【5】「君は僕のもの」 2
雑炊を仕上げて一緒に食べて、送ると言う駅員さんを断ってわたしは家に向かった。クリスマスイブにテンペストで会う約束をして。
わたしは基本的にイヤなことは早めにすませようと思うタイプだ。家に帰ってきて、わたしはずっと唯史ちゃんになんて言ったらいいのか考えていた。いつまでもこうして考えてたって仕方がない。とにかくかけてしまおう、と携帯に手を伸ばした瞬間、それが鳴り出してびっくりした。まさかまた、と内心どきどきしながら画面を見ると津田ちゃんで、ある意味これも怖いな、と思いながら出る。
「咲紀さあーんっ! 聞いてくださいよおーっ」
突然の半泣きの声にびっくりする。何があったの? ひょっとして、と思いながらも、もしわたしのことでなにかあったのなら津田ちゃんはわたしに電話をかけては来ないだろう。
「金田くんヒドイんですよーっ」
「な、に? ヒドイって」
「もうすぐクリスマスじゃないですか。だからクリスマスプレゼントに指輪が欲しいっていったんです」
そこまで一息に言って、しゅん、と声が萎む。
「それで?」
「指輪は特別だからあげたくないって言うんですよ! ひどくないですかーっ!?」
ヒドイ、のかな? 津田ちゃんには申し訳ないけれど、正直わたしは指輪をしない方だしもらいたいと思ったこともなかったのでよくわからなかった。仕事の邪魔にもなるし。ああ、でも男除けになるよと誰か言ってたっけ。
「単純に今は、ってことなんじゃないの? だって付き合い始めて数日でしょ?」
「そうですけど。友達とかみんなもらってて、正直」
「羨ましいんだ」
そうなんです。なんて可愛く言われちゃうと、わたしが買ってあげたくなっちゃうけど、津田ちゃんが欲しいのはあいつからの指輪だ。
「ネックレスとかピアスじゃ駄目なの?」
「なんか、貴金属はあげたくないみたいなんですよー」
「お金がないとかじゃなくて?」
「お金の問題じゃないっていうんです。違うものなら幾らのでもいいっていってたから」
なら単純に本当に貴金属類をあげたくないだけなのか。彼女が欲しいっていってんだから買ってあげればいいのに。……わたしのことが関係してないと思いたい。いや、たぶん彼のポリシーだろう。
「咲紀さんから金田くんに言ってもらえませんか?」
ぎくり、とした。
「あ、わたし? なんでわたしが?」
「何となく金田くん咲紀さんの言うことならきくんじゃないかって」
どうしてそう思うのーっ!
「いや、それはない! 津田ちゃんの気のせいだよ」
何の含みもないんだよね? 津田ちゃん、と後ろめたいことなんかないのにどきどきする。
「一応もう一回頼んでみれば? でも付き合いが浅い男の子にいきなり指輪は重いかもしれないから別なものとかも考えておいてさ」
「そう、でしょうか……」
ああっ、しょんぼりする津田ちゃんの姿が目に浮かぶようだ! 女の子に甘いわたしとしては何とかしてどうにかしてあげたくなってしまう。
「貴金属が駄目なら、両手いっぱいの抱えるほどの花束とか頼めばいいんだよ。それなら指輪の方が恥ずかしくないとか思うかもしれないし」
「花束……」
「人生そんな大きな花束もらうことなんてそうないから却っていい想い出になるかもよ? それに津田ちゃん春生まれでしょう? 指輪は最悪それまで待てば?」
