【7】「お願い」 4
わたし今年の運気最高かもしれない、と思ってたんだけど、やっぱりそうでもなかったんだろうか。などと思ってしまうのは最近確実にため息が増えているからだ。
あれから既に五日。相変らず不毛な九重先生の好き好き攻撃は続いていた。それがまたいつもの調子でやるものだから、唯史ちゃんもにこにこのスタッフもみんなただの冗談だと思い込んでいて、全く止めてくれない。わたしもいっそ冗談にしてしまいたいんだけど。
——ため息をつきながら、化粧直しを終える。
「咲紀ちゃんお疲れ様。あら、今日は随分おめかしね。素敵。デート?」
ロッカールームにやってきたいずみさんに、わたしは曖昧に笑って首を横に振った。今日の服装はグレーのちょっとフォーマルな感じのスーツ。ジャケットの袖と膝丈のフレアスカートの裾には黒で同じ刺繍が施されている。一目ぼれで買ったけど、ちょっと固いからデートにはどうかなー、と迷ってた服で、でも今日みたいなのにはちょうどいいかとチョイスしたんだけど。
「同窓会なんです。これから」
はっきりいって面倒でしかない。本気で欠席するつもりだったんだけど、例の、去年デート彼氏にドタキャンされたという友人が、先日とうとう別れたらしく「新しい出会いを探すの!」と息巻いて同窓会に一緒に出てくれと泣きついて来たのだ。あんた一人で大丈夫でしょ! と言ったのだけれど、無理ぃーっ!と泣きそうな顔で言い張った。
そして案の定最終的には女の子のお願いは断れないわたし。ああ、面倒くさい。多分同窓会での話題なんて、今仕事何してるのー? か、彼氏はー?とかそれに終始するに決まってる。恐らくちょっといいところに就職した子や、カッコいい彼氏がいる子は黙っていても話してくるから、適当に相槌を打ちながら聞けばいい。わかってるけど、自慢大会を我慢するにも限度があるし、今はあんまり聞きたい気分でもない。津田ちゃんあたりにいえば自慢すればいいじゃないですかー! とか言いそうだけど……残念ながら性格的にできない。もちろん駅員さんは自慢の彼だけど!
駅員さんに会いたいなあ。
タイミングが合わなくて、このところずっと電話でのやりとりだけだ。そりゃあもちろん電話で話せるだけでも幸せなんだけど、声を聞けばどうしても会いたくなってしまう。前はちょっと姿が見えただけでも嬉しかったのに、人とは随分と強欲になってしまうものだ。
「同窓会かあ。いいわね。どこでやるの?」
急に意識を引き戻されて、慌ててバッグの中を探る。どこだっけ? もうこの時点ですっかりやる気がないのが露呈してしまう。ようやく案内状を発見し、場所を見る。
「あー、……**ホテルです」
「うっわあ! そこ最近オープンしたばっかの外資系ホテルだよねえっ。ボーイさんが超カッコいいんだって。いいなあ、行くのっ!?」
ハートマークつきで思いっきり食いついてきたのは、後半組で出勤してきた里美さんだった。
「同窓会なんですよ」
同じ答えを苦笑気味に繰り返す。
「いーなあ。羨ましいっ。でもそんなとこで同窓会やるなんてすごいねえっ。ゴージャスう」
「なんでも、幹事の子のツテらしいです」
そーなんだあ、と本気で羨ましそうに目を輝かせる。両手はお祈りのポーズだ。
「ねえねえっ。一人くらい潜り込んでもバレないかな?」
「と、思いますけど、でも里美さんこれから仕事じゃ」
「いずみさあーんッ」
「ダメ」
勿論いずみさんににべもなく却下され、里美さんは大げさにがっかりしてみせた。仕方ない。今日は津田ちゃんがお休みなのだ。里美さんははああーっ、と深々とため息をついた。
「残念ーっ。じゃあ咲紀ちゃん。あたしの分まで楽しんできてね。で、あとでどうだったか聞かせて」
そのものすごい勢いにわたしはこくりと頷いた。ああ。これでやっぱり行かなきゃ駄目か。ちらりと時計をみて、化粧ポーチと案内状をバッグにぞんざいに突っ込むと、足取りも重く立ち上がる。
「じゃあ、お先に失礼します」
行かなければよかったのだ。こんなに気乗りしなかったのは神さまのお告げか何かだったのかもしれなかったのに。でもいつだって後悔は文字通りあとでするものなのだ。
——厄介なことに。
*+*
