【8】「もうダメ」 1
迷いながら聞いた話はすごく魅力的だけど、やっぱりすぐにはうん、と言えなくて。ほんの少しだけ猶予をもらった。迷うことないじゃない、と囁くわたしがどこかにいる。——ただし、それは二人だ。
〝ずっとやりたかった出版の仕事だよ。これが最後のチャンスかもよ。やらなきゃ!〟
〝出版に行くってことは、駅員さんと別れるリスクを負うってことだよ。駅員さんを失ってもいいの? やめなよ!〟
駅員さんと別れる……イヤだ。それだけは絶対イヤ。でも、ならどうしてすぐに断れないの。
……後悔したくないんだ。もしもこの先駅員さんと別れるようなことがあったとき——そんなこと想像するのもイヤだけど——、彼がいたから諦めたのにって思いたくない。なんて打算的。受けるのも断るのも自分の意思だろう。そんなの当たり前のことなのに。
相談、してみる? ……でも駅員さんなら、咲紀さんはどうしたいの?って聞いてくるかもしれない。そして多分わたしの気持ちを優先してくれるんだろう。
仕事もやりたいけど駅員さんにも会いたいの。
なんて贅沢。なんてわがまま。あー、イヤだ。こんなうじうじ悩むの性に合わない。やりたいか、やりたくないか。二つに一つでしょう。決めろ、自分で!
そろそろ撤収が始まって、少し前に司っちの腕にぶら下がるようにしてわたしに目配せしていた知佳はもう会場に姿がなかった。
早ッ!! つか、置いていくか。
「あー、これが協力、か」
今度はうまくいくといいね。はーっとため息をついて肩をすくめる。なら、仕方ない。帰ろう。何人かに二次会に誘われたけど断った。もう今日は帰ろうと決めていた。今帰れば駅員さんに会えないかもしれないけど、多分電話で声くらいは聞ける。
「帰るのか?」
やってきた江ノ上に、預けてたコートを羽織りながら頷いた。ただ飲み食いしてお喋りしてたわたしと違って江ノ上はかなり忙しかったはずだ。それでもそんなに疲れた様子がないのはこういうことが根っから好きなんだろう。
「うん。お疲れ」
「森野は?」
「江ノ上の計画通り」
「あー、司か」
悪かったな、なんて呟いて、一瞬迷うようにわたしから視線が逸れる。江ノ上はこれから当然打ち上げだろう。イヤ。二次会か。
「送ってく」
「いいよ。次のお店行くんでしょ」
「いや。アンケートの集計もあるし。あとで合流すればいいから」
「いいってば」
「——じゃあ下まで送る」
そのまま二人連れ立ってエレベーターに乗り込み、階下に向かう。
「ありがと」
「んあ?」
「江ノ上が、口利いてくれたんでしょ?」
「……何の話?」
「山櫻社」
江ノ上の指が一瞬煙草を求めて彷徨う。気まずいときの江ノ上のクセだ。すぐに禁煙だ、と気づいた様子でぱたりと落ちる。
「そう思うか?」
頷く。でなければわざわざ今日庄司くんがここへ来るはずがない。わたしと話したあと早々に会社に戻って仕事するって言ってたし。
「オレお前の中でそんなイイヒトなんだ?」
からかうような目で見られて、睨む。こういうとき茶化すのホントやめた方がいいと思うんだけどな。
「色々タイミング良すぎだし」
振動もなくロビー階について、促されるまま降りる。
「特に口利いてやったってことじゃない。ただ、お前が前のトコ辞めてて、山櫻社受けたがってたって話はした」
「充分。ありがと。でもなんで? わたし結構江ノ上に酷いこと言ったと思うんだけど」
