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駅員さんの恋  作者: 高藤みずき
22/56

【6】「限界」 2



 樹くんの乱入により、良くも悪くも時間を気にしなくてよくなったわたしたちは、よく喋り、よく飲んだ。普段わたしはどちらかと言えば聞き役の方だ。あいつはそもそも愚痴られるのが嫌いだったし、ちょっとでも弱音っぽいものを吐こうものならすぐに機嫌が悪くなった。一見対等のように思えたけど……違った。あいつはただ他人の面倒ごとが嫌いなだけだったんだ。


 元々わたしは何かを決めるときは、たいてい人に相談せずに自分ひとりで決断してしまう方だし、恋愛で悩んでても喧嘩の原因だとかどうすればいいのか、なんてことは明らかなのであまり話すこともない。いわゆる自己完結型。——昨日はそれが思いっきり裏目に出てしまったわけだけれども。それなのに、今夜は気持ちよく話せた。駅員さんは聞き上手なのだ。気がつくと洗いざらいみんな、喋ってしまっていた。好きな本、食べ物、趣味に始まって、果ては元彼と別れたいきさつだとか、唯史ちゃんが初恋の人だったことまで。さすがに喋りすぎた、と自己嫌悪で口を噤む。


「ええと……こういうの聞いて、気分悪くならない、んですか?」


 わたしが駅員さんのそんな話を聞いたらめちゃめちゃ不愉快——にはならないまでも、やっぱり気になってしまいそうだ。うん。すごく。


「咲紀さんが、今見てくれてるのは?」


 この人は、こんなとこで、なんてこと聞くんだろう。わたしは周りをそろりと窺って、既に何本目かわからないクリスマスビールの入ったグラスを無意味に弄んだ。色はオレンジがかった赤色。名前は〝ブーカニア・クリスマス〟。アルコール度数は九・五%で、フルーティーな香り。力強い味わいと心地よいモルトの風味。 ラベルが、サンタなのにアイパッチしてるし、歯も抜けてて、妙に柄が悪い。


「……真哉さん、です」


「不快なら最初から聞きません。ただ少し心配だけど」


「え?」


「僕は咲紀さんのそばにずっといられるわけじゃないから」


 あ。と口を開けて、こくんと頷く。少しだけ切なさの滲んだその笑みに、胸がきゅうっとなる。


「でも、ちゃんと断りました、よ」


「咲紀さんのことは信じてます。そうか……これは、ヤキモチなのかな」


 照れくさそうにそう言った駅員さんが何だか可愛くて、ここがお店じゃなかったら抱きしめていたかもしれなかった。いや、何を言ってるんだわたし! 落ち着け!


「いいムードのとこ悪いけど、そろそろ今年のシメにこんなビールはどうです?」


 びっくり。目の前に置かれたのは耐熱グラスだった。


「ホットビール?」


「そ。これも冬季限定。リーフマン・グリュー・クリーク。度数は六・五%。さくらんぼのビールで、温めて飲むんですよ」


 そっと、グラスを包み込むように持ち上げる。本当に温かいのが不思議だ。シナモンの香りと濃厚なチェリーの味わい。そっと口を付けた。


「美味しい」


「そりゃあよかった」


 何でもないことのようにニコっと笑って織田さんは次のテーブルに向かう。——いいクリスマスだな。ずっと忘れてた。美味しいものを食べて、飲んで、好きなヒトと一緒にいる。それだけでこんなにも心が温かくなることを。


 その時、店内の照明が消えた。一瞬場がざわめくが、ヴァイオリンの奏でる賛美歌に静かになってゆく。店の奥からボーイさんたちがトレイに丸いグラスに入れたキャンドルを持ってきて各テーブルに一つずつ置いてゆく。それと一緒にクラッカーも人数分。


 全部行き渡ったところで、織田さんが口を開いた。


「ただいまの時刻は十一時五十九分。間もなくクリスマスです。カウントダウンを始めます。お配りしたクラッカーをお持ち下さい。いいでしょうか? ……ここに居合わせた、奇跡に。五、四、三、二、一」


