【12】「好き」 2
運命の金曜日。
千晶さんから招待状も届いて、それは家を出る前に何度も何度も確認してバッグに入れてきた。
駅員さんには散々悩んで昨日やっと〝わたしも会いたいです〟と返した。返事はなかったけれど、伝わっていると信じたい。
朝から自分でも笑ってしまいそうなほどそわそわそわそわ落ち着かなかったけれど、仕事はおろそかにできない。それはそれ、これはこれだ。そして決してそんなわけではないけれど、小説の下読みは、思ったほどはかどらなかった。集中力の問題では断じてない。
わたしは本を読むのは好きだし早いけど、それは〝好きな本〟に限ったことだということをうっかり失念していたのだ。中にはおっ、と思うものもあるけどやっぱりそういうのは少なくて。長編は自分の趣味と全然合わないものだったりするとかなりツライ。文章はうまいと思うのに、どこが面白いのかさっぱりわからなかったりするものもある。問題はそこだ。
実はわたしはいつもブームになったりする流行モノ小説がとことん合わない人で、真剣にこれのどこが面白いんだろう、とかこれはどこで泣くんだろう、とか悩むクチなのだ。ひょっとして人とは違うずれた感性なのか。普通ならそれでいいかもしれないけど、ここでそれはマズイ。万が一にも売れる作品を逃すことがあってはならない。あああ、でも。目は正直だ。喜ぶ文章とそうでない文章がある。わたしが最初に作る本は、わたし自身が納得できる本でありたい。もちろん叶うことなら、だけど。そしてそれが諌山先生の本ならどんなに幸せだろう。
ちらり、と時計を見ると六時。パーティーは七時からだから、そろそろ支度をしないとまずいかも。
「川野辺」
突然の編集長の呼ぶ声に、条件反射で立ち上がる。
「はいっ」
編集長のところにやってくると、迫力美女モードの編集長でちょっとびっくりする。髪は艶やかにセットされ、ドレッシーなスーツは身体にぴったりした深紅だ。派手なはずなのに品良く似合ってる。やっぱ美人だなあ。さすが駅員さんの身内。いや、逆か。
「今日、行くのか」
何の前振りもなく問われて、ごくりと息をのむ。閻魔様を前にした亡者みたいな気持ちだ。それでも目をそらさずに頷いた。
「はい」
「……それで、行くのか? 着替え持って来てるのか?」
頭のてっぺんから足の先まで眺め回されて、居心地悪い気持ちで自分でも自分の格好を見直す。そんなに酷いかな。
「これ、ですけど。……えーと、駄目ですか」
一応綺麗系スーツを選んだつもりだったけど、編集長には不服だったらしい。おもむろにショルダーバッグを手にすると、ついて来い、とギビしい目で促す。
ええっ!? 今すぐ!?
「庄司。わたしと川野辺これから出て直帰するから」
「わかりました」
「何かあったら連絡するか、もうすぐ谷川か犬飼が戻るからそのへんに任せろ」
「はい。あ、内田さんが編集長に今日中に目を通して欲しい原稿があるってさっき電話がありましたけど」
「ああ? 今日か? 内田ってことは……穂坂先生の原稿か。わかった。遅くなるが戻ると伝えておけ」
てきぱきと幾つか指示する声を聞きながら、わたしも手早く支度を整える。読み終わった原稿を箱に入れて、読み途中の原稿は引き出しに。よし。
「川野辺、出られるか」
「は、はいっ」
行くぞ、とも言わずに部屋を出てゆく編集長を追いかけながら庄司くんに手を振る。
「じゃ、行ってきますっ」
「おう」
いったいどこに行くんだろう。そう思ったものの、大人しくついてゆくしかなかった。
会社を出てすぐタクシーに押し込まれて着いた先は、住宅街の中の大豪邸、といった趣きで。いったいここはどこだ? と首をひねる。遠慮なく入って行く編集長を見て思わず慄くわたしに当人は早く歩けという冷ややかな一瞥をくれた。
「え、と? 編集長。ここは……」
「いいから早く来い」
場違い感半端なく恐る恐る着いて行くと、編集長は遠慮なく中二階にある玄関をばたーんと開いた。そこはゴージャスな吹き抜けのエントランスになっていて、わたしはバカみたいに口をぽかんと開けたままあたりを見回した。床は大理石、天井からはシャンデリア。
ここ、家? それとも何かのお店? ひょっとして結婚式場?
