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駅員さんの恋  作者: 高藤みずき
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【8】「もうダメ」 2



 まっすぐにホテルのラウンジまでやってきて、はたと立ちすくんだ。うわ、わたし何故止まってしまったんだろう。いっそ勢いで中まで行っちゃえばよかったのに。でもこのまま乗り込んだのでは周りの視線を集めすぎてしまう気がする。どうしようかな、と思ったところで本日二度目の偶然の出会い。


「咲紀?」


「唯史ちゃん!? なんでここに?」


「智巳によばれて。ここで高校の時の同級生がバーテンダーやってるんだ」


 ほう。それは嘘じゃなかったんだ。呼んだっていつだろう。わたしに会う前? 後? それ次第で唯史ちゃんを呼んだ意味合いが変わる気がする。……また何か企んでるんだろうか。


「そう、なんだ」


 さりげなくフロアの中を覗き込もうとするけれど、奥まってるし広いし薄暗いしでよく見えない。——やっぱり入らなきゃ駄目かな。いなかったらどうしよう。


「もう同窓会は終わったの?」


「あ、うん」


「ここで二次会?」


「ううん」


「一人なの?」


「んー……」


 微妙だ。でも唯史ちゃんは深く突っ込まない。今はそれがありがたかった。


「咲紀も一緒に飲む? 奢るけど」


 魅力的な申し出だ。……今日でなければ。今でなければ。わたしの様子にわけありなのを察してラウンジの中へと促す。


「先にどうぞ。ぼくはここでしばらく智巳を待つから」


 唯史ちゃんの優しい配慮に、一瞬このまま回れ右して帰りたくなった。でもここで唯史ちゃんとこのお店に入るわけにはいかないだろう。余計ややこしくなってしまいそうだ。一人で入るより二人で入った方が目立たなそうではあるけど。あの二人の前に立ったら、修羅場臭隠しきれないだろうし。


「ありがと」


「どういたしまして」


 唯史ちゃんとここで会えたのはよかったのかもしれないと思った。ちょっとだけ落ち着いた気がする。深呼吸をしてお店に入るとカウンターの端に寄り添うようにしている二人の姿を見つけた。覚悟してたせいかちょっとだけショックが少ない。いや、ムッとはしてるけどね。ちょっと距離、近すぎじゃない? 寄り添っているのは明らかに千晶さんの方で駅員さんじゃないあたりがかろうじてセーフだろうか? それともそれを許してるあたりアウト? なかなかにグレーだ。


 店内に入って来たわたしに気づいて席に案内しようとしてくれたウエイターさんを断り、まっすぐに歩いていく。最初に気づいたのは駅員さんだった。わたしを見て、目を見開く。ゆっくりと、二人の前に立った。


 震えるな、わたしの声。


「……どうしてって、聞いてもいい?」


 立ち上がり、口を開きかけた駅員さんを遮ったのは、駅員さんにぴったりと寄り添っていた美女の方だった。


「あなた、前に、一度お会いしたかたね」


「……」


「遠慮してくださる? 見てわかると思うけれど、真哉さんはわたくしとデート中ですから」


 不躾にそんなことを言われ、ちらりと駅員さんをみると困惑したように彼女とわたしを見ている。否定、しないんだ。


「さ……」


 わたしに何か言いかけた駅員さんをにっこり笑って腕を引きつつ千晶さんが遮る。そして何かを封じるように駅員さんの名前をねっとりと呼んだ。


「真哉さん?」


「……」


 いやな空気だ。わたしにだってそれくらいわかる。今邪魔なのは、わたし。事情があるなら事情があると一言言ってくれれば信じられるのに。何か言えない理由があるの?


 思わずくらりとめまいがしそうだった。


「いいわ。あなたが行かないんでしたら、わたくしたちが出ていきます。真哉さん? 部屋に行きましょう」


「……千晶さん!」


「行くでしょう?」


 部屋に? 何を考えているのかわからない駅員さんは、強ばった表情のまま千晶さんの言葉に従って腰を浮かせる。どうして何も言ってくれないの?


