三十四話 帳
あっという間の鮮やかな攻撃に、戦闘体勢に入っていたアルフォンは勿論、心配して見ていた住民も呆気に取られて固まっていた。
そんな中、ハルキはナイフを仕舞い、すたすたとアルフォンの元へ戻る。
「行こう」
「あぁ」
初めてまともにハルキの戦闘を目撃したアルフォンは、実力の程に舌を巻きつつ、顔を顰めているハルキを気に掛けて話しかける。
「何を言われた?」
「・・・・・」
答えたくないのか、黙っているハルキに、アルフォンは息を吐いて話題を変えた。
「今のは、精霊の力を使ってたんだよな?」
「そうだよ。原理としては、風の風霊を腕や足に纏わせる。風は物体にぶつかり流れを止められることで、瞬間的な風の爆発をおこす。そのエネルギーが、ぶつかった物体、人を吹き飛ばす。力は加減したから、今ので大体成人男性3人分くらいかな」
淡々と返る声音で、ハルキの機嫌の悪さを察したが、アルフォンは尚も訊ねる。
「それがお前の戦闘スタイルか?」
「違う。どっちかっていうと、師匠を吹き飛ばした種類の力を応用して、ナイフで戦ってる」
呼び名が師匠であるが、口調はいつもの調子であるため、憤りで少し頭に血が上っているのだと分かり、アルフォンは苦笑した。同時に、いつも飄々として達観しているハルキでも、歳相応の反応があるのにほっとする。
しかし、何度か吹き飛ばされたことのあるアルフォンは、何処が如何違うのか分からず、首を傾げた。
アルフォンと話していて、怒りが収まってきたのか、ハルキは一度大きく息を吐き出し気分を切り替える。
「今の原理ほど難しくはないですよ。師匠、後ろから風が吹いて体が押されたことってあります?」
「ああ。余り無いが、覚えはあるな」
「それですよ。純粋に、風の力を押し出す力にして、速度を上げるんです」
「それと、ナイフと。如何関係があるんだ?」
「つまり、高速移動でナイフを振るったり、投げつけたりするんです。同時に、自身の動きにも付加することで、人の筋運動以上の動きが可能となります」
ハルキの説明にやっと合点がいき、アルフォンは納得した。
「で?何を言われたんだ?」
ハルキが冷静を取り戻したところで、アルフォンは再び問うた。
「・・・下種の戯言です。大体の予想はつくでしょ」
不愉快気に顔を顰めるハルキの頭に手を置き、アルフォンは提案する。
「お前もフードを被るか?」
「いいです。気分は悪いけど、慣れてますから。まださっきのは良いほうですよ。行動に移す前に、声をかけたんですから。酷い時は、文字通り人攫いですからね。それに、フード被ったところで、ああ言うのは寄って来るんですよ。戻りましょう」
買う物も買い、明日買い取る食材も予約し終えたハルキは、アルフォンを促して宿屋に戻った。
宿屋の一階は、大抵食堂兼居酒屋になっている店が多く、今夜の宿もそうだった。
一旦部屋に戻り荷物を置くと、夕食を取りに一階へ下りる。
カウンターの隅に腰を下ろした二人は、料理を頼んで聞き耳を立てた。
「そういや、リディアの街でよ―」
「帝都は、駄目だ。商売になんねぇ―」
「この所、巡回兵が多いねぇ。とうとう戦争が―」
「そういや、聞いたかい?隣町の―」
がやがやと五月蝿い店内で、各々聞き知った話をしている。
料理を食べつつ、二人は沈黙してそれらの情報に耳を傾ける。
「飲み物は?」
アルフォンの飲み物が空になったのに気付いた店主が、声をかけてきた。
「そうだな・・・もう一杯貰おう」
「ねぇ、おじさん。商人の人が話してたんだけどさぁ、もうすぐ、継承式が開かれるの?僕、記念に見に行きたいんだけど。何時か知ってる?」
グラスを渡すアルフォンに代わり、ハルキが探りを入れる。
「あぁ、その話か。らしいな。噂では2ジューン後だってよ」
「そうなのか?とうとうか!?」