「あれ? 佐和さん久しぶり」
上の方から声がして、螺旋階段から人が下りて来る。
「慧介。今日亜樹ちゃんとか来てる?」
「上にいるけど、どうしたの?」
目の前に立ったその人は、何というか現実離れした感じの綺麗な人だった。男の人、だよね? 白いシャツに黒の細身のパンツ。さらさらの長い金に近い茶髪を背中のあたりで無造作に赤い組紐で結んでいる。目が青いってことは外人!? いやでもさっきけいすけ、とか言ったよね? ハーフ? 背が高くて華奢だけど病的な感じはしなくて。妖精、とか言われたら思わず信じてしまいそうな人だった。年齢不詳だ。
「悪いんだけどこれ、三十分で何とかして」
編集長は〝これ〟とわたしを顎で指し示した。
へ?
「急だね。三十分? ないも同然だよその時間」
「できるの? できないの?」
厳しい詰問口調に慣れているのかふっと笑って頷く。
「やりましょ」
どうぞ、と言われ、編集長を見ると怖い顔で〝早く行け〟という顔をしているので仕方なく急いで後を追う。
「佐和さん。この子どんな風に仕上げればいいの?」
階段途中で慧介さんが下を覗き込むようにして編集長に問いかける。編集長はじ、と同じように下を覗き込んでいたわたしを一瞬見つめて、何か企むようにニヤリと笑って慧介さんに告げる。
「王子を一発で虜にできるような姫風で」
姫!? 王子を虜にって、それってどんな姫よ!? 姫普通男を虜にしないでしょう!
「わかった」
ええっ!!
ここは言いなりになるしかなさそうだ。階段を上りきったところにあった真っ白なドアを開けると、そこには人がいた。——三人。一人は奥のソファに腰かけた小柄でふわふわくるくるの長い髪をしたお人形みたいな女の子。そして背が高くてスレンダーで金髪ベリーショートの火をつけてない煙草を銜えているカッコいい女の人。
……それから妙にがっちりした体格のいい大きな男の人。でも醸し出す雰囲気は柔らかい。顔は格闘技系なのに。
「あれー? てんちょ。その子誰?」
舌ったらずにまず少女が問う。
てんちょ? 店長? やっぱここお店なんだ!?
「仕事。この子を三十分で変身させる。王子様虜にする姫風で」
最初に目を輝かせたのは体格のいい男の人だった。
「まーっ。素敵!!」
……え? 格闘技系のその顔と、今聞こえて来た言葉が一瞬激しく一致しなかった。
「三十分? 嘘でしょ。誰よそんな面倒な仕事持ってきたのは」
声を荒げたのはベリーショートの女性だ。当然の感想だと思います。すみません!
「佐和さん」
店長さんのこともなげな言葉に、三人ともさもありなん、という顔で黙り込む。ついで諦めのため息。
「というわけで、よろしく」
「「「はーい」」」
すぐにベリーショートの女性がわたしの腕を掴んで奥につれてゆく。
「あ、服は新作七番のピンクでいくから」
慧介さんの声に、全員が七番、と呟いて一斉に動き出す。
大きな鏡の前の椅子に座らせられるといきなりそれがリクライニングして顔が仰向けにのけぞった。なになに!? と思ったらいきなりたっぷりのクレンジングクリームで化粧を落とし始める。
「え、ええっ!?」
「動かないで」
ぴしりと言われて大人しく体を固める。
「うん。肌は綺麗ね」
気がつけは指先の方では先ほどの少女がネイル作業を開始していた。何種類ものやすりの音がする。なになになになに!? 何が起こってるの!?
