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駅員さんの恋  作者: 高藤みずき
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【1】「一目惚れって信じる?」 2



《にこにこデンタル・クリニック》



 どうでもいいけど、誰がつけたんだろう。こんなベタで可愛らしいネーミング。まあ唯史ちゃんぽいといえなくもないけど。なんとなく何の捻りもなく「新堂歯科クリニック」で営業してるのかと思ってた。


 到着すると既にシャッターは開いていて、わたしは開いていた玄関から恐る恐る中へ踏み込んだ。広めの温かみのある待合室。


「おはようございます。すみません。どなたかいらっしゃいますかー?」


 中はまだ薄暗い。従兄がいるといいな、と待合室にある受付から診察室の方を窺う。


「あー、ごめんね。うち診察時間9時からなんだ」


 期待に反してひょい、とドアを開けて診察室から顔を覗かせたのは従兄ではない知らない男の人だった。


 イイ男だ。なに? 今日は絶賛イイ男祭り開催中かなんか? さっきの駅員さんが爽やか好青年なら、こっちはホスト風だ。しかも№1って言われても疑わないくらいの。そう思ったのはなんとなく気だるそうな感じとか、ラフに胸元の空いた少し派手目なシャツとか、色っぽい目つきとかチャラい感じとかそういう見た目からだったけど。……いや、ダメだ。人を見かけで判断しちゃ。


 でも誰だろう? この人。


「おやあ? 可愛いお嬢さんだなあ。歯、痛いの? 時間外だけど診てあげよっか」


 軽ッ。やっぱり見た目通りなのか、とちょっと脱力しかける。でも親切ではあるらしい。椅子にかけていたらしい白衣を羽織って、どうぞ、と入るように促して来る。


「あ、いえ。診察に来たんじゃないんです。わたし……」


 逡巡する。この人もここにお勤めの人ならわたしのこと何か聞いていないだろうか。挨拶しなきゃ、と息を吸い込んだ瞬間「ああ!」と声を上げる。


「あ、ひょっとして咲紀ちゃん?」


 ずいっと整った顔が近づいて、思わず一歩下がった。近い。


「はい。川野辺咲紀です」


 よろしくお願いします、と続けようとした言葉は、再び彼の言葉で遮られる。


「やっぱり。唯史から聞いてたとおりだね」


 唯史、というのがわたしの従兄だ。母の姉の息子で新堂唯史しんどうただし。聞いていた通りとは何だろう。聞いておいた方がいいだろうか。唯史ちゃんのことだから人の悪口は言ったりしないだろうけど、注意すべき点、というのは何か伝えているのかもしれない。


「オレ、九重智巳ここのえともみ。唯史とは腐れ縁で、一応ここの共同経営者」


 この人も歯医者さんなのか。


「よろしくお願い……」


「あれ、咲紀? 早かったね」


 そこに声がかかってうしろを振り返ると、唯史ちゃんが立っていた。相変らず綺麗な人だ。男の人に綺麗っていうのもなんだけど、実際そうなんだから仕方がない。美人姉妹といわれた我が母姉妹によく似ている。わたしは残念ながら父親似だ。見た目は癒し系で優しげなのに、意外と厳しいところも一緒。


 それでもって、わたしの初恋の人だ。


「すぐわかった?」


「駅の目の前だもん」


「そうか。——久しぶりだね」


 本当に久しぶりだ。会ったのはいつだろう。最初は故意的に避けてたけど、大人になってからは全く会う機会もなくなった。つい、どんな顔をしていいか迷ったけど、ついこの間会ったみたいな顔で微笑む唯史ちゃんにこちらの顔も自然に緩んだ。


「ん。唯史ちゃんこそ。……老けた?」


「ホントに!?」


「嘘。相変らず美人」


 からかったわたしに、天誅とばかりに頭を抱きこもうとする。


「やめてやめて。髪がーっ」


「仲いいねえ」と、そこに九重先生から苦笑交じりの声がかかる。


 あ、しまった。慌てて唯史ちゃんの腕から逃れて、仕切りなおし。


「オハヨウゴザイマス。今日からよろしくお願いします」


「よろしくー」


「うん。よろしくね。咲紀」


 ふわっとした唯史ちゃんの笑顔はお花みたいで。あー、そっかあ、と改めて気づく。わたし手だけじゃなくて優しげな笑顔ってのにも弱かったんだ。あの駅員さんがどストライクなわけだ。眼福眼福。


