二十八話 吐露
ちょっと加筆しました。内容は変わりません。
宵闇に、虫の声と風が揺らす梢の音が響く。
密集した木々の中、木5本分開けた切り株に腰を下ろし、アルフォンは剣を抱いて顔を伏せていた。
もうどれほどそうしていたか、時間の感覚は無いが、アルフォンも服も夜の気温に冷え切っていた。
不意に、背後から草を踏む音が聞こえ、アルフォンはピクリと反応する。
柄に手を掛けようとしたのを止めたのは、もうこの数日で馴染んだ気配と聞こえてきた声のためだ。
「フォン、冷えるよ」
言葉が響くと同時に、アルフォンの周りを暖かな空気が包む。
アルフォンは振り向くことも、顔を上げることもなく沈黙を保った。
「・・・・・・・」
ハルキも何も言わず、顔を覗き込むこともせず、ただその背に凭れるように己の背を預けた。
暫くの沈黙の末、くぐもったアルフォンの呟きが落ちる。
「知ってたのか?」
「・・・・まぁ。リディアでもあの噂はあったからね」
ハルキの肯定に、アルフォンは奥歯を噛む。自然、声音は唸るように低くなる。
「何故」
「言う必要がないから。いずれにしろ、朝廷の事はフォンの耳に入った。何より、言ったでしょ?私は契約外の情報は、逐一報告はしないって」
「それはっ・・・・」
「フォン、これは私と貴方の契約には関係がない。そしてこれからも、私は貴方に情報を自分から提供することはないと思ってて」
ハルキの厳しい言葉に眉を顰め、次いで諦めたように苦笑を漏らした。
「・・・・お前らしいな」
「何?融通が利かない、頑固者だって言ってるの?」
「そこまで言って無いが・・・自覚があったんだな」
「何が言いたいのかな?」
「・・・・フッ」
ここ数日の習慣となった軽口の応酬に、アルフォンは詰めていた息を吐き、肩の力を抜いた。
垂れらしていた左手に、コツンとハルキの温もりに当る。アルフォンは握っていた拳を解き、その手を包む。
ハルキは何も言わず、冷えたその手を握り返し夜空を仰いだ。背を預ける背に圧し掛かり、後頭部を軽くぶつける。
再び落ちた沈黙は、先ほどと違い凪いだ静かさだった。
「ハル」
「何?」
「・・・・お前は、俺の味方か?」
ポツリと紡がれた、明日の天気を訊ねるような声音。けれどハルキは、それが何処か頼りなげで、置いていかれるのを畏れる子供のように感じ、月を見上げたまま握る手に力を込める。
「そうだね。不本意ながら関っちゃった以上、仕方ないから最期までフォンの味方でいてあげる。喩え万人が敵に回ろうと、友として貴方の味方でいよう、アルフォン・ハイベルン。感謝してよ」
「・・・・・・・・あぁ。感謝する」
喩え嘘でも。何より、シュヴァイツと言う付加価値でなく、己自身の味方であってくれると言ってくれた、その言葉に。ずっと欲しかった、そのたった一言に。
背後に笑う気配を感じ、ハルキも笑みを穿く。
「フォン」
「何だ?」
「フォンにとって、お父さんってどんな人?」
突然の質問に、アルフォンの戸惑ったような空気を感じつつ、ハルキは返答を待った。
「父上は・・・・そう、だな。良い治世者であり、目標とすべき指針、だな」
少し間誤付きながらも、アルフォンは己の胸の内を探るように言葉を継ぐ。
「へ~。良い皇帝なんだ?」
「あぁ。他者にもご自分にも厳しい方だが、きちんと臣を、民を見ておられる」
「父親としては?」
「・・・・・」
ハルキの言に、アルフォンは言葉に詰まる。考えたこともなかった。
父はアルフォンが物心ついた頃から、皇帝であり、皇族の長たる人物であり、それ以下でも以上でもなかった。
親子といえど、月に一度皇族揃っての晩餐会で顔を合わせればいいほうで、それも舞踏会のシーズンになれば、会場で顔を合わせても、会話らしい会話が交わされることなどない。
年に数回の接見でも、跡継ぎである己は勿論、他の皇子や皇女にも、皇帝を支え民を導く皇族として、厳しく接していた。
父親として、広く一般で言うところのそれを知らぬアルフォンにとって、考えもしなければ、比べるべきものでもなかった。
答えに悩んでいて、ふと脳裏に母が存命だった時の、三人の茶会を思い出した。
「・・・・・・・よく、分からないんだが」
「うん」
アルフォンが今までになく困惑しているのは分かったが、ハルキは急かすことなく耳を傾けた。