 花火のように音だけのクラッカーが打ち鳴らされる。瞬間不意打ちのように一瞬だけ駅員さんの唇がわたしの唇に重なった。


「メリークリスマス、咲紀さん」


 柔らかな光に照らされて、びっくりしながらもわたしは口元を綻ばせた。


 もうバカップルでもいいや。


「メリークリスマス。真哉さん」


     *+*


 お店を出ると、程よく回ったアルコールで寒さが気持ちよかった。そう思えたのは最初だけだったけど。どうしようかな、と目の前の二人の会話を眺める。


「ちゃんと先に部屋に戻ってるんだぞ」


「オレも行く」


「駄目」


 にべもなく言い放つ駅員さんを、樹くんが恨めしそうに見つめた。


「鍵持ったままオレがいなくなったらどうするんだよ!」


「鍵を? そうだな。そしたらそのまま彼女の家に泊めてもらう。……うん。その方がいいかもしれないな。そうしてもらおうか」


 ね、とわたしに微笑んでくる駅員さんの表情は満更嘘でもなさそうで、冗談だってわかっていてもどきどきする。


「そんなこと許さないからな! ……やっぱりオレも一緒に行く!」


「それ以上わがまま言うなら、今日は一誠に預けるよ」


 その駅員さんの一言は、なにやら樹くんにものすごいダメージを与えた。織田さん? なんで? やがてショックから立ち直ったのか絞り出すような言葉を返す。


「……それは、ヤダ」


 あれから少ししてお開きになり、店の前でわたしを送ると言う駅員さんの袖を樹くんが掴んだまま、そんな堂々巡りが続いていた。


 うーん。この子ヴァイオリンを持ってるときと持ってないときだとまるで別人だな。リサイタルの時はもっと大人だと思ったのに。——この駅員さんへの過剰な依存は子どもそのものだ。唯史ちゃんのことを好きだった頃のわたしみたいでちょっと嫌になる。こんな感じだったんだなあ、わたし。そういえばあいつも顔は良かったからよく無駄に嫉妬されたっけ。そう。こんなだったな。そんな睨むなら口で言いたいこといいなよ、って感じの。


 圧の高い射殺されそうな視線に、内心ため息をついて駅員さんにひらひらと両手を振る。


「一人で帰れるから大丈夫です。近いし。真哉さんは樹くんと一緒に帰ってください」


「なれなれしくオレを名前で呼ぶな!」


 咎めようとした駅員さんを目線で止める。文句は自分で言う主義だ。


「あらそう。ごめんね。なんだっけ。そうだ藤間くんだったかな」


 勿論わざとだ。名前くらい覚えている。


「さん、だ」


 挑発に乗らないわたしが気に入らないのか、もごもごと不機嫌そうに答える。


「悪いけどわたし、敬意を払える人間しかさん付けで呼べないかな」


 樹くんが途端に気色ばむ。


「真哉! なんでこんなの選んだんだよ。これなら前のがまだマシだった。顔もカラダも、バックヤードも」


 ほほう。言ってくれるじゃない。


「樹!」


「オレイヤだからな。こんな女! 別れるまでずっと邪魔してやる」


 ため息をつく駅員さんに、わたしはそっと笑って見せた。うん。やっぱこの子コドモだ。——そういうわたしも充分今から大人気ないことしようとしてるけど。


「あなたの演奏は素晴らしかったけど、あの音の持ち主がコレだなんて興ざめ」


「……アンコールの途中で席を立ったくせに」


 気にしてたのか。多分わたしが席を立ったことを怒ってるんじゃなくて、駅員さんが途中で帰ってしまったことを怒っているんだろう。いや、拗ねているのか? それをわかっていながら、わたしはあえて違う答えを口にする。


「それは仕方ないでしょ? あなたが何百、何千の音を奏でても、真哉さんの一言ほどにはわたしの心に届かないんだもの」


「な、……ッ」


 コドモ相手にキツイことを言っている自覚はあった。でも最初に喧嘩を売ってきたのは向こうだ。だから。相手を不用意に傷つけることの怖さくらい、知ってもらう。身をもって。


