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駅員さんの恋  作者: 高藤みずき
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プロローグ



 多分何の前触れもなかったはずだ。わたし、鈍いけど多分。それでも絶対、とはいえない。就職してからのわたしは仕事が色んな意味で大変だったし向こうもいつだってそんな感じで、しかもお互いマメに連絡を取る方じゃなかった。だから知らないうちに“何か”を見落としたのかもしれない。


 久しぶりにいつものカフェでいつも通りに待ち合わせて、いつも通りの表情で。突然向かいに座っていたわたしの彼氏であるはずの男が言ったのだ。


「俺、アメリカ行くことにした」


「は?」


 アメリカ? 想定外の言葉に頭の中が真っ白になる。……アメリカ? 


「……ええと、旅行、じゃないよね」


 当たり前だろ、とバカにしたみたいに笑う。シニカルな端整なその顔。本気でわたしを馬鹿だと思ってるわけじゃない。いつもこんな感じだ。ツンデレのデレなし。その微かな感情の機微を読み取るのはいつも本当に大変だった。もちろん今も、何を考えてるのかわからない。


 奴の目の前には珈琲。わたしの前にはアイスティーが置かれている。いまだ手つかずで。


「ええと、転勤、とか? あれ、でもそんな部署だったっけ?」


「会社は辞めた」


「え?」


「っつーことだから」


「え?」


「明後日発つ」


 明後日!? 聞いてない。聞いてないよ。何も。


 ちょっと待って。これって別れ話なの? いきなり!? それとも付き合ってると思っていたのはわたしだけだったんだろうか。わたしの慌てる顔を見て、人を食ったような笑みを浮かべたまま男は続けた。


「待たなくていいから」


 はあ?


 たっぷり十秒はそいつを見つめていた。ああ、やっぱり付き合ってたんだよね。って、なんだかちょっとホッとする。さすがに三年近く付き合ってて全部独り相撲だったとしたなら、それはイタすぎるだろう。ぼんやりそんなことを考えて、“おい”という言葉に意識を引き戻される。


「人の話聞いてるか?」


「聞いてる」


「待つな、って言ったんだ」


 確かに。


 一緒に行くか? とか聞かれたら、即座に〝無理〟って答えると思うけど、でも。それはないんじゃないの?


 何かいってやりたかった。少しでも相手の傷になるようなコトバ。でも、何も思い浮かばなくて。ショックを受けるよりも、真っ先になんで? って思ってしまったわたしは、本当にこいつのことが好きだったんだろうかってぐるぐると考えていた。


 だって、いきなりすぎる。


「咲紀?」


 普段ぶっきらぼうなくせに、わたしの名前を呼ぶ時だけ少し甘くなる声が好きだった。煙草を吸う手だとか、狐みたいなつり目とか。みんなカッコいい彼氏だねって二言目には言ったけど、性格の悪さで充分お釣りが来る。いつだって身勝手で、それに振り回されて、一喜一憂して。ああ、そういえば一度も好きとか聞いてない。


 やっぱり、わたしのじゃなかったんだなあ。わたしが、彼のじゃなかったように。


「これ、別れ話なんだよね」


「……そうだな」


 そうか。


 なんだかやけにさばさばした気持ちで、目の前の男に笑って見せた。


「わかった」


 それ以外何が言えただろう?


 ほんの少しだけ間があった。それは失望だろうか。安堵だろうか。わたしの返事は彼の望んだものだったんだろうか。色んなものがないまぜになったその一瞬の、間。あいつは何を考えていたんだろう。


「じゃあな」


 用はすんだ、とばかりに立ち上がった男に、わたしも素っ気なく返す。


「うん。じゃあね」


 帰ってくるの? も、何しに行くの? も、結局は聞けないまま。


 二人で何度来たかわからないこのカフェを、全然振り返らずに出て行くあいつの背中を見送りながら、ちょっとだけ視界が滲んだ。何のためにこれまで一緒に居たんだろう。お互い好きだったことだけは嘘じゃないはずだ。多分、ちょっとだけ何かが欠けていたのかもしれない。


 そう。例えばこの場で追いすがって行かないでって泣くとか、別れたくないって叫ぶとか、そういう情熱みたいなものが。





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