「どうかした?」


「ううん。別に」


「あ、智巳に変なことされた?」


「おいおい、どういう言い草だよ」


 そこで改めて九重先生が割って入る。


「してないしてない。まだしてない」


「智巳!」


「だって、聞いてたよりずっとカワイイよね。咲紀ちゃん」


 ……あ、と思う。この可愛いは含みのある“カワイイ”だ。唯史ちゃんはそのニュアンスには全く気づかずに九重先生を睨む。


「手え、出すなよ。殺すよ。咲紀も、用がないときはこいつには近づかないように」


「はい」


 この人がわたしに手を出すはずがないことは承知の上で素直にお返事するわたしに、九重先生はあからさまに嫌そうな顔をした。


「いーじゃんちょっとくらい。人生に潤いは大切だろ?」


「お前は潤いすぎ」


 はー。やっぱ見た目ホストって伊達じゃないのかな。からかわれないように気をつけよう。この手のタイプは苦手だ。“軽薄”を装っているタイプは特に。でも唯史ちゃんは腹芸苦手なタイプだから、共同経営者にこういう一物あるタイプがいるのはいいことなのかもしれない。


「おはよーございまーす」


 そこに気だるげな声がして、美女が登場する。茶髪のロングのウエービーヘア。しっかりメイクは女のわたしから見ても相当色っぽい。


「おはようございます」


 その後ろからショートヘアの、やっぱり美人さんが入ってくる。保母さんとか、ピアノの先生とかが似合う感じだ。いきなり歯科医院の中が華やかになった。


「あ、丁度よかった」


 唯史ちゃんは背後からわたしの両肩を掴んで、二人の前に立たせた。肩の熱を感じきる前にそれは離れていく。


「今日からうちで働いてもらう川野辺咲紀。僕の従妹」


「ああ、噂の咲紀ちゃんですね」


 ええっ、どんな噂!? たじろぎながらも二人を前に頭を下げる。


「川野辺咲紀です。よろしくお願いします」


「わたし、福本いずみです。よろしくね。咲紀ちゃん」と、保母さんみたいな人がにっこりと笑ってくれる。


 そしてもう一人の人が、いきなりわたしの顎を掴んだ。


「きれーな肌。幾つ?」


 突然の暴挙にびっくりするけど、純粋な興味だけを感じて、たじろぎながらも答える。


「二十二、です」


「化粧品、どこの使ってる?」


 ちょ、ちょっと? キスされそうなくらい間近におねーさんの顔が近づいてびっくりする。そういうお姉さんの方が肌艶しっとりぴかぴかだ。むしろわたしのほうが教えて欲しかった。


「やめなさいよ敦子。咲紀ちゃんが驚いてるじゃない」


「ああ、ごめんね? わたし葛西敦子かさいあつこ。よろしく」


「よろしくお願いしますっ」


「あとでゆっくり話を聞くから」


 そういって婉然と微笑んで敦子さんはいずみさんに急き立てられるようにして奥の部屋に消えて行く。更衣室、だろうか。咲紀、という声に慌てて唯史ちゃんに向き直る。仕事モード仕事モード。


「うちは基本診療時間は朝9時から夜10時まで。昼休みは基本1時から2時までね。患者さん次第で変則的になっちゃうけど」


 つまり、患者さんが長引けばそれだけお昼休みが減るんだろう。午後の開診時間が変わるはずがない。ここまではいい? と唯史ちゃんがいう。わたしは慌ててバッグから取り出したメモを手に、はい、と頷いた。


「完全週休二日制で、土日が休み」


 へ? 唯史ちゃんが指差した先にあるカレンダーには確かに土日がお休みである印がついていた。


「珍しい、ですね」


 最近は土日営業24時間当たり前の業種なのに。意外とホワイト。


「うん。最初は僕も日木とかの休みにしようと思ってたんだけど」


 こいつが、と九重先生を指差す。指を指すな、と九重先生はその指を避けてにや、と笑った。


「オレ、みんなが遊んでるとき仕事するなんて耐えられないんだもん」


「っていうから」


 うっわ。なんて自由な人なんだ!!


「仕方ないから僕は土日を寝たきりの方の往診にあててる」


「一人で? 毎週? え、じゃあ唯史ちゃん休みなしなの?」


「休みはとってるよ。一応完全予約制だし、昼間のみだし。基本は一人かな。休日出勤で助手を頼むこともあるけど」


「先生はワーカホリック気味ですよ」


 着替えて来たらしい敦子さんが唯史ちゃんにすかさず突っ込む。でも唯史ちゃんらしい。


「でもパートの人には重宝がられてますけどね。やっぱりお子さんがいると土日はお休みしたいですから。幸いうちの先生方はイケメン揃いなので平日だけでも満員御礼ですし。休日出勤も特別手当出るからわりと争奪戦」


 いずみさんがそこですかさずナイスフォロー。


「福本さんが社員で歯科衛生士。葛西さんも歯科衛生士でバイト。あと受付の社員が一人、パートが一人、アルバイトが二人いる一人は歯科衛生士」


「結構多い?」


「そうでもない。歯科助手は椅子に一人ずつつくんだ。早番遅番でわかれてるし、全部揃うってことはまずないよ」


 そこでドアの開いた音がして、ふくよかでにこやかな女の人が入ってくる。


「おはようございます」


「おはようございます。小川さん。咲紀、この人がパートで受付担当の小川小夜さん」


「まあ、噂の咲紀ちゃんですね。よろしくお願いします。小川です」


 おっとりにっこりだ。優しそう。笑顔でぴしっと頭を下げる。


「川野辺咲紀です。よろしくお願いします」


 下げながら思った。だから噂って、何!