「自分の暴言は許せても他人の暴言は許せないの? 言葉には毒だって刃だって簡単に宿せるの。加減しないで使えば相手に致命傷だって与えられる。それを使う以上相討ちする覚悟があってしかるべきでしょう。少なくてもわたしはそう。あなたは違うの? 未成年をタテに、そんなこと知らないって駄々をこねてみる? 責任を取る気のない暴言はゴミと一緒だけど」


「すっげ、性格悪いなあんた」


 お前が言うな。でも唇が震えてるところをみると本気で怒っているんだろう。覚悟が足りないな。


「お互い様だと思うけど。売られた喧嘩は買う主義なの。悪いけど、今までの人と同じだなんて思わないでね」


 言い放ったわたしを指差し、勝ち誇ったように駅員さんに叫ぶ。


「今の聞いてただろ真哉! こんな女だぞッ」


 おっと、……しまった。駅員さんに幻滅される、ってことは考えてなかった。恐る恐る駅員さんを見上げると、わたしの視線を笑顔で優しく受けとめたあと、樹くんを真顔で睨んだ。


「咲紀さんが正しい。謝れ樹」


「……真哉……」


 傷ついたその顔にははっきりくっきりイヤダと書いてある。


「謝れないなら、もう二度と来るな」


「真哉!」


「真哉さん!」


 庇ってくれるのはうれしいけど、樹くんは怒りを通り越して、蒼白だ。


 やりすぎです!


「樹」


 樹くんが悔しそうにきゅ、と唇を噛む。


「……あの、もういいですから」


 二対一ではまるで苛めているみたいだ。こんな頭ごなしに謝らせても意味はないし。


「駄目です。咲紀さんがよくても、僕が許せない」


 うーん。でもこの場合駅員さんがいうのは逆効果だと思うんだけど……。北風と太陽の北風みたいに。案の定樹くんはわたしと駅員さんをキッと睨みつけた。


「真哉のバカッ! そんな意地悪オンナ、絶対認めないからなーっ!」


「樹!」


 駅員さんの手をすり抜けて、樹くんはご丁寧に盛大な〝あっかんべー〟を残して駅員さんのマンションの方へ去っていった。残されたわたしたちは、どちらともなく顔を見合わせた。


「すみません。樹が失礼なことを」


「いえ。わたしもちょっと手加減なしで言い過ぎたし」


「いえ? 嬉しかったですよ」


 そう言って本心から笑ってくれるから、荒れかけた心の波があっさりと凪いでゆく。仕方ないなあ。


「どうぞ? 心配でしょう。帰ってあげて下さい」


 多分、それは駅員さんからは言いにくいだろうから。てっきり頷くと思った駅員さんは予想外にはっきりと首を横に振った。


「咲紀さんを送ります」


「でも」


 それはそれでまた機嫌を悪くするんじゃないだろうか、あの子。


「あいつももう子どもじゃないし。……今の僕には咲紀さんの方が大切です」


 これは、ここで頷くのが可愛い女なのだろうけど。あの子に引き金を引いてしまった手前、なんだか素直になれない。黙り込んでしまったわたしの手を、駅員さんが掴んで歩き出す。わたしのアパートの方へ。


「真哉さん」


「本当に、咲紀さんの部屋に泊めてもらいたいんですけど……。それは咲紀さんを困らせてしまうでしょうから」


 だからせめて送らせてください、という優しい言葉が耳に落とされる。といってもアパートまでの道のりはあっという間で。玄関先で心許なげに二人目を合わせた。


「今日はありがとうございました」


「こちらこそ。……おやすみなさい。咲紀さん」


 ここでおやすみなさいと返すとすぐに行ってしまうんだな、とか一瞬思ってしまった自分の乙女思考に呆れる。駄目だってば。樹くんが駅員さんのこと待ってるんだから。


「お、おやすみなさい。また明日」


 明日はお互い遅番だった。何のために遅番にしたのかをちょっと思い出して、顔が赤くなりそうになるのを堪えた。


「気をつけて帰ってくださいね」


「咲紀さんこそ、ちゃんと戸締りしないと駄目ですよ」


「……はい」


 なんでこんなに別れ際って寂しいんだろう。妙に離れ難くてイヤになる。せめてキス。いや、軽く抱きしめてもらうだけでもいいんだけど……、駄目かな。でもそんな恥ずかしいこと自分からさすがに口にはできずに、じゃあ、と手を振りかける。