 そのときだった。


「咲紀」


 不意に後ろから両肩に温かな重み。のろのろと顔を上げると、厳しいくらいの表情を浮かべた唯史ちゃんがいて、わたしににっこりと笑いかける。安心させるように。


「……唯史ちゃん……」


 約束破りともいえる唯史ちゃんの登場だったけれど、心のどこかがホッとするのがわかった。


「唯史、さん」


 そして驚いたことに、なぜか千晶さんの目が唯史ちゃんに釘付けになっていた。目を見開いて食い入るように見つめている。


「久しぶりだね。千晶」


「どうして、あなたが……だって……」


 えっ、知り合い? 目に見えて顔色を変えた千晶さんの手が微かに震えている。唯史ちゃんはそんな彼女と、駅員さんをちらりとみやって、困ったように小さく息をついた。


「君に理由を話す義務はないと思うけど。……相変らず、なんだな」


「あなたには、関係ないでしょう」


 落ち着きをなくした彼女に、肩をすくめる。


「そうだね。……行こう咲紀。送るから」


 促されるまま、体に力が入らない。駅員さんを見る気力すらなかった。でも。


「待って、唯史ちゃん」


 駅員さんに、駅員さんに聞かなきゃ。なにを? なにを聞くの? 考えのまとまらないわたしを見かねたのか、唯史ちゃんが駅員さんに視線を向けた。


「きみの名前、なんだったかな?」


「……栗生真哉です」


 ああ、そうだったね、と事も無げに頷く。駅員さんの唯史ちゃんを見る目がどこか険しくて悔しそうに見えるのはわたしの願望? 


「栗生さん。……ぼくはいかなる理由があっても咲紀を傷つけるような人には絶対に咲紀は渡せない」


 その言葉に、駅員さんが痛そうな顔をする。それは、どうして?


 行こう、と再び口にしてわたしを抱きかかえるようにした唯史ちゃんを再び止めたのは、千晶さんだった。


「唯史さん」


 唯史ちゃんは振り返らずに、足だけをを止める。


「……お……、九重さんは元気ですか」


 彼女の口からどうして九重先生の名前が出るのか。疑問に思いながら唯史ちゃんを見上げるけど、無表情のままで。やがて肩越しに振り返り、唯史ちゃんとは思えないほど冷たい無感情の声が放たれる。


「それこそ、きみには関係ないことだと思うけど」


 その言葉に傷ついたような眼差しが揺れる。なに、どういうこと? 千晶さんと九重先生はどういう関係なの? それでもわたしにもそれ以上を考える余裕はなくて。駅員さんを、二人を見ないまま店をあとにした。


 ——駅員さんは、追ってこなかった。


「さて。どこに行く? どこでもつきあうよ」


 ホテルを出ると、駅のほうに向かいながら唯史ちゃんはまるでなにもなかったかのようにわたしに話しかけた。わたしの頭の中は落とした豆腐みたいにぐっちゃぐちゃだ。


「咲紀?」


「なんにもわかんなくなっちゃうまで、飲みたいな」


 正体なくすまで、なんて飲んだことないけど、どのくらい飲めば今日のこと忘れるくらい酔えるんだろう。そう思ったのに、頭の上から降ってきたのは唯史ちゃんの容赦のないひとことだった。


「それはダメ」


「どうして? どこでも付き合うって言ったくせに」


 言ったけど、と笑って足を止め、唯史ちゃんの手がいきなりわたしの頬に触れる。


「咲紀の身の安全、保証しなくてもいいならね。その覚悟はある?」


 唯史ちゃんの瞳が一瞬切なく沈んで、わたしはごくんと息を飲み込んだ。


「すみません。け、軽率でした」


「わかればいいよ」


 ふっと何かが途切れたのと同時に、唯史ちゃんの手が離れて行く。再び押し黙ったまま歩き始めた。


「唯史ちゃん」


「ん?」


「さっきの、……千晶さん、って、知り合いなの?」


「……まあね」


 誰? どんな関係? どうして駅員さんと? 聞きたいことは色々あるけど、本当に聞きたいのは唯史ちゃんにじゃない。


「諦めるの?」


「え?」


「駅員さん」


 ……諦める?


