Mission4:契約-2
30分後、私は契約書にサインをしていた。
「………今からお前は『黒』のエージェントだ。戸籍のことは、こっちで手配しておく」
「…………」
返事なんかできる精神状態ではなかった。
この一晩で、私は人生を大きく変えてしまったのだから。
恋人を殺し、
戸籍上で死に、
闇社会の組織に加担してしまった。
この期に及んでも、まだ虚偽のことのように思える。
どこからか突然カメラとマイクを持った人たちが現れて、
『映画のエキストラ出演ありがとうございましたー』
なんて言ったりだとか。
違う部屋で隠しカメラを通して友達が見ていて、
明日の朝になって、
『実はドッキリでしたー!びっくりした?』
なんて笑ったりだとか。
そんな淡い期待が浮かんでは消え、消えては浮かぶ。
それに、蓮司がまた笑顔で私の前に現れて、
ウエディングドレスを着た私と白いタキシードの蓮司が、はにかみながらライスシャワー浴びている光景が何度も頭の中を過ぎり、
涙なんてとうに涸れていた。
「しばらくは、うちの経営するマンションで生活したほうがいい。部屋の家具は、あとで運ばせる」
ゆっくり首を振る。
どんな妄想をしたって、蓮司は死んだんだと、頭の片隅ではわかっている。
蓮司と過ごした日々の思い出が詰まったあの部屋の家具なんか、あったってその部屋に帰ってくる蓮司はもういない。
何も言わずに下を向く私を哀れんでか、彼は、
「………どうしても会っておきたい人がいるなら、今夜までならその携帯電話で話すことを許可する。直接会うことは危険だが、会話なら……まぁかまわないだろう。明日には解約するが」
と言った。
それがどれほど危険な賭けなのかは、彼の表情を見ていればわかる。
盗聴されていれば、間違いなく狙いが家族や友達に移るのだ。
そんなことが、絶対にあってはならない。
人生を狂わされるのは、私一人でいい。
私は、長い沈黙を破り、呟いた。
「早く手続きを」
明け方近くになって、案内されたマンションの一室に入った。
薄暗いベージュの壁は今にも倒壊しそうで、10畳ほどの部屋も、やはりどこか薄暗かった。
………どうでもいい。
むしろ、これくらいの明るさのほうが、これから始まる闇社会での生活に、ふさわしいといえるかもしれない。
『もう、カタギじゃないが』
あの男の言葉が蘇る。
……そう、今までいた、光のさす真っ白な世界には、もう戻れないのだ。
自分の幸せをあたり前に求める暮らしは、私にはもう残されてはいないのだ。
何もない床に俯し、目を閉じる。
今までの"私"という存在を、振り切るかのように。