「嘘、ほんとにここ?」
一瞬入り口はどこだろうと迷った挙句二人でやっと見つけたホテルの入り口は、これ? と思うほど小さかったのに、中に入るとびっくりするほど広くて豪奢な造りをしていた。いかにも上質な隠れ家的ホテルっぽい。落ち着いた色彩。さすがに外資系だけあって利用客も日本人より外国人の方が多いようだった。しかもセレブ風な。
わたしは友人であるところの森野知佳と顔を見合わせた。思わず招待状まで引っ張り出して確認してしまった。
ホントにここだよね!? 会費は一人五千円。って、ホント!? ケタ間違ってるんじゃないの? 最初はちょっと高めだと思った会費だったけど、会場を知った今では破格だとわかる。……まあ、いいや。もし違ったらもう完全に遅刻だしこの際ばっくれて帰ってしまおう。知佳には悪いけど。
ロビーでおろおろしていたわたしたちに、すぐさまホテルマンが優雅にやってくる。場違い、だと思っているだろうにそんなことまったくおくびにも出さず、大切なお客様として扱ってくれるあたりさすがプロ。いや、これまでもきっと何人もいたんだろう。同じような人たちが。
「失礼ですがお客様は**大学さまの同窓会にいらっしゃったのでしょうか」
「は、はいっ」
「かしこまりました。ご案内いたします。こちらへどうぞ」
ホテルマンというよりは執事といった感じの品のいいオジサマだ。促されるままエレベーターホールに歩いてゆく。絨毯もふかふか。エレベーターは新しいのにクラッシックな装飾。まず一生縁のなさそうなホテルだ。
程なくやってきたエレベーターの扉を押さえてわたしたちを乗り込ませ、上の方の階のボタンまで押してくれる。
「こちらの階を降りて正面のお部屋となっております。ごゆっくりどうぞ」
深々と頭を下げるその人につられて、思わずわたしたちも頭を下げた。うーん。一生セレブにはなれそうもないな。扉が閉まって二人だけになると、どちらともなくホッと息をついた。
「なんか、すごいね」
なにがすごいんだかわかんないけど、そう言ってきた知佳にわたしは頷いた。
「あー、なんかドキドキしてきた。ねえねえっ、山本くん来てると思う?」
懐かしい名前が飛び出して面食らう。
「司っち? さあねえ。ってかあんたまだ好きだったのか!」
「そういうわけじゃないんだけどお」
山本司くんというのは、ゼミが一緒だった知佳の好きだった人だ。っていっても知佳は移り気なオンナだったから、もちろん四年間そいつをずっと思い続けてきたというわけではない。だいたい江ノ上に酷い目にあった友人というのは、他でもない。この知佳のことなんだから。だから今回も江ノ上には連絡しなかった。別れたあとも嫌いじゃないと言っていたのも知佳だったけど、好んでわざわざこの二人に挟まれるなんてごめんだ。
「いたら協力してね。お願い!」
「えー……」
気乗りしない。大体あの優しく気のいい司っちなら、もう彼女がいるんじゃないか? わりとイケメンだし。素直にそう口にすると、途端に知佳は不機嫌モードに突入した。
「咲紀の意地悪ッ! いいよねえ。咲紀にはカッコいい彼氏がいるんだからさあ」
カッコいいはもちろん否定はしないけど。そこで逆ギレされても困る。
「別に、それは関係ないでしょ」
「あるっ。わたしだって幸せになりたいよ!」
何度も聞いたこのフレーズ。知佳は別にモテないわけじゃない。ただちょっと……いやかなり……ガツガツするから引かれるのだ。黙っていれば綺麗めギャル系と言えなくもないのに彼が出来るとたちまち極甘依存系の子猫に変わる。……束縛系、と言えなくもない。それで相手がうんざりして離れて行くのだ。何度それを指摘しても「だって、仕方ないじゃない。好きなんだもん」で同じことをくり返す。
「はいはい。頑張って」
「じゃあ協力してねっ」
「……」
そうはいっても、知佳は自分で何とかするんじゃないだろうか。超肉食だし。案の定会場に到着して、いきなり知佳はお目当ての人物を見つけたらしく、“山本くうん、久しぶりいっ”と一オクターブ高い声を上げながらわたしから離れていった。ほらね、やっぱりこうなると思ったんだ。
そして、わたしもいきなり江ノ上と遭遇した。——違うな。これは待ってたんだ。わたしを。
