第二話 駿府の庭で
天文十六年──一五四七年の初夏。
駿府の空は、薄い青を湛えながら、どこか遠い世界のように静かだった。
竹千代は、城の庭に立っていた。
まだ十にも満たぬ少年の肩に、
人質という言葉の重さが、じわりと沈んでいる。
風が吹くたび、庭の松がかすかに揺れた。
その音だけが、彼の孤独を慰めていた。
「そなたが……竹千代か」
声がした。
振り向くと、白い衣をまとった少年が、
蹴鞠を手に立っていた。
今川氏真──
駿河の若君であり、この城の主の子。
氏真は、竹千代をじっと見つめた。
その眼差しは、年齢に似合わぬほど静かで、
どこか翳りを帯びていた。
「父上から聞いている。
三河の若君が来たと」
竹千代は、深く頭を下げた。
人質としての礼儀は、すでに身に染みついている。
氏真は、ふっと微笑んだ。
その笑みは、どこか寂しげで、
しかし温かかった。
「そんなに固くならずともよい。
ここは戦場ではない。
……ただの庭だ」
そう言って、氏真は蹴鞠を軽く放った。
白い球は、夏の光を受けてふわりと舞い、
竹千代の足元へ転がった。
「蹴鞠はできるか?」
竹千代は首を振った。
三河では、そんな優雅な遊びを習う余裕などなかった。
氏真は、少しだけ目を細めた。
「ならば、教えよう。
……私も、最初は誰かに教わった」
その言葉には、
“誰かに教わることの寂しさ”が滲んでいた。
竹千代は、そっと蹴鞠を拾い上げた。
手の中で、白い球が軽く揺れる。
「竹千代。
そなたは、ここで寂しくはないか?」
唐突な問いだった。
しかし、その声には、
同じ孤独を知る者だけが持つ響きがあった。
竹千代は、少しだけ目を伏せた。
「……寂しくないと言えば、嘘になります」
氏真は、静かに頷いた。
「私もだ。
父上は忙しく、母上は京におられる。
家臣たちは皆、私を“今川の嫡男”としてしか見ぬ。
……だから、そなたが来てくれて、少し嬉しい」
その言葉は、
夏の光よりも柔らかく、
竹千代の胸に染み込んだ。
「そなたも、私も──
生まれた家のために、ここにいる。
だが、子としての心までは、誰も見てはくれぬ」
氏真は、蹴鞠を受け取り、軽く空へ放った。
白い球は、青空の中でひときわ明るく輝いた。
「……だから、友になろう。
竹千代」
その一言は、
竹千代の胸の奥に、静かな火を灯した。
人質としての孤独。
若君としての孤独。
立場は違えど、
二人の心は、同じ影を抱えていた。
竹千代は、深く息を吸い、
小さく、しかし確かに頷いた。
「……はい。
氏真様」
その瞬間、
駿府の庭に吹いた風が、
二人の間を優しく撫でていった。
それは、
後に“秘密の三国同盟”へと繋がる、
最初の小さな結び目だった。




