三十六話 凶行
アルフォンが目指すディオルグバーン領地まで、2日後の正午には到着しようかと言う街道から少し離れた森の中、ハルキたちは火を灯すことなくその息さえも殺すように、夜の闇に身を潜めていた。
なかなか感じない他人の気配に、アルフォンはハルキを伺い見る。
辛うじて相手の輪郭が見える視線の先、ハルキはアルフォンのそれを感じ取り、首を振った。
無言の問答の答えを示すように、遠くで灯りと人の声が聞こえだす。
数十メール先のその団体が通り過ぎるのを、二人は気配を殺しながら警戒したように見詰める。
その集団が視界から完全に消え、ハルキが詰めていた息を盛大に吐き出した。
アルフォンも連られて息を吐き、ボソリと呟いた。
「予想以上だな」
疲れたようなうんざりとした言葉に、ハルキも頷いて返した。
「ホントにね。流石にしつこい」
整備された道を行かず、アルフォンたちが道のない森の中を進むのは、勿論理由があった。
ディオルグバーンから2つ離れた街オズを過ぎた辺りの街道から、あからさまと言っていいほど急激に、巡回警備の兵の数が増えた。
始めは素知らぬ振りをして進んでいたが、それも検問が敷かれだした辺りで流石に不味いと、街道を外れ森を行くことになったのだ。
凶悪強盗犯を追っていると言う名目らしかったが、それが建前だと言うことは直に分かった。
フードを被った者の顔を一々確かめ、荷車を曳く商人は隅々まで検める。拒否する者は、怪しいとして警邏兵に引張っていかれるのも見た。
その形振り構わぬやり口に、アルフォンもハルキも憤りを覚えていた。
その森を進んでいる時でさえ、昼夜問わず森狩りが行われている。
捜索隊が近付く度、ハルキがルートを逸れて身を隠すよう促してやり過ごしていたが、こうも何度もとなるといつも以上に疲れを感じる。
「後どれくらい?」
「分からん」
「・・・・は?」
簡潔なアルフォンの応えの意味が分からず、ハルキは相手の顔のあるであろう辺りを怪訝そうに見た。
「・・・つまり?」
「街道を進んでないから、方角が危うくなっていてな」
気まずそうな気配に、ハルキは眉を寄せた。
「迷子なんだね」
「・・・いや、どれ位かが分からないだけだ。迷ってはいない」
「フォン、迷ったんだね?」
アルフォンの言い訳がましい言い分に、ハルキは重ねて問うた。
「・・・・まぁ、否定はしない」
回りくどい肯定に、ハルキは顔を手で覆い俯く。
「“できない”でしょ。何やってんの、時間ないのに」
「それは分かってるが。地図でしか知らん土地である上、夜の森は方角も分からない。加えて追っ手を撒くために道を変更してるんだ、誰だって分らなくなるに決まってるだろう」
アルフォンは不本意そうに苦々しく顔を顰める。
皇子と言えど、主要な地に公務で赴くことはあっても、他の土地は通過中に軽く見る他は知識としてしか知らない。しかも、森の中など分るはずもない。
「はぁ。ま、分らんでもないけど。迷子か~。不味いな。私も人のいる場所か、一度行った場所しか分んないしな」
「・・・一度道に出るか」
「それしかないね」
打開策はそれしかなく、二人は陽が登るまでその場で仮眠を取ることにした。
「ハル」
「・・・・・・・・また?」
アルフォンの言いたいことが分り、ハルキは盛大に顔を顰めた。
「頼む」
「フォンさ、自分が幾つか分ってる?」
「27だ」
「そうだね。27って言ったら、立派な成人男性だよね?」
「なんだ今更?何なら、証明してやろうか?俺は構わんが」
フェロモン全開のアルフォンに、ハルキは眉間の皺を深くして、大きく息を吐く。
「そう言う事じゃなくってさ。いい大人の男が、一人で寝れないとかありえないでしょ。今まで出来てたんだから、いきなり出来なくなるわけないだろうが。寝ろや」
ハルキと同衾?した夜以来、アルフォンは何かとハルキと一緒に寝たがった。
「確かに今まで眠れていたが、深く眠れたことはなかった。だが、お前と一緒に寝ると、朝まで深くぐっすりと眠れると言っているだろ」
何時ものアルフォンの言い分に、ハルキは毎度の如く言い返す。
「この状況でぐっすり眠って如何すんの。いいよ、眠り浅くて」
「ハル」
懇願の混ざる声に、ハルキはグッと詰まる。
体力と、気力の削られる道中で、眠りも浅いとなると疲れは溜まる一方だと言うのも分るが、ハルキとてここは一応主張したかった。