時間かけて口説き落としてさ、と言葉を重ねる。ああ。どうしてこんなことしか言えないんだろう。あの男は、多分最悪なのに。軽く自己嫌悪に陥ったところへ、それでもわたしの言葉に何か思うところがあったのか、立ち直ったらしい津田ちゃんの明るい声が響いてくる。
「それもそうですよね。さっすが咲紀さん!」
うんうん大きい花束とかいいかもーっ、と満更でもなさそうな津田ちゃんにちょっとだけホッとする。本当に君は可愛いよ。津田ちゃん! ——だから傷つけたくない。そうか。連絡はこれについてだったのかな。津田ちゃんにあげるプレゼントの相談だったと思いたい。あの電話とメール。……そう思いたいだけなのだ。でもわたしはイヤなものを直視したくなくて、のん気にもそう思おうとしたのだった。
津田ちゃんの、ほとんどノロケと思われる長電話の後では、とても唯史ちゃんに電話できるような時間じゃなくて。わたしは今日は諦めることにした。しかも電話は終わったんじゃなくて充電切れの強制終了だし。わたしはため息をついて寝る支度をするべくバスルームに向かった。こーいうときはさっさと寝てしまうに限る。シャワーは、明日の朝にしようかな。そう考えてバスルームに目を向ける。
気づいたのは偶然だった。ここは二階だけれど、バスルームの窓は廊下側に面しているのだ。外の影が、動いた気がした。嘘。……誰か、立ってる? いきなり窓を開けるのは何だか怖くて、そっと忍び足でリビングにあるインターホンについてる外部カメラをオンにした。
「……ッ!」
思わず両手で口を押さえた。ぞっ、とした。あまりに怖くて、信じられなくてへたり込む。そこに立っていたのは、うっすらと笑みを浮かべた金田くんだった。
「……嘘、でしょ……?」
わたしに用があるの!? ――じゃあなんで黙って立ってるの!? どうしよう。警察!? は、まずいよね。駅員さんも唯史ちゃんも、もし何かあったらと考えると連絡できない。
じゃあ?
充電中の携帯を片手で素早く操作する。珍しく数コールで相手が出た。
「どうした?」
「金田くんがうちの前に立ってる!」
「はあ?」
「何とかして。ヤツに番号教えたことはこれでチャラにしてやるからッ!」
「マジで? なんで金田がお前んちに?」
よくわかってないぶんやけにのんびりした江ノ上の口調に苛々する。
「わたしが聞きたいっ!」
「……何とかしろ、ったってなあ……」
困惑気味の江ノ上に畳み掛けるように、声を押し殺したまま叫んだ。
「早く! 後輩犯罪者にしたいのッ!」
江ノ上が何もしないつもりなら、仕方がないけど通報させてもらう選択だってアリなのだ。それに一晩中あそこにいるつもりなら、わたしがしなくたって他の部屋の人がするかもしれない。
「……わかった」
いったん切るぞ、と呟いて電話が切れる。頼んだはいいけどあいつどうするつもりだろう? もう電車はないし、そもそも江ノ上はどこにいるんだ? 悶々と考えているうちに、外でなにやら話し声が聞こえ、やがて立ち去ってゆくらしい足音が聞こえた。誰もいなくなったのを確認して、ホーッと玄関先に座り込んでしまった。よくやった、江ノ上! その思いに反応したように、携帯が鳴り出す。
「もしもし?」
「俺。今あいつに電話してこれから会うことにしたから今日はもう大丈夫だと思う」
「そ。……ありがとう」
「でもなあ……。なんでそんなことになってる? お前あいつに何かしたのか?」
その無神経な問いかけにかちんとくる。そんなことをした覚えがあったら、とっくに思い出してるっ!