その話に、数席隣に座っていた二人連れが身を乗り出す。
「随分急だなぁ。皇帝も、もう先がねぇってことか」
「シュヴァイツも、立て続けに厄続きだな。戦争騒ぎに、皇帝の病臥。次の皇太子は、大丈夫かねぇ」
「・・・いや。噂だと、皇太子殿下も、今臥せっておいでだとか」
渋面を作る店主に、他の客たちも話に加わってくる。
「そうなのかい!そいつは知らなかった。ご病状は?」
「あぁ、わしも聞いた事がある。何でも、陛下より思わしくない奇病だとかで、都から離れていらっしゃるらしい」
「じゃ、継承は如何なんだよ?」
「クラヴィス公爵の御孫様の第三皇子ユーリディアン殿下が、急遽立太子してそのまま継承されるらしいぞ。まぁ、ユーリディアン殿下の御噂は聞いたことはなかったが、実は皇太子殿下より優秀な方で、やっかみで表には滅多に出してもらえなかった不遇の皇子って話だ」
「へぇ。王宮秘話ってやつだね。そりゃ、期待できんじゃないか?クラヴィス公爵様も、えらく優秀なお方だ。それなら、安泰かもしれないね」
「でも、まだ正式な決定じゃないんだろ?筆頭医師様が、屋敷に篭りっきりで治療を放棄されてるんだとか。陛下の暗殺疑惑も出てるくらいなんだぜ」
「まぁ!そうなの?まったく、このご時世にそんな恐れ多いこと・・・危篤発表がないんじゃ、いつまでも中央が安定してくれないじゃないの」
「いやいや、今朝会った都の商人の話じゃ、マーディル様は唯の過労だそうだ。少し休まれてただけで、昨日診察されたって話だぞ」
「本当か?」
広がる話を聞き終え、ハルキはアルフォンの袖を引く。
「何だ?」
「僕先に戻ります。師匠はどうします?」
「先に寝てて良いぞ。俺はあと2~3時間此処で潰す」
「分かりました。おやすみなさい」
ハルキは盛り上がる大人を尻目に、一人部屋に戻った。
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暗い部屋には、窓から差し込む月明かりしかない。
桟に腰掛けたハルキは、立てた片膝に伸ばした腕を置いて空を見上げる。
「聞こえる?」
『えぇ、聞こえていますよ』
「それで?色よい返事はもらえるのかな?」
『・・・・・・。今は、貴方に協力を願うより他なさそうですね。いいでしょう。ご協力します』
耳に聞こえる姿なき声の力ない返答に、ハルキは嬉しそうに微笑んだ。
「良かった。じゃあ、当分は相手方の出方に従っておいてもらえる?そっちの状況は常に分かるようにしてあるから、私に相談ごとがあったら人がいない時にでも名前呼んでもらえれば、後でこっちの都合が良い時に連絡を入れるから。じゃあ、お休みなさい」
風話を切ろうとしたハルキに、待ったがかかる。
『お待ちください』
「ん?」
『貴方は、何故このような事を?』
警戒の色濃い声の疑問に、ハルキは欠けゆく月を見詰めて呟く。
「消え逝くと分かる命が、あったからかな。やるだけのことはやらないと、虚しさだけしか残らない?救えるかどうかは別として、ね」
何も無い掌を見下ろして、空しか摑めぬ拳を握る。
「貴方なら、分かるでしょ?」
『・・・。何はともあれ、ご助力いただけますこと、心より感謝いたします』
「まだ、お礼には早いんじゃない?貴方たちが、一番危険なとこにいるんだから。いざとなれば、毒を盛れるくらいの心積もりでいてね。半端な覚悟じゃ向こうに勘付かれる。それから、連絡は手短に。見張られてる可能性が高い」
そこで、ハルキは少し険しい空気を変えるように、柔らかく笑んだ。
「それでは、直接お会いできる日を楽しみにしていますよ―-ドク」
姿なき声との対話を終えてて、ハルキは立てた膝に額を着け、きつく目を閉じた。
「所詮、自己満足でしかないけどね」
自嘲して、普段服の下に仕舞っているペンダントを強く握った。