「フォン。私、これでも23の立派な成人なわけよ」
「あぁ、知ってる。そうは見えないがな」
一言多いアルフォンの相槌に、敢えて言葉を呑み込み続ける。
「緊急事態とは言え、結婚前の淑女が恋人でもない男と、一緒に寝るとか有り得ないでしょ」
「じゃあ、恋人になればいいだろ。嫁ぎ先を心配しているなら、安心しろ。生涯放す気はない」
アルフォンの妥協案に、ハルキは頬を引き攣らせて間髪なく応える。
「謹んで断る!って、そう言う事じゃなくって、私が言いたいのは。・・・・」
ハルキの即答にアルフォンは顔を顰めるが、不意に黙り込んだ闇の向こうに、アルフォンは反論せずに次の言葉を待った。
「・・・・・・・・不味いな」
ポツリと聞こえた声に、アルフォンは首を傾げた。
「何がだ?」
「あの馬鹿たち、森に火を放った」
「っ!!」
ハルキの応えに、アルフォンは息を呑む。
「正気か!?」
「形振り構ってられなくなってるんだろうね。一番近い放火地点は此処から3ローグ先。他も其々、三方の14ローグくらい離れた地点で、火霊が動いた気配がした。恐らく、この辺り一体を焼き尽くすつもりらしい。・・・如何する?」
「・・・・・・」
アルフォンはギリッと奥歯を噛締め、強く拳を握った。怒りに、言葉が出ない。逆に、頭がスッと冴える。
コレほどの怒りを覚えるのは、久方ぶりだった。
「焼失する範囲で、人間は?記憶違いでなければ、この近くに小さな農村が存在したはずだ」
「人の気配が一箇所に集まった場所が、9ローグ南に一つ。あと、少数だけど、そこから少し離れた場所にも人間がいる」
ハルキの答えに、アルフォンは即断する。
「一人残らず助けろ。今すぐ事態を知らせ、範囲内にいる人間を一箇所に。そこから、最短距離での脱出経路を割り出せ」
何時もの調子で命令を下すアルフォンだったが、急に空気の変わった相手に、ハルキは少々面食らった。
ハルキの知るアルフォンは、偉そうで傲岸不遜なところはあったが、何処か気安さがあった。皇帝の息子とは言え、未だ未熟な面が見え隠れして、大丈夫かなぁ。と他人事ながら余計な心配もしていたのだが、初めて会ったあの夜より尚強い決意と覇気に、そんな時ではないと分っていても思わず口角が上がる。
が、完全に皇子の仮面を被られても面白くないような気もして、ハルキは揶揄うように目を細めた。
「へ~。フォンも随分偉くなったね。まさか、私に命令しようとは」
その言葉に、アルフォンも対峙している相手が誰であるか思い出し、失態に顔を顰めた。
「いや。すまない。言い方が悪かった」
謝罪を入れ、気配だけで分る視線を合わせ向き直る。
「頼む、ハルキ。こんな下らない謀略で、我がシュヴァイツ帝国の民を、守るべき礎を、誰一人として、死なせることはしたくない。頼む。私に協力してくれ」
皇族として、皇太子として、アルフォンはハルキに頭を下げた。
「70点」
アルフォンの懇願に、ハルキの声が答える。
「・・・?」
「70点。皇子さまとしては100点を上げるけど、友達に頼み事をするなら、40点かな。なんか、堅苦しい」
ハルキは苦笑して、顔を上げたアルフォンの額にデコピンをいれる。
「友達でしょ。無駄に気負わないで、“手伝ってくれ”でいいんじゃない。味方でいるって、言ったでしょ」
ハルキの言葉に、アルフォンは目を見張り、次いで苦笑する。
対等な立場で、気を許せる友人など居たことのないアルフォンには、初めて言われる台詞だった。
アルフォンは、皇太子として失敗は許されないし、皆が自分を試し、頼り、評価する状況で指揮系統を執ってきた。
こんな何も解決していない状況で、気を抜くことなどあってはならない。それは重々分かってはいても、その言葉に、フッと肩の力が抜けるのが分った。
だがそれは、気の緩みからくるものではなく、何時もの緊張感と使命感と、皇太子であるが故の重圧が付きまとって張り詰めた気負いが、軽くなったと言った方が近い。
重い荷物を、一緒に持ってくれる存在に、安堵にも似た安心感を感じた。
「あぁ、そうだな。手伝ってくれ、ハル」
微笑とともに、アルフォンはハルキに頼んだ。
「任せなさい」
それに、ハルキはアルフォンの予想通り、何でもない事の様に軽く請け負った。