「五時まではとりあえずこのメンバーだから。福本さん、あと頼んでいいですか? 僕も準備があるんで」


「はい。じゃあ咲紀ちゃんこっち来て」


 脱いだ靴を持ってくるように言われ、待合室と診療室を抜けてさっき二人が入って行った奥の部屋にやってくる。敦子さんは化粧直しの最中だった。


「ここが更衣室。この壁の向こうの部屋が先生たちの控え室。こっちは女性専用。咲紀ちゃんのロッカーはここね」


 説明しながらいずみさんが一番奥のロッカーを開けてくれる。単なるロッカールームにしては広い。ダイニングテーブルセットと小さな冷蔵庫もあって、ここで食事をとるようにもなってるみたいだ。仮眠できそうなソファと鏡のある小さな流しもついていた。


「咲紀ちゃん、足のサイズは? SMLで」


「あ、Sです」


「小さいのねえ。可愛い。でもSサイズは丁度一足余ってたからよかった。ナースシューズはこれ」


 はい、と手渡された箱の中には真新しいナースシューズが入っていた。持っていた靴をロッカーにしまい、それを履く。うわあ、なんだかちょっとワクワクする。新入生みたいな気分。


「制服はー……」


「ピンク」


 今度は髪を整えていた敦子さんが出し抜けに呟く。


「うん。そうね。咲紀ちゃんはピンクって感じよね」


 にっこり笑って、いずみさんはクリーニングの袋に包まれたものが重なっている棚からピンクのそれを取り出してわたしに差し出した。ピンクといってもすごいピンクってわけじゃなくて、淡いパステルカラーの優しいピンク。ピンクが似合うなんて初めていわれた。


「イヤ?」


「まさか! ありがとうございます」


「じゃあ、これ着てね」


「制服って統一じゃないんですか?」


「そうなの。似合うのを着たほうがいいでしょう? 色は水色とピンクの二色。デザインも二種類。三日くらい目安でクリーニングに出すことになってるけど、汚れたらそのつどこのランドリーに入れて、棚から新しいのを出して着てね」


「そういうもの、なんですか?」


「ほかはよく知らないけど、うちはそうね」


 いずみさんもピンクのナース服だ。前センターに隠しファスナー。可愛いし似合ってる。あつこさんは水色で、左肩斜めにボタンの並んだいかにもナース服なデザイン。小夜さんは水色でいずみさんと同じデザインだった。


 慌ててわたしもビニールを破って取り出すと、デザインは敦子さんと同じものだった。中に隠しファスナー、斜めボタン。遅れてはいけないと慌てて着替える。


「用意できた? じゃあこれ、タイムカード押して、いくつか説明するからこっちに来てね」


「はい」


 いい意味の緊張が何だか心地よかった。タイムカードを押した後、メモとペンを持っていずみさんのあとに続く。


「最初に来た人がやるのが、エアコンをつけること。それとパソコンの立ち上げね」


 パソコンは各治療台に一台ずつと受付の計四台。説明しながら目の前で小夜さんがパソコンを立ち上げた。立ち上げ方はちゃんと受付に書いて貼ってある。それでもその様子を覚えこむようにじっと見て、手早くメモした。


「掃除は前の晩にざっと済ませておくけど、一応拭き掃除をします。待合室のスリッパもね。道具は更衣室の奥にあるから。それからトイレ掃除は朝。始まる前にチェックしてください」


「はい」


「それから予約を確認してカルテを準備したり、各台にセットを準備します」


「セット?」


「歯医者さんで見たことない?」


 これ、と銀色の器材を見せてくれる。棒の先に小さな丸い鏡のついたものだとか、針状になっているものなど七点。それが銀色のトレイに綺麗に並んでいた。


「この滅菌棚の中から取り出して、それぞれに1セット置くの。治療が終わったら使っていなくても下げて、洗って、滅菌棚に戻してね。右の棚から使って、仕舞うのは左の棚。いっぱいになったらこのスイッチを押して」


 覚えることは山ほどありそうだ。気が遠くなりながら、メモをとってゆく。


「それからエプロンとタオルとひざ掛けでワンセット。今日は最初だから洗い物と、セットに専念してくれる? 洗うときはこのゴム手袋を使ってね。くれぐれも指に刺したりしないように気をつけて」


「はい」


 それならなんとかなりそうかもしれない。その後もエプロンとタオルはここ、使い終わったらここ、とてきぱき教えてくれる。


「あっちの先生たちの控え室の隣りの部屋はレントゲン室になってます。患者さんを案内してもらうことがあるから覚えておいてね」


「はい」


 そして、開院時間がやってきた。





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