「まったく、」


「え?」


 一瞬わたしに背を向けた駅員さんが、すぐに振り返ってわたしを部屋に押し込むようにして抱きしめた。ドアが外から二人の姿を隠すように閉まる。


「そんな顔されたら帰れません」


「ど、どんな顔ですかッ!」


「……寂しくて、仕方がないという顔です」


 だって、仕方ない。駅員さんが見えなくなったらわたしはすぐにまた会いたくなってしまうに決まっているんだから。こんな気持ち、初めてなんだから。


「そんな顔、してますか」


「……多分、僕の希望も入ってる」


 咲紀さん、と呼びかけられ振り仰いだところに唇が落ちてくる。溶け合うんじゃないかと思うほど、求め合う激しい口付け。そのまま押し倒されてしまいそうな深いキスに、うっかり流されそうになった瞬間、どこかで樹くんの顔がちらついた。


 やれやれ。


「今日は駄目ですよ、真哉さん」


 名残惜しそうなキスの合間にため息がもれる。


「……だから触れずに帰ろうと思ったのに」


 咲紀さんが悪いんですよ、と囁きながらぎゅうっと抱きしめてくれる。


「止まらなくなるの、わかってましたから」


「え、わたしのせい、ですか?」


「そうです」


 可愛すぎる、と囁きながら柔らかく耳を食む。ぞくりと身体全身が甘く痺れて、もうどうだっていいやと思い始める自分と戦う。


「……時間、気にしないときがいいです」


「そうですね」


 小さく笑って、駅員さんはもう一度わたしを覚えこむように抱きしめてから離れた。


「おやすみなさい」


「お、おやすみなさい」


 心配だから見送らずに鍵とチェーンを、と言われて少しだけ残念に思いながらも言うとおりにした。そうだ。ベランダからなら少し見送れる。急いで窓を開け、気づいて振り返ってくれた駅員さんに手を振った。すっかり駅員さんの姿が見えなくなって、さて部屋に戻ろうと思ったとき、そこに見えた人影にうわ、と思わず声が漏れる。


 気づくんじゃなかった。


 鍵と携帯だけをコートのポケットに突っ込んで、再び部屋を後にする。階段を降りた先に、バツの悪そうな顔で立っている江ノ上を見つけた。見つけてしまった。


「何の用? こんな時間に」


「……悪イ。……金田のこと聞いた」


 どこから聞いたんだろう。地獄耳だからどこからでもおかしくないけど。そういえば江ノ上にはまだ連絡してなかったことを思い出した。


「悪いけど、謝れない」


「わかってる。逆。俺が謝りに来たんだよ」


 何で止められなかったのか、とかうっかり責めてしまいそうだったけど、人一人を監視下におくなんて無理だ。しかも相手は他人で、大人なんだから。それに江ノ上は最初から金田くんの気持ちについてわたしに知らせていた。防ぎようのなかった事故だ。江ノ上に怒っても仕方ない。江ノ上だってこんなことになるなんてさすがに想定してなかっただろう。


「……もういいよ」


 わたしの言葉に江ノ上は「そか」と小さく安堵したように息を吐いた。ややあって、まるで数秒前のしおらしさが嘘だったみたいな顔であたしを見る。


「お前さ……さっきのイイ男と、付き合ってんの?」


「えっ」


 どっから見てたの、こいつ。じっと探るように江ノ上を見て、隠す理由もないかと頷く。うわーマジかーと呟いて、嫌そうに肩をすくめた。


「お前メンクイだもんなあ」


「別にそんなんじゃない」


「説得力ねえだろ。今のがアレで、前が先輩じゃ」


 二人の顔がいいのは否定しないけど、それだけじゃない。それだけみたいに言われるのは心外だ。


「茶化すんならもう帰って」 


 どうしたって江ノ上を見れば記憶が金田くんに直結する。……怖さが、戻ってくる。わたしの怯えを感じ取ったのか、江ノ上は表情を緩めた。


「コーヒー一杯分くらい付き合えよ」




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