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白日夢 -エーゲ海に捧ぐ鎮魂歌-  作者: 北峰


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第四話 男の正体

「――そう、君たちのことだよ。昔、君たちの種族はもっと北の、山の向こうに住んでいたんだ」


 そう語る声音は相変わらず穏やかなのに、先程とは何かがひどく違っていた。声に直接触れることができれば、すぐにわかっただろう。無邪気に城壁の文字を探っていた時とは、その温度が明らかに異なっていたことに。


「あなたは――誰? 何者なの……?」


 ようやく声を出すことができたイリアは、だが動揺の色を隠すことはできなかった。

 行き倒れていた人間に対し、親切心を起こして助けただけのつもりだった。意識を取り戻してからも、その凡庸そうな風情から、無害だろうと勝手に思い込んでいた。


 だが――古代の文字を尋ねて回り、失われた過去を暴こうとするこの男は、いったい何者なのだろうか。


 イリアの意識は、目の前に立つ正体不明の男に集中していた。そのため、彼女たちのすぐそばまで迫っていた人の気配に気づくのが遅れてしまった。

 先に気づいたのは、階段の近くにいたラウィニアだった。ばらばらと不揃いの足音がすぐそばに聞こえ、はっとして彼女は振り返る。すると、そこに見知った顔があった。


「お探ししましたぞ、お嬢様」

「コノン!? どうしてここへ……!」


 真っ先に口を開いた男の顔を見て、イリアは驚愕の声を上げた。屋敷の使用人頭にして、主人レオゴラスの有能な右腕であるこの男が、こんな場所に現れるとは、予想もつかなかったのだ。


 しかし、コノンは驚きのあまり声を失うイリアには目もくれず、脇に控えるラウィニアを一瞥すると、大喝した。


「ラウィニア! どうやらおまえは人の忠告が聞こえなかったようだな。お嬢様をこのようなところへ連れ出すとは――」


 だが、コノンの叱責は突如上がった大声によって中断された。


「ラウィニアは悪くないわ! 私がわがままを言ってここまで来たんですもの。ラウィニアを責めるのは筋違いよ!」

「……お嬢様?」


 自分のせいでラウィニアが怒られてはたまらないと、叱責を受ける本人よりも先に、イリアが異議を唱えたのだ。当のラウィニアは、コノンに対する弁明を奪われた形になり、自分を庇う主を驚いたように見つめた。

 しかし、コノンはイリアの言葉など無視して、わざとらしく大きな溜息をついてみせる。


「まったく、お嬢様の酔狂には驚かされますな。無断外出にとどまらず、このような素性の知れない男と、怪しげな蛮族の言語を詠唱されるとは」

「……盗み聞きとは趣味が悪いわ」


 イリアは忌々しげに低い声を押し出した。

 こんな寂れた人気のない場所だからこそ、気ままに古代の言葉をリュシアスとともに読み上げていたのだ。他に聞く者など、ラウィニアを除いているはずもなかったから――。


 それなのに、この男は自分たちの行動を陰でじっと観察していたのだ。陰湿なやり方に、イリアの声も自然、苦いものとなる。


「ここは風の流れで、上の声も地上までよく響いてきましてな、幸か不幸か」


 彼にとっては紛れもなく幸だったのだろう。そう告げるコノンは、主の娘に対しているとは思えないほど不遜な態度で迫る。


「いずれにせよ、その男の身柄はこちらで預からせていただきます。旦那様にご報告申し上げねばなりませんので」

「どうしてお父様に報告しなきゃいけないのよ! いったい何するつもりなの!?」

「お嬢様、そのような得体の知れない男を庇い立てなさいますと、ろくなことになりませんぞ。おおかた、その男に騙されておられるのでしょうが」


 ――得体の知れない男?

 ――騙されている?


 いったい何を言っているのだろう。自分勝手に決めつけて、後は邪魔とばかりに、ていよく追い払おうとする。丁寧な口調とは裏腹に横暴なコノンの態度に、イリアはますます腹を立てた。


「何、勝手なこと言ってるの? 騙されてるって何よ! 行き倒れてた人間を介抱したくらいで、どうしてそんなこと言われなくちゃいけないのよ! 私は――」

「もういい、その辺にしておきなよ。君まで仲間だと思われたら困るだろう」


 さらに言いつのろうとした彼女を遮ったのは、それまで沈黙していたリュシアスだった。彼は彼女を制すと、なめらかな動作でゆっくりと立ち上がる。


「君たちは僕に用があるんだろう?」

「う、うむ……」


 あっさりした口調で言われ、コノンはかえって拍子抜けしてしまったらしい。だが、それでは威厳が保てないと思ったのか、一つ咳払いすると改めて宣告した。


「我が主人、レオゴラス様の元へ来てもらう。――おまえたちはお嬢様をお連れしろ」


 コノンの指示を受け、従者たちの半数はリュシアスを両側から取り押さえ、残りの半数はイリアとラウィニアの腕や肩をつかんで、その行動を規制した。


「ちょっと、何するのよ! 離しなさい!」


 従者の男二人に両腕を抑えられ、イリアは身動きできない。いくら暴れたところで、少女一人の力では、屈強な男二人に対抗できようはずもないのだ。

 そして彼女の目の前で、厳重にも四人の男たちに取り囲まれたリュシアスは、前後左右を固められたまま、地上へと連れられてゆく。


「リュシアスをどうするつもりなの!」


 従者たちの先頭に立って階段を下りようとするコノンの足が、わずかに止まる。そして彼は、叫んだ少女を振り向いて厳かに告げた。


「この男は、滅亡した先住民の生き残りなのです。おおかた我々に復讐しようと企んで、街に入り込んできたのでしょう。我々はそれを調べねばなりません。――さあ、さっさと来い」


 最後の台詞はリュシアスに向けられたものだった。指示を受け、従者たちはリュシアスを小突いて先を急がせる。

 そのような手荒な扱いを見れば、普段のイリアだったらさらに大声で文句をつけていただろう。だが、彼女はこの時、その様子をどこか遠い光景のように眺めていた。


「先住民……の、生き残り……?」


 口の中が干上ひあがったかのように、わずかに漏れた声がかすれる。

 彼女は呆然と、父の従者たちに引っ張られてゆくリュシアスの後ろ姿を見送ることしかできなかった。

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