十八話 開幕
ローグ=km
リディアに着いたのは、青の月が沈んで直の昼過ぎだった。
シュヴァイツの街は、何処も石造りの防御壁に囲まれ、門が2~4つ存在する造りになっている。
リディアは大きさで言えば、中堅規模の街らしく、50戸近い建物が狭すぎず広すぎぬ間隔で隣接していた。
ハルキが3つある門の1つを潜れば、訝しげな視線が方々から突き刺さる。
目深に被った帽子に、ボロボロの外套を羽織った全身黒ずくめの吟遊詩人に、門番だけでなく、リディアへ入る商人たちからも不審な目を向けられていた。
ハルキはその視線を気にすることなく、懐から笛を取り出した。
不審者を詰問しようと、ハルキに近付こうとしていた番兵が声を上げる前に、ハルキは取り出したそれに口をつけ、機先を制する。
辺りに響き渡る高く澄んだ音色に、視線が一層集中する。
構わず、ハルキは注目を集めて歩き始める。目指す場所は、中央広場。
不審と疑惑と、好奇心に満ちた人々の目を一身に受け、着かず離れず集まって来た街の子供たちを引連れながら、到着した先の広場中央で立ち止まる。
笛を吹きつつ街を観察していたハルキは、すでに異変を感じ取っていた。
街に居る人間、特に門を見張るように見詰ている視線の殆どが、殺気やそれに近いものを帯びていた。
街中を歩く冒険者や傭兵の中にも、何かを探すように人々を観察する人間が居た。
リディアの街自体は、商業や産業と言うよりは、宿場町としての要素が濃いようだ。シュヴァイツでも辺境近いが、海に近いことから商人たちが通過する宿屋が多いのだろうと見当がつく。
吹いていた笛を下ろし、ハルキは大げさな礼をする。
顔を下げたまま、大きく息を吸い吐き出す。次いで、不敵な笑みを作り顔を上げた。
――幕開けの合図は、盛大に。
「さぁ、お立会い。風の吟遊詩人の物語の始まりだ!遠い異国の、昔むかしの物語」
然して声を張り上げもせず、人の行き交う喧騒の中にハルキの声が響き渡る。
人の波は、立ち止まる者、無視する者と様々な反応を示しながらも、ハルキを中心にポッカリと穴を作る。
話が進むに連れて、人々の垣根が広がり、目深に被った山高帽子に、仮面を着けた不審者は、やがて唯の旅の吟遊詩人として人々の注目を集める。
不審な格好も、不自然な仮面も、ショーを盛り上げる一つの演出に過ぎなくなった。
やがて、2~3時間の時が過ぎ、そこまで大きくない街に、吟遊詩人の存在が知れ渉る。
聞いたこともない、異国情緒溢れる物語の語り手として。
「お付き合い頂き、ありがとうございました。これにて、僕のつまらぬ話は仕舞にさせていただきます」
再び一礼したところで、其処彼処から拍手が送られた。
と、話の始まりから目の前に陣取っていた一人の男の子が、無邪気に問うた。
「どして、仮面をつけてるの?」
その声は、不思議と広場に浸透する。風が音を運んだことを理解する者は、誰一人としていない。
そして、その問を待っていたように、吟遊詩人ことハルキは、ひっそりと笑った。
「これはね、醜い顔を隠すためのものだよ。ボクの顔は珍しすぎて、皆が恐がってしまうかもしれないからね」
笑みを湛えたままの穏やかな声音は、物語を語るそれと同じく、風に乗り人々の耳に届けられる。
こうして、二人だけの会話は、公然の話として知れる。
とりあえずの布石を敷き終え、ハルキはまだ高い宙天を仰ぎ、傍に居た子供に質問した。
「ところで、坊や。よければ、ギルドを教えてもらえないかい?」
視線を合わせるように身を屈め、脅えさせぬように穏やかに問う。
質問した子供だけでなく、その友達なのだろう目の前の子供たちが、元気な了承を唱える。数人がハルキの腕を曳きながら、数人が前を行き街を西へ進む。
その時には、最早殆どの人間が、ハルキに目を向け続けることはなかった。
広場から数分で、ギルドの看板が見えてくる。街の中で一番大きい建物らしく、出入りする冒険者の数も少なくはない。
リディアでは、おそらく既に何らかの依頼や護衛に就いている冒険者や傭兵たちの方が多いだろう。
それでもギルドへの出入りが多いのは、そう言った者たちが、向う先までの野盗や野獣の出没・退治依頼などを見て治安状況を把握する人間が多いからだ。
ハルキのような旅人も、それを目当てにギルドを訪れることが珍しくない。
躊躇うことなくハルキはギルドの戸をあけた。
ハルキは建物に入る際、目線だけで背後を見やり、思わず溜息を吐いた。