「諦めないよ。何も聞いてないもん」


「でも飲みたいんだ」


「そりゃあそうでしょ。だってなんの説明もなしなんだよ?」


 千晶さんが彼女みたいに振る舞っても言い訳一つもしなかった。わたしがタイミング悪かったのかもしれない、けど。でも、少しぐらい何か言ってくれると思ってた、っていうのはわたしの驕りなんだろうか。


「わたし、ちょっとくらい怒る権利、あるよね?」


 恐る恐る問いかけたわたしに、唯史ちゃんが吹き出して笑う。


「え、なんでそこで笑うーっ!?」


「ごめん。なんか可愛くて。……ちょっとどころか、大いに怒る権利、あると思うけど」


 怒る、のとも違う。悲しかったのかもしれない。あの人の手を振り払わなかった駅員さんが。ああ、でもわたしも同じ? わたしもさっき唯史ちゃんの手を振り払わなかった。駅員さんも少しは傷ついたんだろうか。


「どーせ子供ですうっ」


 拗ねたわたしに、唯史ちゃんがごめんごめんと言いながらなおも笑う。


「咲紀は大人だよ」


「いいよ。慰めてくれなくても」


 慰めてるんじゃないんだけどな、と唯史ちゃんはいきなり自分の首に巻いていたカシミヤのマフラーをわたしの顔にぐるぐると巻いた。


「これは何のまねですか」


「我慢してたんだろ」


「……汚れる」


「あげるよ」


「……クリーニング出して返す」


「気にしなくていいから」


 ずっと我慢してた涙が、嗚咽がこみ上げる。あそこで泣くのは絶対にイヤだった。負けたみたいで。傷つくの覚悟で行ったはずなのにやっぱり辛い。


「……っぅ。……ふ、」


 よしよし、と頭を撫でてくれる唯史ちゃんの優しい手が、余計に涙を誘う。


 そこへ電話が鳴った。唯史ちゃんの携帯だ。


「……ちょっとごめん」


 唯史ちゃんはわたしを片手で緩く抱きしめたまま、空いているほうの片手で電話を取った。


「智巳、お前どこに……ッ、はあ? ……ああ。……え? おい、……まさか、お前……」


 相手は九重先生らしい。相槌を打つごとに唯史ちゃんの顔が固く強張っていく。


「わざと、か?」


 尋常じゃない響きを聞きとり、見上げる。


「お前そのうち友達失くすぞ」


 怖いようなその低い声に、わたしは唯史ちゃんの袖口を掴んだ。ぷつりと電話を切った唯史ちゃんを、首をかしげて覗き込む。あんまりびっくりして涙も止まってしまった。


「どうしたの?」


「……なんでもないよ。送る」


「いいよ。大丈夫。一人で帰れるし。九重先生のとこ行って? 約束してたんでしょう?」


「いい。あいつ、今度と言う今度はペナルティーだ」


「なにか、したの?」


 マフラーを口元までぐいと押し下げて、問いかける。唯史ちゃんはそんなわたしを見つめて、なんでもないよ、と言った。


 そのまま、唯史ちゃんはずっとわたしを守るように静かにそばにいてくれて、そのままわたしを家まで送り届けて、玄関先で帰っていった。上がっていけば、と言ったけど唯史ちゃんはあっさりと首を振った。


「駅員さんのこと、信じてるんだろ?」


「……ん」


「でも、もしももう駄目だと思ったら僕のところにおいで。待ってるから」


「そんなズルイこと、考えられないよ」


 縁起でもないし。


「この場合ズルイのはぼくで、咲紀じゃない」


 揺らいでるところにつけこんでるんだからね、と苦笑を浮かべる。


「唯史ちゃん……」


「帰るよ。ゆっくりお休み」


「ありがとう。おやすみなさい」


 唯史ちゃんを見送って、わたしはやけに疲れてしまってぺたりと座り込んだ。なんだかもう、化粧落とすのすらめんどくさい。そうはいっても本気でこのまま寝るわけにはいかないことはわかってるけど。


 その時、微かに音が聞こえたような気がして、慌ててバッグを引き寄せる。携帯のディスプレイには駅員さんの名前が。出たくないって気持ちもあったけど、電話があったのは素直に嬉しかった。


