言葉がこれほど似合わない人もいないと思う。ご飯食べてるとことか、想像つかないし。諌山先生ってひょっとして、本と紅茶で生きてるんじゃないかと本気で思うんだけど。——いやっ、そんなこと考えている場合じゃない。


 これは夢ですか? 本当? 神様、ありがとう!


「……うちで、書いてくれるんですか?」


「僕を知ってる出版社は、創想文藝と君のところだけだよ。創想文藝ではもう二度と書かないと決めているから、君のところで断わられると少し困る、かな。もう辞表を出してしまった後だから」


 それは嘘だ。困るはずがない。諌山先生が「諌山望海」だと表明すれば、うちで!! と名乗りを挙げる出版社はいくらでもいるはずだ。だからこれは諌山先生の優しさ。


 そして信頼。


 そして絆。


 わたしは諌山先生の右手を奪う勢いで両手で包み込み、痛みにも構わずぶんぶんと振った。


「お願いしますっ。よろしくお願いしますっ。末永くお願いしますっ。ああっ、どうしよう夢みたい! これ、夢じゃないですよね?」


「……落ち着いて」


 若干引き気味に言われて我に返る。するりと手の中から離れて行くその手を若干寂しく思いながらも居ずまいを正した。落ち着け、落ち着けわたし。契約するまで油断するな。


「す、すみません」


「そうだ。でも条件が一つ」


「な、んですか?」


 ギャラのことだろうか。諌山先生が〝書く〟と言ってくれるまでまだまだかかると思っていたから調べてきてなかった。準備不足、って怒られたらどうしよう!! でも、諌山先生が口にしたのは意外な言葉だった。


「僕の担当はずっと君にお願いしたいんだけど」


「へ?」


「難しいことじゃないでしょう? 現に山櫻社の秋吉佐和さんが担当でなければ書かないと言っている作家は片手じゃきかないって聞いているし」


 そうなんだ。初めて聞いた……っ、て、そんな場合じゃなくて。


「え、と、それは確認してみないとわかりませんけど……、でもそうならわたしも嬉しいです。ずっと諌山先生の担当でいられるなら」


「うん。その言葉に何の含みもないことは承知してるけど」


「は? 含み?」


 まあいいけど、って初めて見るような柔らかい笑みを浮かべて、諌山先生はすっと立ち上がり、改めてわたしに右手を差し伸べた。綺麗な手だ。この手が、たくさんの人を、わたしを、別世界へ連れていく扉を創る特別な手。


「よろしく」


 泣きそうになりながら、その少し冷たい手を握った。


「よろしくお願いします」


 握り返してくれるその力が、わたしにこれが現実なんだと教えてくれる。嬉しかった。本当に嬉しかった。泣きそうになるのを必死に我慢する。


「ねえ、喜ぶのは本ができてからの方がいいんじゃない?」


 もしくは原稿があがってから、と皮肉っぽく言う。


「なにせ僕はもう随分書いてないんだからね。原稿見たらがっかりするかもしれないよ」


「しませんっ。絶対に、大丈夫ですっ。必ず傑作です!!」


 勢い込んだわたしから手を引こうとしたところをそうはさせまいと掴む。


「何を根拠に……」


「諌山望海は、そんな底の浅い作家じゃありませんから」


 ニッと笑って見せたわたしに、諌山先生は口端に苦笑を浮かべた。


「君の住んでいる世界はどこもかしこも潤っていて、丸くて甘いんだろうね」


 星の王子様がみた地球だ。〝どこもかしこもカサカサで、とんがってて、塩気がいっぱい〟諌山先生から見た世界は、今そんな風に見えているのだろうか。もしも、そうなら。少し寂しい。


「どんな世界だって先生の手の中ですよ。思いのままです。わたしはそれをお手伝いします」


「どこまでも?」


「もちろん。どこまでもです」


「……うん。じゃあ、どこまでもいってみようか」


「ついていきますから!!」


「編集者としてだよね」


「勿論、そうですけど……?」


 先生はキツネだ。星の王子様に真理を教えた寂しがり屋のキツネ。あのキツネのように、諌山先生はいつもわたしに大切なことを教えてくれる。本当に、大切なものを。


 諌山先生がいてくれてよかった。わたしが色々なことを見失わずにすんだのは諌山先生のおかげだ。


「本当に、ありがとうございます」


「何のお礼? まだ早いと思うけど」


「内緒です」


 変な顔をした諌山先生を見て、こらえ切れずに吹き出す。うん。ようやくこれからだ。わたしは前に進む。多分よろよろぶつかりながら立ち止まりながら、転びながら。でもゆっくりでもいいから信じる方へ進もう。間違ってても、いつだって後悔しない方へ。


 目には見えない、大切なもののために。




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