婚約破棄されたので隣国の冷徹公爵に拾われましたが、裏切った元婚約者が今さら泣きついてももう遅いです
「――エレノア・フォルクレイン。お前との婚約は、今日この場をもって破棄する」
王宮の大広間。
楽団の音色が止まった瞬間、空気まで凍り付いた。
私は思わず瞬きをした。
「……はい?」
いや、本当に意味が分からなかった。
周囲の貴族達もザワついている。そりゃそうだ。婚約披露夜会で婚約破棄とか、前代未聞だろうし。
壇上に立つ王太子レオニードは、私を見下ろしながら鼻で笑った。
「白々しいな。お前が騎士団の男と密会していた証拠は上がっている」
「……密会?」
「惚けるな!!」
怒鳴った瞬間、横から一人の女が現れる。
赤いドレス。
ねっとりした笑み。
王都でも悪名高い男爵令嬢――ミレイア・バルトシュだった。
「エレノア様……私、見てしまったんです。夜の庭園で、殿方と抱き合っているところを……」
「抱き合ってませんけど」
「まあ!! 開き直りですの!?」
「いや、だから抱き合ってませんけど」
何なんだ、この茶番。
私は普通に騎士団長と書類確認してただけなんだけど。
しかもその時、庭園にいた侍女が三人いたはずだ。
「殿下。その話には証人が――」
「黙れ!!」
レオニードは私の言葉を遮った。
「私はもう、お前のような冷たい女に愛想が尽きた。優しく可憐なミレイアこそ、真の王妃に相応しい」
は?
……は?
いや待て。
優しく可憐?
この女、つい先日も伯爵家の令嬢を階段から突き落としてたけど?
しかもお前、その女と普通に不倫してたよな?
知ってるんだけど?
私は深く息を吐いた。
「殿下。確認しますが、婚約破棄の理由は“私の浮気”ということですか?」
「そうだ」
「では殿下とミレイア嬢の関係は?」
一瞬、空気が止まる。
ミレイアの顔が引き攣った。
「な、何のことかしら?」
「三日前、西塔の客間。二人で朝まで過ごしていましたよね?」
「っ……!!」
「ちなみに侍女長が見ています」
レオニードの顔色が変わった。
「で、デタラメを!!」
「では神殿で誓約しましょうか? 虚偽を述べた側には神罰が下りますけど」
その瞬間。
ミレイアが露骨に視線を逸らした。
あ、終わったなこれ。
貴族達の視線が一気に二人へ向く。
「まさか……」
「不貞は王太子側か?」
「最低だな……」
ヒソヒソ声が広がる。
レオニードは顔を真っ赤にしながら叫んだ。
「うるさい!! 衛兵!! この女を追い出せ!!」
……ああ。
なるほど。
そういうこと。
私は静かに笑った。
「分かりました。では婚約破棄、謹んでお受けします」
「え……?」
レオニードが固まる。
多分、泣き縋ると思っていたんだろう。
残念。
むしろ清々しい。
「ただし」
私は広間全体を見渡した。
「本日をもって、フォルクレイン侯爵家は王家への支援を全面停止します」
場が凍った。
当然だ。
フォルクレイン家は国内最大の資金源。
王家の軍備も外交も、半分以上は我が家の財で成り立っている。
「な……っ!?」
「あと、北部鉱山の契約も終了で」
「待て!!」
「では失礼しますね」
私はスカートを翻し、そのまま大広間を後にした。
背後で怒号が飛んでいたけど、知らない。
もうどうでもいい。
……そのはずだった。
王宮を出た瞬間。
雨が降り始めた。
「…………」
情けない。
本当に。
平気だと思ってたのに。
胸が痛い。
十年間、王妃教育まで受けてきた。
国のために。
彼のために。
全部、全部。
無駄だったんだな。
「泣くなら傘くらい差せ」
低い声が降ってきた。
顔を上げる。
そこにいたのは、黒い軍服の男だった。
銀髪。
鋭い灰色の瞳。
隣国シュヴァルツ帝国の英雄。
“氷血公爵”――カイン・ヴァルセリオン。
「……何故ここに」
「外交会談帰りだ。騒ぎが聞こえた」
彼は無表情のまま、私に傘を差し出した。
「随分と派手に捨てられたらしいな」
「見世物でした?」
「最高に」
「最悪ですね」
思わず笑ってしまった。
するとカインは僅かに目を細めた。
「なら、復讐するか?」
「……え?」
「俺は王国が嫌いだ。お前は王太子が嫌いになった。利害は一致する」
さらっと物騒なこと言ったなこの人。
「ちなみに方法は?」
「簡単だ」
彼は私の手を取った。
「俺と結婚しろ」
「は?」
「お前を世界一溺愛してやる。その代わり、王国を後悔させる」
意味が分からない。
でも。
その手は、驚くほど温かかった。
◇◇◇
三ヶ月後。
私はシュヴァルツ帝国公爵夫人となった。
……いや展開早すぎない?
自分でも思う。
だけどカインは本気だった。
毎朝、花束。
毎晩、「愛している」。
仕事中でも五回は様子を見に来る。
「重くないですか?」
「全然足りん」
「怖い怖い怖い」
しかも顔がいい。
頭もいい。
強い。
何なんだこの完璧超人。
一方で王国は悲惨だった。
フォルクレイン家の支援消失。
さらにシュヴァルツ帝国との貿易停止。
経済は崩壊寸前。
そして――。
「エレノア!! 頼む、話を聞いてくれ!!」
ある日、元婚約者が屋敷に来た。
ボロボロの姿で。
私はソファに座ったまま紅茶を飲む。
「どちら様です?」
「っ……!!」
レオニードの顔が歪む。
「頼む……!! 戻ってきてくれ!! お前が必要なんだ!!」
「ミレイア嬢は?」
「に、逃げた……金を持って……」
あー。
でしょうね。
あの女、金しか見てなかったし。
「エレノア!! 私は騙されていたんだ!! 本当に愛していたのは――」
「黙れ」
空気が変わった。
レオニードが震える。
カインだった。
彼は冷たい目でレオニードを見下ろした。
「俺の妻をその汚い口で呼ぶな」
「っ……!!」
「次に泣きつけば、王国ごと潰す」
静かな声音なのに、殺気が凄い。
レオニードは顔面蒼白になった。
「ひっ……」
「帰れ」
たった一言。
それだけで王太子は転がるように逃げていった。
扉が閉まる。
静寂。
私は小さく息を吐いた。
「……終わりましたね」
「ああ」
カインは私の隣に座る。
そして当然のように腰を抱き寄せた。
「エレノア」
「はい?」
「幸せか?」
私は少しだけ考えて。
笑った。
「はい。今はとても」
カインは珍しく優しく笑った。
「ならいい」
外では雪が降っていた。
もう二度と、あの日みたいな涙は流さない。
だって今の私は――。
世界で一番、愛されているのだから。