「まー……色々お詫びもある」
「それ、このあいだの珈琲じゃなかった?」
「おま、安っ、安すぎるだろそれ! 金田のことはあそこまでやるとは予想できなかったとはいえ……、謝っても謝りきれないからな」
「……もういいよ。幸い最悪のことにはならなかったし」
「ーーそれに、俺さ、ずっと友達でいたいのかもな、お前と。どういう形ででも繋がっていたい、っていうか」
珍しく照れたような怒ったような複雑な顔をしている江ノ上に、面食らう。
「物好き」
「何とでも言え。俺……多分お前が作る本が見たいんだよ。このまま埋もれるのは惜しいと思ったんだ」
ゼミとかサークルでお前の出す企画面白かったしなーという呟きにそんなこと覚えていたのかと意外に思う。正直嬉しい。
「この紹介が上手くいったらお前一生俺のこと恩人だと思うだろ? 無下にはできないよなー」
「うわセコい。お詫びなんじゃなかったの? でも油断して何か最低なことしたら恩人でも遠慮なく切らせてもらうけどね!」
「肝に銘じとく」
エレベーターを出て、ホテルを出る前に一階にあるラウンジに気づいて江ノ上が足を止めた。
「コーヒーでも飲んでくか? 奢るけど」
本当ならわたしが奢る、というとこだけど。やっぱり今日は帰りたい。
「んー、ごめん。帰る。送ってくれなくて大丈夫だからここで」
じゃあね、と背を向けて歩き出そうとしたとき、わたしの目が勝手にホテルに入って来たその人を認識した。——認識してしまった。本当ならこんなところにはいないはずの人だ。
駅員さん。……しかも、一人じゃない。
「どした?」
わたしの見ていた方向を覗き込むようにした江ノ上を遮るようにして、わたしは首を振った。
「な、なんでもないっ」
その隣りにいる女の人は誰ですか? 駅員さんに親しげに微笑んで、親しげにぴったりと身体を寄せている。ふっと髪をかきあげてその横顔が見えて——ハッとする。あのヒトは見たことがあった。そうだ。あのリサイタルのときのお嬢様……。なんだっけ。確か。そう千晶さん。
「お前、大丈夫か? なんでもないって顔色じゃねーぞ」
「だ、いじょうぶ」
本当は大丈夫なんかじゃなかったけど頭の中は疑問符でいっぱいで。ここにはもう一秒だっていたくなくて。こういうとき、どうしたらいいんだろう? 自分の彼がわたしじゃない別の女性といるのを目撃してしまったとき。
見なかったことにするの?
それとも割って入るべきなの?
多分、理由があるんだよね。駅員さんだもの。
でも。わたしだけだと思ってたその場所に別な女の人がいるの見て、とてもじゃないけど冷静じゃいられない。思考も身体も強ばったまま、二人が、まっすぐラウンジに向かうのを視界の隅で見送る。駅員さんの顔はわたしからは見えない。今、どんな顔をしてるんですか。その人に。怖くて確認できない。
「川野辺?」
心配そうな江ノ上の声にも反応できない。
「咲紀ちゃん」
そこへ不意に温かな感触がわたしの肩に触れた。のろのろと顔を上げるとそこにいたのは九重先生で。触れられた手を払うことも忘れて呆然と目を見開く。
「な、んで、ここに?」
「ん? 里美ちゃんが言いふらしてたから。咲紀ちゃんが**ホテルで同窓会だーって」
それじゃまるでストーカーです。おかしいな。クリニックに最後までいたらこの時間にここにいられるはずないけど、早上がりしたんだろうか。そのためにわざわざ?
