九話 焦燥
シュヴァイツ北東部、ディオルグバーン大公邸にて、ルイス・ヴィンセント・クロウは執務室で苛立ちを隠せずに部下からの情報を待っていた。
藍色の髪に焦燥を募らせたオレンジの眼。何時もなら、人のいい笑みを穿いている顔は、苛立ちを露に引きつっている。
事の起こりは2ジューン前。皇子の側近であり近衛騎士第一団師団長を勤めるルイスは、シューツァンとの国境付近、グランディルの砦を視察する皇子の護衛として付き添っていた。
幼い頃からの付き合いで、気の置けない上司の今の立場と中央の情勢に、この話が出た当初は反対したが、隣国との開戦が危惧される今だからこそ、中核となるであろうグランディル要塞へ、立場ある皇族が赴くべきであると言う老獪な古狸の主張が通ってしまったため、細心の注意を払いグランディルへ赴いた。
しかし、帰城に就いたジュノーブの森近くで、恐れていた事が起こった。
待ち伏せしたように何者かの襲撃を受けてしまったのだ。
小ざかしい策に嵌り、その上思っていた以上の刺客に苦戦した結果、忠誠を誓った守るべき主が行方不明となってしまった。それが、5日前のことだ。
己の余りの不甲斐なさに歯噛みし、きつく拳を握る。そのまま窓に叩き付けたい衝動を、鋼の理性で抑え込んだ。
だがイライラと部屋を歩き回ることを、我慢せずにはいられなかった。
「ルイス、落ち着いてください」
獰猛な肉食獣を思わせるルイスに声を掛けたのは、もう一人の幼馴染であるジョナサン・スーヴェル・ケインリヒだった。
ソファに座り、立てた腕に頭を乗せながら窓の外を見詰るジョナサンは、一見落ち着いて見えたが、普段穏やかな色を湛えるモスグリーンの眼に、憔悴の色を濃く落していた。赤銅の髪が、中性的な顔に影を落すが、それを払おうともしない。
同じく彼の者の側近であり、術者であるジョナサンが、連夜寝ずに捜索に当っているのは知っていたが、苛立ちが先に出てついそれをぶつけてしまった。
「これが落ち着いてられるか!」
「気持ちは分かりますが、今は待つしかありませんよ。私たちが表立って動けば、馬鹿共の思う壺です」
「・・・・・分かっている」
搾り出すような低い声に、ジョナサンは溜息を禁じえない。
「全く感じられないのか?」
「えぇ。守護宝珠が森の中で見つかった以上、まだジュノーブにいるとは思うのですが。風霊に探させても、何故かそれらしい情報が0です」
精霊に探させ情報が0であるなど、本来あり得ない。つまり、ジョナサンより上位の術者の介入があると考えられる。
4日前、森の中で宝珠が見つかり、その傍に護衛についていた数人の遺体も発見された。そこから更に奥に進んだ場所まで、主のものと思しき血痕が残されていたが、そこからプツリと足跡が奇麗に消えていた。
出血量からかなりの深手と思われるが、不幸中の幸いにもまだ遺体の発見情報は齎されていない。
拉致された可能性を危惧していたルイスたちの下に、辺境警備の兵が森に探索隊を出していると言う情報が入った。そこに敵方の私兵も加わっているらしく、拉致の可能性が低くなったのだ。
襲撃を受けてすぐ、増援を求め捜索に踏み出そうとしたが、時期が時期ゆえに大々的な公表ができず、秘密裏に動くことになったのだ。
帝都へは、体調不良を理由にグランディルの近くに領地を治める、ルイスの叔父ディオルグバーン大公邸での療養と知らせている。
捜索を開始して既に4日、その間側近であるルイスとジョナサンが直接彼の地へ赴くことは出来ず、逸る心を必死に抑え大公邸で気を揉んでいた。
―ガチャッ
ノックもなしに開いた扉に、二人は同時に振り向いた。そこにいた予想外の人物を認め、二人は驚きを示す。
「叔父上!?何故此方に?帝都ではなかったのですか?」
責めるようなルイスの問に、ズカズカと入室してきたディオルグバーン大公爵、レオニエル・ヴァン・ディオルグバーンは、執務椅子にドカリと腰掛けた。
「やられた!クラヴィスの奴め、陛下を盾に他の二公を丸め込みやがった!!クソッ!」
見た目は50近くではあるが現役の軍人であるレオニエルは、スカイブルーの眼に軍人特有の鋭さを宿し、白いものの混じっているグレーの髪を掻き揚げた。顰められた顔の左頬には、若い頃負った傷跡が深く刻まれている。
「如何言う事でしょうか?」
レオニエルの言葉に、ジョナサンが逸早く反応した。
「陛下のご容態が思わしくないらしい。継承を早めるべきだと言い出しおった!教会も議会もそれに賛同する声が大きい。何より、四公の三が了承した以上、覆せん」
ジョナサンとルイスが同時に息を呑む。
「殿下はまだ、見つからんのか?」
ルイスが苦渋に満ちた顔で首を振る。レオニエルは片手で米神を覆い、少し俯く。
「正式認証は、どれくらい延ばせそうなのですか?」
ジョナサンがレオニエルに訊ねれば、レオニエルは顔を上げ完結に答える。
「2ジューン。それ以上は無理だ」
「2ジューン」
思い沈黙が部屋を支配する。
現在、皇帝は病床に臥せっており、政務をこなせていない。
帝国は皇帝不在の場合、貴族議会が議論のうえ決議した案件を四大公の認証を得て、国事が行われる。
継承は聖神教会の法王が取り仕切るゆえ、教会の認証も必要になる。
大公の一を担うレオニエルだが、正当な理由もなしに他の三公の意見を蔑ろには出来ないのが実情だ。
今回の後継問題は、四大公の一、現帝の従兄弟にあたるクラヴィスが、側妃であり妹であるリザベル妃の皇子である第三皇子の血の正統性を掲げて、異を唱えだしたことに端を発していた。
先代帝は兄であったクラヴィスの父の“力”を問題に、弟に継承が移ったが、本来の直系に当るリザベル妃の皇子に帝位を継承させるが順当と主張し始めたのである。
皇帝の体調が崩れだしたのは、丁度その頃であり、朝廷内ではクラヴィス派の陰謀ではないかと実しやかに囁かれている。
さすがに、今朝廷内でも宰相を差し置いて力をつけている権力者の悪口を口にする者はいないが、かなり核心を突いているだろうと思われる。
「とにかく、今は中央の情勢なんぞより、殿下の御身の方が大事だ。独断で動かせる儂の部下も連れてきた」
「ありがとうございます。ルイス、捜索範囲を広げましょう」
「あぁ」
益々増した焦りに、二人はレオニエルを交え対策会議を始める。
暮れ始めた空を見て、ルイスは祈るように主の名を呟く。
「アルフォン様」
宙天を飾る月は、後僅かで満月となる。妖しい紅い光を帯びたそれに、彼の方の紅を思い出し、強く無事を願うしかなかった。