「よお」
「どーも」
「なに、今日スタッフなの?」
江ノ上が首から下げてるスタッフ証を目ざとく見つける。まあ不思議じゃない。あっちこっちのサークルに顔を出しては先輩たちに可愛がられていたし、その分情報通だった。こういう企画には最適な人材だ。
「まあな」
結構な盛況ぶりにあたりをきょろきょろと見回した。知った顔もいればそうじゃない人もいる。
「ところでこれ何の同窓会? ゼミのかと思ってたけどそれにしちゃ多いし、学部にしては少ない」
はっきりした会名はなかった。学校名と同窓会っていうのを折り込んだ闇鍋的なそれ。最初詐欺を疑ったくらいだ。
「名目はなんでもよかったんだ。団体モニターだから」
「モニター?」
「そ。このホテルの。受付したときもらったろ? アンケート」
そうだっけ? もらった用紙のいくつかを見ると、なるほどここのホテルのマークが入った用紙を見つけた。
「だからか。会費五千円」
「そういうこと。悪くないだろ? 安く良いところで飲み食いできるんだから」
「まあね」
あとで書いて出してくれ、と回収箱を指差す。
「なんで知佳にも招待状出したのよ。しかも同窓会じゃなくて合コンだと思ってるみたいだし」
声を潜めて咎めるように囁く。
「それも嘘じゃないぞ。合コンも兼ねててそういうのも集まってる。それにあいつが来ればお前も来るだろ」
見抜かれてるのがちょっと感じが悪い。
「絶対知佳にそんなこと言わないでよね」
「だから司を呼んだろ」
確かに、司っちがいれば知佳が江ノ上に声をかける可能性はひと欠片もないだろう。ちっ。全部想定内の作戦か。……こういうソツのないとこすごいと思うけどやっぱ苦手だな。
「あとさ、これずっと聞きたかったんだけど、——お前このまま歯科助手続けるわけ?」
「え?」
ぎくり、とした。まるで治ると思って放置してた傷が、おもいっきり化膿してた、のに気づいたみたいな。まさかいきなりそんなことを聞かれるなんて思ってなかった。
「お前それ系の資格持ってないし、そもそも出版がやりたかったんだろ」
「……だから?」
さんざん受けて駄目だったの知ってるくせに。まあ、高望みは承知の上だったけどね。そもそもわたしが受けたいところは殆ど新規採用がなかったのだ。その手の大手じゃない出版社が中途採用が多いことは知っていた。でも、バイトしながらそのチャンスを待つ勇気はわたしにはなかった。
「山櫻社」
わたしの第一希望だった出版社の名前を江ノ上は不意に口にした。そこはやはり新規採用はなかった。一応アプローチ、したんだけど。
「そこがどうかした?」
「庄司って覚えてるか? あいつが半年前にそこ入ったんだけど、どうやら今度中途採用かけるらしい」
「嘘ッ」
「いや。マジな話」
心のどこかが疼く。
「お前さえその気なら口を利いてもいいっていってた」
「庄司くんが!? うっそ、いいヒト!」
「現金なやつ」
手の届かなかったものが、目の前に? ……今?
「で、どうする? 受ける気あるか?」
「……ッ」
どうしよう。
最近ホントつくづくタイミングが悪い気がする。半年前なら即決で、この場で受けてた。でも、今は? 出版社に勤めたら休みも勤務時間も不定期。ないといってもいいほどだ。小さいトコほど一人で色々やるから激務と決まっている。男も女も関係なく。だから。駅員さんとは間違いなく今よりも会えなくなるはずだ。今も満足に会えないのに、もっと。
いいの? 本当に?
ぐるぐると逡巡して、ようやく言葉を絞り出す。
「返事、いつまで?」
わたしがそういうことがわかってたみたいに、江ノ上は苦笑しながら肩をすくめた。
「そんなの早いほうがいいに決まってるだろ」
「だよね」
手が足りないから募集をかけるのだ。今すぐ、返事をしたほうがいいことはわかってる。
でも。
「とりあえず、庄司の話聞いてみるか? 今日来てるし」
その言葉にはすぐに頷いていた。
「お願い」
どうしよう。
すごくいい話であるにも係わらず、いきなりそんな話を今のわたしに持ち込んだ江ノ上を恨んだ。
逆恨みだ。でも。
知らなければ、こんな風に思い悩むことなんかなかったのに。