「あ、ストーカーだって思ってるでしょ。違うよ。ここのバーには結構よく来るんだ。知り合いが勤めてて。まあ、もっとも今日はあわよくば咲紀ちゃんに会えるといいなーとか思ってたけど」
「おい。あんた誰だよ」
「江ノ上」
剣呑な響きを帯びた江ノ上を止める。
「この人は職場の先生なの。従兄の友達だから、大丈夫」
本当は今はあんまり大丈夫って言えないのかもしれないけど、さっき見てしまったもののせいでなんだかわたしの感覚、色々鈍くなってる。
「そういうわけだから、ごめんねー」
その牽制するような物言いに、江ノ上は一瞬九重先生を激しく睨みつけた。
「川野辺。そいつと何かあったら軽蔑するぞ」
「嫉妬かな。……わっかいねえ。えーと、江ノ上くん?」
「……」
「咲紀ちゃんは責任を持って俺が送るから。ダイジョーブ。ごくろうさま」
いかにも信用ならない様子でひらひらと手を振る九重先生に、見たこともないような、江ノ上の顔。
早く帰りたい。
わたしは本当に、今日ここへ来たことを後悔していた。
江ノ上が何か言いたげな顔のままそれでもその場を立ち去って、わたしも九重先生に促されるままホテルの外に出た。今のわたしたちを誰かが見たら、酔っぱらいの女を介抱しているように見えたかもしれない。
「一人で歩けます」
「無理無理」
「大丈夫です!」
九重先生の手を振り払うと、少しだけよろめいてビルの壁に手をつく。それくらい情けないほどわたしはぐらぐらしていた。そんなわたしを観察するように見つめる視線を痛いほど感じる。
「行かなくてよかったの?」
どこへですか? と聞きかけて駅員さんのところへだ、と気づく。
本当にこの人は容赦がない。
「あとでちゃんと聞くので」
いいんです、と呟くと九重先生はまたしても無理無理、と言って小さく笑った。
「咲紀ちゃんは聞けないと思うけど? プライドが邪魔して。だからさっきも黙って見送ったんでしょ?」
まるで刃物を向けられたみたいにびくりと震える。多分、当たりだ。ひょっとしたら今日何をしていたかすら聞けないかもしれない。
言葉を失ったまま、小さく呻いた。
「九重先生、イヤな奴って言われませんか」
「たまにね」
当てこすりにもどこ吹く風であっさりと肩をすくめて見せただけ。この人にだけは弱いところを見せたくない。なのに気持ちが立て直せない。しっかりしろ、しっかりしろわたし!
「……でもみんな最後には言うけど。〝ホントは優しかったのね〟って」
言うもんか。深呼吸して、しゃんと立てと自分に言い聞かせる。
「帰ります。九重先生お酒飲みに来たんでしょう? どうぞ。わたしもう大丈夫ですから」
「イヤイヤ。こんな咲紀ちゃん一人で帰せないでしょう。さっきの子とも約束したしね」
伸ばしかけた九重先生の腕を避ける。
「どっちかっていうと、こうして九重先生と二人でいるほうがわたしのストレスになりそうなんですけど」
「はっきり言うね」
じゃないと負けそうだから、とは言わなかった。
「九重先生打たれ強そうだから」
「うん。だんだん快感になってきたかな。咲紀ちゃん限定で」
なんでこの人、あんな変なゲーム始めたんだろう。望めばいくらでも幸せになれそうなのに。わざわざ人を試して何かを傷つけるような不毛な真似……どうして。
そこへ、意外な第三者の声が聞こえた。
「あれーっ。咲紀さん!」
「つ、津田ちゃん!?」
びっくりの遭遇。九重先生と違って津田ちゃんは今日はバイトお休みだったからわたしがここに来てたのは知らないはずだけど。どうしてここにいるんだろう。
「どうしたの?」
「合コンの帰りなんですー。この近くのお店で。も、最悪でしたー。あれ? なんで九重先生と一緒なんです?」
「あー。さっきそこでばったり会って。わたしは同窓会だったんだけど」
言い訳っぽいか? 里美さんあたりにはあっさりと見破られてしまいそうだ。でも津田ちゃんはそうなんですかあ。すっごい偶然ですねえって、何の疑いもなく笑った。天使かもしれない。もしくは救いの神。これに乗らないわけがない。
「ね、津田ちゃん。一緒に帰ってもいい?」
「もっちろんですよーっ」
助かった。
ちらりと九重先生をみると、ヤラレタって顔をしていて、ホッとする。
「九重センセもですか?」
「ううんっ。九重先生はこれから飲みに行くんだって」
迂闊なわたしのその一言が、運命を変える。
「えっ。飲みにっ!?」
しまった。津田ちゃんの目がきらきらしている。迂闊。
「奢ろうか。二人とも」
逃げたと思ったのに再び掴まってしまった。
「行きましょうよ咲紀さん!」
……津田ちゃんには勝てない。ポーズ程度に時計に視線を落として、ため息をつく。巻き込んでしまった手前無下にもできなかった。