「えーと、お名前聞いてなかった」
遠くからのんびりほんわかな店長さんの声が聞こえてくる。
「あ、すみませんっ。川野辺咲紀ですっ」
「川野辺さん。足のサイズいくつ?」
「二十二・五です」
「はい。わかりました」
そう言っている間にもことはどんどん進んでゆく。
ネイルにメイクにヘアスタイル。爪はピンクゴールドで、小さいパールがついている。可愛すぎず甘すぎない。うん。無粋な包帯がなければ完璧。
ここは、なんなの? 短時間で鏡の中の自分がびっくりするくらい変わってゆく。間違いなく、一流の人たちだ。超がつくくらいの。
「あ、あの、ここはどういうお店なんですか?」
腰がなくて纏まり難いわたしの髪を、手際よくアレンジしてゆく手品みたいなその様子を見ながら、さっきの体格のいい男の人に問いかける。
「そうねえ。いうなれば会員制のトータルビューティーコーディネーターって感じかしら」
「エステサロン、とは違うんですね?」
その問いかけに〝んー〟と少し考えて、口癖なのかそうねえ、と続ける。
「女性を美しくするための魔法のお店ってとこね」
わかる気がする。ここには本物の魔法使いが揃っているようだ。それにしても編集長、こんなお店をなぜ知っているんだろう。仕事絡みかな? あ、編集長自身がここのお客さんとか? ならあの変身っぷりにも納得がいく。
謎だなあ。編集長。
「咲紀ちゃんは佐和さんとどういうお知り合いなの?」
「あ、部下です。会社の」
「あらあ。じゃあ出版社にお勤めなのね。すごいわあ」
カッコいい、といわれていたたまれなくなる。全然格好良くなんかない。
「そ、そんなことないですっ。あ、編集長はすごい人だと思いますけど、その、わたしはこういう魔法の手を持ってるみなさんのほうがすごいと思います。本当に。わたしもいつかそんな風になりたいと思ってますけど……」
彼はわたしの言葉に一瞬目を瞠って、いきなり背後から逞しい両腕を絡めて抱きついた。
「いやあーん。可愛いっ。あなた気に入っちゃったわーっ。アタシ、リンダっていうの。よろしくね」
「あ、川野辺咲紀です」
「それはさっき聞いたわよう。可愛いっ」
こ、これは。男の人というより気のいいおば様みたいな感じだ。セクシャルな感じは全然しない。
「ちょっと。なにじゃれてんのよ。時間ないのよ。さっさと終わらせてこっちにまわしてよね」
容赦のない口調でやってきたのはベリーショートの女性だ。
「はいはい。さ。これで終わりよ」
サイドの上の方で束ねられた髪はくるくると上品に巻かれてふわりと広がっている。華やかだけどあくまでも上品だ。わあーっと思う間もなく連れてゆかれ、〝これ着て〟と小部屋に放りこまれる。落ち着いたピンクの……シルク。総ドレープがめちゃめちゃ綺麗なデザインだ。タグを見て愕然とする。
誰でも知ってる超一流海外ブランドだ!
「着た?」
「あ、まだ、ちょ、ちょっと待って下さいっ」
動揺する間もなくそれを着る。襟ぐりが異様に大きいので髪もメイクも気にせず頭から被った。左サイドのファスナーを上げて……真っ青になる。こ、これ胸元開きすぎでしょう!! 前と後ろ間違ってるわけじゃないよね!? 嫌な汗をかきそうになりながら確認するけど間違ってはいないようだ。
む、無理ですこんな服っ。
「できた?」
呼びかけと同時にドアが開いてさっきの女性が入ってくる。泣きそうになってるわたしを見て不審そうに首を傾げた。
「どうしたの」
「こ、こ、これっ、開きすぎじゃないですかっ?」
胸がー。胸が出るーっ!
「それくらい普通よ。っていうか、むしろ露出少ないほうだから。王子を虜にする姫なんでしょ?」
いやっ。色仕掛けなんて無理だしっ。そもそもそのスキルないしっ。姫でもないし。っていうか、王子はやっぱり駅員さんなの!?
