二話 拾物
1メール=1メートル
ハルキは困っていた。偶々迷った森の中、いやに精霊が騒ぐので様子を見に来てみれば、何者かに襲われた男がいた。
大陸一の大国シュヴァイツ帝国と最近大きくなってきているシューツァンの国境付近、ジュノーブの森に入って4日。
きな臭くなってきている両国は、警備が厳しくなっている。その上、皇帝の代替わりも噂されているシュヴァイツは、今内政も荒れている。
そんな人里離れた森、日が沈みきった物騒極まりない時間帯に発見した第一村人は、村人ではなく訳あり貴族風の男。
格好からして騎士といったところか。携えている剣は、誂から質までかなり上等だ。オリハルコン製であろう剣は、一見して質素ではあるが、よくよく見れば奇麗に細工がされ、鑑賞にも実用にも適したものだ。
服も上質なシルクで、その下に簡易武具を纏っている。だが、その様相ゆえに刃物で切られたであろう服も傷も、襲撃の悲惨さを物語っている。
「・・・どうしよう」
目の前に倒れた、如何にもめんどくさそうな訳あり貴族?
放って置こうかとも思うが、見てしまった以上このまま見捨てるのは寝覚めが悪い。
気にせず野営を続けるんだったと、今更ながら後悔し、大きく溜息をついた。
背後に獣の呻き声を聞き、ハルキは荷物の番を任せていた連れを振り返る。
「紫狼、丁度良かった」
振り向いた先にいた2メール弱あるシルバーグレーの大地狼が立っていた。ハルキに近寄り、警戒するようにアルフォンに低く呻く。
成長すれば4メールは越す狼の一種であるグランウルフは、獰猛だが知能が高く、狼では珍しく一匹で行動する。主とした者には従順なため、調教して騎獣とすることがある。
もっとも、その俊敏性と強さで、捕獲調教は難しく、騎獣としては市場でも希少種だ。
耳の裏を掻いてやりながら、ハルキは紫狼と呼ぶグランウルフにアルフォンを指差し声を掛けた。
「紫狼、悪いけどあの人乗せてあげて」
紫狼は不服そうにハルキを見詰る。紫の眼と無言の攻防が続き、やがて紫狼が尻尾を一振りすることで了承を示した。
「ありがとう」
鼻面に唇を落とし、意識の無い男に手を翳す。
「手伝って」
誰も居ないはずが、ハルキの願いを聞き届けたようにアルフォンの体が宙に浮き、そのまま紫狼の背に着地する。
その異常な光景が当然と言うように、ハルキは特に驚きも示さず歩き出そうとして、ふとアルフォンが来た闇に眼をやる。
それに呼応するように、紫狼もそちらに顔を向け耳をそばだてる。
「近い?」
虚空に向って訊ねるが、当然答えは返らない。にも拘らず、ハルキは一人納得したように頷いた。
「そう。紫狼、行こう」
紫狼を促し、ハルキは少し足早に夜の闇を歩き出した。
****
怪我人を連れ辿り着いたのは、滝の裏手にある洞窟だった。
辿り着くまでに集めた枝に火をつけ、手際よく寝床や治療の準備を進める。
毛布を出してアルフォンを寝かしつけ、大きめの鍋に滝で水を汲み、精霊にお湯に変えてもらい、荷物の中から薬草や包帯を取り出す。
紫狼に手伝ってもらいながら、アルフォンの服を脱がせ濡らした布で身体を拭く。ある程度きれいにして、ぴたりと手を止めた。
「?治りが早い!?」
深手の傷は酷いが、他の小さな切り傷が既に塞がりかけている。
数日前の傷かもしれないが、良く気を凝らせば人外の気配が動いている事が分かる。
「翠琥、如何言う事?」
またも他人の居ないその場で宙に訊ねた。返らぬと思える答えが、誰からともなく響く。
《この者は、加護を享けし者だ》
「加護?」
《“レイオウ”の血に連なりし者。これほど濃い者も久しい。前代ほどではないが、それに近い者であろう》
「前代って、翠琥と緋龍の?へー。」
姿なき者と対話しながら、治療を再開する。
《“蒼の”では無理であろうが、我であれば或いは盟約くらいは出来よう》
「盟約?誓約ではなく?」
《是。盟約は、誓約ほどの効力は無い。一時的な仮契約のようなもの。応えるか否かは、我次第。誓約は、絶対主従契約。我らに否はない》
「ふーん。まぁ、要は精霊に好かれ易い体質ってこと?」
《是。中級程度であれば、命に従う者もいよう》
「ふーん」
疑問が解け、興味を失くしたように頷いて会話を切り上げる。
服を着せ薬草を調合して、解熱剤を飲ませようとした段で、ハルキはあることに気付き苦虫を潰したような顔を作る。
「・・・・・・もしかしてこれ、すっごいベタな展開?」
傷と熱で、完全に気を失っているアルフォンを見ること数秒。
改めて明るい中近くで見れば、そのルックスにハルキは感嘆を覚えた。
目を瞑っていても分かるほど、文句のつけようも無くカッコイイ。
切れ長の目に堀の深い顔立ち、その殺伐とした雰囲気と見事な黄金の髪。見た目は25~6と言ったとこだろう。
今は閉じている瞼の下には、薄暗い森の中でもそれと分かる深紅に、激情を燻らせたような美しい不羈の光を湛えていた。男らしく不屈の精神を感じさせるオーラが、全身から只者ではない覇気を漲らせていたのを思い出す。
が、どんなに見目が良いとはいえ赤の他人にするとなれば、抵抗がある。
「紫狼、代わって」
ハルキは紫狼を見るが、既に寝る体勢に入っている紫狼は、耳を僅かに立てただけでこちらを見ようともしない。
「薄情者」
無茶だと分かり切っていても、八つ当たりにも等しい不平を漏らさずには居られない。
再びアルフォンに眼をやり、腹を括ったように肺の空気を全て吐き出した。