「終電前には帰ろうね」
「はいっ」
喜ぶ津田ちゃんと九重先生に、わたしの心は暗澹たる気持ちになった。
「じゃあわたしカルーアミルクでー」
九重先生が連れて行ってくれたお店は、さっきのホテルのバー、ではなく、駅から近いわりに静かでこじんまりとした地下にある大人のバーだった。こういうさりげない気遣いがモテるコツか? カウンターに、津田ちゃんを挟んで右に九重先生。左にわたし。こういうところは初めてらしい津田ちゃんがわくわくしながら注文する。注文まで初心者っぽく可愛い。
「咲紀ちゃんは?」
「……エクソシストお願いします」
反して可愛くないセレクトなのは承知の上だったけど、今は甘いのとかオーソドックスなのは飲みたくない気分だった。そのカクテルは、好きなんだけどどうしてだかあんまり作ってくれるところがない。年齢不詳な、渋くてなかなか素敵なバーテンダーさんは余裕の微笑で頷いて見せた。
九重先生はバーボン。やがてそれぞれの品が目の前に置かれて、何にだかはしらないけど緩く乾杯した。乾杯してる場合じゃないんだけどな。
「咲紀さんのそれ、綺麗ですねえっ」
店内の間接照明に照らされて、カクテルがなんともいえない幻想的な青い光を放つ。
「飲んでみる?」
「いいんですかあっ?」
わあい、と津田ちゃんはおそるおそるわたしの目の前にあったショートグラスを口にする。
「おいしい。さっぱりしてる。けど、強そう、ですねコレ」
「まあ、津田ちゃんのよりはそう、かな。でもカルーアだってごくごく飲んじゃダメだよ」
そもそもカクテルは少しずつ飲むものだ。「はあい」と頷いた津田ちゃんがカルーアミルクを一口飲んで、これも美味しいーっと満足そうに笑って、おもむろに何の脈絡もなく九重先生に質問した。
「九重先生って、ご兄弟とか、いるんですか?」
「いるよ。妹が一人」
ふうん。妹さんがいるんだ。お兄さんなのか。意外。一人っ子かと思った。
「九重先生の妹さんなら、さぞ美人さんなんでしょうねえー」
「うん。まあ、そうだね」
否定しないってことは余程の美女なんだろう。美人兄妹。うらやましい。
「ご両親は?」
「あれえ? 津田ちゃん。もしかしてオレに興味津々?」
にやにやと津田ちゃんの顔を覗き込んだ九重先生に、彼女はあっさり「いいえ」と返す。
「でもこういうところでどんな話していいかわかんないし、咲紀さんとは基本的なことについてはこの間がっつりおしゃべりしたので」
ね、と微笑む津田ちゃんにつられて笑う。あれは確かに凄かった。気がついたら全部喋らされてた。津田ちゃん、新聞記者とか向いてるんじゃないかな。レポーターとか。なのに気に入った男の子にはメアドも聞けなくなっちゃうんだから不思議。
「あ、そ」
ちょっとポーズ的にがっかりしてみせて、九重先生がグラスを取り上げると中のボールのような氷がころりと揺れた。
「母が妹と一緒に住んでる。父親は死んだ」
「……っ! ご、ごめんなさい」
九重先生の声がいつもより翳を帯びる。それに気づいたのか津田ちゃんが慌てて頭を下げた。
「どうして? 謝ることはないよ。随分昔の話だしね」
でも多分、触れて欲しくない部分だったんじゃないだろうか。九重先生にしては珍しく失態だともいえるけど。
「ごめんね。言い方が悪かった。……今日、ちょうど命日だったから」
病気ですか、とは聞けない妙な含みを感じた。なのでかしこい津田ちゃんは話題をさっさと強制終了させて、次に行く。
「九重先生は、どうして歯医者さんになったんですか?」
「どうしてだと思う?」
いつもの様子でにやりと笑う九重先生に、津田ちゃんは眉間にしわを寄せて、あ、と何かひらめいた様子で口を開いた。
「歯フェチ?」
おいおい。
「それなら女性専用にするよね?」
「あー、そうですよねえ。新堂センセにそうしよって言わなかったんですか?」
「言ったよ」
「言ったんですか!?」
……しまった。静観してるつもりが思わず声を上げてしまった。
「うん。にこにこレディースデンタルクリニックにしようって最後までもめた」
唯史ちゃんなら反対するに決まってる。
「ああー。だから九重センセの患者さん、女の人が多いんですね?」
「そう。そこが妥協点だったから」
本気か!? でも。そういえば、と思い返す。九重先生が治療していた患者さんに男性はいなかったような気がする。……ここまで徹底してるとなんだか変態っぽい。
「でも患者さんには手を出さないよ」
たまに手は出されるけど、と付け加える。
あ・た・り・ま・え・だ!! 内心そう思いつつも表には出さずに黙殺する。気分はそれどころじゃないのだ。帰りそびれてしまったけれど、本当ならとっとと帰って……それから……。
駅員さんに?
