第七話 別れの刻
天文二十二年── 一五五三年の秋。
駿府の空は、薄い雲をまといながら、どこか寂しげに広がっていた。
その朝、竹千代に岡崎へ戻る命が下った。
三河の松平家を再び今川の旗下に置くための措置──
表向きはそう説明されたが、
竹千代の胸には、言いようのない不安が広がっていた。
駿府で過ごした日々は、
人質としての苦しみであると同時に、
氏真と氏規という二人の友を得た、かけがえのない時間だった。
その日の夕暮れ、
三人は裏庭に集まった。
風が吹き、木々の葉が静かに揺れた。
夏の名残を抱えた風は、どこか別れの匂いを含んでいた。
氏真が、白い紙を竹千代に差し出した。
「これは……?」
「和歌だ。
そなたのために詠んだ」
竹千代は、そっと紙を開いた。
『行く道は 風のまにまに 定めなく
ただ友を思う 心ひとつに』
竹千代の胸に、静かな熱が広がった。
「氏真様……」
氏真は、微笑んだ。
「そなたがどこへ行こうとも、
この歌が、そなたの心を守ってくれるだろう」
その声は、秋の光よりも柔らかかった。
次に、氏規が小さな包みを差し出した。
「これは……?」
「小刀です。
兄たちが持つような立派なものではありませんが……
そなたが困った時、少しでも力になればと思って」
竹千代は、包みを開いた。
そこには、丁寧に研がれた小刀が収められていた。
柄には、氏規の手による小さな彫りがあった。
「氏規……ありがとう」
氏規は、少し照れたように笑った。
「そなたは、武よりも心で戦う人だ。
だからこそ、せめてこれだけは持っていてほしい」
竹千代は、小刀を胸に抱いた。
三人は、庭の中央に立った。
夕陽が三人の影を長く伸ばし、
その影はひとつに重なった。
氏真が、静かに言った。
「竹千代。
そなたがどこへ行こうとも、
我らの誓いは変わらぬ」
氏規が続けた。
「再び会える日を、私は信じています」
竹千代は、二人を見つめた。
胸の奥が熱く、痛いほどに締めつけられた。
「……必ず戻る。
たとえ道がどれほど険しくとも、
必ず、二人のもとへ戻る」
風が吹き、三人の間をそっと撫でた。
その風は、まるで別れを惜しむかのようだった。
氏真が、竹千代の肩に手を置いた。
「生きよ、竹千代。
それが、我らの誓いの第一だ」
氏規もまた、竹千代の手を握った。
「生きていれば、必ず会える」
三人は、そっと手を重ねた。
その手は、震えていた。
だが、温かかった。
──こうして、
三人の最初の別れは訪れた。
だが、
別れは終わりではなく、
むしろ三人の絆を深める始まりだった。