「……自信、ないです」
しょぼん、と俯いたわたしにベリーショートさんは〝ああん?〟と言いながら不機嫌そのもので覗き込んでくる。
「何よ。わたしたちの腕が信用できないっていうの?」
「い、いえっ。まさかそんな!! でもちょっと事情があって、わたし良かれと思って随分勝手なことしちゃったから」
反応が怖かった。
「王子に?」
いや。王子かどうかはともかくとして。
「やめちゃえば?」
「……え?」
「女の自分勝手の一つや二つ許せない小っちゃい男なんてやめちゃえば」
「ええっ」
「でも好きなんですけど」
手際よくゴージャスで清楚なアクセサリーをわたしにてきぱきつけながら、ため息をつく。
「あんた、悪い男に騙されそうなタイプね」
ええとー。駅員さんは悪い人ではないと思います。
「だったら素直に信じれば? 始まる前にぐだぐだ考えるなんて無駄。突っ走って何かしらの答えが出てから、そこでまた次を考えればいいのよ」
「……なるほど」
「失敗したらまた来れば? わたし、滝田麻咲っていうの。合コンにでも連れてってあげる。世の中には結構いるわよ。いい男。——まあ、それ以上にダメな男もいるんだけどね」
ああ、この人。口調はぶっきらぼうだけど優しい人なんだ。言われた言葉はアレだけど、なんだか嬉しくて小さく笑った。
「できれば失敗しないように頑張りますけど。そのときはじゃあよろしくお願いします」
合コンはともかく、一緒に飲んでみたい人だ。
「ねーマサキ。パーティバッグどっちがいいと思うー?」
さっきの少女が両手に一個ずつバッグを持って現れる。つまり消去法でいうとこの子が亜樹さん。
そのバッグはどっちもドレープのある丸っこいもので、パールが使われている。シャンパンゴールドとピンクゴールド。麻咲さんはそれをちらっとみて、シャンパンゴールド、と応えた。
それにしても。
「あのう。この服とか小物とかって、買取ですか?」
「買えないわよ、きっと」
値段聞いたら倒れるわよと言ってわたしからちょっと離れて全身をくまなくチェックする。
た、倒れる値段って、どんな!?
「ええっ。じゃああのう、ここの支払いって」
「お金はもらえるところからもらってるから大丈夫。こんなやっつけ仕事でそもそもお金なんてもらいたくないし」
これでやっつけなら、やっつけじゃない仕事はどんななんだろう、とちょっと興味がわく。
「……ここのオーナーさんってさっきの慧介さん、ですよね?」
「そうだよ」
すると本人が華奢で美しい靴を持って現れた。優雅にわたしを椅子に座らせて、跪いて靴を取り替える。まるでシンデレラみたいだな、と思ったら〝片方落としてこないようにね〟と魔法使いのおばあさんならぬ妖精さんが厳かに告げた。
ここまでできっちり二十五分。全身が余裕でうつる鏡の前に立つと、そこにはわたしがみたこともない〝わたし〟がいた。
嘘。本当に!? これは間違いなく魔法だ。
「気に入った?」
思わずこくりと頷く。
「一生このままでいたいかもしれないです」
「その場限りだから魔法なんだよ。でも大丈夫。これも本当の川野辺咲紀さんだから」
不思議な人だ。いったい編集長とオーナーさんはどんな関係なんだろう。そんなわたしの視線に、オーナーが茶目っ気たっぷりに微笑む。
「そうだ。ご挨拶が遅れましたが。ぼくは一応ここのオーナーで、秋吉慧介といいます」
「え? 秋吉?」
秋吉ってどっかでー、と思ったら、いきなり答えがやってくる。
「秋吉佐和は僕の妻です」
えええーっ!?
「いつも妻がお世話になってます」
照れた様子で美しく微笑むオーナーを前に、わたしは悲鳴を飲み込むのが精一杯だった。うん。謎はすべて解けたけど。