「俺が幼少の頃・・・まだ母上がご存命の時、一度だけ、三人で茶を嗜んだ事がある。その時の父上は・・・・とても・・・・・その、穏やかな顔をしておいでで、頭を撫でていただいた覚えがある」
「・・・・・・・・そっか」
恐らく、アルフォンとしては、その当たり前とも言える触れ合いが、親子の思い出としてもっとも貴重なものだったのだと分かった。
それだけしか浮かばないアルフォンの家庭環境に、やるせなさを感じつつ。ハルキは何も言わず相槌だけを返した。
そして、喩えハルキの価値観から言って希薄なものであろうと、そんな些細な過去を忘れられないほどに、皇帝である父親を子として慕うアルフォンの健気さに、ハルキは仕方なさそうに微笑した。
「アルフォン。御互い、最善を尽くそう。どんなに嘆こうと、せめて、今の自分を悔いる未来にならないように」
「あぁ・・・・あぁ、そうだな」
アルフォンは握る剣を強く摑み、下げていた顔を上げた。
「なぁ」
「ん~?」
「・・・・・・・・・抱締めて、いいか?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
肩越しに見下ろしたアルフォンの申し出に、ハルキは目を見開いて沈黙する。
そのワインレッドを暫く無言で見上げたブラウンは、やがて仕方がないというように全身で息を吐く。
徐に立ち上がってアルフォンの前に立ったハルキは、繋がれた手をそのままに自由な片方の腕で、見下ろす低い場所にある頭を抱く。
「今日だけ、特別ね」
アルフォンの認識では、ハルキはこういった馴れ合いを嫌う。抱締める度怒って、ちょっと揶揄うと顔を紅くして憤慨する。
だから、断られると思っていた。殴るか、罵倒するか、セクハラとか何とか訳の分からない言葉で憤怒して、背を向けるだろうと。
それでも、その華奢で小さく、それでいて誰より心強い己のたった一人の奇跡を、この腕に抱きたいと思った。
消えてしまわぬ様、強くこの腕に閉じ込めたかった。
だからまさか、逆に抱締められるとは思っていなかったアルフォンは、ポンポンと後頭部を軽く叩きながら耳元で呟かれた声に、一瞬驚きと躊躇いに身体を硬くする。
完全に固まった思考とは裏腹に、腕は直にその背に回った。
片手を繋いだまま、直傍に感じる鼓動と己を包む体温に、アルフォンは力を抜いてその身を預ける。
乳母どころか、母親にもされたことのない抱擁と与えられる優しいリズムに、アルフォンは安堵に目を閉じる。
再び訪れた闇は、心地よい静寂と温もりに満ちていた。
沈んでいく意識を止めることなく、アルフォンはゆっくりと眠りに落ちた。
「・・・・・・・・・フォ~ン、フォンフォン。お~い、フォンくーん?え、本気で寝てる?タヌキじゃなく?嘘!?フォン?寝るな~!寝たら死ぬぞー!起きてってば」
重くなった重さと聞こえてきた吐息を不審に思い、ハルキが声をかけたときには既に手遅れだった。
怪我を負っていた出会った当初ならまだしも、この頃は傍で物音がしてアルフォンが起きないことなどなかった。元来警戒心の強い性質らしく、風が揺らした木々の音だけで眼を覚ましていたほどだ。
それに気付いて、どんな場所でも熟睡できるハルキは不眠症の友に気を遣って、ここ数日アルフォンの間合いに入らないよう、できるだけ離れて寝るようにしていた。
なのに、密着している人間がいて、耳元で叫んでいるにも拘わらず眠っているなど、ありえない。
狸寝入りを疑ったハルキは、次いで聞こえた寝息に、アルフォンの本気を知った。
渾身の力で剥がそうと藻掻くも、片手は握りこまれ、背に回された腕に抱え込まれた状態では、満足に動くことも出来ない。
暫く無駄な努力をしていたハルキは、睨んだ先にあった起きている時と違う存外幼い寝顔に呆れ、諦めたように溜息を吐いた。
「紫狼」
呼んで直に暗闇から姿を現した相棒に、手を伸ばす。
近付いてきた紫狼の背から毛布を二枚取り出し、一枚を宙に放る。
風に乗り広がった毛布は、音もなく地面に着地する。
「紫狼、今日はコレもいい?お願い」
ハルキが腕の中の物体を指して伺いをたてると、不服そうな眼が返るもそっぽを向いて広がった毛布の頭の方に寝そべる紫狼に、ニッコリと笑む。
風霊にお願いして重い図体ごと移動しながら、いつもの様に紫狼のお腹を枕に目を閉じる。
ゴツい抱き枕に、眉を顰めるも、何処でも眠れるハルキの特技は健在だった。
数分後には、二人分の寝息が暗闇に落ちる。