十二話 出発
洞窟に野営を張ってはや5日。出発は明日になると思っていたが、アルフォンの驚異的な回復があって、一日早く出発する事が出来た。
まだ一応ベッドの住人でなければならないアルフォンを気遣い、紫狼に乗ることを進めたハルキだったが、本人からの強い辞退に二人して木立の中を進む。
青の満月少し前ぐらいなので、まだ朝陽も登りきってはいない。
無言で進む二人の呼吸と足音が、朝の森に木霊する。
ハルキは帽子の影から、チラリと視線だけで隣を歩くアルフォンを見上げる。
顔だけ見れば、本当に文句なくイケメンだ。が、残念なことに、神は完璧な人間をご所望ではないらしい。横を行く顔の良い人間は、中身に問題があった。
出会ってから数日、目が覚めてから言えばまだ二日しか経っていないにも拘らず、アルフォンには揶揄れっぱなしだった。中でも、昨日のあれは心臓に悪すぎだ。とハルキは心中で大絶叫する。
色気が、半端なかった。フェロモンに本気で窒息死しそうになったのは、流石にあちらでもこちらでも、人生初体験だ。
人外の美人は結構見てきたし、出会った美人の半数近くには、何故か変な視線と色気ムンムンのフェロモンを向けられ、慣れたつもりでいたが。人間の、しかも百戦錬磨っぽい異性となると如何にも勝手が違うらしい。
感じたことない警戒信号に、かなりビックリしてしまった。
深刻そうな空気で、何となく考えていることは分かっていた。だから、気に病むことはないのだと伝えた。つい、何時もしていた甥っ子のチビたちにするように言い聞かせたが、それが何か不味かったのか、急に顔色と言うか、オーラが豹変した。
あの瞬間、背後に煌びやかな夜の帝王然としたオーラが見えた。何故かライオンに睨まれたウサギの心境になり、本能に従って紫狼のもとへ逃げた。
あの後、中々寝付けず考えを巡らせたが、何事もなかったかのような今朝の様子を見て、ハルキは出ていた一つの結論を確信した。
――きっと性格が歪んでしまってるんだ。人をからかうのが趣味の人なんだ。諦めよう。昨夜のは、私が生意気言ったから、意趣返しされたんだな。大人気ないぞ、フォンめ。
内心で悪態をつき、やっと解決した昨夜の出来事に、すっきりとした気分で朝のウォーキングを楽しむ。
ハルキにとって、正直、隣に並んで歩くことさえ遠慮したい男が、自分を相手にするなど、微塵も考えられない変事だ。そういった可能性は、一度も出てこないほど、あり得ないことだった。
アルフォンの顔と雰囲気とバックグラウンドを考えれば、もてない筈がない。喩え性格が悪くて、歪んでいようと、金持ちで地位も名誉も顔も揃った上玉を、どんな世の美女であろうが放っておく筈がない。そして、フェロモンと色気が、アルフォンの女性遍歴の凄さを黙して語っていた。
一方アルフォンも、視線を向けずにハルキを意識していた。
それに気がついたのは、出発して暫くしてからだ。ハルキはアルフォンと視線を合わせず、一定距離をとろうとしていた。それに気付いて、無表情の下でかなり気を揉んでいた。
視線を感じそれとなく見れば、それは既に逸らされ、代わりに何か考え込んでいるようだ。
話しかける話題も見つからず、暫く歩いていれば、急に顔を上げ一人頷いた。先程より幾分軽快になった足取りから、何か結論が出たのだと見て取れる。
と、突然ハルキが右手の茂みに顔を向ける。そこに警戒や殺気は見当たらず、ただ何かを見通すように、じっと見詰ている。
「どうした?」
不思議そうに訊ねるアルフォンも耳を欹てるが、何も気になることはない。
「・・・・ちょっと、朝食を獲って来る」
「は?」
言われた意味が分からずにいるアルフォンを置いて、ハルキが走り出す。
「おい!」
慌てたアルフォンに、ハルキは声をかける。
「そのまま紫狼と進んで。直追いつく。紫狼、先に行け」
茂みに消えたハルキに、アルフォンは立ち尽くす。
先に行けと言われて、はいそうですかと進める所ではない。ここは森の中なのだ。道どころか、目印になるような物もない。しかも、ハルキは今から行く街さえ知らない上、アルフォンの記憶では、この森で迷子になっていたはずだ。方向感覚も、危ういはず。
「ちっ」
追いかけようと踏み出したアルフォンは、背後から引き止められた。
服を引くものを振り返れば、紫の目が先を促している。
「放せ」
通じる訳も無い相手に、アルフォンは一言命じる。
紫狼は構うことなく、服を引張る。
「お前の主が森に迷ってもいいのか?」
不毛な遣り取りをする自分を、どこか滑稽に感じながらも言わずにはいられない。
