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駅員さんの恋  作者: 高藤みずき
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【1】「一目惚れって信じる?」 1



 突然終ったその恋は、しばらくは彼の好きだった展示会を見つけたりコンサートに気づいたりしたときなんかに、そうだもう連絡しなくてもいいんだっけ、と胸の中にふとした痛みにも似た喪失感をもたらしたけれど、それでも一ヶ月以上会わなくても平気だったり、一週間連絡がなかったりするのが普通だったりした日常を思い返してみても、やっぱり終りかけていたのだと思わざるを得なかった。聡いあいつがそれに気づかないはずがない。だからこそわたしから早々に手を引いたというのが正解なんだろう。


 痛みを感じたのも本当。でも今は寂しい、よりも正直少しホッとしていた。打ち消そうとしてもそれが本音だ。もう無理して日にちを空けたり、直前で仕事が入って不機嫌顔の彼にごめん! って謝り倒したりしなくてすむ。そう思ってしまう自分を苦々しく思う。もちろんその逆もたくさんあったけど。


 でも、そんなわたしに追い討ちをかけるかのように十月、会社が倒産した。春に大学を卒業して新入社員として勤めていた小さな出版社だった。ブラック気味ではあったけどそんなに崖っぷちだとは思ってなかった。悪いと思ったのかまだ勤めて一年にもならないわたしにも退職金が出たのは幸いだ。次から次へとこの超展開。


 これは何かの罰ですか。彼を大事にしなかったわたしへの。


 立ち止まっていても仕方がない。せっかくだからヤツとの思い出いっぱいのアパートを引き払って、心機一転。一度も使ったことのない沿線に引っ越すことにした。それは別にやけっぱちでもなんでもなくて、今月から歳の離れた従兄が経営する歯科医院に勤めることになったからなのだけれども。


 いきなり無職になってこれからどうしようかなー、と無為に日々を過ごしていたわたしへ母親経由で持ち込まれたその話は、最初はぜんぜん乗り気じゃなかった。でも何もしてないのは逆に辛くて、後日直接従兄からかかってきた電話に、やる、と反射的に答えていた。このままいつまでもだらだら過ごすというわけにもいかないしね。金銭的にも。ただ一つ心配なのは、だ。


「でもいいの? わたし何も経験ないよ?」


 自分の人生に歯医者さんのお手伝い、というのは全然想定してなかった。それは従兄も承知しているらしい。


「うん、それは大丈夫。雑務が中心だしうちのスタッフは優秀だから、入ってから教えてもらってくれる?」


「わかった」


 先月ひとり結婚退職して手が足りないらしいとのことだった。あまり最初から多くは求められていないことにホッとする。もちろんこれから頑張るつもりではあるけど。


「朝九時開院だから三十分前には入れるかな?」


 久しぶりに聞く優しい従兄の声に、自分がわりと冷静でいられることに気づいた。昔から彼はわたしにとって唯一甘えられる存在だった。色んな意味で特別な。だからあの時のまま、妹のように答えを返した。


「はーい」


 そんな感じで決まったのが一ヶ月前。それから慌てて新しいアパートを探して、引越しして、正直その頃になると忙しすぎて別れた元彼のことを思い出すヒマもなかった。駅には二十四時間営業のスーパー。大きめの本屋さんもある。帰宅途中にはコンビニと、雰囲気のよさそうなカフェ。そして一DKの小奇麗なアパートまで徒歩五分。


 改札が一つのこじんまりした駅の大きさもわたしの好みだ。


 勤め先は電車で十分。大きな都市へも電車で二十分弱で出られる。急に探したにしては上出来。何かを言い聞かせるみたいに何度もそんなことを思う。ふらっと帰ってきてももうわたしはいないんだからね。そんなことを思って溜飲を下げるあたり、少しは未練があるのだろうか。……いや、違う。もしあるとすればあの時はっきりとした別れの理由を聞かなかったことへの後悔ぐらいか。一方的に突きつけられた別れを前に、傷つくのを無意識に避けたんだ。小さいな、わたし。


 なにはともあれ新生活だ。全部リセットしよう。そう思った。


         *+*


 医療系ならやはりまとめ髪がよかろうと、ロングの髪を緩めに手早くシニヨンにする。いっそ切っちゃおうかとも思ったけど、あんまりベタ過ぎてやめた。だいたいなんでわざわざ終った恋のためにせっかくここまで伸ばした自分の髪を切らなきゃいけないんだ。


 負けたわけでもないのに。いや、そもそも恋愛は勝ち負けとかじゃないはずだけど……、多分。


 遠足の前の晩みたいになかなか眠れなくて、朝も随分早く目が覚めてしまった。初日に遅刻はありえないからまあいいか。


 トーストとサラダを紅茶で流し込み、見るともなくニュースに目を向ける。片付けて、前髪とメイクを仕上げて。制服があるというから私服はなんでもいいはずだけど、やはり第一印象は大切だろうと気張らない程度のフレアスカートにカットソーにジャケット。それにコートを羽織る。パンプスは立ち仕事した後の状態をかんがみて、低めの踵のものにした。


 のんびり支度をしたはずなのに、時計はまだたっぷりと時間があることを告げている。


「ま、いっか」


 新人なら早めに待ってたほうが印象もいいだろうし、歯科医院が一階に入ってるそのマンションには従兄が住んでいるから、場合によってはそちらに顔を出そう。そう決めて、アパートをあとにする。定期、昨日買わずに今日でもよかったな。ゆったりと歩きながらそんなことを思う。なんでも早めに準備しておかないと気がすまないこの自分の性格が憎い。万が一寝坊したときのためにと、昨日のうちに定期を購入していたのだ。こういうところも煩がられてたなってちらりと思う。


 駅に着くと、タイミングよく電車が来る三分前。こういう時に限って順調なんだなあ、と降りたときに改札の近い進行方向最後尾のあたりに立った。


 ふとホームを掃除している駅員さんが目に入り、ふうん、とさりげなく不躾に眺めてしまう。背、高い。カッコいい。駅員さんよりもモデルの方が向いてるんじゃないだろうか、というくらいの容姿だ。カメラがあったらドラマの撮影だと思ったかもしれない。朝から目の保養だなあ、と現金にも早起きしてよかった、なんて思う。三文の得。確かに。


 綺麗な手だ。大きくて筋ばった綺麗な手にわたしは弱くて、あいつと付き合うことになった決め手も確か手だった気がする。——思い出し過ぎだな、と自分に舌打ちする。せっかく浮上しかけてた気持ちが台無し。


 ふと、駅員さんがわたしに気づいて顔を上げた。


「おはようございます」


 真正面からでもやっぱりカッコいい。しかもうっとりするくらいの笑顔つき。うーん爽やかだ。


「……オ、ハヨウゴザイマス」


 咄嗟のことで思わず一本調子になってしまう。そうか。そうだよね。駅員さんだもの。お客がいたら挨拶するんだ。でもなんだかすごく得したような気がして、無意識に頬が緩む。ニコリと微笑んで、駅員さんは再び清掃作業に戻った。


 そうこうしているうちに目の前に電車がやってくる。十分くらい待ってもいい気分だったから残念だ。まあ、でもそんなに時間があったら駅員さんだってお掃除を終えて行ってしまうだろう。八割程度の乗車率にホッとして、乗り込んだ。


「いってらっしゃい」


 背中から声がして振り返ると、駅員さんがまっすぐわたしを見ていた。うっわー。イイな。これ。やっぱり当たりだった、この駅。


 躊躇したのは一瞬だけ。


「ありがとうございます。行ってきます」



 今度は間違いなく全開の笑顔で言えたはずだった。





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