四十話 地精
眼前に広がる赤い海を、男は何の感情も感じられぬ冷たく鋭い眼で、燃え盛る森の向こうを見透かさんとするように見据えていた。
「動きがございました」
男の後ろから、音もなく近付いた一人の術師が告げる。
「やはり、ラジオールか」
「はい」
「パース様の読み通り。森に入ったのは・・・」
「能力持ちはおりましたが・・・正式な術師は」
「動いた精霊は?」
「水霊が・・・ですが、どうやら上級の地精であるようです」
術師の進言に、男は驚きに振り返る。
地精は精霊の聖地を守る精霊であるが、そこまで珍しいものではない。気が清浄で、各属性の精霊が住み易い場にできる聖地は、そこそこに点在していた。
男は眼を伏せ、暫し記憶を掘り起こす。
「確か・・・この森にある聖地は、“蒼緑の泉”であったか」
「はい」
そこを守護する為に上級霊が動くことは分からなくはないが・・・。
「ですが、彼の地は焼失範囲の外。確かに、この森全体は水霊の加護ある地ではありましょうが、それで人里を守るために動くにはいささか疑問が」
精霊は、基本人の為に自ら動くことはない。気質を気に入って加護することはあるが、よっぽどの事がないと干渉することはないはずだった。
「どう言う事だ?上級霊を動かせる術師など、皇宮就きぐらいのはず」
男は少し考え、やがて興味をなくしたような視線を森へ戻す。
「まぁいい。全ては捕えれば分かる」
背後の術師を振り返らぬまま、男は歩き出した。
「このまま予定通りに。炙り出す良し、焼き殺すも良し。最悪、継承式まで村に隔離できれば、後はどうとでもなる」
用意された風馬に跨り、クツリと嗤う。
***ラジオールの村***
「策?」
カイザックは訝しげにハルキを見る。
「村長」
カイザックたちの視線を流し、ハルキは村長に顔を向けた。
「何ですかの?」
「外との行き来が絶えて、村民全てを賄える備蓄はどれ位でしょうか?」
「フム・・・今年は森の恵みが豊かであったからのぉ・・・・4ジューンほどであれば」
「十分でしょう。水の心配くらいと言ったとこですか」
「ハル、如何するつもりだ?」
頷くハルキに、アルフォンは焦れたように説明を求める。
「村に結界を張る」
「ハッ。それこそ無理であろう」
間髪入れず、精霊術を扱うシンが鼻で哂った。
「村を覆うほどの結界など、一人で張れるものではない。益して、中級の炎を防ぎきるには、中級以上の水霊結界だ。鎮火が出来ぬなら、それしか術はあるまいが、まともな準備もないまま施せるものではない。所詮、机上の空論に過ぎぬ」
「そうでもないよ。幸い、この森は水霊の加護が強い。それに、避難するにももう時間がない。女子供お年寄りを連れて火が回りきる前に逃げ切れる保証はない」
それはシンたちも考えていただけに、言葉をなくす。
「結界は、本当に張れるんだな?」
ただ一人ハルキの策を無謀としないアルフォンは、念を押すように確認する。
「問題ない。ただし、貴方たちに絶対に守ってもらわないといけない事がある」
村人に向かって、ハルキは指を一本立てて突き出す。
「どんな事があろうと、結界の外には出ないこと。喩え鎮火しようと、少なくとも3ジューンは地が熱を持つことになる。それだけを守ってもらえるなら、村ごと結界を張ろう」
ハルキの提案に、村人たちは顔を見合わせ、意を決めるように頷きで返した。
ハルキとアルフォンは、数人を伴って水場を訪れた。
「此処が村の水場です」
示されたのは、水の湧き出る小池だった。
「精霊の気を感じる。近くに聖地が?」
「此処から5ローグほど北に」
「水脈が繋がってるのか」
納得したハルキは、池に手を浸す。
――聞こえる?
――長の主様?
――そう、少し頼みがあってね。
――あな、嬉しや。霊王の君よりの下命、我らに叶えられようことなれば、何なりとお申し付けを。
――この人里を暫く守って欲しくて。頼めるかな?
――是。容易きことにございまする。火の彼奴等を鎮めることも出来まするが?
――今は必要ない。ただ、この地の熱が引くまでの守護を。
――承。
蹲って動かないハルキをシンたち騎士が胡散臭げに見やる中、閉じていたハルキの口が動いた。
「“我此処に願う。清浄なる水の御子、熱き焔より我等を守れ” 水壁」
それらしく聞こえる呪文を唱えたハルキの口が閉じると共に、水柱が上がり薄い水の幕が村の上空を覆った。
「「!?」」
「これで問題なし。ボクたちはもう行こう。時間が惜しい」
無茶と思われた結界をいとも簡単に張り終えたハルキは、大して疲れを感じさせない。
「これほど・・・とは」
「貴様ッ。何者だ?」
上級術師どころか、歴代の大魔導師並の実力を見せ付けられたシンたちの警戒に、アルフォンが間に入る。
「今それどころではない。行くぞ」
「・・・・はっ」
炎の包囲網は、もうすぐ出来上がろうとしていた。