中では、15~6人の人間が依頼書を眺めたり、受付で話しを聞いたりしていた。開いたドアに、全員が目を向ける。
ハルキの出で立ちに、暫く観察の目が向けられるが、先ほどのパフォーマンスを話し程度に知っていたのだろう。直に興味を失ったように、目線はそらされる。ハルキはそれに構うことなく、依頼掲示板の前まで歩いていった。
暫く眺め、目的の依頼書を見つける。他にも、各地の治安状況を調べていると故意に近付いてくる気配を感じた。
「やぁ。こんにちは」
話しかけられ、振り向いた先には萌黄色の眼をした赤髪の18~9歳くらいの青年が立っていた。出で立ちから、冒険者だと分かる。
「こんにちは。ボクに何か用です?」
「いや、さっきは素晴らしい物語だったよ。旅の詩人さんかと思ってたんだけど、冒険者かい?」
人好きのする笑みを湛えながら、ハルキの隣に立つ。
「いいえ。道中の情報収集ですよ」
再び掲示板に向き直り、ハルキは素っ気無く応える。
「そうか、残念」
その言葉に、ハルキは小首を傾げる。
「相当の腕前だと思ったからね。良ければ、頼まれてもらいたい事があってね」
微笑を滲ませ、こちらを見下ろす男を見て、ハルキは内心の疑問が大きくなる。
腕前で言うならば、恐らく目の前の男も相当だ。笑ってはいるが、眼は絶え間なく多くを観察し、隙もない。
その厳粛で、犯しがたい雰囲気は、傭兵や冒険者と言うには、あまりにお綺麗過ぎる。どちらかと言えば、国に属する騎士と言われた方がしっくり来る。
しかも、彼は門からずっとハルキをつけていた人間だ。初めは気のせいかとも思ったが、広場からギルドまで距離を取ってついてくる気配に、この男が初めから意図してハルキに近付いて来ていることは、分かっている。
厄介事の臭いに、ハルキは直に動いた。
「そうですか?自分の身を守る程度の腕ですよ。失礼」
男の素性に触れず、ハルキは男から放れる。兵法の三十六計は偉大だ。
まだ、受付で済ますことがあるために、ギルドから出ることは出来ないが、取敢えず距離を置く。
「すみません」
受付に座る女性の局員に声をかける。
「はい。如何いったご用件でしょうか?」
局員はハルキの格好に驚きを見せることなく、にこやかに返事を返す。
「リディアから東に7ローグほど街道を行った森の外れに、この辺りでお尋ねものになっている野盗を捕らえてあるので、警吏の兵を向わせてもらいたい」
「“毒蜘蛛”の一派と言うことでしょうか?」
「恐らく。依頼書にあった刺青もありましたから」
この周辺で出没情報のある野盗は“毒蜘蛛”だけだ。それに、持ち物を物色する際、ハルキは数人の男にそのトレードマークたる蜘蛛の刺青を確認していた。
ハルキは局員が取り出してきた地図で場所を指し示し、幾つかの質問に答える。
「承知いたしました。では、確認が取れ次第報奨金が出ますが、如何されますか?」
「辞退します。ボクは冒険者ではないですし、明日には出立しますので」
全ての用を終え、ハルキがギルドを出ようと出口に差し掛かったところで、再び男が待ち構えていた。
局員との遣り取りの最中も、視線と気配を感じていたので、それは予想の範疇だったが、計画外の事態にハルキは仮面の下で眉を顰めた。
「やっぱり君、強いね。どうだろう、話だけでも聞いてもらえないかな?」
有無を言わさぬ笑みだ。大人しく話を聞かざるを得なさそうだと判断し、ハルキはひっそりと息を吐く。
「分かりました。では、夕食でもご一緒に如何ですか?」
まだ日のあるうちに、やらなければならない事は幾つかある。この厄介そうな人間に付き合うのならば、する事がなくなる夜に限ると判断し、ハルキは無難に夕食に誘う。
「それはいいね。では、中央通に面している“プロキオン”という酒場で会おう」
「分かりました。それでは」
「待っているからね」
念を押すように言う男に、軽く会釈をして答えギルドを後にした。
「よろしく」
ハルキがギルドを出る際に囁いた声は、誰に聞かれることなく空に消える。
暫く歩き、つけてくる人間の有無を確認する。どうやら、心配は要らないと判断したところで、ハルキは換金屋に向った。
指輪を売る際には、フードを被った女の冒険者に見えるよう装う。
取敢えず、衣服と簡易調味料や薬草さえ手に入ればいいため、低い値で買い叩かれても問題はなかったが、思ったよりお金になり助かった。
ハルキは再び路地裏で吟遊詩人の衣装に戻り、宿屋に入る。
宿屋は質が悪すぎぬ安めの宿を取り、漸く一息ついたのだった。