多分まだあの人といるんだよね……? 一度も鳴らない携帯。でもここは地下でしかも圏外だから、鳴らなくてもおかしくない。気にしなくてもいい。ここまで考えてのセレクトなんだろうか。このお店。また思考の迷宮に入り込みかけたわたしを九重先生の声が引き止める。
「津田ちゃんはさ。何のために彼氏が欲しいの?」
「え、そりゃ、みんないるしー、」
「みんないるから欲しいの?」
ひやりと、九重先生の言葉にうっすらと剣呑な響きが宿る。津田ちゃんはそれには気づかずにうーん、と悩んだ。そんなこと聞くの、学生には酷なんじゃないだろうか。付き合いたいから付き合いたい、で何が悪いの。べつにいいじゃん!! ただ成り行きで深い理由がいらないことだってある!
……悪いお酒だ。原因はわかってるけど。
「うーんとですねー、」
「うん」
九重先生の顔は笑ってるけど目が笑ってない。答えによっちゃ、ただじゃおかないよって顔だ。津田ちゃんまで試す気なのか。
「理由は色々あるんですけどー、彼氏のいる子はみんな可愛くなったし」
「うん」
「うまくいってもいかなくても、なんだか大人になるっていうかー」
多分津田ちゃんもよくわかっていないのだろう。一言言うたびにまるで難しい問題でも解いているような顔をする。
「友達関係じゃ学べないことが彼氏とは学べる気がするっていうかー」
「へえ? ステップアップするための踏み台にするってこと?」
「違いますよう」
ぷ、と唇を尖らせて、津田ちゃんは上目遣いに意地悪を言う九重先生を可愛く睨んだ。
「そりゃ、一生モノの人と出会えたら幸せだって思いますけど。先は考えません。とりあえず今自分が頑張るために恋愛、したいんですっ」
「恋愛じゃなくても頑張れるものがあるんじゃないの?」
「それはそれで頑張ります。とにかくそのう、誰かを好きになって、大切にしたいんです。恋で自分がどうなっちゃうかも知りたいし。そう! 知らない自分を知りたいのかもしれません」
誰かに好きになってもらって大切にしたい。確かにそれは素敵なことだ。簡単ではないけど。大切にされたい、じゃなくてしたいってところが彼女らしい。津田ちゃんの答えは恋に恋してる域を越えているとは思えなかったけれど、それでもその言葉は、九重先生の求めていた答えとは大きく外れてはいなかったみたいだった。
九重先生は今度は本当ににっこりと笑って、津田ちゃんのグラスに自分のグラスを触れ合わせる。
「イイ人とめぐり合えるといいね」
「ハイッ」
今頑張るために、か。わたし、頑張ってないかも。うじうじ悩んで、怖がって。これじゃステップアップどころか逆だ。恥ずかしい。
くーっとカクテルをあおって、がたん、と立ち上がった。
「咲紀さん?」
「すみません。わたし、失礼します」
「えっ、帰っちゃうんですか?」
「ごめんね津田ちゃん。あとで説明するから。すみません。九重先生。ご馳走様でした」
荷物を持って、慌ただしく頭を下げる。
「咲紀ちゃん? 傷ついても、行くの?」
「行きます! そのキズだってわたしのものですっ」
どうしようなんて具体的なことは考えてなかったけど。
体が勝手に走り出していた。
**ホテルへ。