「してないよっ! するわけないでしょっ。しかも金田くんは津田ちゃんと付き合うことになったんだからっ」
「え、そうなの?」
「そうだよ。わたしその場にいたもん」
だから安心してたってのに。
「ふうーん……」
考え込むような相槌のあと江ノ上が黙り込む。
「なに?」
「いや。とりあえず説得しとくわ。しばらく気をつけとけ。またな」
「ん。よろしく」
電話を切った後も、妙に神経が高ぶっていた。
怖い。
震えだした自分の身体をわたしは両手で抱きしめた。大丈夫だと言われたもののやっぱり怖くて。結局わたしはその晩一睡もできないまま、翌日は友達の家を頼った。でもこんなこといつまでも続けられる筈がない。友達に泊まりに来てもらうことも考えたけれど、巻き添えにしてしまうことを恐れた。多分相談すれば無理をしてでも何とかしようとしてくれる、そんな友人たちだから。
とりあえず月曜日は友人宅から出勤して、それからどうしよう。
「咲紀」
クリニックに入る直前声をかけられ、びくりとして振り返ると唯史ちゃんで。わたしはホーッと息をついた。
「どうかした?」
「ううん。ちょっとびっくりしただけ」
曖昧に笑って、スマートにレディファーストで中に入れてもらいながらそうだ、と思う。
「今日後半組人足りないんだよね? 良かったらわたし入ろうか?」
「それはありがたいけど、辛くない?」
むしろ家に帰るのが怖い、なんてことは勿論口が裂けても言えない。
「暇だし。貸し作っておけば何かあったとき休みやすいかもしれないし? ダメ?」
唯史ちゃんは少しだけ訝しげな目をしたけれど、最終的には頷いてくれた。
「わかった。お願いするよ」
「ありがとう! 唯史ちゃん!」
「なんで咲紀がありがとう?」
ありがとうって言うの僕の方だよね? って苦笑いされてしまう。しまった。これ以上余計なことを口にしてしまわないよう、わたしはその日一日ただ黙々と仕事をこなした。今日を乗り切れば二十三日は休み。場合によってはどこかに泊まりに行ってしまおうと考えていたわたしを嘲笑うかのように、夕方、にこにこデンタルクリニックに金田くんが現れた。
「こんにちは。咲紀さん」
わたしはあんたに名前を呼ぶこと許してないッ! と心の中で大絶叫しつつ、表面的には冷静を装う。
「今日は津田ちゃんは休みだけど」
「知ってます。急に歯が痛くなっちゃって」
なんて、わざとらしく憂い顔で頬を押さえてみせる。昨日の今日で信じられるか! 江ノ上の役立たずーッ! でもそう思っても仮病呼ばわりするわけにはいかないのがツラいところだ。ため息を飲み込んで、問診票を差し出した。できるだけ接触しないようにしよう。幸いわたしは今日一日フルタイムの勤務だ。
でも。——でもまた家に来たらどうする? 答えが出ないままただ時間だけが過ぎていった。
「咲紀?」
「え」
不意に唯史ちゃんの声に意識が引き戻される。
「なんですか?」
濡れた手を拭きながら、唯史ちゃんの傍らに歩み寄る。
「彼、津田さんの彼氏って本当?」
ごくり、と息をのむ。迷っているわたしを余所に、それを聞いた周囲が俄然盛り上がった。
「嘘ーッ。津田ちゃんのーっ!?」
まず声を上げたのはもちろん里美さんで。藤島くんも興味津々の目で近づいてくる。駄目だ。これは誤魔化せそうにない。
「……あー。……はあ」
他に患者が入っていないことをいいことに、みんなが金田くんを取り囲んで自己紹介を始める。それに愛想よく答えながら、ちらりとわたしを見た。
「咲紀さんの紹介なんです」
言うな! それを! 激しく後悔してるんだから!
「それで、実は咲紀さんに彼女のプレゼントのことで相談があるんですけど」
……そうくるか。あからさまにイヤそうな顔をしてしまうそうな自分を必死に抑える。
「ごめんね。悪いけど今日は最後までなの」
「待ちますよ」
「駄目。終電なくなっちゃうし」
「咲紀さんの?」
「お互いに」
じゃあ日を改めてって返されるんだろうけど、ここじゃなきゃきっぱりはっきり断れる。
「じゃあ咲紀さんの駅まで移動しましょう。僕はタクシーで帰ります」
おいおいおいおい。なんだか相手のペースになってしまいそうだ。どうしよう、と思って口を開きかけたところで、わたしの口元を唯史ちゃんの手の甲が遮った。
「悪いね。咲紀は今日ぼくと約束があるんだ」
「……あなたは?」
「咲紀の従兄です」
「そう、ですか」
考えるような視線を唯史ちゃんに向けて、やがてふっと息を抜いた。
「わかりました。ただ急ぎの相談なので明日とか、会えませんか?」
「明日も用があるの。……明日、電話なら」
金田くんは嬉しそうに笑った。
「わかりました」
じゃあ、電話しますと金田くんは会計をして出て行った。
「咲紀」
唯史ちゃんがそっとわたしを手招く。
「なに?」
「困ってることがあるなら、言うんだよ」
「……ありがと」
さすがに鋭い。電話で話すのもホントは遠慮したかったけど、こんなやり方をするのでは色々言いたいことがある。楽しいクリスマスのはずが、とんだクリスマスになりそうな予感がした。
*+*
「はあああーっ」
部屋に戻るなりいきなり盛大なため息をついてしまう。唯史ちゃんの機転で昨日は何とかなったけど、おかげで例の答えを切り出せなかった。わたしの意気地なしーっ!