 だから、少し迷って、出る。


「咲紀さん?」


 いつもより、心配そうな低い声。


「……はい」


 応える声が固くなってしまったのは仕方ないと思う。だって、まだ何もわかってないし、わたしだってちょっとは怒ってるのだ。いや。ちょっとじゃないかも。かなりかも。自分がこんなに嫉妬深いなんて思ってなかった。どちらかといえばあまり熱くならない方だった。これまでは。流され恋愛の報いか。


「怒ってます、よね」


「……」


「すみません」


「謝るようなこと、したんですか」


「いえ。でも咲紀さんを泣かせたから」


「……泣いてません」


 嘘だけど。駅員さんには多分見抜かれてしまうだろうけど。


「あの人のことが……」


〝好きなんですか?〟って続けたかったけど声が震えて続けられなかった。でも確認したいのはそれだけ。それにお互いの気持ちを疑うようなこと言いたくない。リサイタルで会ったときはそんな風に見えなかった。でも、もしも駅員さんが上手に隠していたなら、わたしにはきっとわからない。そんなこと、考えるのもイヤだけど。


 応えずに、駅員さんはため息をついた。


 ずきり、と胸が痛む。


「咲紀さん」


「……」


「聞いてる?」


「……聞いて、る」


「ぼくが好きなのはあなたです」


「……ほん、とに?」


「咲紀さんだけです」


 いつもの、柔らかく微笑むような吐息が耳に聞こえてくる。


「……あの人とは、もう会わない?」


 子どもみたいだと思ったけど、言わずにはいられなかった。そんなにわたしは心が広くない。てっきり、はい、って返ってくると思ったその言葉は「すみません」で。がつんと頭を殴られたみたいだった。


「どう、して?」


「……すみません」


「謝ってばっかりじゃわかんないです」


「今は、謝ることしかできません」


 多分、なにかあるんだろう。でも今のわたしには駅員さんの言葉が針みたいにひとつひとつ胸に刺さる。わからない。駅員さんの言ってることがわからない。


「信じてもらえませんか」


 思いつめたような駅員さんの声。


「そんな言い方ズルいです……信じたい、けど……」


 どうやって? 一度救われかけただけに失望が深い。でもわたし、信じるって決めたよね? 揺らがないって言ったよね? 今にも崩れ落ちてしまいそうな気持ちを叱りつけるみたいに息をつく。


「誓って……やましいことは、何もないんですよね?」


「はい」


「絶対?」


「はい」


 駅員さんの声に嘘なんて感じられなかった。だけど、いやだ、認めたくなんかないって子どもみたいに駄々をこねる気持ちが、駅員さんを信じる心と一瞬拮抗した。でも、それでもわたしはこんなときまでいい子になろうとする。好きだから。これが正解かなんてわからないけど。


「……いつ、まで?」


「なるべく早く」


 わたしが唯史ちゃんや九重先生とたまたま一緒にいたみたいに、駅員さんだって事情あったのかもしれない。わたしが唯史ちゃんや九重先生と会っちゃだめだと言われたら困るみたいに、駅員さんにも何か理由があるのかもしれない。頭ではわかってるけど、心が追いつかない。でもここでごちゃごちゃ言って嫌われたくもない。


 ああ、こんな黒い心まとめてゴミ箱に捨ててしまいたい。そしたらすっきりするだろうか。


「……もう一回言ってください。そしたら頑張るから」


 何が、とは言われなかった。まるですぐそばで、わたしを抱きしめて耳元に囁いてるみたいに言ってくれる。


 わたしが、今一番欲しい言葉を。


「好きです。咲紀さん」


「……わたし、も……ッ」


 だから、辛い。だから色々考える。恋をするとこんなに自分が弱くなるなんて知らなかった。お互い信じあえていれば、想いあっていれば強くいられるんじゃないの?


 こんなにも不安定になるなんて。カッコ悪い。


「ごめん、なさい」


「どうして咲紀さんが謝るの?」


「……嫌わないで」


 恋は愚かで、愛おしくて、ほんの少し心の中の何かを殺すことなのかもしれない。強くなるにはどうしたらいいの? 二人で歩いてゆく先に、答えはあるのかな。


 今はまだ、全然答えなんか見出せそうになかった。




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