しかも、アルフォンの被害妄想でなければ、それを鼻で笑うような目で見られ、益々苛立ちを大きくする。
暫く睨み合いと言う名の攻防が続いた。両者一歩も引くことはなく、数分が過ぎた時、右の茂みが再び動いた。
目の前の相手に気を取られすぎて、周りが見えなくなっていた自分に内心で舌打ち、剣を抜こうとして、止まる。
現れた黒に、アルフォンは苛立ちのまま声を上げる。
「お前は、馬鹿か!」
静かな森に、怒声が思いのほか響いた。
「何を考えてる。こんな森の中で、別行動とれば逸れるだろう。もっと考えろ!大体、お前リディアも知らん上、迷子だったんだろうが!」
一気に捲くし立てたアルフォンを、ハルキは何処か呆れた目で見やる。
「フォン、私が精霊使えるの知ってるでしょ。目的地は分からないけど、知っている土地や人を探す分には問題ない。風が教えてくれるから」
そう言って、何もない空を見る。
そこで、アルフォンもそれに思い至り、口元を手で覆い大きく息をついた。
「・・・そうだったな。悪い、焦って忘れてた」
これほどに焦りを感じたのも初めてで、ハルキの能力を忘れていた自分に恥じ入る。
今までなら、喩え同じ事をされても、相手が戻れようが戻れまいが、冷酷に捨て置くはずが、パニックで動物と口論するなど、アルフォンを知るものなら鼻で笑うどころか、想像さえ出来ないことだ。
そんなアルフォンに苦笑し、ハルキは手に持つ得物を掲げた。
「朝食を見つけたから、ついね。ビックリさせてごめん」
アルフォンが焦ったのはよく分かったハルキは、一言謝罪を入れる。
「いや」
気まずげに視線をそらし、歩を進める。
「フォン」
「・・・何だ」
「ありがと」
心配してくれたその心に、ハルキは素直に礼を言う。
「・・・・もう、勝手に動くな。できれば、説明してからにしてくれ」
「分かった」
ハルキは真直ぐ見下ろしてくる紅に、微笑み返す。
アルフォンも、やっと合った目線にホッとしながら、苦笑を漏らした。
「朝食にするか?」
話題を変えるように、ハルキの手に持つ食材に目をやれば、ハルキは少し考え首を振る。
「もう少し進もう。ここから少し東にいった方向に、森を探索してる兵が野営を張ってる。再開されて追いつかれると不味い」
「探索隊はどんな格好だ?」
「ん~。私が見たのは、黒鋼の鎧着た辺境警備隊だった。でも、多分他の人間がいる」
「如何言う事だ?」
訝しげに肩より下の頭を見下ろす。
「私が偵察に行ったのは、4日前の夜だけど。その時は、辺境警備の数班だけだった。人数にすれば、15人かな。その後、精霊によれば数十人の増援が加わってる。ただ・・・」
何かが気になるのか、一旦口を閉じるハルキに、アルフォンが先を促す。
「ただ?」
ハルキは直に答えることなく、暫く考えを纏めるように黙り込み、再び口を開いた。
「多分だけど、少なくとも二つの組織が動いてる」
「と言うと?」
視線を険しくして、説明を求めるアルフォンに、ハルキは前を見据えたまま続ける。
「動きがね。少し気になる」
「動き?」
「そ。一つは警備隊側。野獣なんかは気にしてるけど、派手に動いてる。もう一つは、余り目立たないように秘密裏に動いてる感じかな」
「・・・・・その秘密裏に動いてる方は、今どの辺りにいる?」
「残念ながら、丁度進行方向と間逆」
その台詞に、ハルキもアルフォンの考えと同じ可能性を見ていると知れた。
「まぁ、でも。敵対勢力の二派ってことも考えられなくもないし。迂闊に動けないけど。どうする?向こうと合流してみる?」
ハルキの言も一理あり、アルフォンは暫く考え、首を振る。
「いや。このまま進む。変更はなしだ」
「分かった」
迷いを断ち切るように毅然と前を向くアルフォンに、ハルキは苦笑を滲ませる。
「フォン」
「何だ?」
「なるようになるよ」
慰めにもならない台詞だ。そう、なるようにしかならない。結局、皇族の誰かが帝位につくのだ。それが、皇太子でなくとも。
「フッ。そうだな」
その慰めにもならない台詞に、返って気が楽になる己に、アルフォンは笑みを漏らす。
「そう。流れは、止まることはない。世界も、時代も、国も、人も、流れる先は違えど、留まりはしないんだよ。だから、焦っても仕方がない」
ハルキの言葉に、アルフォンは僅かに目を見開き、今度こそ微笑み草臥れた帽子に手を置いた。
「生意気」
「ちょっ!ずれる。前見えないから」
抗議する声を無視し、アルフォンは笑いながら帽子の上から頭を撫ぜ続けた。