金田くんのことも唯史ちゃんのことも今日にはきちんと全部終わりにしようと思ったのに。そんなときに限って彼氏にドタキャンされて愚痴る気満々の友達に呼び出されて、こんな時間になってしまった。
二十三時。えーと、先に唯史ちゃんにしよう。辛いほうが先というのが自分ルールだ。すうっと深呼吸して、唯史ちゃんの番号を呼び出す。ワンコールでいつもの優しい声が耳に響いた。
「咲紀?」
「ん」
ああ。やっぱりわたし唯史ちゃんの声好きだなあ。安心する。わたしを大事にしてくれた優しい大切な場所だけど、大切な場所だから、いつまでもわたしの子供じみたわがままで独占できない。それに。
「どうした?」
「あの、あのね。この間の答え、言おうと思って」
わたしの人生、誰かをを振るなんてそんなにたくさん経験があるものじゃない。ホント嫌だ。特に、嫌いじゃないのに断るの。
「うん。だいたいわかったけど、一応聞こうかな」
笑いを含んだ声が逆に胸に痛い。
「ごめんね。唯史ちゃん。わたし唯史ちゃんとは付き合えない」
「駅員さんのことが好きだから?」
「……うん」
「そっか。やっぱりもっと早く言えば良かったな」
「……そうだよ。五年前くらいとか」
「五年前、か」
卑怯なこと言ってる。今更言っても仕方がないのに。それでももし唯史ちゃんとそうなってて、駅員さんに出会っていたら、どうだったんだろう? それとも唯史ちゃんとの未来があれば駅員さんとの未来はなかったんだろうか。
そう考えると本当に不思議だ。自分が経験する辛いことも悲しいことも全部、いつか来てくれる「何か」のための「必然」なんだろうか。
「わかった。じゃあ残念だけど僕は優しい従兄のお兄さんに戻ろうかな」
「唯史ちゃん……」
「そのかわり、咲紀にはちゃんと幸せになってもらわないと」
「え?」
「僕が諦められないから」
やばい、と思ったときには涙が零れていた。反則でしょう。それ!
「咲紀、泣いてる?」
「もう! 唯史ちゃんがそんな優しいこというからだよ」
くす、と笑い声が響いてくる。笑うかここで!
「断り撤回するなら今だけど?」
「しない」
「即答?」
「そんな簡単に揺れる気持ちで返事してない。唯史ちゃんに失礼だから」
少しだけ、息をのむ音が聞こえた。やがてぽつりと聞こえてくる。
「やっぱり好きだな。咲紀のそういうところ」
「……ありがと」
「どういたしまして」
「わたし、続けてもいいの? にこにこ」
「もちろん。いったろ? 咲紀に辞められると困る。それにやっぱりズルかったな、と思ってたしね」
「ズルいって、唯史ちゃんが?」
「そう。だから気にしないで続けて欲しいな」
「……わかった。ありがとう」
「こちらこそ」
次の瞬間、ぷっと二人同時に吹き出す。自分でも泣いてるのか笑ってるのかもうわからなかった。
ただ、何かが終わって、何かが始まった気がした。




